第20話「あの日」のエドワードとステファン

1日休んで、出勤日がやって来た。

最近、仕事ばかりしているような気が

する……休日はあるから、

完全に気のせいだけど。


リアムとレイスは、地球の写真撮影、

僕とステファンは、

分析した結果、改善が必要だった場所が、

その後、きちんと改善または変化している

かなどを確認する作業をしていた。


地球環境モニター室のガラス扉が開いて、

レオとエドが入って来た。

いつの間にか、勤務1日目が終わって、

勤務2日目になっていた。

でも、あと2日もある……また、どんより

した気持ちになった。

そういえば、

どこまで確認が終わっているかな?

と思って、ステファンを見ると、

机の中央に埋め込まれていたベゾルクを

じっと見つめて、涙を流していた。

「え!? ステファン?」

声をかけたけど、無反応だった。

まただ、このシチュエーション……

と思った時、

「おはよう!」

元気よく言って、

エドがこちらに、かけよって来た。

分析ブースの机の中央に埋め込まれていた

ベゾルクに映っていた場所を見て、

「ステファン……」

とつぶやいた。

そして、エドの目が、2人にして欲しい、

と言った気がしたので、

「リアムに用事があるから、行ってくるね」

ここを離れる理由は何もなかったけど、

分析ブースを離れた。

その後、エドは、僕のやっていた作業を

ステファンと一緒に、

僕は、リアムとレイスと一緒に、

地球の写真を撮る作業をした。



「何これ!?」

撮った写真の確認をしていたレイスが

言った。

「どうしたの?」

レイスが、ベゾルクの一部を指でさした。

「これは……なんだろう? あ、分かった!

人工衛星だよ、これ。太陽光パネルだと思う 」

僕が言うと、

「本当だ、人工衛星だ。まだ残っていたなんて、すごいね。今まで、どこに隠れていたのかな?」

僕達の隣で地球の写真撮影をしていた

プクルが言った。

「かくれんぼの天才だね」

リアムが言うと、

「本当だね」

プクルとリアムは、顔を見合わせて、

ニコッとした。

レイスが人工衛星が残っていて、写真撮影の

邪魔になったことを、

ルーカス室長に報告すると、

「まだあったのか、俺が撤去するよ」

ネオオを胸のポケットから取り出して、

2か所をつまんで、のばした。

地球環境モニター室の中央の何もない空間に

大きなオクヴィディギーロが出現して、

地球が、画面いっぱいに映った。

「レイス、座標を教えて」

ルーカス室長が言うと、

「えっと……北緯40度、東経150度の付近です」

レイスが、人工衛星が写り込んでしまった

写真の位置情報を確認しながら言った。

ルーカス室長が、聞いた座標を、ネオオに

入力すると、人工衛星が映った。

「これだね……AIキュープで、撤去するから、少し待っていて。悪いけど、残業だね……と思ったけど、リアムとレイスは、4日目だったね。俺が、撤去したあとに撮っておくよ」

