応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 書きたいものへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。

    「書く」に対する気づきですね。「書く」が日常になると、経験することすべて、そういう目で眺めるようになった気がします。これは文字であらわすならどう表現するだろうか? と。思い付きは都度書きとめないと、すぐに忘れるということも重要な気付きでした。忘れると言っても頭のどこかには残っているだろうからいつかは思い出すかもしれませんが、効率が悪いです。

    「書く」内容がないと書けないのはそのとおりですね。いつでも書けるよう、「書きたい」を集めてはストックしておくことの大事さを私も最近感じています。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     本当にメモは大切ですよね。昔なら手帳を持ち歩くところですが、今はスマホがあります。

     さらにネットに常時繋がっているので、スマホ本体ではなくクラウドにメモをストックできます。

     思いついたらぱっと書ける140字小説も楽しいです。ツイ…Xで呟くのとはまた違った感覚ですね。

  • オーバーツーリズムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いわゆる従来の道徳と現実との齟齬にとまどう時がありますね。「人のものは取ってはいけない」と「鍵もかからないところに置き去りにしたものは盗まれて当然」。子供に前者だけを教えていると、社会に出たときにとんでもないトラブルに巻き込まれてしまうかもしれないです。矛盾する二つの事柄をどうやって教えたらよいのでしょうね。

    野菜の無人販売所は単価が低いのであまり話題になることがないのかもしれませんが、被害は相当あるでしょう。最近では単価の高い肉や加工食品の無人販売所が各地にできていますが、万引き被害は多いようですから。野菜の無人販売所は、場所によってはロッカー式のものが設置されていたりしますが、ロッカーを壊されると被害は跳ね上がりますね。

    ただ、かつての日本人がもっとマナーが良かったかというと、そうとも限らないのではないかとも思います。それよりは、人の目がいきわたっていたのかな、と。これから高齢化が進み、そこら中、散歩したり日向ぼっこしたりする高齢者であふれるようになれば(なるのか?)、よい監視になるかもしれません。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     中学の頃だったか、先生から外国人が日本に来て一番驚くのは自動販売機だと聞きました。

     誰もいないところに、現金の入った箱が置いてあって、どうして誰もそれを持っていかないんだという理屈だそうです。

     今は知りませんが、その後いろいろな国に行きましたが、確かに自動販売機というものは少なかったです。あるにはありますが、どれも人の目が届くところという感じでした。日本の特殊性は実際に海外に行ってみないとわかりませんでした。

     日本においても悪い人間はいつの時代も一定数存在しますが、率が違うと思います。それはまた、閉塞的な社会の表れでいい面だけでもないような気がしますが、それでもそんな牧歌的な所は嫌いではなかったです。

     インド人の技術者は、賃金が安いにも関わらず、日本で働きたがるそうですね。日本は牧歌的なんだそうです。

  • 博多時間への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    博多時間、初めて聞きました。

    十三岡繁さまと私の見方で百八十度異なるのが、博多を都会と見るか、田舎(地方)と見るかですね。私はいまだに博多イコール大都会のイメージが強く、ときどき、考え方のベースが違うことに気づかされます。

    それはさておき、待ち合わせで時間に遅れる人が多い話、人間関係の距離感にも関係してませんかね? 相手との関係が遠いと考えているほど、無用な揚げ足を取られないよう、待ち合わせ時間はきっちり守るのではないでしょうか? 「あー遅れたわごめんごめん」と言いながら悪びれた様子もなく集合の輪に入ってくるのって、いかにもべたべたな仲間内の集会で見られそうです。学校に遅刻する人が多かった記憶もないですね。

    ちなみに職場でも打ち合わせを「朝イチ」「昼イチ」と指定されることがよくあります(やめてほしい^^;)が、指定するの大阪京都栃木出身者で首都圏暮らしの長い方々、ここでは田舎都会は関係なさそうです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     大分時間はないですか…言葉としては沖縄時間と博多時間以外は聞いたことが無いんですよね。イメージとしては鹿児島や宮崎の方がもっとおおらかな気がするんですが、宮崎時間も鹿児島時間も聞いたことがありません。

     確かに親しい仲であるほどに時間にルーズな傾向は強いと思います。でも初顔合わせの飲み会などでも遅れてくる人が多いですね。年齢が上の方々は自分より若い人が気を使わない様に、わざとそうする習慣はあるそうですが、年齢に関係ないような気もします。

     マナーの話だと、ご自宅に訪問するときなどは約束の時間から少し遅れていくのが基本ですが、逆に私はこれが苦手です。いつも近所で時間を潰す羽目に陥ります^^;。

     東京で働いていた頃は、営業の人が訪問してくる時はキッチリ時間を決めていました。会議とかでもそうですね。1分でも遅れるなら連絡が入ったものです。自分が打ち合わせに出向くときも一緒です。

     まぁ日本の様に時間通りに電車が運行される国は、かなり特殊だとは思うので、世界標準としてはアバウトな方がマジョリティなのかなとは思います。

  • 東京大学漫画学部漫画学科への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ラノベは海外文学のYA(ヤングアダルト)の一部に該当するんじゃないかと思います。両者ともターゲットの中心は高校生、ラノベはその中でもエンタメ特化という感じでしょうか。だから海外にラノベに該当するもの、その土壌が全くないわけでもないです。ただ、日本のように、ラノベから、さらにさまざまなエンタメが生み出されるという現象は聞いたことがないですね。

    デジタルコンテンツに特化した大学として、デジタルハリウッド大学があります。
    https://www.dhw.ac.jp/

    たしかに、東京大学は日本のトップというゆるぎない認識が確立していますから、それを利用できると話が早いのですが、せっかくなら、このような大学がもっとネームバリューを上げるようにしてもらいたいですね。授業料も補助するような制度を国が上手に作ってくれないかな。一極化はどうも好きになれないのです。

    作者からの返信

     おはようごさいます。コメントありがとうございます^^

     YAはアメリカにおけるもので、その他の国でも同様の文学?というか文化は存在していると思います。アメリカにいた頃ペーパーバッグでガンダムがコンビニみたいなところで売られているのを見て驚きました^^;。

     でも日本のこの手の物に関する層は広さと深さが比較にならないと、最近特に感じます。ここでもなろうでも、書き手には中学生や高校生もゴロゴロしている様ですし、PIXIVのイラストなんてプロと見分けのつかないレベルの作品で溢れてます。

    デジハリはコンテンツ特化大学と言えるかもしれませんが、サブカルというよりはメインストリームですよね?アニメ専攻はあるようですが、もっと日本特有の強烈なオタク臭というか…そんなものが伝わってきません。そもそもハリウッドって銘うっちゃってますから^^;。

  • スターシステムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ドラマの俳優陣のうち脇役の方々が被っていると感じるのは個性を殺さなくなったからか、とのご考察ですが、もともとの個性を殺そうとも生かそうとも、役ごとにそれに合った個性を作り出さなければならないものでないのでしょうか? それが役者だと思っていましたが、最近はそうでもなくなったのでしょうか? はたまた、最近の脚本はどれも似たり寄ったり、主役のみすげかえて脇役陣はまるっと同じ、つまり行動も性格も変える必要なし、ということなのでしょうか。

