09:00 名もなき崖(地下水脈ショートカット)

:18 名もなき崖

 夜のいなな白馬亭はくばてい、二階。


 一階に向かうゴンドラの小さな箱の中で、まっすぐ前を向く委員長は、真っ赤になった鼻を、ズズっと服の袖で拭った。


 その上級国民らしからぬ仕草に、思わず口角が上がってしまう。覚悟が決まったのだろう、そんな気迫が彼女からひしひしと伝わってくる。


 ちん、と箱が静止。


「よし、何があっても止まらずに、走り抜けよう」


 ふん、と二人ともがうなずきで応える。

 木製のドアを手動で開けると、俺たちは走った。


 湾曲した階段を一段飛ばしで駆け下り、カウンター奥のチョビ髭の制止を無視し、がやがやと野次馬でごった返すレストランフロアを突っ切り、俺たちは白馬亭を後にした。


 夜の大通りは、両サイドからのガスの灯で青白く彩られており、それがずっと奥の方まで続いていた。

 通りにも野次馬が大勢いたが、かまわず俺たちは石畳を蹴ってひたすらに走る。


 途中、ちらりと白馬亭を振り返ると、俺たちが先ほどまでいた三階の一室にぽっかりと穴があいていた。


「あちゃー。こりゃ俺たちにも懸賞金がかかるな」

「えっ⁉ そういうシステムなの⁉ ヤバいじゃん⁉ よけい逃げなきゃじゃん⁉」


 まあ、そうだな。店には申しわけないが、このままトンズラこかせてもらおう。


「だな! 逃げよう!」

「ラジャ!」


 シルバーのショートヘアを躍らせながら走るギャルと意見の一致を見た俺は、さらに加速するべく、服を脱いだ。モザイク越しに、ビーチクがスースーする。

 が、気分は爽快。スピードもぐんぐん上がる。もう誰も俺を止められない!

 フハハハハッ!


「ちょっ! ハヤタくん⁉ 上半身にモザイクがかかってるように見えるのだけど⁉」

「ああ、シボ、大丈夫。あれハヤタのデフォだから」

「デフォルトでモザイク⁉」


 そんなクラスメイト達の楽し気な会話が背後から聴こえてくるが、関係ない。こうなった俺はもはや無敵だった。


 と、無敵モードで走っている途中、通りの右側から鋭い視線を感じた。


 ちらりとそちらを見やると、金髪ショートの見目麗しい剣士と目が合った。

 彼女はニヤリと口の端を上げ、切れ長の目で愉快そうにこちらを見ていた。


 ふむ、どうやらゴリラ――もとい、オグリアスのやつ、見送りに来てくれたらしい。

 でも、しまったな。また俺に対する彼女の印象が悪くなってしまった。やはりハヤイヲは半裸で走るヘンタイじゃないか、と。次に会った時は、もう反論できないな。

 まあ、事実だから仕方ないか。


 とにかく俺たちは通りを抜け、石畳がなくなるまで走った。

 やがて両サイドから建物が消え、地面が砂利に変わると、木々が目立つようになった。


 そうしてたどり着いたこの場所は、街のはずれにある、名前もついていないような崖の先端だった。両サイドに木々が立ち並び、真ん中だけ映画館のスクリーンのようにぽっかりと木のない空間があって、あたかも崖の先端に行けるかのような造りになっている。


 そこから見える景色もまた壮観だった。

 大きな月にすっぽりと納まるように、富士山のような高台と、その上にそびえたつ城を望むことができた。

 が、もちろん、この先は行き止まり、というか崖しかないのでこんなところに来るプレイヤーは皆無に等しかった。


 ただし、一般プレイヤーに限る。


「あれがラストダンジョンってわけね」

「ああ、王の根城だ」


 俺の右隣りに立つキサラギさんは、息一つ切らしていなかった。スタミナ管理が板についてきたな、RTA走者の素質ありだ。


 左隣を見ると、まだ目を赤く腫らしたままの委員長が、それでも臆することなく、じっとラスダンの城を睨みつけている。

 弱音を吐かないところを見ると、やはり彼女の覚悟は本物だったようだ。いいぞ。


「よし、じゃあ行こうか」


 と俺は歩きはじめる。もちろん、何もない崖の突端に向かって、だ。


「えっ⁉ そっちは崖しかないように見えるけど……」


 と委員長の困惑気味の声。

 そんな彼女に、今から行うことを説明するべく俺は口を開く。


「本来なら、断崖街区の教会裏にあるマンホールから、地下水脈っていう激ムズダンジョンに行かないと、この崖の中腹にある橋にはたどり着けないようになってるんだけど。でも、俺たちにはそんな時間はないし、能力もない。レベルも全然足りてない。そこで――」