ルーカス室長が、リアムとレイスを見て

言った。

本当は、帰りたかったけど、エドに話を

聞きたいな、という気持ちがあったので、

「ここの写真は、僕が撮りなおしをしてもいいですか?」

僕が言うと、

「いいけど、スカイも帰っていいよ。撤去には、時間がかかるかもしれないし」

ルーカス室長が言ったので、

「今まで、1日勤務で1日休みの勤務サイクルだった時に、みんなに支えてもらったので、僕にできることがあるなら、やりたいです」

理由をこじつけて、残業する許可を貰った。

リアムとレイスは、

「スカイにだけ、残業を押しつけるなんて、できないよ。一緒に帰ろう、あとはルーカス室長に任せて」

と言ってくれたけど、

ルーカス室長に言ったように、

「今まで支えてもらった、お礼がしたい」

と言うと、

「無理はしないでね」

渋々、僕の気持ちを受け入れて、

納得をしてくれた。



リアムとレイスを見送った僕は、

ルーカス室長のそばで、

1万年以上、誰にも、AIにも見つからずに

地球の周りを移動していた人工衛星の残骸の撤去作業を見守った。


人工衛星は、

正方形の太陽光パネルが、3枚連結していて

中央に位置する太陽光パネルから、

人工衛星の本体につながっていたであろう、

アルファベットの「H」のような形をした

支柱の部分しか残っていなかったので、

元々はどんな大きさだったのか、

どんな任務、役割を担っていたのかは、

まったく分からなかった。


大きくしたAIキュープが2台、

人工衛星の残骸に到着した。

AIキュープは、太陽光パネルのはじを、

それぞれのアームでつかむと、

移動を始めた。

「どこへ持って行くのですか?」

僕が聞くと、

「これくらいの大きさなら、本来は、地球に向けて落として、大気圏の摩擦熱で燃やすけど、もし、燃え尽きなかった場合、保護の対象になっている遺跡などを破壊してしまうかもしれないし、せっかく緑化が進んでいるのに、陸地にダメージを与えてしまう可能性があるから、安全策で、太陽の熱で跡形もなく処分する」

ルーカス室長が言った。

「なるほど、そうですよね。燃え尽きなくて落下したら、クレーターができてしまいますよね。そうしたら、緑化に熱いリアムがまた、どうしようか、悩みだしますね」

僕が言うと、

「あはは、そうだね。やたら、植物を植えたがるからね」

ルーカス室長が、笑った。

人工衛星の残骸は、

2台のAIキュープに運ばれて、

金星を通過し、

水星を通過して、

太陽にドンドン、近づいて行った。


1万年以上、

誰にも、機械にも見つからずに、

人知れず、たった1機で、

機体が分裂しながらも、

地球の周りを漂っていたなんて……。


太陽の熱波で、人工衛星の太陽光パネルが

溶けだした。


ここまで、生き延びたのに、

跡形もなく、

その存在を消してしまうなんて……僕は、

悲しくて、哀れに思えて、

胸が痛くなった。

「よくがんばったね、お疲れさま」

燃え尽きる寸前の人工衛星の残骸に僕は、

つぶやいた。


「スカイ、お待たせ。写真の撮影を頼むよ」

ルーカス室長が、

ネオオを縮めながら言った。

出現していた大きなオクヴィディギーロは、

いつの間にか消えていた。

「任せてください」

僕は、悲しい気持ちで、

撮影する準備を始めた。

デスクに埋め込まれていた、目標到着時刻を

教えてくれる時計をリセットして、

椅子に深くもたれて座った。


デスクの中央にあるベゾルクに映っていた

地球を、呆然と眺めていたら、

あの人工衛星の残骸の、残像が見えた。

他の人工衛星のことを、

仲間とは思っていなかったと思うけど、

1機、また1機……と地球の大気圏へ

突き落とされていく人工衛星たちを、

どんな気持ちで、見送っていたのかな?

分裂した機体とは、

いつ、お別れしたのだろうか?

そういえば、僕が生まれるずっと前に、

土星の環を地球に届けてくれた探査機、

「ボイジャー1号」が、たったひとり、

1機で、宇宙空間を進んだあと、漂っている

ことを思い出した。

故障して、地球とは音信不通になって、

燃料が切れて、「機能が停止」したあとも、

地球に戻ることなく、永遠に広大な果てしない広さの宇宙空間を、ひとりで漂い続ける、

と本で読んだ。

ボイジャー1号は、今どこに、地球からどれくらい離れた場所にあるのかな?

