レンタルママ(不思議な話)

――レンタルママ あなたのお家にママ要りませんか?!あなたの理想のママを提供いたします!――


「何だこりゃ」


ポストに投函されていたチラシを見て、今野雄一は思わず呆れた声を出した。

料金は月30万。おそらく家事代行サービスとデリヘルを合わせたようなサービスだろう。そう考えるとこの料金は妥当である気がした。


「理想のママを提供」という文面に、雄一は胡散臭い、どうせ赤ちゃんプレイか何かだろうと思いながらも心のどこかで惹かれたのかもしれない。気付くとサイトにアクセスして申し込んでいた。


休日の朝、キャバクラやカジノで飲み遊んだ疲れをベッドに寝転び癒していると、インターホンが鳴った。

ノロノロと起きて画面を見ると、見知らぬ女性が立っている。


「雄ちゃん、開けて。」


――雄ちゃん…?誰だ、この女は?


そういえば、と思い出す。今日、この時刻に「レンタルママ」が家に来る予定なのだった。そして店によれば、ママは家に来た時から雄一のママになりきっているとの事である。

つまり、この見知らぬ女はレンタルママから派遣されたママなのだった。


「あ…ああ、ごめん」


咄嗟の事にどう答えて良いか分からず、雄一は取り合えずドアを破錠した。


派遣されたママは、どこにでも居そうな中年女性であった。

醜くはないが、美魔女というわけでもない。また特有の色気があるわけでもなかった。白髪の少し見える髪を後ろで一まとめにしており、155~160センチ程の背丈で中肉中背、正確な年齢は分からないが40~50だろうか、シミや皺も年相応に見られる。


――何だこれは、ハウスキーパーに加えてデリヘルも付いていると思っていたが、これはハウスキーパーのみの内容だな。

仮にデリヘル付きだとしても、こんなおばさんとは無料でもごめんだ。



それでも渋らずママを中に入れたのは、ママの表情や雰囲気が非常に柔和で暖かな感じがしたからだった。


「ありがとう、疲れてるのにごめんね。」


ママは雄一を気遣いながら玄関に入った。

雄一はたまに泊まり客を通すための、いくつかある部屋の一つをママに案内した。部屋はどれも昨日まで入っていたハウスキーパーがしっかりと掃除してある。


「ええと…とりあえず、ここ使って…」


「まあ、綺麗な部屋。こんな良い部屋を用意してくれたのね、綺麗に掃除までして…ありがとう、雄ちゃん。」


ママは心底嬉しそうに言った。雄一は何だかくすぐったい気分だった。


「じゃあ、俺休むから。何かあったら言ってね。」


雄一はぶっきらぼうにボソっと言うと、背を向け自室へ向かった。


「ええ、ゆっくり休んでね。」


しばらくして、ドアの向こうからママの声が聞こえた。


「雄ちゃん、ママ買い物行くけど何か欲しいものある?」


「いや、別に…」


「そう、じゃあ行ってくるわね。何か食べたいものあったらLINEしてね。」


LINEは店に申し込んだ際、IDを教え連携していた。雄一のLINE友達リストには「ママ」が新しく入っている。


雄一は自分で自分に困惑していた。自分は他人に対してこんなぶっきらぼうでシャイな態度になる事は無いはずだった。

常ににこやかで爽やか、感じの良い青年でいる事ができたはずだ。

それなのに、ママの前ではどういうわけか不器用になってしまう。まるで親に対する思春期の少年じゃないか。


親に対する思春期の少年が実際のところ、どうであるのか雄一には分からない。父親は物心つく頃には家におらず、母親は雄一が中学に入る頃には失踪していたからだ。


夕方、いつもならキャバクラやカジノに出向いている頃だったが、今夜はそんな気になれなかった。

夕餉の良い匂いが漂い、やがて


「雄ちゃん、ご飯よ。」


というママの柔らかな声が聞こえ、雄一はノロノロとリビングに移動した。

鶏のから揚げやお浸し、味噌汁など素朴だが品数の多い献立。ママの料理の腕はなかなかのものだった。

向かいの席にはママの分の食事がある。普通、ハウスキーパーは自分の分の料理など用意したりはしない。しかし雄一はそれを咎める気にはなれず、また悪い気もせず「いただきます」と言い二人で食べ始めた。