「わかった!」


 ぽん、と手を打ったキサラギさんが自信満々に言った。


「また飛び降りるんだ!」

「半分正解」

「半分?」

「そう、半分。そういう小賢しい考えを持ったプレイヤーがここに大挙することは、開発のトゥソフトだって想定済みだ。そこで彼らが講じた策が――」

「ああっ! 透明の壁か!」


 得心がいったのかキサラギさんの声はいつにも増して大きかった。


「正解。こいつがプレイヤーを邪魔して、これ以上先に行けないようになってる」


 コンコン、と俺は見えない壁をノックした。

 そう、崖の突端、先の先。ここから先は、この透明な壁が邪魔をして行けないようになっていた。


 ただし、一般プレイヤーに限る。


「じゃあ、もう……」


 と、この世の終わりのような顔になる委員長。

 落ち込む彼女に向かってキサラギさんは芝居がかった様子で言った。


「ふっふっふ、シボさんよ、世界一のRTAアールティーエー走者を舐めちゃあいけないよ」

「それって、どういう……?」


 まだよくわかっていなさそうな委員長に、RTA走者である俺は言った。


「この透明の壁を無理やり越える」


 委員長は正気を疑うような目線をくれる。まあ百聞は一見に如かずだ。さっそく俺はケツ透過法を実践するべく、尻を壁に押しつける。

 そして――


「おんっ、おんっ、おんっ――」


 顎を上げ、気合いを入れて小ジャンプを繰り返す。

 そんな俺を凝視する委員長は、終始真顔だった。真顔で、何も言わず、俺のグリッチをただ見つめている。

 ま、まあ、委員長の端正な真顔が心臓に痛いが、いまは無視だ。全力で集中する。


「おんっ、おんっ、お――」


 すぽっ。俺はケツごと透明の壁を越えた。


「このように」


 一部始終を至近距離で見ていた委員長は顎が外れるくらい口をあんぐりと開けた。

 ふふーんと鼻を鳴らすキサラギさんが、ぽん、と委員長の肩を叩く。


「んじゃ、おさきー」


 呆然と立ち尽くす委員長を横目に、キサラギさんの大きな尻が、透明の壁にぷにょりと押しつけられる。


「のんっ、のんっ、のんっ」


 月光に照らされる銀色のショートボブが上下にふわふわ揺れる。

 もちろん、巨大なる尻もそれに倣う。


「ちょっと! ステア! なにを⁉」


 キサラギさんの潰れた尻を見るのは二度目だが、うむ、壮観である。

 委員長はというと、親友の奇怪な行動にしばらく放心状態のようだった。


 が、やがて……すぽっとキサラギさんは壁を抜けた。


「ええっ⁉」


 夜の崖に委員長の奇声がこだました。


「さ、次はシボの番だよ」


 得意げに大きな胸を張るキサラギさんに、委員長はただ茫然と突っ立つのみだった。


「むっ――」


 無理と言いかけた委員長は、その言葉を飲み込んだ。そしてフリーズする。

 俺とキサラギさんの頭上にあるタイマーが目に入ったのだろう。ぎゅっと唇を噛みしめた。

 俺も、見えない壁の向こう、委員長のタイマーを見上げる。


 45分27秒。


 それが俺たちに残された時間だった。

 あ、最初に死出の秒読みを食らったのは俺だから、俺はもうちょっとだけ早いが。


 委員長は覚悟を決めた様子で、自分のほっぺたをパンと両手で叩くと、見えない壁に歩み寄る。


 そして彼女はいきおい振り返ると、ぷにゅっと尻を押しつけた。


 あっぱれ!