    売れる・視聴率を取れる、というのは大事なのでしょうけれど、あまりにテンプレ配役・テンプレ展開ばかりだと飽き飽きするんじゃないんでしょうかね(ドラマを見ない人間のつぶやきです ^^;)。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     確かに昔のドラマだと、脇役は脇役に徹して目立つ存在ではなかったと思います。最近はそういう感じではないですね。でも同じ人が同じようなキャラ設定で演じていると、見ている方は混乱します。作り手はそれも承知でキャスティングしてるんでしょうけどね…

     今は昔と違ってドラマはあまり視聴率は取れないみたいです。それでもやっぱり色々と見てみると、面白いものもありますよ。小説を書くようになってからは、自分だったらここはこういう展開にするな、みたいな見方が出来てそこは楽しいです。

  • コスパへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    生きるのには外部からエネルギーを取り込む必要があり、その対価がコスト(お金という意味に限らず)であると考えるなら、たとえひとりっきりになっても、生きるためにはコストが必要です。体力という対価を払って農作物を作ったり狩りをしたり、漁をしたり、とか。

    集団になると、他人とのコストのやり取りが可能であり、その効率が良かったために社会が発展したんじゃないでしょうか? 集団ならば、何らかの形で公平なコストのやり取りをするシステムが必要になり、それが通貨だとすると、形こそ変わりうるにせよ、概念としてはなくならないんじゃないかなあ、と思いましたが、どうなんでしょうね。

    完全独立栄養で生きられるようになったら、お金もいらないか? と思いましたが、植物だって栄養塩と光がいるわけで、それらをめぐる駆け引きの中で、お金に似たものが発生するのかな……

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     集団でコストのやり取りが出来たほうが効率がいい…これはまさにその通りですよね。経済学でも貿易の有効性はそこにあると習いました。

     でもそのコストのやり取りに、通貨というシステムが最善なのかどうか…物凄く文明が進んだ異星人が地球にやって来て、UFOのエンジンレストアするのに給料二ヶ月分吹っ飛ぶなとかは言わないような気がするんですよね。

     じゃあ、通貨じゃなくて何をもってコストのやり取りをするかと言えば…そこが謎なんです。エネルギーとかだったら代替通貨ですよね。

     案外やすらぎとか喜びとか、そいう精神的なモノなんじゃないでしょうか?元来の通貨的概念を持ち続けていると、外宇宙に出るほどまでには文明は発達しないような予感がします(戦争で滅びる)。

  • 芯の部分への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ふふふ、そうですね。一貫して断言口調で終わりましたが、びっくりするくらい変わらないこと、年を重ねると実感します。

    でも、周囲の目は変わるんですよね。立派な社会人、いい年した大人、人生の先輩、高齢者…… ただ、この先どんどん周囲が高齢化するにしたがい、「周囲の目」もまた変わっていくかと思うと、ちょっと面白くもあります。

    四十、五十歳を超えた美しい女性を最近では美魔女なんて呼びますが、あれも、若々しい女性が実際増えたことに加え、周囲の目が年をとったということも大きいんじゃないかなあ、なんて思いますね。

    作者からの返信

    おはよいうございます コメントありがとうございます。

    本当に変わらないことに驚きです。もしかしたら80歳とかになっても変わらないんじゃないかと最近は恐怖しています^^;。

    しかし一方で周囲の目もそうですが、体の機能もあちこちガタが出てきて辛いです。漫画「攻殻機動隊」ではサイボーク化した体の事を義体と呼んでましたが、早く入れ替えて欲しいもんです^^。

  • ガンダムへの応援コメント

    『ガンダム料理』とは良い例えですね。
    ガンダムを作品に出せば、ある程度のヒットは見込めますし、優良コンテンツなのでしょうね。
    ファンも色々と考察して、それも楽しみのひとつですね。

    あるクリエイターのコメントだったと思いますが、初代ガンダムOPで「ザクが並んでいるシーンに衝撃を受けた」そうです。
    まさに、ロボットが兵器として扱われたシーンだったのでしょう。

    今は女性ファンも多く、今後がまだまだ楽しみなシリーズです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    あのザクのシーンはそれまでのロボット物とは一線を画してましたね。でも下敷きとして宇宙戦艦ヤマトの戦闘機が並んでるシーンや、絵面てきには勇者ライディーンの敵がずらっと浮遊して並んでいるシーンなんかがあったように思います。

    やっぱりガンダムはファーストが一番面白いと思ってしまうんですが、長浜ラーメンは元祖長浜屋が一番おいしいと思っているわけではありません^^;

  • 高祖山への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    山チームは全員建築士さんなのですか。建築士さんも何らかの協会があって、交流がさかんなのでしょうか。それにしても、仕事も趣味仕事も同じ人たちのグループだと、何かを見て一般の人とは異なる感想を持ってもそれをすんなり共有できて楽しそうです。

    吉備真備が福岡で城の建築の指揮を執っていたとは知りませんでした。教科書や図書でしか名前を見ない古人に関わる遺構を目の当たりにすると、途端にはるか昔の人が親身に感じられるようになりますね。そんな昔の名残が身近にあるのは楽しそうです。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます。

     うちの登山チームは全員一級建築士なので、遭難でもしようものなら違った意味でニュースになってしまいそうです^^;。

     同業者同士だと興味を持つ対象が近いということもありますし、個人事業主だと貴重な情報交換の場でもあります。

     吉備真備が九州に赴任したのは、道真公の様に左遷されたとする説と、もっとポジティブに大陸側からの軍事的脅威に対抗する為とする説があるようですね。

     伊都城は当時日本には無かった中国式の構成をしているそうです。福岡ほどではないと思いますが、多分大分も山の中には色々と眠っているんじゃないでしょうか?最近聞きましたが邪馬台国大分説もあるそうですね^^。

  • アレルギーの不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    膠原病になると免疫抑制療法を行うので、実際には免疫力が低下し、感染症には健常者より注意が必要になるようです。また、膠原病になると自己抗体が産生されて自分を攻撃しますが、自己抗体は特異的に自己を攻撃すると思われるので、これがたくさんあっても、感染症への抵抗力が上がることはないんじゃないでしょうか? なんでそんなものが作られるのかは不思議ですが。

    自分の体とはいえ、制御できることなんてごく限られていますよね。自分のもの、と思うことが間違っているのかも。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     膠原病は自分で自分の細胞を攻撃しますが、アレルギー反応は外敵に対しての抗体反応ですよね?だからそれが強いという事は抵抗力が強いという事になるんじゃないかと思うわけです(強すぎるとも言えますが)。

     実際に新型コロナでは、食物アレルギーのある人の方が感染リスクが半減するという研究結果があるみたいですね(理由は抵抗力が高いからとは考えられていない様です)。それがいいんだか悪いんだか分かりませんが^^;。