「美味しい?」


ママがにこやかに尋ねる。


「うん。」


雄一は相変わらず、ママと目を合わさず不愛想に答えた。


「野菜も食べてね。」


雄一はお浸しを箸でつまんで口に入れた。胡麻と出汁の味が程よく染みている。



―――――――――――――――


「もしもし、橋本勝さんのご自宅でしょうか?奥様の静子さんですね?わたくし○○署の染谷と申します。

――旦那さんがたった今、事故に遭われましてね。旦那さんが一時停止を無視して走行した事で、衝突事故を起こされたんです。

これは完全に旦那さんの過失なので、署に連行しなければならないのですが…

とりあえず相手さんの弁護士が来られてますから代わりますね。」


「もしもし?橋本勝さんの奥様ですか?こちらたいそう先を急いでましてね、できれば示談で済ませたいと思うのですが、いかがでしょうか?

…そうですか、ではこれから口座と金額をお教えしますから30分以内に振り込んでください。」


受話器を置き、雄一達は息をついた。

彼らの仕事は、いわゆる振り込め詐欺。刑事役、弁護士役などに別れて連携プレーでカモを釣る。

先ほど電話した橋本静子に雄一達を疑う様子は無い。今頃ATMに走り順調に振り込むだろう。

個人情報を管理する、企業の職員が金欲しさから売り付ける名簿を頼りに片っ端からマニュアル通りに電話をかけるだけで事足りる簡単な仕事だ。

就業時間は緩く、給料も良い。職場の連中は歳の近い者が多く、学生時代の様な和気あいあいとした人間関係も魅力的だった。パワハラ上司に振り回されながら一日15時間以上の労働で、手取り18万のカタギ時代が馬鹿馬鹿しく思える。


この詐欺グループの元締めである井下、彼は雄一達の他にも同様のグループを纏めており、連絡はマメに取っているが会う事は滅多に無い。

雄一は井下に会った事が無いのだが、話だけは聞いている。

グループの一つに、回収した金をちょろまかした奴が一人いた。そいつは井上の前に連れて来させられ、壮絶なリンチの末に殺されたという。死体は付き合いのある暴力団に頼んで処理してもらったらしい。


この話はおそらく井下によって意図的に流されたのだろう。要は見せしめだ、お前達も裏切ればこうなるぞ、という脅しである。

そしてその狙いは見事的中し、雄一らは井下への恐怖から彼を裏切ったり出し抜いたりなど絶対にしない事を心に誓っている。


「この前、他のグループの奴が井下さんに殺られたらしいぜ。」


同僚の鈴木が小声で言った。


「またか?!そいつ何やったの?」


田中というもう一人の同僚が仰天して言った。


「出し子なんだけどさ、そいつ。タタキに襲撃されて、金取られたんだと。」


出し子というのはカモが振り込んだ金を引き出す役割の者だ。タタキは出し子を襲撃し、引き出した金を奪う強盗である。

金を取られるという失態を犯した出し子は井下から制裁として殺された。もしくはタタキに襲撃されるようなヘマをやる奴だから切り捨てた、という事かもしれない。


「そのタタキは何でそいつが出し子だって分かったんだ?」


雄一は疑問を投げかけると、鈴木が興奮気味に身を乗り出した。


「そこだよ、そこ。井下さんもそれで、グループ内にスパイがいるんじゃないかって疑っててさ、まあ普通に考えりゃそういう事になるよな。

だからそのグループ、今すげえピリピリしてるって。」


「例え濡れ衣であっても、一度疑われたら井下さんは止まらなさそうだからな。会った事無いけど。もっと言えば腹いせで殺られそうだし。」


金のために失うものの多過ぎる職場だ。しかし雇用環境の良さと、対するカタギ仕事の劣悪な環境から、雄一はこの職場により失う可能性のあるものを、待ち受けているかもしれない恐怖に蓋をし目を背けた。



―――――――――――――


就業後、いつものようにキャバクラとカジノへ向かったが気分がのらない雄一は、そこそこで引き上げ帰宅した。


リビングは灯りが点いており、テーブルには夕食の支度がある。すぐ傍にあるソファーにママは座り雄一の帰りを待っていたのだろう、うたた寝をしていたが気配を感じすぐに目を覚ました。


「あら、お帰り。お腹はどう?」


「うん…食べる。」


ママはテキパキと用意を整え、雄一は席に着いて食べ始めた。ママはその間「大丈夫?上手くいってる?」など雄一に話しかけ、雄一は相変わらずぶっきらぼうに答えるだけだったが、ママがそれに気を悪くする様子は無かった。


