第59話 誠実


 こんなところにどんな用事があるのかと思っていると、武蔵くんは規制のロープが張られた窓際の席にどんどん向かっていく。



「すみません、予約していた鬼頭です」


「はい、お待ちしておりました。1番端の席になってしまいますが、大丈夫でしょうか?」


「はい。遅くなったのは自分なので」


「ありがとうございます。では、あちらのお席へどうぞ」



 店員さんと言葉を交わした武蔵くんは、ボクの手を引いたまま案内された席に向かう。何がなんだか分からないまま席に座ると、ちょうど目の前の大きな窓からコアガーデンが見えた。白やピンク、紫や黄色の花がたくさん植えられて、いたるところにハートが模られていた。



「可愛い……」


「クリスマスとかバレンタインとかに合わせたデザインにしてるってことだったし、聖夜、可愛いの好きだろ? だから、知ってるかもとは思ったけど、見せたいと思ってたんだよ」



 ボクがコアガーデンに行きたいと言ったときに武蔵くんが狼狽えた理由が分かった。嬉しさと同時にホッとしたり申し訳なくなったり。複雑な気持ちが色々あったけど、武蔵くんのことが大好きだと思った。



「ボク、改装してからここに来てなかったから、知らなかった。ありがとう」


「いや、まあ。それは俺も知らなかったな。本当に偶然だったけど、喜んでもらえたなら良かった」



 武蔵くんはボクから視線を逸らして、照れ臭そうに鼻を掻いた。ちょうど日が沈んで、空がオレンジから青に変わる。ブルーアワーの中、まだまだ花壇の様子も楽しめる幻想的な世界。こんな綺麗な景色の中で、武蔵くんがキラキラ輝いて見える。


 吸い寄せられるように左手が武蔵くんの方に伸びる。



「えー! 僕もあそこ座りたい!」



 急に背後から聞こえた少年の声に現実に引き戻される。慌てて手を引っ込めて深呼吸をした。心臓がバクバクうるさい。


 目の前の開放的な空間に気を取られて忘れていたけれど、この後ろはフードコートだ。これから人通りが増えてくる。こんなところで武蔵くんに触れれば迷惑になるだけだ。



「あ、あのさ、この席って、予約制なの?」


「ん? ああ、人が集まる時期だけらしいけどな。2,000円分の買い物をすると引換券がもらえて、それを5枚集めるとチケットがもらえるんだってさ。さっきコートを買った店でお詫びってことで5枚もらって。予約しに来たら早い時間だとこの時間しかもう空いてなかったんだよ」


「そうだったんだ」


「17時15分にイルミネーションが点くらしいから、事前に知っていたらその時間で予約できたかもしれないんだけど。これ、30分しかいられないんだ。ごめん」



 武蔵くんはそう言うけれど、こんなに綺麗な景色を見させてもらって文句なんて出てくるわけがない。



「本当に嬉しい。ありがとう」


「そうか。あー、そうだ、点灯は下で見ような。人も多くなるだろうから近くでは見れないかもしれないけど」


「良いの? 寒いよ?」


「大丈夫。さっきコートもマフラーも買ったし。聖夜こそ寒くないか?」


「ボクは大丈夫だよ。武蔵くんといられれば、あったかいから」



 武蔵くんは一瞬目を見開いて、クシャッと笑った。やっぱりそれだけで心が温かくなる。ボクは触れそうで触れない距離にいる武蔵くんの温かさを右肩に感じながらホッと息を吐いた。


 それから2人で静かに、時折会話をしながら景色を楽しむと、あっという間に30分は過ぎて行った。店員さんに促されるまま、他のお客さんと一緒に席を立った。



「じゃ、行こうか」


「うん」



 エスカレーターで1階に下りてコアガーデンに向かうと、上から見ていたときよりも人が集まって来ていた。みんな大きな桜の木が中央に立つロータリーの中をぐるぐると回りながら点灯を待っているようだった。



「どうする? 行くか?」


「うーん」



 武蔵くんはコートとマフラーのタグを切りながらボクに聞いてくれた。周りを見ればロータリーの方は人が多いけど、他の花壇の方は人がまばらだ。そっちにもイルミネーションが準備されているけれど、やっぱりみんなメインのものが点灯する瞬間を間近で見たいんだろう。



「あっちの花壇行って良い?」


「良いけど、桜の方じゃなくて良いのか?」


「うん。さっき上から見たときは花の種類までは分からなかったから」



  それに、上から見た限りあっちに可愛いイルミネーションが準備されていた。それを人が少ないうちに見られるなら嬉しい。なんて楽しい理由を考えながら、人が集まる場所だと武蔵くんはボクの怪我を気にしてイルミネーションを楽しめないかもしれないとも思った。



「分かった、行くか」



 コートを着てマフラーを巻いて、スタイリッシュだけどさっきよりはもこもこしている武蔵くんがボクの前を歩く。


 花壇の方に行くと、色とりどりのシクラメンやパンジー、ビオラ、プリムラ、デイジーにアリッサムにスイセン、ノースポールが咲いていた。上から見た景色も壮観だったけど、近くで見てもどれも可愛らしい。