真っ暗な宇宙空間に、たったひとりで彷徨う

なんて……家に戻れないなんて、自分に置き

換えると、とてもじゃないけど、寂しすぎて

辛い。

どこかの天体に到着して、そこにいる知的

生命体が親切で、保護されていたらいいな……。

「ボイジャー1号、どこにいるの? 燃料がまだあるなら、進行方向を地球に変えていいんだよ。むしろ、変えて戻って来て」

不可能かもしれないけど、ピンポン玉の

ように、何かに跳ね返って方向が変わって、

それが偶然、地球がある方向だといいな、と

僕は思った。



写真の撮りなおしが無事に終わり、

勤務4日目が終了する時間になった。

エドと一緒に帰ろうと思って、

「お疲れさまです」

みんなに言いながら、

エドを探した。

あれ? いない?

もう帰ったのかな?

急いで、地球環境モニター室を出ると、

「スカイ」

声をかけられた。

探していたエドだった。

「一緒に帰ろう」と言ったので、

僕は、うなずいた。

一緒にエンヴィルに入って、

「1階」と言うと、

ゆっくりと体が、降下していった。

エンヴィルから出て、

中枢機関塔の出入り口を出た。

いつもなら、僕とエドの家がある

浮遊コロニーが違うから、オーヴウォークで

降りた所で、「またね」と言って、別れる。

でも、今日は、

エドが何も言わず立ち止まっていた。

エドも話したいことがあるのかな……

そう思って、

「少し、寄り道しない?」

僕が声をかけると、

「実は僕も、寄り道したいと思っていたところだよ。奇遇だね」

エドが言った。



僕達は、中枢機関塔の近くにある、

広場のベンチに並んで座った。

「体の具合はどう?」

「エマは、本に香りをつける作業、どれくらい進んだの?」

など、たあいもない話をした。

そして、

話すことがなくなって、沈黙が訪れた。

どう、切り出すか……お互いに様子を

探っている感じだった。

沈黙を破ってくれたのは、エドだった。

「あの……ステファンが泣いていた理由を、もしかして、知っていたりする?」

と聞かれたので、

「知らないよ。どうして泣いていたのか聞いたけど、答えてくれなかった」

と言うと、

「そうか……実は僕もずっと忘れていたけど、あの分析ブースのベゾルクに映っていた場所を見て、ふと思い出して……」

エドが言った。

「何を?」

「あそこは、ステファンのお母さんが勤務していた病院があった場所だった」

「そうなの? でも、お母さんは、『いない』って聞いた記憶があるよ」

僕が首をかしげると、

「……昔はいたよ……シェルターでスカイに、お母さんのことは聞かないで欲しい、とお願いしたことを、覚えている?」

エドに言われて、

僕は、シェルターでの出来事を思い返して

みた。

しばらく、頭の中の記憶を探った。

そうだ!