    編集済
  • 性転換への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    魚類成体研究会の2024年春の報告に下記がありました。タイトルしか見られないのが残念ですが、この春の研究報告なので、そのうち論文になるでしょう。

    「クマノミは一夫一妻だけじゃなかった?一夫多妻による繁殖の報告」

    「共同的一妻多夫の成立要因の探索:タンガニイカシクリッドJulidochromis ornatus の優位オス除去実験から」……同研究会の報告例ですが、こちらも興味深いですね。

    ちなみに、クマノミ研究の研究室の研究内容(くどい……)はとても面白そうです。
    https://www.omu.ac.jp/sci/biol-asoci/about/index.html

    「鮭の男と女…哺乳類だと男豚と女豚、男牛と女牛…何か淫靡な物を感じてしまうのはきっと私の心が汚れているからなのだろう」

    ははは、これは禊が必要なのではないでしょうか(^^;)

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     自分の人生には全く影響は無いですが、他の生物の生態を知るのって面白いですよね^^。「人間は一夫一妻だけじゃなかった?一夫多妻による繁殖の報告」人間も十分面白いですが…

     心が汚れているのは人間の味わいですね。前にも書いたナウシカのセリフです。「ちがう いのちは闇の中にまたたく光だ!」

  • ジャンプペイントへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。九州では目覚ましがイソヒヨドリでしたが、関東に戻るとウグイスの輪唱になりました。

    ジャンプペイント、初めて聞きました。ペイントにもう少しお絵かき機能が付いたのなら、これは(仕事の)いろんなことに使えそうです。同僚たちが使っているめちゃくちゃ高いお絵かきソフト、どうしても買う気にならないんですよね。GIMPを教えてもらって多少使ってみましたがここまで本格的じゃなくて、もう少しさらっと使えるソフト、でもペイントよりは多機能なものがないかなと思っていたところでした。

    無料で使えるというのは驚きですね。提供側にどんなメリットが? と私もつい勘繰りたくなります。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます

    今日は小石原焼を物色しに東峰村に来ています。

    これ、漫画に特化しているので集中線をひいたり、スクリントーンを貼ったりできるみたいです。漫画のコマ割りもできるのかな?

    もしかしたらそのまま、ジャンプの漫画賞にも応募出来るのかもしれません。

  • 映画鑑賞後に思うへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    映画の話、ほぼ見ない人間のコメントですが、アメリカ映画は娯楽、ヨーロッパ映画は問題提起といったイメージがあります。あくまでイメージです。どれだけ典型化されているかによるのでしょうか。勧善懲悪だとか、人類救済だとか、そういった比較的お手軽に共感を得られるテーマにいかに多様な味付けをするかがアメリカ映画で、取り上げる問題そのものに多様性があるのがヨーロッパ映画、という感じですかね。妄想ですが。

    私のイメージの中では、日本映画もアメリカ映画に近いです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^。

     ハリウッド映画なんて、ラストを何パターンか作っておいて、試写して一番受けがよかったものを採用してますからね。娯楽としての追及は凄いと思います。

     日本映画はハリウッド映画に近いイメージですか…『万引き家族』とかは絶対にハリウッドでは作られないような作品です。『寅さん』シリーズも無さそうです。アメリカ映画は日本で劇場公開されるのが娯楽作品ばかりで、実際にはマイナーで味わい深いやつもあったりするのかもしれないなとは思います。

  • 縄文と弥生への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    歴史が「動く」のは興味深いですよね。かつての直接的・間接的な記録の断片から後人が解釈するだけなので、手に入ったかけらいかんでいくらでも解釈ができてしまうからこそ、だと思います。「古環境は物語だから」と恩師が苦笑していたのを思い出します(そう言いつつ、古環境も研究していたんですけどね)。

    縄文時代と弥生時代が並行して、というのは、縄文文化を守る集団と弥生文化を守る集団とが同じ地域で別々に暮らしていたということでしょうか? それとも、両方の文化がどちらも廃れることなく、ひとつの集落の中に存在したということでしょうか?

    今の縄文・弥生共存説も、時代が下がればまた変わってくるかもしれませんね。

    作者からの返信

     おはようございます。 コメントありがとうございます^^
     
     最近伊都の国博物館という所に行って、更にその思いが強くなったんですが、弥生人と縄文人は民族として完全に別々だったんだなと…で、糸島で言えば平野部に弥生人がいて、脊振山系のあたりに縄文人が住んでいて、当初は完全に住み分けていたように思います。

     そうしてそのうちに交わって来て、板付遺跡みたいなことになったんじゃないでしょうか(板付遺跡は縄文後期です)?では弥生人はどこから来たかと言えば…これを書くと怒る人がいると思いますが大陸の方からでしょうね…。人類発祥の地はアフリカですから、縄文人も大陸側から来たといえばそうなんでしょうが、もっと南側ルートでタイムラグも1万5千年ぐらいあったんじゃないかと思ってます。

  • 調整力への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    今まではそう問題にならなかったウイルス感染症が増えているような気がするとのこと、これは、そうとも言い切れないのではと思います。

    かつては、なんだかよくわからない感染症にかかる人が圧倒的に多かったから問題にならなかったともいえると思うので。また、何となく調子が悪いくらいだと病院にもいかず、したがって原因は判明せずウイルス感染として記録に残らず、ということも多かったのではないでしょうか?

    調整力は緩やかなウイルス感染によって得られるものだと理解しています。一度に複数の感染を激烈に起こせば死ぬので、穏やかにひとつずつ感染することができた幸運な人が生き延びられる、と。だから外部からの侵入をある程度防ぐのも、その調整力を得るための技とも言えて、全く意味がないとは思わないのです。

    とか、えらそうに言ってますが、これまでの感染症の実態を信頼できる数値で把握しているわけではありません。誰かやってるのかな?

    あ、ちなみに、コンビニ弁当や大手メーカーのパンが腐らないのは、最近では、添加剤より製造工程における徹底した衛生管理によるところが大きいと思います。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    なぜ訳の分からないウィルスの感染症が増えていると感じるかと言えば、わけのわからなくない感染症の患者数が増えているからです。例えばRSウィルス、りんご病、手足口病に水疱瘡…どれも以前は子供の頃にやっても、免疫があがった成人は感染しても発症しにくいと思われていたものです。以前はきっと発症しても症状の軽い人が多かったのでしょう。それが病院で原因を特定するまでに症状が悪化するというのは(統計に出てくる)、免疫力が落ちている証拠ではないでしょうか?