「何かあったらいつでも言ってね。」


「…仕事の事なんか、ママに話してどうなるんだよ。」


「誰かに話すだけでも気が楽になるでしょう。」


雄一は、じきママの居る生活に慣れた。特殊詐欺という仕事内容は明かさなかったが、仕事の愚痴や職場の仲間との楽しかった出来事なども話すようになり、ママはそれをいつも関心を持って耳を傾けてくれた。

機嫌の悪い時、暴言を吐いて当たり散らしてしまう事もあった。今で言うところのモラハラだろう。そんな時、ママは悲しそうな顔で何も言わなかった。

しばらくして気まずい気持ちになるのだが、ママは何事も無かったかの様に雄一に接し水に流した。



――――――――――――――


ある日の休日、いつもの様に疲れて寝ている時の事だった。職場用の携帯が鳴ったので画面を見ると、井下からである。

職場の連絡事項はいつもGmailを使用している。Gmailのメッセージ欄に必要事項を書き、送信せず保存する。Gmailのアカウントは社員皆で共有しているので、送信せずともログインすれば見る事ができるのだ。こうすれば警察に知られる危険性が無い。


それが珍しく電話を使ってきたのだ、余程急な事があったのだろうと雄一は不安になった。


とりあえず雄一は電話に出た。


「はい。」


「今からそっちに行く。下に降りとけ。」


盗聴を警戒しているのか、井下はそれだけ言うと一方的に通話を切った。

不安が増幅した。何か自分はミスを犯しただろうか、気に障る事をやっただろうか、答えの出ない疑問で頭がいっぱいになり、考えても仕方がないと気持ちを切り換えた。


「ちょっと出るよ。今日は夕食要らない。」


簡単に身支度をして、雄一はママに声をかけた。


「そう、気を付けてね。遅くなる様だったら、一言で良いからLINEしてね。」


「うん。」


ママに連絡できる状況である事を願いつつ、雄一はエレベーターに乗り下へ降りた。



マンションの下で待っていると、ハイエースが止まり中に井下が乗っている事を確認すると雄一は後部座席に乗った。

車の中で井下は一言も喋らなかった。そして明らかに不機嫌だ。


――俺は何か不味い事をやったのだろうか?そしてこれからリンチされに行くのだろうか。


雄一は不安や恐怖を抱えながらも、疑問を井下にぶつける度胸も無く同じく黙って外を見ていた。


やがて着いた先は廃ビルの様だった。鼠色のビルは近くで見ると、昔は白っぽい色であったらしく、所々まだらに灰色となっており、それが遠くから見ると全体を灰色に見せている。

窓ガラスは既に無かったり、割れていたりする。


電灯の無いビルの中は、それでも昼間なので外から入る陽の光により懐中電灯などが無くとも不自由無く歩く事ができた。


一室の扉を井下が開けると、ドアが軋んだ音をたてた。

中には鈴木と田中が蒼白な顔で突っ立っている。そして彼らの足元には男が一人、転がっていた。

男はロープで手足を拘束されており、血塗れだった。気を失っているのか、白目を剥き口からは泡を吹いている。


目を細めてよく見ると、その男は雄一のグループが使っている出し子の佐藤だ。


――まさか…


「察してると思うけど、こいつお前らんとこの出し子だよね?こいつ、タタキにやられたんだよ。」


井下が佐藤の体に片足を乗せながら喋った。かなり強く足をかけているらしく、佐藤が苦しそうに呻き声をあげる。


「これで2件目だ…」


井下の口調は静かだが、怒りに震えているのが分かる。目は暗く、どす黒い怒りをはらんでいた。

雄一は生唾を飲んだ。雄一を含む三人は何も言わず、青い顔で下を向き直立不動の状態だった。


佐藤はその後、電動のこぎりで首を切られて血抜きされ、井下が付き合いのある暴力団によって処分された。


「何か気付いた事があれば、知らせてね。業務報告としてでなく、電話で。」


井下はそう言うと、三人を解放した。


解放され、家の前で降ろされた雄一はとても飯を食いに行く気になれず、食欲も無かった。

これから職場内で密告し合う、監視社会が始まる。何か少しでもおかしいと言える所があれば告げ口され、佐藤の様になってしまう。何も無くとも、ひょっとしたらでっち上げられるかもしれない。