僕は、はっきりと思い出した。

「そんなこと、あったね。忘れていたよ」

「はっきりとした理由は分からなかったけど、今までずっと漠然と、いいことではない気配はしていた……今回の勤務日初日に、あの場所を見て、はっきりと思い出したよ」

エドが言った。

「そうか。それで、泣いていた理由は、何だったの? ステファンのお母さんは、どこにいるの?」

「それは……」

エドが、言葉をつまらせた。

「もしかして、お母さんのことで、2人の間に何かあったの?」

僕が言うと、

エドは、うつむいた。

「シェルターで、2人の間に何かあるのかな? と思っていた記憶があるけど……ステファンのおかしい理由や、2人の間に何があったのかとかは、聞いてもいいのかな?」

僕が言うと、

「……」

エドは、しばらく黙っていたけど、

ゆっくりと顔を上げて、

「様子がおかしい理由を話すから、ステファンには、内緒にしてくれる?」

と言ったので、

「もちろん」

僕は、エドの目を真っ直ぐ見つめながら、

答えた。

エドは、「実はね……」と話を始めた。



――「あの日」……

僕とステファンが通っていた学校は、

短縮授業の日で、午前中に授業が終わった

から、お昼ごはんを食べてから帰ろう、

ということになって、学校の最寄り駅の

近くにあったカフェに行って、楽しく食事を

していた。


食べ終わった僕達は、家に帰るために、

地上を走っている電車に乗った。


本当に、なんの変哲もない日、

いつもの日常、平穏そのものだった。

電車に乗って、しばらくした時、

たぶん、いつも音を立てていたと思うけど、

電車内の天井に取り付けてあった、

サーキュレーターが、

カラカラと音を立てて回っていることが、

この日に限って、妙に気になって、

何だか変な感じがした。

今思うと、「虫の知らせ」というやつだった

のかもしれない。


ステファンはいつものように、イヤフォンで

音楽を聴きながら、読書をしていた。

乗り換える駅に到着したので、

僕はステファンに、

「降りるよ」

肩をたたいて、合図をした。

電車を降りて、地下鉄のホームに直結して

いる、連絡通路を歩いた。


地下鉄のホームに着いて、

電車を待っていると、

ゴオォオー、

という音がしてきて、

「電車が、間もなく到着します」

アナウンスが流れた。

いつもの風景だけど、

トンネルの奧に、不気味な気配を感じた。

電車がやって来る音が、

ずっとトンネルの奧から響いているのに、

電車はいっこうに来なかった。

いつもは、アナウンスが流れたら、

すぐに電車がホームに到着するのに、

今日は来ないのに、

ゴオォオー、

と音がずっとしていたので、

僕を含めて、まわりの人達も、

「おかしいね?」

「電車が来る気配はあるのに」

と不思議に思いだしたその時、

駅員さんが数名、

階段をかけおりながら、

「逃げてください! 急いで!」

と叫んだ。

「え? 何事?」

「逃げるって……何から?」

みんなが騒然としていると、

グゴォオー!

トンネルの奧から、大量の水と共に、

僕達が乗ろうとしていたと思われる電車が、勢いよくホームに入って来た。

「やばい!」

僕が、イヤフォンをしながら本を読んでいて

周りの状況が見えていなかったステファンの

手をつかんで、引っ張ったその時、

手に持っていた本が落ちた。

「どうしたの? エド」

ステファンが、本を拾おうとした。

「いいから、行くよ!」

僕は、ステファンの手を強く引っ張って、

地上に出られる階段を、駆け上がった。

水が勢いよく、地上の出入り口から流れて

くるし、地震で揺れて、

階段から落ちそうになったから、

僕も他の人も、手すりにつかまりながら、

階段を登って行った。

「何があったの? エド」

「分からない。ただ、駅員さんが『逃げて』と言っていたのを聞いただけだから」

いつもなら、

5分もあれば、地上に出られるのに、

水の抵抗を受けていたのと、

地震の揺れとで、階段を1段あがるのに、

すごく時間がかかった。


疲労こんぱいで、

どうにか、地上にたどり着いた。

目に飛び込んできた光景に、

たくさんの人々が、驚愕した。

本当に驚いたよ……その光景に。

あちらこちらで、

落雷による火災が起きているし、

豪雨に強風、地震、

地面が、ミシッミシッ……と不気味な音を

立てながら、割れていく瞬間を見た。

地球は一体、どうしちゃったの?