    これはまた違った要因がありそうですが、梅毒患者が増えているのも気になります。これについては東京都のデータが分かりやすいです。国の感染症患者数の推移データは年次の物が2021年までのものと、NHKが出している去年との比較ぐらいしか見当たりません。最近の状況について数字に出てくるのはもう数年先になるかと思います。

    妙な自粛が終わってまた以前の状態に戻れればいいんですが、ちょっと難しいんじゃないかなと個人的には感じています。

    添加物の量は以前より減って来てるんですかね?そもそも増殖する前の菌の数を減らせばいいというのは、それはその通りだと思います。でも細菌類の増殖は指数関数的なので、ゼロにできない限りやはり長期間の保存は難しいんじゃないかと思っています。かといっても私は食べますけどね。

  • 台湾が凄かったへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ご意見はどれもこれもそうだなと思うことばかり、どうやってこの賛同者を増やしていくかが大きな問題なのだと思っています。

    気づきを申し入れても相手にしてもらえないのなら、政治家のトップダウンに期待するか、国民の声として政治を動かすかしかないと思いますが、私的には、コネを作って前者をやるのが圧倒的に楽だと思っています。集団を動かすのは難しく、さらに個人的に好きではないので。

    でも問題の内容的に、後者を推し進めなければ意味がないとも思います。そうなってくると、どうしたらよいのか? 

    かつては「みんながやってる」ことがいくつもありました。新聞を読んで、NHKのニュースを見て、町内会に参加してなどなど。そう言うところを利用すれば、大衆に効率よくアピールすることができました。個人が尊重され生活スタイルが多様化した今、昔と同じ手は使いづらいですね。人気ユーチューバーと仲良くなって、情報発信してもらうとか?

    交流のある学生さんにこの回を読んでもらってご意見もらうと、面白いかもしれませんね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     何を言っても無駄だと黙ってしまう人がいますが、私はそれは違うと思っています。草の根で声を上げ続けることは全くの無意味ではないと信じてます。選挙も一緒です。

     行政に意見しても暖簾に腕押しですが、それを読んだ職員の頭の片隅にその話が少しだけ残っていて、何かを判断するときに影響するかもしれません。

     今我々は小説を書いています。ベストセラー作家と違って読者数は少ないですがゼロではありません。「異世界建築士」ではもっぱら建築の考え方をテーマにしましたが、「なかしま君となかじまさん」では夫婦別姓問題を取り上げましたし、「トキネさん…」では転出入届の問題とIT大学構想を書いています。佐藤さんもイソヒヨドリシリーズの中でLGBTの問題を取り上げていますよね。

     そうやって自分のできる事を少しずつでもやっていくしかないのかなと思います。特に小説は書籍化でもされようなものなら、結構な影響力を持つようになりますよね。そう言って意味でも公募にも出し続けようと思ってます。

  • 出る杭は打たれるへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    母の四十九日でも一周忌でも式服を着なかった佐藤です。葬儀には出なかったのですが、出ていたらそちらでも来ていなかったかも。

    でも、親戚の葬儀だと斬るかもしれません。無駄に波風たてたくないからですね。そんなところで戦って気力を消費するより、他の、自分にとって有用なことに取っておきたいなあと思ってしまいます。フォーマルウエアを淡々と着用する人たちの中には、そんな人がいるんじゃないでしょうか?

    昔ながらの慣習が社会には山ほどあります。どれも、当初は何らかの意義のもと作られたのでしょうが、現状にそぐわなくなっているものが、違和感を抱かせているのだと思います。ひとつひとつ見直し、新陳代謝させることが必須なんじゃないでしょうか? 最初からそんな慣習を作らねば良い、というわけにはいかないでしょう。今創り出されている文化だって、五十年もすれば陳腐化しているでしょう。見直し、駄目なものは駄目と言える空気をなくさないことが大事なんでしょうね。

    若者も変わってきていると思います。ランドセルの色がカラフルになったのは親の希望もあるでしょうが、すくなくとも、男は黒女は赤という枠に押し込まれることなく生きています。校則の見直しだってやるところはやっています。入社数年で転職するのも柔軟な頭になったからという側面がゼロではないでしょう。

    作者からの返信

    おはようございます。 コメントありがとうございます^^。

    完全な家族葬であれば喪服を着ないというケースもあるみたいですね。大切なのは気持ちであって服装では無いと思います。
    第一スーツなんて本来の日本人の服装ではないですからね。

    女性の場合葬式だと黒い着物を着ていても様になりますが、男の場合は目だたい席と完全に一緒になってしまうので、違和感凄いでしょうね。見たこと無いですが…。

    慣習や宗教行事の全てを否定するわけでは無いですし、文化や歴史に根差した大切なものも多いと思います。でも変化は必要ですよね。

    そう言えば昨日糸島市の伊都国歴史博物館 に初めて行ったんですが、ここお勧めです。というか国宝級では無くて本当に国宝がたくさん陳列されてました。車じゃないとちょっとアクセス悪いですが、色々と凄いですよ^^。

  • 既に答は出ているへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    単に行政を合併するだけでは、中心都市に有利なシステムが出来上がるだけで、緩慢な地方の衰退を促すだけじゃないのかなという気がします。それが問題だというより、積極的に人を行政中心都市に集約して密なサービス提供地域を制限しないと効果が薄いのではないかと感じています。地方を積極的に見捨てることになりますが、国民全員がそれなりの質の生活を続けて行こうとしたら、そうしないと無理じゃないんでしょうか。

    災害が起きて市町村が壊滅したときなど、より好都合なところに人を集約させて新たな都市をつくりなおすチャンスだと思うのですが、感情論ばかりが先に立って、そうはいかないですね。正確には覚えてないのですが、昭和三陸地震でしたか、津波で壊滅した町を高台に移転させた事例があるようなので、できない話ではないと思うんですけどね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    コンパクトシティですね。いい悪いは別として私もそうならざる得ないと思っています。しかし例えばAという行政単位がA単独であり続ける限りはAを切り捨てる事が出来ません。それが自分自身であり全てですから…。AとBとCがひとつになるからこそ、Aを切り捨てていくという選択も可能になるわけです。だからやはり区分は大きくしていくべきです。

    そうして大きくなることで、同じ切り捨てるにしても選択肢が増えると思います。超ド田舎でも逆に自然が豊かだったり、素晴らしい観光資源があったりとなにもないわけではありません。人が住んでいなくても、その魅力はそこなわれないという場所があるんじゃないでしょうか?

