第49話 伝えたい


 聖夜は1度口を噤んだ。当時を思い出すように黒々とした瞳がどこか遠くを見つめていた。聖夜がどこかに行ってしまいそうで、少しでも気持ちが落ち着けばと握った手を擦った。



「クラスの全員から突き飛ばされたり殴られたりしました。隠すようなこともされずにやられたから、当時の担任の先生や親が対応してくれました。あのときは1か月もしないで明らかな手出しをされることはなくなりました」



 クラスの全員から。3対1でも痛いのに、痛くて堪らなかっただろう。小学1年生の力なんて今の俺たちからすれば痛くもかゆくもなく感じるかもしれない。でも、当時の聖夜は同じく小学1年生だ。


 それに明らかな手出しはされなくなったってことは、それからも何かされ続けていたということだ。きっと、ずっと耐えていたのだと思う。



「何か理由があったの?」


「そうですね。よく言われていたのは、女っぽいとかオカマとかです。ボクは姉たちの影響もあって当時から可愛いものが大好きで、髪も長かったですし」


「時代的にも、今ほど多様性を認めていた時代でもなかったものね」



 美和子は深く息を吐きながら腕を組んだ。美和子自身も似たような経験があると聞いたことがある。俺よりずっと共感できるんだろう。



「小学3年生でクラス替えがあって、特にいじめてきた子たちとはクラスが離れました。だから安心していたんですけど、いわゆる1軍の女子たちに目をつけられてしまったんです。結局卒業するまで殴られたりパシリにされていました」


「そのとき、先生やご両親は?」


「両親に相談して先生に対応してもらったんですけど、先生が何かすればするほど悪化してしまって。相談することが怖くなりました。両親は学校を休んでも良いと言ってくれましたけど、どうしていじめている方じゃなくてボクが勉強を取り上げられなければいけないんだろうって思っちゃって。必死になって通いました」



 転校とかは考えなかったのかと思ったけれど、きっと難しかったと思う。確か1番上のお姉さんとは8つも歳が離れていると言っていた。そのときにはもう今の会長と同い歳だ。


 姉弟が多くて金銭的に余裕がなかったとも考えられる。うちも一軒家を買ったローンがあるから引っ越したくても引っ越せないと聞いたことがある。うちの場合は爺さんたちの目が厳しいっていうのもあるけど。



「5年生になって担任が変わって、でもクラスが違くなっても彼女たちからのいじめは続いていました。それを知った担任がボクを児童相談室に呼んで、よく相談に乗ってくれたんです」



 良かった、と思ったけれど、聖夜の顔色は暗いままだった。唇を噛んで、言いにくそうにしている聖夜は泣きそうだった。涙が零れないように必死に抑えている聖夜の潤んだ目から視線が逸らせなかった。



「でも、あるとき突然、その、襲われ、ました。信じていた人に裏切られて、痛くて、苦しかった」



 我慢できずに零れた涙を俺が拭うと、会長は聖夜の肩を抱いてトントンと叩いた。聖夜の背中に手を当てて擦ってやると、聖夜は酷く汗をかいていた。本当に頑張ってくれている。俺まで泣きそうになって、慌てて涙を飲み込んだ。


 聖夜は言葉を濁したけれど、何があったか容易に想像がついた。俺や会長が迫ると身体が強張るのも、きっとそのときのトラウマがあるからだろう。黒く渦巻く怒りと嫉妬に苛まれる。でもここでそんなものを露にしても聖夜は救われないから。聖夜を傷つけてしまうような感情は心から放りだした。



「中学生になったら、あまりいじめられなくなりました。でも、陰口は結構言われてて。それは部活でもそうでした。仲良くなれたと思った人にも言われていて、ボクが気が付くと暴力を振るわれました。でもそのときは部活の他のメンバーが助けてくれました」



