Liber.3 煌玉に誓って

3-1 ✦ ヘレディタス市警にて

 魔導書庫の街ヘレディタス。

 警察署内の小会議室で、新米捜査官レナード・シンクレアは悄然としていた。


 彼を押し潰しているのは任務失敗の重責だ。それも二度に渡り、護衛していた人物が敵の手に落ちるという、失職もありえる大失態。

 幸い警護対象は怪我もなく無事で、なんとか首の皮一枚で繋がっている。

 とはいえ手落ちが許されるわけではない。何より彼自身が、無能な己を責めずにいられなかった。


「……ですので〈アーミラリ天球儀〉を封印しても無意味です。ペイジは必ず竜を連れて戻ってきます。

 そうなったら街どころか、世界規模の災害もあり得るんですっ」


 項垂れるレナードの隣で、彼と同じくらいの歳の女性が何事かを説明していた。一生懸命な身振り手振りに真面目さが表れているようだ。

 この彼女こそ、守らねばならなかった相手――〈書庫番ビブリオテーカ〉のジリアン・クレヴァリー。レナードとは幼馴染みで、お互いにリオ、ジル、と愛称で呼び合う仲である。


 オーク製の長机デスクを挟み、二人の向かいに座っているのはリオの上官。

 温厚そうな顔立ちの中年警部は、かれこれ二十分ほどジルの話を聞いていた。


 今、彼らが直面している事件の概要はこうだ。



 二百年前、ある貴族が危険な杖の処分に失敗した。

 その杖を扱うには竜の存在が不可欠なため、もはや他に方法がないと悟った彼は、杖と竜をまとめて別次元の世界に葬ることにした。


 彼はそれらが再び世に現れないよう、次元の跳躍に使用した魔法具〈アーミラリ天球儀〉を隠した。さらに、もうひとつの魔法具〈追憶鏡クロノグラス〉に以上の事柄を封印し、天球儀を捜索できないようにもした。

 そして自身の死後は誰も触れないようにとの遺言を添えて〈追憶鏡〉を博物館に寄贈した。


 そして先日。永久保存されていた〈追憶鏡〉が、オーガスタス・ペイジという男によって博物館から盗み出された。

 盗難事件を担当したリオと、捜査に協力していたジルは、過去の出来事を調べてペイジの先回りをしようとしたが……まんまと彼に利用されて〈アーミラリ天球儀〉を起動させてしまった。


 現在ペイジは異世界に逃亡し、いずれ杖と竜を手にして戻ってくる。そうなれば甚大な被害が予想されるが、もはや彼を止める手立てはない。

 したがって警察がすべきは、彼から市民を守る策を講じること――。



 状況は差し迫っているが、警部はだいぶ困惑しているというか、苦笑いさえ浮かべている。ジルの話をいまいち飲み込めていないようすだ。

 しかしそれも無理からぬこと。二百年前と今では、魔法に関する環境が違いすぎる。


 かつて世界は〈大散逸マグナ・ルクスリア〉という悲劇に見舞われた。黄金時代を築いた魔導は衰退し、多くの貴重な成果や技術が喪われ、人類の魔力量も大幅に減退した。

 わずかに残った旧式の魔法具はろくに動かせなくなり、魔導書に至っては触れるだけで死に至る恐れのある危険物。それらを管理する〈書庫番〉は魔力過剰症HyperSpellism=HSという特異体質の人間にしか務まらない。

 竜に至っては、絶滅したうえ〈大散逸〉のおかげでほとんど資料もない、幻の古代生物だ。


 何もかもが突飛すぎてにわかには信じ難いし、なんとか飲み込んだところで、どうやって対処すればいいのか見当もつかない。

 ――というのが上官の、ひいては警察側の本音だろう。


「あの……状況は理解していただけましたか?」

「えっ、ああ、ううむ……。その、ペイジが戻るのはいつ頃だろう。それと我々がすべき、彼に対する具体的な対抗手段は何だろうか、〈書庫番〉殿」

「……。正直、私もほとんどわかりません。とりあえずリオ……シンクレア巡査の処分はあとにしてください。それどころではないので。

 それとできたら、住民を避難させたほうがいいかと……」


 尋ね返されたところで、ジルも大した対策など思いつかない。

 彼女は知識こそ人並み以上に持っているけれど、それを披露したり活用する場面などほとんどなかった。不慣れなのはこちらも同じ。


 しかし住民の避難にしても、いつペイジが戻るかわからないのではどうしようもない。五秒後かもしれないし、十年後かもしれないのだ。

 一般市民だってこんな荒唐無稽な話をすぐには信じられないだろう。それに対策が不十分なまま下手に危機的な状況だけを伝えたら、民衆が恐慌パニックに陥る危険もある。

 どのみち今すべきことはひとつしかない。


「対抗策は、これから魔導書庫に戻って調べます。ただ……相手が古代魔法に手を出した以上、こちらも古代魔法でなければ、まともにやりあえないことは確かです」

「そ、そうか。えー……あー、……護衛の継続は必要かな?」

「いえ……あ、でも私は通信機が使えないので、連絡係としてきていただけると助かります」

「了解した。じゃあシンクレア、あとは任せるぞ。私は一応上に報告しておく。……まあ現段階ではどうにもならん気がするがね」

「……はい」


 ぐだぐだな捜査会議もどきが終わり、二人は警察署を後にした。


 大災害が待ち受けているというのに外は明るい。薄青に綿雲が漂い、腹立たしいほどに穏やかな空もまた、警察に負けず劣らず平和ボケしているようだった。

 とはいえこの状況の突飛さは、まさにこの青空を示しながら「月が落ちる」と言うようなもの。

 竜だの古の魔杖だの、今となっては御伽噺の代物だ。時代錯誤も甚だしい。


「ねえリオ……そろそろ元気出してくれない?」


 帰り道を歩いていると、ふいにジルがそう言った。彼女のいる側を向くと、思いのほか近くにこちらを覗き込む顔があって、どきりと心臓が跳ねる。

 ふわふわの長い銀髪と濃紺の瞳。地味な服装も相まって華やかさには欠けるが、目鼻立ちは整っているし、きちんと着飾れば彼女は充分に魅力的だ。

 そうでなくともリオにとっては、ジルはただの幼馴染み以上の存在でもある。


 だからこそ、二度も彼女を守れなかった己への怒りと失望は大きい。

 いち警察官としての矜持、男としての信念、両方を自分の足で踏み付けにしたも同然なのだから。



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