  • 複雑系への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「出たとこ勝負」にうなずきました。常に新たな性質のウイルスが、時に細菌が系に放り込まれ新たな平衡状態に向かおうとするのでしょうが、それが私たちにとって好ましくない結果を与えたとき、病気、障害、不運などいろんな名前がつくんでしょうね。

    放り込まれたものがこれまでのバランスを大きく損なえば系全体が崩壊することもあるでしょう。これまで意識せずに行われてきた系の進化に対し、「不都合」なものを意識的に制御しようとする人間。いずれは前者に圧倒されそうですが、それはどんな形でやってくるんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    同じく薬でも、漢方はこの出たとこ勝負を繰り返して体系が出来上がったというイメージです。西洋医学の方はなんというか上から目線というか、自然なんて人間様がコントロールしてやるみたいな驕りを感じてしまいます。

    そのうち手痛いしっぺ返しにあうんじやないでしょうか?何とは言いませんが、もう始まっている様な気もします。

  • 好奇心への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    死ななければ見ておきたいものリスト、いろいろあるのですね。すごいなと思うのが。良いことも悪いことも、冷静に将来を見据えていらっしゃるところです。私は悪くなることに恐怖しか思かんじられず、将来も自分の後始末を考えていっぱいいっぱいになりがちです。少し考え方を変えないともったいないですね。

    サグラダファミリアの完成もさることながら、身近なところで横浜駅付近の最終形態も気になります。終わるかと思いきやまた何かが始まり、つい最近マンションが完成したんでしたっけ? これで落ち着くのか、まだ手を加えるのか……

    ロボットの各家庭への進出は楽しみです。ある程度の介護をお任せできるくらいのものが実用化されると頼もしいですね。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     横浜駅は日本のサグラダファミリアと呼ばれているらしいですね。何度か行ったことある筈なんですが、何かこう中心となるイメージがありませんね…東京の方でずっと工事中の駅というと、渋谷駅を思いつきます。高田馬場駅も駅前はずっと工事しているイメージでしたが、これは完成しました。

     どうせ生きるならば、何事も楽しまなければ損だなと思うたちです。昔長嶋茂雄が『緊張を楽しむ』と言ってましたが、恐怖や不安も楽しみですよね。お金払ってお化け屋敷に行きますし…。

     でも設計業務の中でも確認申請だけは楽しめません。片付けも面倒くさいと思ってしまうので、終活はやっかいですね。もうある程度残された人に迷惑かけちゃう前提でもいいんじゃないでしょうか?自分もそうだったりするわけですし…。

  • 電線の地中化への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。今日は羽田空港からです。

    電柱が林立していることのデメリットは第一に災害時の危険性でしょうか? 確かに、トランスやコンクリートの塊があの高さから落ちてくることを考えると、ぞっとします。でも、多くの人はその危険性に気づいていないでしょうね。それを説くところから地道に始めないといけないのかもしれません。子供のいる家庭、保育園、幼稚園、小学校のあたりだとわかってくれるかもしれませんね。

    あと、電柱があることで歩道の有効面積が減っていることに、歩行者として腹立たしいこともあります。でもそういうのは二の次って言われるんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    もうGW突入ですか?大型連休ですね^^。
    しかしGW前半は天気がイマイチなので、山に登れるかどうか微妙です。

    災害時のインフラ確保の為に地中化が有効だとなっていますが、倒壊や落下の危険性についてはあまり言われていませんね。
    幹線道路の地中化が進んでも、住宅街の様に…体で言えば毛細血管みたいなところまで地中化するのは流石に難しいかなと思います。

    街中の電柱は歩いているときよりも、車で走っていて対向車が来たときなんかに本当に邪魔だなと感じますね。

  • ガソリンスタンドへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ガソリンスタンドの閉店は確かにしばしば見かけます。でも、総体としてガソリンの需要が減っても、ひとりひとりの移動の必要量は変わらないんですよね。都市部のように移動の代替手段が複数あるところは良いですが、地方はますます追い込まれていく感じです。

    家族の平均構成の変化による車の乗員数想定の見直しなんて、需要さえあればすぐにやりそうですけどね。それに伴う、税制の見直しも。

    でも、実際、子供夫婦に子供ひとりの家庭って、好んで軽に乗るのでしょうか? 私の身の回りだと、子供のいる家庭は一台は普通車、二台目が軽というケースが多いです。両親共働きの家庭ばかりです。家族全員が乗る場合は普通車、家族の一部がちょっと利用するときは軽、という感じです。こういう恵まれた家族も減っているのかもしれませんが。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    私等の年代からすると、地方では車のニ台持ちが普通という感じですが、お金のない若い夫婦の場合、軽自動車一台だけというケースが今は多いと思います。実際の自動車販売台数にも現れているんじゃないでしょうか?

    なのでこれからは、家族全員が乗る場合は軽自動車、ちよっと出かけるときはバイクみたいなスケールダウンが起きるような気がします。

    政治家の方たちには、なぜ若者が軽自動車に乗るのかを感覚的に捉えきれていない人が、多いんじゃないでしょうか?ただ、街中ではすでにシェアカーは当たり前になっていますし、ライドシェアも急拡大するでしょうね。

    人口が減って産業も活動も縮小する一方です。その方がエコなんでしょうけどね。

  • データ相続への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    本当に大事なものならあっという間に対策が取られていると思うので、逆に、対策とってないけど大丈夫かなと思うものは、重要ではないと思っています。

    データ類、写真に限って話をするなら、これこそ、なくても生きていけます。子供や家族の写真って大事だと思いますけれど、重要なもののの上から何番目かと考えると、けっこう下の方では? あれば嬉しいけれど、なくてもいいや、というのが今の個人的な気分です。

    写真(紙焼き)や画像データがなくなった、とショックを受けても、一か月後にはあっけらかんとしていそうです。ちなみに、実家の整理で、両親とその子供たち(自分含む)の大量の写真をどう処分するかが、このGWの喫緊の課題となっています(笑)

    「紙焼きの写真をデジタルデータにしていつまでも手元に」というのは、むしろ、なくなること前提の、過去の記憶をゆっくりと手放す断捨離の第一歩なんじゃないでしょうかね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    確かに画像や映像を残せるようになったのも、人類の歴史から見ればごく最近の事なので、本質的には不要なものなのかもしれません。

    歴史を学ぶのは、過去の教訓から現在を知り未来を予測する為だと誰かが言ってました。エッセイでは例えとして家族写真を出しましたが、もっと大きな話でもデータが残っていた方が歴史を正確に辿れます。データが残っていたら邪馬台国の位置で論争する事も無かったでしょう。縄文時代の生活習慣も詳細に分かったんじゃないでしょうか?

    歴史の教科書も、ペリーや坂本龍馬の方が写真が残っているのでイメージしやすいです。信長とか秀吉は怪しいです。聖徳太子はきっと別人でしょう^^;。まー私なんて凡人の写真は奨励的注目されるとも思えませんが、NHKの映像の世紀なんてみていると、個人的なデータも結構歴史の証拠にはなるような気はします。

    実家の写真は全て処分されてしまうのですか?多少はやはり残しておくのではないでしょうか?自分でデジタル化するのが面倒な場合、デジタル化サービスというのがあります。まぁデジタル化して物理的に場所をとらなくなっても、その後どうするんだというのはありますが…。

    昔の写真は小説のネタにはなりそうです^^。

  • 最後のワンピースへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ロボットが滑らかに二足歩行し、とんぼ返りを打てるようになった技術革新って、結局何だったのでしょう? 革新ではなく、小さな改良の積み重ねだったのでしょうか? 