という状況だった。

「これは……何事?」

僕が言うと、

「天変地異だ……」

ステファンが言った。

「え? 天変地異……それって、大変なことだよね!? ど、どうしよう?」

僕が、不安気に言うと、

「母さんに連絡してみる。ケガはないかとか確認をしよう」

ステファンが言ったので、

「そ、そうだね! そうしよう、それがいい」

僕は、動揺していた。

そんな僕をステファンが、

優しく抱きしめてくれた。


しばらくそのままでいると、だんだん、僕の

心が、落ち着きを取り戻してきた。

「ステファン、もう大丈夫。ありがとう」

僕が言うと、

「うん。電話をしよう、きっと心配しているよ」

ステファンが言った。

僕とステファンは、携帯電話を、ズボンの

ポケットから取り出して、電話をかけようと

したら、携帯電話の画面は、真っ暗だった。

僕とステファンは顔を見合わせて、

「バッテリー切れ? 壊れている?」

と言った。

周りにいた人達も、

「壊れている」、「電源がつかない」とか、

僕達と同じことを言っていた。

「みんなの携帯電話が、同時に壊れることなんてある?」

僕が言うと、

「ないと思う……どうしてだろう?」

ステファンが首をかしげた。


携帯電話が使えないから、とりあえず、家の

方向へ向かいながら、公衆電話を探すことに

した。

2人でガレキや地割れの穴、火災が起きて

いる場所などを避けながら進んで行った。

しそて、

ステファンが、

「エド、あそこを見て!」

急に立ち止まった。

「どうしたの?」

と聞くと、

黙って、僕の腕をつかんで、

家とは違う方向へ歩きだした。

「どこへ行くの? 家はあっちだよ」

僕が言うと、

「公衆電話に見える」

ステファンが言った。

「どこ?」

「あそこのプラスチックのゴミでできた丘のはしっこに、緑色が見える」

確かに、なんとなく緑色で箱っぽい雰囲気の

するものが見えた。

足元に気をつけながら、近づいて行き、

プラスチックのゴミに埋もれていたので、

それをどけると、

ステファンの言った通り、

公衆電話があった。

「やったね、電話をしよう」

僕は、公衆電話の読み取り画面に、

手首におした、ナノスタンプをかざした。

「あれ?」

「どうしたの?」

「ナノスタンプを読み込んでくれない」

僕の横にいたステファンに言うと、

「僕が、やってみるよ」

ステファンが、読み込み画面に、手首に

おしたナノスタンプをかざした。

「……何も、反応がない」

「液晶画面に表示は出ているから、使える状態だと思ったけど、壊れているのかな……」

がっかりした気持ちで、

その場を立ち去ろうとした時、

「待って、エド」

「どうしたの?」

「硬貨なら、使えるかもしれない」

ステファンが、液晶画面の一部を指で

さした。

その部分を見ると、

「現在、硬貨のみ有効」と表示が出ていた。

「本当だね! 硬貨ならいけそう」

僕のがっかりした気持ちは、一瞬で、

希望に満ち溢れた。

「姉さんの言う通り、何かあった時のために、硬貨を持ち歩いていて、よかったね」

僕とステファンは、顔を見合わせて笑った。

「あ……」

僕とステファンは、この時、初めて、

非常時用の硬貨を入れていた鞄を、

持っていないことに、気がついた。

どこで落としたのか、

どこまで手に持っていたのかさえも、

分からなかった。

顔を見合わせて、どうすればいいのかな……

と考えこんでいた時、

「あ!」


僕は今日、学校の自動販売機で、

ナノスタンプの入出金システムでジュースを

買った時に、操作を誤って、50円硬貨を、

払い出してしまい、それをズボンのうしろの

ポケットに入れたことを思いだした。


でも、よく見ると、

制服がどこで引っかけたのか分からないけど

ところどころ破れていたので、まさか……。

恐る恐る、ズボンのうしろのポケットを、

上からさわってみた。

硬貨の感触があった。

「よかった……あった」

こんなにも、50円硬貨が、

尊い存在だったとは、思わなかった。

そそて、操作を誤った自分に、感謝した。

僕は、ズボンのうしろのポケットから、

50円硬貨を取り出した。


50円硬貨が、神々しく輝いていた。


公衆電話の受話器を手に取って、

硬貨投入口へ50円硬貨を投入した。

ツーツーツー、

受話器から、音が聞こえた。

運良く、公衆電話の電話線は、

切れていなかった。

これで、家族に連絡ができる!

