03

 カイのことを、思っていたよりも理解できていなかったのかと、シュルヴィは密かに気落ちしていた。


「それはいろいろ……俺にも、事情があってだな」


 『わたしには言えないの?』と返したかったが、言葉を呑み込む。やはり、自惚れていたのだろうか。シュルヴィはカイのことを、何でも話せる家族だと思っていたのに、カイのほうはそうでもなかったのだろうか。


 地上では、村の中心部から、雪の丘がなだらかに起伏している。その丘陵に沿って続く細道に、人家が点在していた。道の終わりに、離れのあるさびれた邸宅がある。自邸であるリーンノール邸だ。飾り気のない庭には背高い針葉樹が一本だけ立っている。カイは邸へ真っ直ぐ向かわず、遠回りしながら帰っていた。


「でも、手紙くらいはくれても良かったと思うわ」

「願掛けみたいなもんだよ。竜騎士になるまでは、シュルヴィには会わないって」

「わたしの気持ちも考えないで、勝手ね」

「……すみません」


 もう許そうと、シュルヴィは思った。またこうして会えたのだから、間に合ったのだから、もういい。


「竜騎士学園は、どうだったの? 楽しかった? 友達、ちゃんとできた?」

「母親みたいな心配の仕方だな。それなりには、ちゃんとやってたよ。それよりお前のこと。例の皇弟殿下とは、よく会ってるんだろ?」


 どうやらカイは、父アードルフとは連絡をとっていたらしい。


 シュルヴィは、十歳の時からアードルフと二人暮らしをしている。孤児だったカイを邸で預かることになったのは、母が亡くなり一年ほど経った頃だ。提案したのはアードルフだった。


 きっとお互い、寂しかったのだ。だからアードルフはカイへ一緒に暮らすことを持ちかけた。シュルヴィも、新しく家族になったカイの世話を焼いていると気が紛れたものだった。


「ええ。月に二回会ってるわ」

「悪い噂しか聞かないよな。離縁歴三回の、三十四歳だろ。俺が親なら、まず娘を嫁に出したくないね」

「離縁三回とも、殿下が悪かったってわけじゃないわ。一人目は浮気をされて、二人目は実家に逃げ帰られて、三人目は結婚生活をしているうちに、奥さまの精神がまいってしまっただけで」

「……聞いても、まったく安心できないんだけど」


 カイが顔を引きつらせる。シュルヴィは続けた。


「本当に、悪い人じゃないのよ。優しいし、贈り物もたくさんしてくれるし、欲しい物だって毎回訊いてくれる。少し太ってて、いつも汗をかいてて、癇癪かんしゃくを起こしやすいってだけ。大声を上げながら食事の途中にお皿を投げ飛ばしちゃったり、使用人に文句を言って優越感に浸ったり、そんなふうに、気持ちを吐き出す必要があるのよ。いろいろあったから。感情の抑制が上手くできなくなっちゃったのね」


 カイが言葉を失う。


「でも、断れるはずもないしね」


 シュルヴィは諦め切った調子で軽く返した。


「二人目の逃げた奥さまは、実家の領地をすべて没収されて、親族もみんな牢の中ですって。……富も地位もあるお方と結婚できるのは、光栄なことよ。この小さな村に、お店が増えたのも、殿下のおかげ。外堀は、すっかり埋められちゃってるのよ」


 シュルヴィはカイへ笑いかけた。


「さあ。そろそろ下りましょう。邸にはまだ行ってないんでしょう? あなたが帰ってきたって知ったら、お父さま、すごく喜ぶわ」


   ×××


 ポルミサーリ地方を治める皇弟マルコの邸には、月に二度行くのが習慣だった。午前のうちに、ポルミサーリ公爵家専属の竜騎士が翼竜ワイバーンに乗って迎えに来る。それでシュルヴィはアードルフとポルミサーリ邸へ向かう。食事をし、邸に招かれる楽隊の音楽を聞いたり大道芸人の人形劇を観たりして、夕方には帰る。その繰り返しだ。


 マルコに見初められたのは三年前、シュルヴィが十四歳の時だった。アードルフの知人が催した園遊会に参加した時、美しい少女だと、居合わせたマルコの目にとまった。すぐに婚約の申し出があった。アードルフが断ることは、できなかった。帝国では、十四歳から結婚が認められている。年齢からすぐ結婚することも可能だったが、マルコの三度の結婚の失敗から、ゆっくりと近づいてから婚姻を結ぶ運びとなった。


 豚のように丸々と肥えたマルコは、シュルヴィの来訪をいつも楽しみに待っていた。食事も、シュルヴィの好みを細かく尋ね、正餐せいさん室の卓に並ぶのはシュルヴィが好む料理ばかりだった。


「おいしいかな? シュルヴィちゃん」


 毎度、マルコはシュルヴィにそう確認した。


「はい、とても」


 そしてシュルヴィは同じ答えを返す。するとマルコは満足そうに目を細める。さらにそんなマルコを、ほほえましく見つめるのが、食卓の席に同席するマルコの兄、皇帝ヴィルヘルムだった。


「良かったな、マルコ」


 食事の席にいるのはいつも決まって四人――シュルヴィとマルコ、アードルフ、そしてヴィルヘルムだった。


 ヴィルヘルムは、マルコの四つ上だが、実の血縁者でありながらマルコとはすべてが正反対の人物だった。目鼻筋の整った精悍な面立ちに、鍛え抜かれた筋骨隆々な体躯、さらには、帝国で一、二を争う優秀な竜騎士でもあった。いまからちょうど十年前、長く続いていた戦争に、ヴィルヘルムが竜を使役し終止符を打った。そうして大陸統一を成し得たのは、誰もが知る話だ。


 結婚もしており、傾国の美姫とはやされる妻と、三人の子もいる。文武両道の王子と姫たちだという。マルコとの血の繋がりを感じさせるのは、同じ黒の髪色と、緑色の瞳くらいだった。


「そうだ!」


 マルコが卓に手をつき立ち上がった。銀食器の皿からスープが飛び散る。


「シュルヴィちゃんに、新しいドレスを用意してあるんだ。こっちに来て!」


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