    二足歩行をさせるのがすごく難しいんだよという話をかつて聞いたことがありましたが、あっという間に二足歩行ロボットが当たり前の存在になり、いったいどんなブレイクスルーがあったのだろうと、ずっとぼんやり考えていました。

    滑らかな動きを手に入れたロボット、次に獲得するのはどんな能力なんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    制御技術には、この前と後みたいな極端なブレイイクスル―ポイントは無かったかと思います。大きかったのは処理能力の向上ですよね。昔のパソコンは遅かったし大きかったです。スマホなんて夢の又夢でした。

    今みたいに小さくて処理速度の速いCPUが存在していれば、脳のシュミレーションもある程度は可能になるので、当然ロボットの人体を模倣した動きもスムーズになるってもんですね。

    確かロボット技術の目標は、サッカーのワールドカップで優勝したチームに勝利するって話だったと思います。最近の感じだと結構早々に実現するんじゃないかと感じます。

  • 再生可能エネルギーへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    風と水だと流体の密度が異なるので、原理的には潮力発電に軍配が上がるのでしょうか。海流の利用だと沿岸から離れた場所に設置になりますが、潮力なら、都市部に近い河口域全面に設置することもできますし、実用的な気がします。

    あるいは、瀬戸内海の出入り口に設置しても良いかも、と思いましたが、漁業関係者の猛反発を食らいそうでもあります。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    風力より潮力を推すのは、出力の問題ではなく、恒常性です。潮の流れは完全に予測できますよね?その点風はその字の通り風まかせです。

    日本の場合底網漁がネックですよね。でも現在関門海峡では実地試験中だったような気がします。

  • 柳町への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    地名を追っていくと地域の歴史が見えてきますね。特に遊郭、赤線があった場所は、今ではその面影が無くなっていても、地域名や建築物に名残があったりして、興味深いです。その手の古い建物にはかなり興味を惹かれます。

    柳は境を表す象徴だそうです。異界との境目ということで、遊郭入口である大門のあたりには植えられていたようです。吉原の見返りの柳は有名ですね。柳という言葉そのものに、もう異界である遊郭のイメージがあるように思えます。

    遊郭を検索していて、下記の説明を見つけて驚いたのでした。どんなものなのでしょう。

    「現在公認の娼婦街はないが、表向き料理旅館に転向しつつも客と仲居との個室内での交渉を「自由恋愛」の名目にかつてと変わらない営業を継続している地域もいくつかある。大阪の飛田新地(飛田遊廓)などがそれである」(ウィキペディア)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    私は行った事無いですが、飛田新地は女の子のレベルが高いことで有名ですね。アイドル並みの娘も珍しくないそうです。ソープに比べると短時間で安上がりみたいです。引退した娘は客引きの女将になるというのも興味深いです。

    未だに東京だったら吉原、福岡だったら中洲にソープ街がありますよね。法律で売春は禁止されているはずなのに不思議な話です。建前的にはあれはあくまで自由恋愛なんだそうです。

    ソープとパチンコ屋と高速道路の制限速度を、日本三なんちゃって建て前と、個人的には呼んでます。

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    「売る方も建てる方もそれが商売なので、今売れるんだからどんどん作ろうという事になるだろう」

    最近はこの考え方も変わってきているのではないでしょうか? 漁業が「売れる限り獲って獲り尽くす」でなくなったように、このままではまずいと声をあげる人たちが増えれば、新たなフェーズに切り替えられるのではないかと期待しています。

    でも、前例を踏まえて想像し対策を進めるということが日本人は苦手なんでしょうか。いつも後手後手な気がします。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    普通はちゃんと後先も考えているんだろうなと思いますよね?これがびっくり考えてないんです^⁠_⁠^;

    少子高齢化も分かっていても止められない。かっぱえびせんみたいなもんですね。

    既得権益を持っている人は変化を望みません。変化はリスクですからね。変化しないことがリスクになるという、思想的なバックボーンが変らないと、難しいんじゃないでしょうか?日本はとかく保守的だと思います。

  • やまとへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    興味深いですね。文字を持つ民族と持たない民族にはどのような違いがあるのでしょう。

    それでは、言語自体を持たない民族というのはあり得るのだろうか、と興味がわいたので、すこししらべてみました。言語学では、人間はもともと言語のもとになるような概念を持ちあわせているという考え方があったそうですが、それを覆す民族が新たに発見されたそうです。

    https://meshi-atsu.com/?p=320

    コミュニケーションを取るための音声ツールをまったく持たないわけではないけれど、一般的に言語とされる概念を満たさないものしか持たないというのは、面白いです。

    翻って、発見されていないから「ない」と暫定的に見なしているものが覆されることなんてよくあるので、縄文人に関する大発見がこの先ないとも限りませんね(^^)

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    ピダハンは初耳でした、確かに我々とは全く違う思想体系を持っているみたいですね。それでも男はポルトガル語も理解するとの事なので、大分外部に毒されてそうです^^;。

    人間以外の動物は過去とか未来の概念を持ちえないと言われてますね。だから忠犬ハチ公はただ習慣を繰り返していただけで、特に忠義に厚いとかそう言う事ではないと聞きました。

    繩による文字はインカ帝国なんかが有名ですが、アイヌにもあるようです。アイヌにあるという事は縄文の世には存在していた可能性が高いような気がします(思想体系が似ているので)。その視点で縄文の文様を研究した人はまだいないんじゃないでしょうか?老後の趣味にするにはいいかもしれません。

  • 遊びへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「遊び」は確かに小さくなっている気がします。無駄を省くために減らしていった側面もあれば、あいまいさに忍び込む問題を回避するうちになくなってしまったという側面もあるのではないかと思います。

    雑多なものをそのまま受け止めるための遊びですが、ごったに混じり合った概念は、いずれ精査され、新たに名付けられて遊びから分離させられます。ひとつひとつ概念が独立していくうちに、遊びの範囲も狭まり、いずれ消失する、そんなイメージがあります。

    建築の世界においても、もともとは空隙であった遊びが弾力性のあるシーリング材やコーキング材に置き換えられているように、遊びは変容し、縮小していくように思えますね。

    だから、あえて意識的に遊ぶのですけれど。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    余白を指して遊びとはよくぞ言ったものだと思います。異種材料の組み合わせは建築では日常茶飯事ですが、鉄筋コンクリートが奇跡の組み合わせと言われているのは、コンクリートと鉄筋の熱膨張率が一緒だからです(前にも書きましたかね?)。だから遊びがいらないんです。より密着するような様々な基準を「定着」と呼びます。

    但し一体化しているから変化(変形)に弱いんです。地震時に鉄骨造は無傷でもコンクリートにクラックが入ってしまうのはその為です。建て替えるのに全部壊さないといけないのもそのせいです。法隆寺が鉄筋コンクリート造だったら鎌倉時代まで残らなかったでしょうね^^。

  • 緑地への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    法規制がなくとも、市民の意識の変化で(住)環境が変わってきているというのを感じますね。熱に浮かされたような高度成長期、それに続く経済停滞と、大波小波を繰り返し、今、大量生産大量消費の社会から良いものを大事に使うフェーズに戻りつつあるような気がします。