僕とステファンは、大喜びした。

「先にエドが、電話をして」

ステファンが言ってくれてので、

姉さんの携帯電話の番号を押そうとして、

手が止まった。

「どうしたの?」

ステファンが言った。

僕は受話器を、

受話器置き場に、そっと置いた。

ピピー、ピピー。

公衆電話から音がして、

50円硬貨が、お釣りボックスに出てきた。

「大切なことに気づいた……」

「どうしたの?」

「姉さんの、携帯電話の番号を覚えていない……家の電話番号も分からない」

僕が、落ち込んでいると、

「大丈夫、僕が覚えているよ! エドの家の番号なら分かる」

ステファンが僕の家に電話をかけてくれた。


「もしもし?」

姉さんが出た。

ステファンは、受話器を僕に渡してくれた。

お互いの無事を確認することができて、

ホッとした。

「ステファンが、エドと一緒でよかった。伝言があるの。ストゥートさんが、『病院で、患者さんの避難を手伝いながら、待っているから、来て欲しい』と言っていたわよ」

姉さんが言った。

ステファンのお母さんが勤務する病院で、

僕と姉さん、エマも合流することにした。

でも、エマとはまだ、

連絡がついていなかった。

姉さんは、エマが家に帰ってきている途中

かもしれないし、連絡が来るかもしれない

からしばらく家にいて、帰って来なかったら

家にメモを置いて、病院に向かう、という

ことになった。

話がまとまったところで、50円分の通話

時間が、終わりそうになった。

「姉さん、またあとでね」

僕が言うと、

「気をつけてね、またあとで会いまし……」

姉さんが言い終える寸前で、

50円分の通話時間が終わってしまい、

電話が切れた。



僕とステファンは、

病院に向かって、歩き始めた。

乗り換えの駅から、

病院の最寄り駅までは、3駅だから、

1駅分歩くのに、15分だとして、

多く見積もっても、1時間くらいで病院に

到着できる計算だった。

携帯電話が壊れて、

時間の経過が分からないけど、

お腹も空いているし何回か仮眠を取ったから

1時間以上は確実にたっている気がするのに

まだ病院にたどり着けずにいた。


病院の建物の気配すらも見えてこなかった

から、この方向で合っている?

不安になった。

そんな僕にステファンが、

「大丈夫、僕は、方位が分かるから」

と笑った。

ステファン流の冗談だと思うけど、

とても心強かった。

地面にあいた穴に、豪雨でできた川の水が、

勢いよく流れ込んで、滝になって、

雷が落ちて、火柱が上がり、

地震で崩れた建物、自動車などの乗り物、

どこからこんなに集まってきたの?

と思うほどの、大量のプラスチックのゴミ、

悪路の中を、ひたすら歩いた。


だんだんと、意識がもうろうとしてきた。

もうだだ……と思ったその時、

ついに、

ステファンのお母さんが勤務する病院に、

たどり着いた。

「やっと、着いた……」

僕とステファンは、顔を見合わせた。

2人の顔は、疲れきっていた。

病院は、お化け屋敷かな?というくらいに、

変わり果てた景観をしていた。

病院の前には、片側4車線の大きな道路が

あったのに、それが、幅広の濁流の川に

変わっていた。

その川に、片足を入れてみた。

「どう?」

「深さは、膝上くらいだから、流れは早いけど、気をつけて渡れば、大丈夫だと思う」

僕は、足を入れてみた感想を述べた。


僕達は、川底を捉えながら、

慎重に、病院のある向こう岸へ向かって、

進んだ。

「うわっ」

ステファンが足を滑らせて、

流されていった。

僕は慌てて、自ら流されて行きながら、

ステファンを追いかけた。

どれくらい流されたのかな?

道路が曲がっていたのか、建物で曲がった

のか、まっすぐだった川が、左に曲がって

いた。

壁にぶつかる!