職場仲間と仲は良かったが、彼らは特殊詐欺に手を染める様な輩だと思うと信用できなかった。もちろん相手の二人も同様に考えているだろう。


「どうしたの?」


家に帰った雄一の顔を見て、ママが心配そうに言う。余程酷い顔をしていたらしい。

ママの言った「話すだけでも楽になる」という言葉の意味が、今の雄一には痛い程よく分かる。

雄一はママに今日あった事を打ち明けた。自分の従事する仕事内容については伏せたが、非合法の仕事である事がじゅうぶん察せられる内容だった。


「雄ちゃん、自首して刑務所に守ってもらいましょう。」


全てを聞き終えると、ママは真剣な顔でそう言った。


「でもそれじゃ仕事が…お金が…」


「お金なんて言ってる場合じゃないでしょう?死んだらいくらあっても無駄なのよ?大丈夫、ママもパートに出るわ。このマンション引っ越して、もっと安い所に住めばやっていけるわよ。

雄ちゃん、お願いだから自分を大事にしてちょうだい。ママは雄ちゃんが元気でいてくれたら、それで良いのよ。」


雄一は次の日の朝、自首をした。報復が怖かったので、職場の場所や同僚、井下の事は誤魔化した。


服役中、ママの面会は一度も無く手紙も来なかった。きっと新しく住む場所や仕事探しで忙しいのだろう、と雄一は疑問に蓋をした。


代わりに井下や同僚の鈴木や田中がよく面会に来たり、手紙や差し入れをしてくれた。


雄一が要らぬ事を喋らぬようにとの、井下の策なのだろうが不思議なもので、雄一は徐々に「井下さんは優しい人だ、鈴木も田中も良い奴だなあ」などと思うようになった。

井下が探していたスパイは、井下の側近に居たそうだ。彼がその後どうなったかまでは聞いていないが、だいたい察しはつく。


四年の刑期を終えて、刑務所から出て来た雄一を出迎える者は誰もいなかった。


――きっと家だ、ママは家で待っているんだ。毎日部屋を掃除して、今日は俺のために食事を用意して…



四年ぶりに自宅のドアを開けると、灯りが全く点いておらず辺りが薄暗い。所々に埃が溜まっており、長い間掃除されていなかった事が分かる。


「ママ?!ママ?!」


呼びながら雄一は、テーブルの上や引き出し、至る所を置手紙は無いかと探したが、そんなものはどこにも無かった。


数年ぶりに触るスマホのスイッチを入れてLINEを見ると、ママのアカウントが消えている。

メールの欄を見ると、通信販売の宣伝などに交じって「レンタルママ」からメッセージが来ていた。月末になっても金が振り込まれなかったため、自動的に解約になったとの事だった。

スマホが手から滑り落ち、床に音をたてて転がった。

とりあえず、新しい住居を見つけなければと雄一は思った。これから収入が落ちる分、もうここには住めない。




――――――――――――――――――


数か月後のある日、雄一はようやく終わった仕事帰りにスーパーへ寄った。ふと見た野菜コーナーに、忘れられなかった姿を見つけ目を見張った。ママだった。買い物籠に大根を入れるところだった。


ママは会計を終えると、雄一の立ち尽くす出入口に向かい、彼には一顧だにせず通り過ぎて行った。

雄一が密かにママを後をつけると、彼女はタワーマンションに入って行った。今はこのどこかの部屋で誰かのママをやっているらしい。

雄一はしばらくタワーマンションを見上げていたが、踵を返し自宅へ向かった。



真っ直ぐ帰る気になれず、とっぷり日の暮れた公園のベンチに座って放心していると、スマホが鳴った。

画面を見ると、井下からで「うちの職場に復帰しないか?」という誘いだった。

雄一は井下の誘いを受け入れた。職場での前科者という差別や偏見、重い税金を引いた安い給料、やりがいの無い仕事内容での長時間の拘束にうんざりしており、きっと井下もそれを見越して電話してきたのだろう。


『これで分かったろ、お前も。まあ良い勉強になったと思えよ。』


鈴木や田中の居るグループには、既に新人が入っているらしく雄一は違うグループに入れられたが、仲良くやれている。


何度か「レンタルママ」の宣伝がメールで来たが、雄一はもう二度と利用する気は無かった。

そして代わりに犬を飼った。犬は良い、腹の底まで読む必要が無く、いつまでも自分を慕ってくれる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る