 助けてくれた。そう言った聖夜はやっぱりまだ泣きそうで、まだ終わらないのかと悔しくなった。どうして聖夜ばかり。聖夜は聖夜らしく生きていただけなのに。



「その助けてくれた彼は同じクラスで、部活も同じで。その1件以来仲良くなりました。ボクの、初恋でした」


「え?」



 つい声が漏れてしまうと、聖夜が困ったように眉を下げた。でも今の良い方だとまるで、初恋も男だったことになる。今同性同士で付き合っているわけだしそれについてとやかく言う気はないし、言えない。


 だけどそんなこと、初めて聞いたから。会長が来る者拒まずなことは聞いていたけれど、今まで聖夜の過去の恋愛なんて聞いたことがなかったから。自分と同じだと思っていた。他の人なら異性だけど、俺たちだから同性でも好きなんだと。



「2人には言ったことがなかったけど、ボクは女の子に好意を持てないんだ」


「それは、5年生のとき以来かな?」


「分かりません。でも、気が付いたときにはそうでした」



 美和子は難しい顔をする。けれど俺は内心ズレたことを考えていた。俺は聖夜だから同性でも好き。そう思っていたけれど、もっと簡単に言えば聖夜が好きなんだ。聖夜が俺と会長が好きだと言ってくれた言葉に嘘はない。


 一瞬混乱してしまったけれど、普通に考えれば簡単なことだった。同性が好きだろうが、誰でも良いわけではない。あの会長だって、昔は節操なしだったけれど恋をしたのは相手が聖夜だったからだ。人を見て、好きになった。そういうことだ。



「その彼に中学3年生のバレンタインに告白して、振られて、バカにされました。あの冷たい声が忘れられなくて、粋先輩と武蔵くんを好きだと気が付いたときも怖かったんです。ボクも好きだと言ったら、同じことになりそうで」



 目を潤ませながら自嘲するように笑った聖夜。なんとなくむかついて、その頬を摘まんだ。



「いひゃいひょ、むはひふん」



 聖夜に困ったような目で見つめられて手を離す。けれどやっぱりむかつくのが治まらなくて、聖夜の身体を会長から奪って思い切り抱き締めた。



「俺の聖夜を、卑下すんな」



 言いたいことが上手くまとまらない。国語は得意な方なはずなんだけどな。



「そうですよ。聖夜くんはすごいんです」



 会長はそう言って、俺ごと聖夜を抱き締めた。



「何があっても自分が自分であることを諦めなかった聖夜はすごいです。僕なんて、この歳になるまで自分が何者か分かっていなかったんですよ?」



 会長はふふっと笑った。でも話す声は震えていて、時折鼻を啜っている。



「でも、諦めないことと同じくらい、自分を守るために逃げることも大切です。それは覚えていてください。今日まで生きていてくれて、本当に、良かったです」



 会長が嗚咽すると、聖夜は会長の背中を擦ってあげる。俺は聖夜が泣くまで泣かないと決めていたのに、会長につられて泣きそうになる。奥歯をグッと噛みしめて、聖夜と会長の背中にそれぞれ腕を回した。


 聖夜は助けを求めなかったわけじゃない。助けを求めて、助けてもらえたと思ったのに裏切られた。誰かを大切に思ったり自分を曲げなかったり。そういう一面に隠れて、ずっと裏切られることや殴られることを恐れていた。


 会長も俺も、なんとなく気が付いてはいた。でも改めて言われないとそのことの闇の深さまでは気が付いてやれなかった。自分の欲のままに動いて聖夜を苦しめたこともあっただろうと思うと胸が痛い。



「これからはずっと、俺がいる。会長もいる。周と柊だっている。俺たちは裏切らない。それと、俺たちは聖夜の可愛いものが好きなところとか、家庭的なところとか。あとは怖いと思うことも悲しいと思うことも。全部ひっくるめて聖夜だって思ってるから。その上で一緒にいたいし、好きだから」



 上手く言えない。でも、伝われと思いながら言葉を選んだ。


 聖夜は俺と会長の腕の中で静かに深く頷いた。俺の精一杯の言葉は、聖夜には伝わったらしい。それなら良い。聖夜にさえ伝われば、それで。


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