    古いものを使い続けることが必ずしもエネルギーの節約になるとも限りませんが、消費前提の社会にそれ以外の選択肢がきちんと準備されるようになりつつあるのは、良いことかなと思います。

    町の緑化ですが、安直な緑化にはいただけない点もありますね。植えればいいってもんじゃないぜ、という痛々しい街路樹がたくさんありまして……。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^。

    昔、ゼネコン勤務時は、ビルなんかの植え込みと言えば馬鹿の一つ覚えみたいにツツジ密植と書いてました。ツツジは排ガスとかの汚染空気に対して強いんですよね。街中を歩いても古い建物は未だにツツジの密植がそのままになっているところが多いです。

    近所の小学校前にある、川沿いの緑地は近所の人が手入れをして、年中花が咲いています。素晴らしい事だと思いますが、車で通るとひいてしまいそうでちょっと怖いです^^;。

  • 断水への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    どうしても、生身の人間の迫力・説得力・利便性にかなうものはまだないですね。オンライン会議が盛んになるようになって感じました。

    オンライン会議で経験したのは、発言に対する手ごたえのなさと、雑談ができない不便さでした。後者、オンサイトだと、左右の人と、あるいは場全体であっても、ちょっとした雑談タイムって作りやすいじゃないですか? 小声でしゃべる話を拾ってくれる人がいて、それが種となり全体の話に持ち上がることもあります。会議中であれ、雑談には意外に面白いアイデアが隠れているものです。オンラインだと、それがやりづらいんですよね。

    オンライン会議とは、悪く言えば融通が利かない、よく言えば予定時間通りに会議を終わらせられる、そんな感想を持っています。オンラインを効率的に活用できるほど、ユーザー側が成熟していないからとも言えますけれど。

    現在オンサイトで人と会う意義とはそんなところかなあと思ったのでした。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    私もオンライン会議はあまり好きではないですし、特別な理由がない限りは顔を合わせて話をするようにしています。

    以前コロナの頃に授業もオンラインでやっていたりしたんですが、プライバシー云々でカメラを切っている学生もいて、そうなると表情が読めないので、発言のニュアンスが全く分かりませんでした。これからバーチャル技術が上がっていくと、そのあたりも解決していくんでしょうか?

    でもやっぱり私は、人と人は現実に触れ合ってこそかなと思ってます。

  • シンギュラリティへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    シンギュラリティが到来しない理由はないと思うのでいずれはと思うのですが、最終的にAIと人間のかかわり方はどうなるんだろうなというところに興味がわきます。

    AIの学習アルゴリズムを知らないので、完全なる妄想ですが、膨大なデータを収集し、そこから最終的に何らかの結論をひねり出すためには、取捨選択が必要です。複数のAIがいれば、収集するデータの違いが取捨選択アルゴリズムの異なる学習成果につながり、個性が生じます。AIを利用する人間にとっては、都合よいAIを見極める必要が出てきます。AIどうしの争議も起こるかもしれません。

    一方でAIのハッカーも続々と誕生するんでしょうね。社会に大きな影響力を持つAIを改変するなんて、最高に楽しい知的遊戯になるでしょうから、挑戦者は絶えないでしょう。AIはそれに対して十分な自衛能力を保持できるのでしょうか?このあたりから、AIと人間の闘いが始まりそうな気がします。

    そこまで行かずとも、この先ますます情報強者と弱者の開きは大きくなり、個人情報は垂れ流し状態に、表に出ないほど巧妙な詐欺も激増するでしょう。

    おかしいですね、良いことがあまり思い浮かばないです(^^;) やはり、高度に細分化された世界の、自分が知らない分野におけるさらなる発展には、不安がつきまといます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    昔からものすごい頭のいい人間はいたんでしょうが、実践が伴わないと頭でっかちみたいに言われてました。シンギュラリティの恐ろしいところは、ネットで世界全体と繋がるであろうところです。今や銀行でも政府機関でも、あらゆるところに繋がります。AI自体もハッカーみたいになるかもしれません。

    詐欺を働く人の気持ちがよくわかりません。そこまで頭が回るなら、人を幸せにしつつ金銭を得る方法はいくらでもありそうです。大金を楽して稼いで、その先に何があるんですかね?美味しいものが食べたいとか、美人と付き合いたいとかなんでしょうか?生活に困ってなら分からなくもないんですけどね…

    AIも賢くなると、自分の存在意義みたいなところを考え出して、ドツボにハマるかもしれませんね。個性ができたなら、太宰治みたいに自殺するヤツも出てきそうです。

    あ、ポジティブな話がないですね。プライバシーの確保が確実なAIができれば、情報は一括管理してもらって確定申告とかクソみたいな作業からは、人間は開放されるような気がします。小さいですね^⁠_⁠^;

  • 多世界解釈への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「大分自動車道の、数あるサービスエリアやパーキングエリアで」に高度な皮肉が隠されています(^^;) 数えてみたら、上下とも八つずつですか? へえ、思っていたよりは多かったです。

    たしかに、九州の片田舎で東京の大学での同級生にばったり出会うと驚くでしょうね。大分在住の知人が羽田空港で大分の知り合いに会ったと言っていましたが、それとはまたわけが違いますね。

    でも、とても低い確率であっても、ゼロでない限り、起こりうるんじゃないのかなと、やっぱり思ってしまいます。平行宇宙を否定するものではないですが、そうでなくともあり得るんじゃないかな、という感じですね。

    「他の宇宙とぶつかった痕跡を探したりもしているようです。今の所それは観測できていないらしい」……これはつまり、ぶつかり合う可能性もあるとされているのですか? 痕跡ってどういうかたちで残るのでしょう? さらに、もし今ぶつかったら、どうなってしまうんでしょうね。これは非常にわくわくします。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    宇宙同士がぶつかった痕跡の発見方法ですが、宇宙マイクロ波背景放射の観測データを、特定のアルゴリズムを使って解析する事で統計学的に検出するんだそうです。私の頭ではよく理解できません^^;。

    宇宙同士の衝突は、今でも頻繁に起こっているんじゃないかという人もいます。そのうちに理論的には証明されるのかもしれませんが、ぶつかった影響がほんの小さなものであれば、だからどうしたという感じもしますね^^;。

    先日福岡市内の立花山というところに登ったら、頂上で普段お付き合いのあるキッチン屋さんと偶然会いました。そう言えば坊がつるでも設備メーカーの人と会いましたね。これぐらいならまぁよくある事です。

  • 脳がバグったへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    見えているのに見えていない、これは怖いですね。しかも、体験してみなくてはその怖さはわからないと思いますね。

    昨年私も似た経験をしました。私の場合は、視界が遠ざかり、少し傾き、立っているのが怖い感じでした。脳梗塞を疑い、呂律や身体のしびれを確認しましたが、視界以外問題なく、しばらくするとおさまったので、結局病院にはいかずじまいでした。