 委員長の尻は小ぶりだが、形は抜群によかった。小さいスライムが二匹って感じだ。


「そそ、お尻をもっとこう、こっちにへばりつけて。そうそう」 


 と、キサラギさんがベテラン風に指導する。


「それで小ジャンプね。だよね、ハヤタ」

「そう。そこがこのグリッチのミソだ。決して大きく飛ばない」

「わっ、わかったわ。こうかしら……」


 ぴょんぴょん、と彼女が跳ねると、黒のロングもふぁさふぁさと揺れる。

 押しつけられた形のいい臀部も上下する。素晴らしいが、気合いが足りない。


「もっと気合い入れて!」

「えいっ、えいっ、えいっ」


 いいぞ。委員長の気合は、えいっ、だった。素晴らしい。王道だ!


「えいっ、えいっ、えっ――」


 すぽっ、と彼女は透明の壁を越える。


「ひゃっ」


 とととっ、とよろめく委員長の肩をやさしく受け止めてやる。


「あ、ありがとう……」

「シボ、うまいじゃん!」

「そ、そうかしら……」


 親友に褒められるも、委員長は苦笑いを浮かべるのみだった。喜んでいいのかわからないといった様子だ。


 とにかく、俺たちはいま、普段、絶対にプレイヤーが立ち入らないであろうエリアに足を踏み入れていた。

 崖の切っ先に向かう途中、委員長が素朴な感じで訊いてくる。


「ねえ、こういうのって、いったいどうやって見つけるの?」

「ん? こういうのって……ケツ透過法のこと?」

「おっほん!」とキサラギさんは咳払いをする。「ハヤタ」

「はい」

「女の子の前ではっきりと発音しない。そんなだからいつまでたってもソロなんだよ?」

「う…………以後気をつけます」


 どうやら俺のデリカシーは二度死ぬ。

 気を取りなおして。


「簡単だよ。ここを越えられたら速いのになぁとか思うところで、とりあえず全部やってみるんだ」

「全部?」と委員長は小首をかしげる。

「そ。最初は普通に壁に向かってジャンプしたり、ローリング回避で思いっきり身体を擦りつけたり、モンスターを誘導してきてわざと攻撃を食らって、その反動で向こうに行けないか試したり、とか」


 二人とも奇異な目でドン引いている。


「わかった。ハヤタって暇なんだ」

「フッ。研究熱心と言ってもらいたいね」


 委員長はそんなやりとりをなんだか申し訳なさそうな表情で聞いていた。そうこうしているうちにも俺とキサラギさんのタイマーは時を刻み続けている。

 負い目を感じるのも無理はない。


「よし、この調子で崖もさくっと降りてしまおう」

「おーっ」


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 崖の先端に立つと、圧巻の景色が待ち受けていた。

 巨大な月の中にすっぽりと納まるように白亜の城がそびえたっている。


 そこから目線を下げて、足元。ごつごつとした岩肌の遥か下に、ぼんやりとだが灰色の糸くずが一本、城のある高台に向かって縦に真っすぐ伸びていた。


「あれが橋だ」

「うわぁ……また、めちゃくちゃ下だね」


 キサラギさんはぶるっと身震いした。


「こっから崖の突起を使って降りていく。まずは、あのちょっとボコってなってるとこ」


 と、俺は足元を指さす。たんこぶのような暗褐色の突起。あそこが最初のターゲットだった。

 崖下を覗き込む委員長の喉が鳴った。下から吹く夜風で黒髪ロングが舞っている。その舞い狂う髪を耳にかけながら彼女は言った。


「これもチャレンジしたのね……何度も飛び降りて……」

「ああ。何百回も落ちて死んだ」


 その度に、汗だくになって飛び起きたものだ。


「ハヤタ……あんたってゲーム依存症ってより死亡依存症なんじゃない?」

「え、そんなんあるの?」

「いや、知らないけど……」


 でも、まあ、キサラギさんの言うこともあながち間違いではないかもしれない。そう思うくらい、俺はこのゲームで死んでいた。死にまくっていた。


「じゃあ、まあ、ついてきて」


 と、俺は何もない空間に一歩足を踏みだす。


「ちょっ⁉ 急すぎっ!」


 刹那、冷たい風が頬を切る。玉ひゅんもいつも通りだ。ものすごい速度で岩肌が上へ上へと通り過ぎる。


 近づいてはじめてわかるくらいの小さな突起に、着地。後続を待つ。

 