と思った瞬間、

グシャンッ、

乾いた音がした。

目を開けると、川の曲がっていた部分に、

大量のプラスチックのゴミが溜まっていて、

それが偶然、

クッションの役割をしてくれたので、

ケガをせずにすんだ。

さらに、

僕達の体をプラスチックのゴミが、

その場に留めてくれていた。

プラスチックのゴミをかき分けながら、

どうにか川の中から脱出して、流されてきた

方向を見ると、病院の建物が見えなかった。

「だいぶ、流されてしまったみたいだね。病院の建物がまったく見えない」

僕が言うと、

「うん……だけど、方向的には、行きたかった対岸に来たね」

ステファンが言った。

この川沿いに戻れば、病院もあるし、僕の

家もあるはずだ、と僕達は、歩き始めた。



僕は、退院して間もない姉さんのことが、

気になっていた。

早く病院に、家に着きたいのに、流されて

しまったので、すごく時間をロスして

しまった……僕の気持ちは、焦っていた。


流されてきた方向を見ながら歩いていると、

川の水に、膝下まで浸かった女の人を

見つけた。

その雰囲気が、姉さんに似ていたので、

僕は、走った。

その人は、横向きに倒れていて、

顔が見えなかったので、確認するために、

顔が向いている方向へ、僕は移動した。

顔に泥がついていて、

判断するのに少し時間がかかったけど、

姉さんではなかった。

「よかった」

心の底から、安堵した。

でも、ステファンのお母さんに似ている気がした。

「もしかして……ストゥートさん? 大丈夫ですか?」

僕は肩を持って、揺らしながら声をかけた。

何も反応は、なかった。

まさか……違うよね?

生きていれば、口や鼻から空気の出入りを

感じるから、確かめるために、

順番に手をかざしてみた。

残念ながら、

口と鼻から空気の流れは、感じなかった。

亡くなっている……。

この人が、ストゥートさんだったら、

ステファンに知らせないと……でも、

亡くなっているなんて……言えない。

それに、似ているけど、

まったくの別人かもしれない。

この人が、ストゥートさんなのか、違うのか

悩んでいたら、

「エド、急に走りだして、どうしたの?」

ステファンが僕に、近づいて来た。

僕は、立ち上がって、

「えっと、その……」

ステファンを見た。

そして、

「この人が……」

目線を足元に向けると、

さっきいたはずの人が、いなかった。

え? どこ?

何で? パニックになっている僕のそばに、

ステファンが到着して、

「どうしたの?」

と言われたので、

「分からない……」

と答えた。

「え、何が?」

ステファンが、少し笑いながら言った。

「人がいた、ここに」

僕は、足元を指さした。

「誰もいないけど?」

ステファンが、首をかしげた。

「おかしいな……本当に見ていない?」

「うん、人は見ていないよ」

「そうか……ごめん、意識がもうろうとしていて、幻を見たみたい」

僕が言うと、

「そうだね、糖分を補給しないと。僕もなんだか、もうろうとする」

ステファンが言った。


本当に、幻だったのかな?

肩にふれた感覚は、あったけど……僕は、

手のひらを見た。

手のひら越しに、地面が見えた。

地面には、人が横たわっていたのかな?

と思える痕跡と、

水の中へ、ずり動いたような跡もあった。

人がいたことは、間違いなさそうだな……

それが、ストゥートさんだったのかは、

確かめようがないから、分からないけど、

僕が目を離した一瞬の間に、

水に流されてしまったとしたら?

僕は、申し訳ない気持ちになったと同時に、

ストゥートさんでは、ありませんように、

病院で会えますように!