 花の美しさと同時に【清純】【嫉妬】【私を思って】【慎ましい幸せ】【信頼】【青春の恋】【平和】【希望】【優美】【うぬぼれ】【報われぬ恋】【誠実】なんて花言葉に溢れていて、大切な人と見るために作られたような場所だと思えた。


 【青春の恋】なんて、まさに今の自分たちみたい。そんなことを思って恥ずかしくなった。うぬぼれは危ない。スイセンが風に吹かれて揺れながらそう言っているようで、身も心も引き締まる思いだ。



「可愛いな」


「だよね」


「いや……まあ、うん。いいや」



 顔を上げると武蔵くんは苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと花を見て回るボクを見ていたようだった。



「ごめん、全然話したりとかしてないね。退屈だったよね」


「いや、それだけ夢中になってたんだろ? それなら全然良い。つまらないって思われてるわけじゃないのは分かるし。それに」



 何やらもごもごと言っている武蔵くんを見上げると、武蔵くんは咳払いをして何かを誤魔化した。変なの。



「まあ、なんだ? 俺は楽しそうにしてる聖夜を見て楽しんでるから、聖夜も存分に楽しめ」



 そう言われると、欲がむくむくと湧いてきてしまう。サッと周りを確認すれば、知り合いはいない。人もまばらだし、薄暗がりだ。


 左手を伸ばして、武蔵くんの右手の薬指を緩く握った。



「聖夜?」


「イルミネーションが点いて明るくなるまで、ちょっとだけだから……」



 戸惑っている武蔵くんに言い訳をするみたいに言葉を並べ立てるけど、尻すぼみに声にならなくなる。武蔵くんの迷惑にはなりたくない。だけどやっぱり今日は、もう少しだけ直に武蔵くんを感じていたい。


 武蔵くんは何も言わない。ジッと何かを考えている。



「な、なんてね? ごめん、冗談だよ。えっと、お言葉に甘えてお花を堪能させてもらいます」



 無言に耐えられなくなってパッと手を離した。なんとなく気まずい。花に視線を移したけれど、よく見えない。視界がぼやけて、目頭がジンと熱くなる。


 ボクは馬鹿だ。どうしてあんなことをしたんだろう。あんなことをしなければ、幸せな気持ちのまま今日を、デートを締めくくれたはずなのに。


 涙が零れないようにグッと唇を噛みしめた。泣いてしまえば優しい武蔵くんは自分の気持ちを殺してでもボクに合わせようとしてくれるから。罪悪感を感じさせてしまうかもしれないから。


 でも、すごく、悲しいかもしれない。


 胸がチクチクして、少しずつ冷えてくる気がする。ここって、こんなに寒かったっけ。


 涙を押し留めようと左手を目頭に運ぶ。そうしようとしたはずなのに、途中で温かい手に包まれて止められた。



「聖夜、ごめん」


「武蔵くん……」



 武蔵くんの顔を見上げた瞬間、頬を涙が伝った。そしてその刹那、イルミネーションがパッと点灯して辺りが明るくなった。



「ごめん!」



 せっかく武蔵くんから手を取ってくれたのに。ボクは武蔵くんの手を振り払って頬の涙を拭った。



「武蔵くん、ありがとう。ちょっと、嬉しかった」



 顔は全然見れない。だけど、本当に嬉しかったんだよ。


 嬉しさとやるせなさと、他にもいろいろ。涙がまだ溢れそうなのを必死に堪える。



「俺は足りない」



 武蔵くんは小さく呟く。その意味を考える前に武蔵くんの腕の中に閉じ込められた。急に心臓がバクバクと脈打って、痛いくらいだ。



「む、武蔵くん?」



 日も沈んで薄暗くなったとはいえ、まだ人の顔は判別できなくもない。それにイルミネーションに照らされて、かなり明るくなってしまっている。こんなところで、こんな体勢で。


 戸惑って、考えて。背中に腕を回せない。



「聖夜、ごめん。俺、聖夜の気持ち考えてあげられなくて」


「ちがっ、さっきのは、冗談だから! それに、こんなところじゃ……」


「どうでも良い。いや、聖夜が気にしてくれてるのは分かってる。でも、いるかも分からない人より、聖夜の気持ちのが俺には大事なんだよ。本当に、ごめん」



 あったかいな。ゆっくりと武蔵くんの背中に腕を回した。こんなに大切に思ってくれていることが分かって、嬉しい気持ちが大きくなる。



「ありがとう。大好き」


「俺も、大好きだよ」



 武蔵くんの言葉に身体中が熱くなる。涙をゴシゴシと拭って、武蔵くんから身体を離してその手を取った。こんな幸せな時間を、涙で滲ませてたまるか。



「こっち、来て」



 その手を引いて、ちょうど木の陰になるところに置かれたベンチの前に連れて行く。そのベンチの正面では真っ白なノースポールで模られたハートが桃色にライトアップされていた。



「綺麗だな」


「うん。これをね、武蔵くんと見たかったんだ」



 ボクはチラッと周りを確認して、目の前の景色に目を奪われている武蔵くんの唇を奪った。


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