4-4 ✦ 遠くて近い、あと一歩

 昔から周りの手を煩わせた。魔法どうぐが使えないから何でも人にやってもらうのが当たり前――単なる言い訳で、ジルの甘えだ。

 このまま大人になってしまったらどうしよう、という不安は、ずっとあった。

 リオにつけた傷を見るたび、その気持ちが強くなった。


 世に溢れる魔法式機器が一切使えないため、HS魔力過剰症が就ける職はほとんどない。まず雇う人間がいないので自営業しかないが、自分で通信手段すら持てないので、結局は誰かの補助が要る。

 〈書庫番〉は唯一、HSが一人で行う仕事だ。

 天職だと思った。たとえその実情が、時限爆弾付きの人身御供だとしても。


 打診があったとき、国は負担リスクをきちんと説明した上で、前任者の治療を続けることも約束してくれた。

 損なわれた魔力を回復させる方法が見つかれば、ジルも廃人にならなくて済む。

 それを信じて家族を解き伏せた。影響が出るのは何十年も先、それまでにはきっとなんとかなる、と。


「リオは納得しないと思うけどね。家族あたしたちだって受け入れたわけじゃないし。……あんたの気持ちもわかるから、ひとまず折れただけで」

「うー……。どうしよう、本当は今こんなことで揉めてる場合じゃないのに」


 余裕がなさすぎて忘れそうになるが、一応は世界の危機が迫っているのだ。もし今ペイジが戻ってきたらまずい。


「ちゃんと話し合いなさい。自分の気持ちを正直に打ち明けて、相手の話も聞いて、お互いにとって一番いい方法を探すの。

 ――ね、リオ」

「っ!?」


 最後の一言でむせそうになった。慌てて振り向くと後ろの戸口にリオが立っている。

 壁に手を衝いて、肩でぜいぜい息をして、全力疾走でもしてきたように。

 それにしても随分早い……と思ったら、ベルがしたり顔で電話を振っていた。いつの間に。


「ちょっと遅いんじゃない? ジルへの愛が足りないわね」

「……ざっけんな!」

「やだもー冗談にマジ切れしないでよ。……ほら、行きなさい」


 立ち上がったものの脚が竦んでいたジルの背を、ベルが優しく押す。

 ふらつきながら、一歩、二歩。

 そのわずかな距離すら今は怖い。リオの許に辿り着いてしまったら、もう離れられなくなる気がして。


 だから、その手前で踏み止まる。


「リオ。……とりあえず、逃げたことと、ずっと黙ってたことは、……ごめんなさい」

「……前任者のことはいつから知ってた」

「最初、から」

「わかってて引き受けたのか」


 ジルが頷くとリオは顔を覆った。そのまま、悄然とした声で彼は問う。


「……なんで俺が怒ってると思う」

「心配して、くれてる、よね。あと、いっぱい迷惑かけてるし……。

 でもね、リオ、もういいの……私だってリオが大切だから。これ以上……負担になりたく……ッ」


 言い終わる前に視界が暗くなった。リオの着ている制服のシャツの色だと気付いたときには、ジルは痛いくらいに抱き締められていた。

 細身ながら力強い腕と、汗の匂いと、酷使されて間もない心臓の忙しない悲鳴が、ジルの中に入ってくる。冷たい〈秘語〉の囁きに凍えていたそこを、彼の熱が濡らしていく。


「バカ野郎、……もう遅えよ。さんざん振り回しといて、今さら手離せとか、誰が聞くか……ワガママも大概にしろ。

 それと……俺が腹立ててんのは、本当は自分自身にだ。最近までおまえの変化に気づいてなかった。ずっと一緒だったのに」

「リオ……」

「そんなんで守れるわけがなかったんだ、ペイジからだけじゃなくて、全部……。なあジル、俺はこれ以上、情けない無能でいたくねえ」


 違う、と言いたかった。

 少なくともジルのことでリオが責任を感じる必要なんてない。

 守ってくれなくていい。ただ傍にいてくれるだけで、ジルは充分満たされた。


 けれど胸がいっぱいになってしまって、言葉が出てこない。

 なんて欲深いのだろう。この温もりを、彼の言葉を、もっと欲しがってしまう。

 本当に「もう遅い」、ジルこそすでにリオなしでは生きられないのだ。ぬるま湯に沈みきって溺れながら、彼に縋りついている手を離せそうにない。


「……じゃあ、リオはどうしたいの?」


 固い胸に頬を寄せたまま尋ねる。彼の心音が、だんだん静かになるのを聴きながら。


「できれば〈書庫番〉を辞めてほしい。それが無理ならせめて現状維持だ。……ジルは?」

「辞めたくない。リオとも……本当はずっと、このままがいい。……あ、でも」

「なんだよ」

「えと、その……」


 いざ言おうとすると、恥ずかしさが込み上げてくる。もごもごしているうちに王黄サフラン色の瞳が覗き込んできた。

 彼の眼が少し充血しているのに気付き、そんなに悩ませてしまったのかと、胸の奥がきゅっと痛くなる。同時にやっぱり嬉しさが抑えられない。

 だってジルは、ずっと昔から思っていた。どうせ離れられないのなら、いっそ、もう。


「……ちょっとだけ、幼馴染みから、……進み、たい、かも……」


 リオは瞬きをしたあと「確かに」と頷いて、そのままジルにキスをした。



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