と祈った。


だけど、

病院に着いた時も、避難所に着いた時も、

ストゥートさんには、会えなかった。

僕は、だんだん、怖くなってきて、

自分に言い聞かせた。

「ストゥートさんは、レベル4で、別の入口から入ったから、ここにはいない」

あの人が、ストゥートさんだったら、

亡くなっていたとしても、

水に流されるのを防げなくて、

ステファンが、ストゥートさんとお別れを

する機会を僕が奪った、ということになると思って、後ろめたい気持ちがあった。

だから、ステファンから、ストゥートさんの話を聞くのが、すごく怖かった。


シェルターを出発する直前、

なぜステファンが、

「お母さんはいない」

と言ったのかは、分からないけど、

存在を忘れているなら、その方が僕はいいと思ったから、ステファンに、

しつこくお母さんの話をするスカイに、

お母さんのことは、聞かないで欲しいと

頼んだ。

僕は、アムズに着いてすぐに、

ストゥートさんを探したけど、

見つけることができなかった。

だから、あの人はやはり、ストゥートさん

だったと、確信をした。

そして、

ステファンに、真実を言い出せないまま、

月日は、流れていった。


1万年がたった頃から、ステファンの様子がおかしいな、と思うことが、時々あって、

その度に、

「どうしたの?」と聞くと、

「分からないけど、この場所を見ると、胸が締めつけられる」とか、

「この本を、無意識に手に取ってしまうから、どうしてだろう? と思って、考えていた」

と言うので、気になった僕は、

「あの日」以前に、何があった場所だった

のかを、こっそりと調べてみた。

その結果、そこは、

ステファンのお母さん、ストゥートさんが、勤務していた病院が建っていた場所だった。これを思い出したことで、

本についても、僕は思い出した。

なぜか、著者名は記載されていなかったけど物理学者だった、ステファンのお父さんが、亡くなる直前に、出版した本だった。

だから僕は、

場所のことも本のことも、知っていたけど、

「ここは、ステファンがよく来ていた僕の家があった場所で、本は、僕がおもしろいよ、と地球上にいた時に貸した本だよ」

僕は、ステファンに嘘をついた――



「ストゥートさんのことは、心の中に刻まれているから、胸が締めつけられて、涙が出てしまう……でも、ストゥートさんについての記憶が消えてしまったから、涙が出てしまう理由が、ステファンには分からない。僕は、その理由を知っているのに、言えない……」

エドは、うつむいた。

「事情を知らなかったとは言え、僕は、おせっかいを……ステファンに悲しい思いをさせてしまうところだったし、エドを辛い気持ちにさせてしまっていたね……ごめん」

と言うと、

「仕方ないよ、事情を知らなかったわけだし、普通に様子が変だったら、気になるよ。友達だから」

エドが、少し顔を上げて言った。

「うん……」

「これからは、ステファンの様子がおかしくても、そっとしておいて。ストゥートさんが亡くなっているということを、ステファンに知られたくないし、お母さんのことを思い出して、また探すことになるのは、亡くなっているのを知っているから、必死に探すステファンの姿に耐えられない……自分勝手で、ごめん」

エドは、静かに涙を流した。

「気持ちは、すごく分かるよ。エドは、ステファンが傷つかないように、と考えている。悲しむと分かっていることを、あえて教える必要はないと僕も思う。大丈夫、エドは間違っていない」

僕は、エドを優しく抱きしめた。

しばらく泣いていたエドが、

顔を上げて、

「ありがとう。こんな卑怯な僕に、寄り添ってくれて」

と言った。

「卑怯なんかでは、ないよ。ステファンのことを考えて、言わない方がいい、と思ったからでしょう? 僕がエドの立場だったら、同じ選択をしたよ」

僕が言うと、

「そう……思って、いいのかな?」

エドの目に、涙がまたあふれてきた。

「いいよ、いいの! 泣き虫、エド」

僕が励まそうとして、

冗談を言うと、

「泣き虫な僕に、硬い胸板を貸してくれて、ありがとう」

目に涙を浮かべながら、エドが笑った。

「ちょっと、何それ?」

僕が言うと、

「何って、真実だよ」

エドが言った。


僕は、エドが打ち明けてくれたことが、

嬉しかった。

でも、「硬い」という言葉が、

なぜか僕の心に、

グサッ!

と刺さった。


僕達は、広場の出入り口で別れた。

それから、

ステファンの様子がおかしい、と感じた時は

事情を知ったので、

他の人に、変に思われないように、

エドと協力して、フォローをした。



○次回の予告○

『あぁ……なんか、分かったかもしれない』
















































































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