 と、案外、それは早く降ってきた。

 すとん、と俺の目の前に委員長が着地。


 チッ、ぱんつ――もとい、装備の確認ができなかった。まあ、いい。亀裂谷の時に見た黒は永久ホルダーに仕舞ってある。


「慣れてきたみたいだな」

「ええ……まだかなり怖いけど……でも……」


 言いかけ、彼女は俺の頭上のタイマーをちらと見る。自分が早く行動しないと目の前の陰キャが死ぬ。そしてそれ以上に、無二の親友が死んでしまう。責任感の強い委員長のことだ、きっとかなりのプレッシャーを感じているに違いない。


 そんなことを考えていると、委員長はグッと顔を近づけてきた。


「ねえ」


 もはや息のかかりそうな距離だ。


「はい」

「あのとき、あの宿で、なんで私を庇ってくれたの?」


 いきなりの質問に面食らう。


「えっと、それは……吹き矢の話、ですか?」

「そう。吹き矢の話。ハヤタくんが身を挺して私を庇ってくれた話」

「それは……えと……俺は……対人戦はからっきしだけど、ほぼすべての武器は見たことあるから、それでタイミングとかも覚えてたし――」

「そうじゃなくて――」


 陰キャの早口を遮るようにして委員長は俺の胸に手を置いた。心臓が早鐘を打ちはじめる。

 なっ、なんだ……いったい彼女はなんて答えてほしいんだ。さっぱりわからない。


 と、そのとき、ひゅっと風を切る音が耳に入る。俺はすかさず頭上を仰ぎ見る。

 くつの裏があった。


 が、対策済みだった。

 ひょいっと身をよじって躱すと、キサラギさんは俺の頬をかすめつつ着地した。


「ふう、惜しかったー」

「いや惜しかったて」


 俺はジト目でキサラギさんを睨みつつ抗議する。


「キサラギさん、俺を蹴り飛ばすことに情熱を注いでない?」

「ないから。考えすぎだって。てかさ、いま、二人、イチャついてなかった?」


 ドキリ。

 やはり、あの近すぎる距離感は、ほかの人からはそう見えるのか。

 ふむ。

 

 俺は次の目的地である下の岩場を見つめる。これまた小さい。象のハナクソくらいの大きさしかない。


「先を急ごう。俺たちには時間がない」

「おい」キサラギさんのドスの利いた声。「かっこいいセリフ吐いてごまかしてんじゃねーぞ」

「イチャついてなんかないわよ。ねえ?」

「はい」


 委員長のわざとらしい問いかけに、とてもいい声で返答する。


「ハヤタ、鼻の穴が広がってるよ」

「いつもこんな顔ですが。何か」

「うざっ」


 これ以上は俺の精神が持たなかった。

 バチバチムードの二人を残して飛び降りる。


「あ、逃げた!」


 いまは玉ひゅんだけが友達だった。


 すと、と象のハナクソほどの岩場に着地してから、さっきの委員長からの問いをあらためて考えてみる。 


 彼女は俺に、なぜ吹き矢の軌道を見切れたのか、ではなく、なぜ私を助けたのか、という動機のほうを問うているのかもしれないな。

 だとするなら――と、俺は熟考する。なぜ助けたのか。咄嗟のことだったから何も考えていなかったというのが本音だ。まあ、しいて言うなら――


 ストン。

 何事もなかったかのように着地した委員長に向かって、俺はこう答える。


「さっきの答えだけど。俺なら1時間以内にここから出られる自信があったから、かな」


 居ずまいを正した委員長は、しばらくこちらをじっと見つめていた。

 俺も見つめ返す。


 何回、茶色の瞬きを見送ったか、やがて彼女は静かに口を開く。


「ハヤタくん……」

「はい」

「私……これ以上足手まといにならないよう善処します」

「あっ、はい……いや、そんな足手まといだなんて――」


 めずらしい委員長の敬語が、ちょっとこそばゆかった。


 蹴りが降ってくる時間だった。

 半身になって避ける。


「チッ」

「舌打ちをするということは俺を蹴りたかったということですね」

「あ?」

「はい論破ァ」


 吐き捨てながら俺は飛んだ。それはもういさぎよく、飛んだ。最後にちらっと見えたキサラギさんの顔は、悪鬼ディグログよりも怖かった。


 やがて俺たちは石造りの橋に着地する。

 着地してからしこたま殴られる。

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