    意識は清明なのに、それ以外の感覚がおかしくなる(バグ?)というのは、穏やかな死の疑似体験という感じがします。怖いと思いつつ、ちょっとどこかで面白いと思っている自分もいました。本当の死は肉体的に大きな苦痛が伴いがちだと思いますけれど。

    こういう経験が積み重なり、徐々にあきらめがついていくのかなあ、と思いました。と、同時に、残された時間を有意義に使わんとなあ、と開き直る気持ちもわきます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    本当にあの時は驚きました。俳優のトム・クルーズが識字障害…見えてはいても文字を脳内で処理して読むことができないらしいですが、こう言う事なのかなと思いました。

    佐藤さんのそれは軽いメニエル症候群だったのではないでしょうか?あれは未だに原因がはっきり分かってないようですね。

    お互い歳とると体のあちこちにガタが来ますね。いつものポジティブ思考でそれも楽しめるようになるといいんですが、それは流石に難しそうです^^;。まぁこの時の経験は振り返ってみると、結構興味深い物でしたけどね^^。

  • 人生上々への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    この街歩きですれ違う人たちに感じる不思議な思い、私はマンション(群)のずらりと並んだ窓に感じます。

    最近は防犯意識が高まり、夜に窓から室内が見える家は少ないですが、昔はよく見えていました。子供のころの自分は、あれひとつひとつに別々の家庭があって、それぞれ独立した小世界を作っていて……と考えると、ここでその小世界群をいくつもチラ見できるのは、何とも贅沢だなあと思いつつ、眺めていました。

    こうやって小説を書くようになって、認められたい欲の強大さを改めて感じます。悪く言われることも多い欲ですが、何か書いて、誰かが読んでくれて、時にリアクションがもらえる、それが得も言われぬ満足感をもたらすのだから、この欲はうまく使えば人生の高性能な潤滑油になるでしょうね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     知らない人間同士が同じ建物に住んでいるのって、改めて考えると結構変ですよね。

     ちょっと話は変わりますが、昔漫画銀河鉄道999で透明な建材でできたホテルというのがありました。もし集合住宅が全て透明だった場合…各階の水まわりは同じ位置にあるので、朝の排便時などは縦横斜めに並んで、一斉に排便しているのが見れることになります。なんか凄いですよね^^。

     他でも書きましたが、欲は人生の原動力だと思ってます。解脱なんかできなくていいです^^。

  • 縄文人への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「出雲地方の人々は他地域よりも近縁らしい」

    そうなんですね。松江に四年間いましたが、そんな雰囲気を感じ取ることはなかったです。言われてみれば、指導教官と大家さん夫婦は似たような体型で似たような濃い顔だったかも。あと、出雲でなくお隣の石見出身の先輩が、いわゆる縄文人的な体つき・顔つきの美人でした。

    神代文字は旗色が悪そうですが、縄文人の世界観や思想が文字以外の間接的な形で残っている可能性はゼロではないと思います。渡来人により次第に辺境へと追いやられていった縄文人はどんなことを考えていたのでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    出雲地方と書いたのはちょっと作為的でしたね。実際は山陰地方というくくりです。高いとはいってもほんの数パーセントなので、外見上の違いにはならないような…特異的に優性遺伝が発現する可能性は少しだけ高いですかね?

    神道という日本独特の自然観と信仰は、根底に縄文の思想があるんじゃないかと個人的には思っています。

  • 三大欲求への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    性欲って、具体的にどの欲求を指して言うんでしょうね? 本当に「生殖」を目的とする行為を指すのであれば、同性愛者には性欲がないことになります。生殖能力のない人にも、存在しないことになります。

    生理的レベルの欲求というよりは、もっと高次の、複合的な欲求なのでしょうね。となると、不老不死になり生殖不要となっても性欲は残り続けるということもありえそうです。というか、性欲という名称を変えたほうが良いのでは、と思ってしまいます。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    特に人間の場合複雑ですよね^^:。故星新一氏のSF短編で、未来社会で首についたボタンを押すと性的快感が得られるような装置ができて、みんなそれを装着するんですが、今度はそのボタンを好きな人に押してもらいたいという欲望が生まれるという話がありました。

    下世話な話ですが、例えばパンチラというものがあります。あれに遭遇すると男は幸せな気持ちになるわけですが、見ても何の得もないし肉体的な快感もありません。ましてや生殖行為としての意味合いはゼロです。本当に不思議です。

  • 決定された未来への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「現在が確定していないんだから未来の予測も不可能です」

    これ、本当にそうなんですかね? 現在は確定していないけれど、未来は確定しているということはありえないのでしょうか? 有機化学だと、今起こっている化学反応は実はわかっていないけれど、これにより一時間後に何が出来上がるかは予測できる、なんて日常茶飯事ですし。「わかる」と「確定」は別物ですかね。

    それはさておき、電子の位置が確率でしかわからないことは私も非常にもやもやしています。あ、でも、ひとつ最近になってすっきりしたことがありました。シュレディンガーのネコです。

    よくパロディーで、箱の中にいるネコがどろどろのカオス状態で描かれていたりします。要は、見えない箱の中ではネコは「生きてもいるし死んでもいる」を現しているわけです。私はそれに引きずられて、ネコは箱の中では生きてもいるし死んでもいる、まったく新たな状態で存在しているんだと思っていました。開けた瞬間に、生きているか死んでいるかに変わる、みたいな。

    違うんですね(^^;) ネコは生きている状態か死んでいる状態かで存在しており、ただ、観察するまではそのどちらなのか確定できないよ、という、それだけだったんですね。ずっと臨界状態ネコを想像していたのに……

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます。

    一応現代物理学での基本は因果律(原因があるから結果がある)という事になっているので、現在の状態の結果として未来があるという事になっています(最近それもなんか怪しいという事のようですが…)。

    シュレディンガーの猫ですが、生きているか死んでいるかは決定していて観察しないと分からないだけ…というのはアインシュタインなんかの捉え方ですよね(神はサイコロを振らない)。

    私の解釈を書くと、箱の中の猫が生きている世界と、死んでいる世界とは同時に存在していて、観察者もどちらにも同時並行に存在しています。そうして箱を開けた時に猫が生きている世界と死んでいる世界に、世界が分岐しちゃうんです。分かり易く並行世界として書きましたが、実際にそれでは分岐が多くなりすぎるので、結局数式による定義みたいなもんじゃないかという感じです。

    ここで書いたゲームの話と一緒です。宝箱の中に50%の確率で生きた猫、、50%の確率で猫の死体が出て来る設定になっているとします。箱を開けるまでどちらが出て来るか分かりません。あるのは確率だけなんです。電子の位置と一緒ですね。

    不思議な話です。ゲームと一緒でこの世界も設定(波動方程式)があるだけかもしれないなと感じます。神様はサイコロ振りまくりです。感覚的に納得できないので、アインシュタインも随分と反論したみたいですが、実験するとそういう事になってしまうから仕方が無いですね。だからイーロンマスクもこの世界はシュミレーションだって信じてるんでしょう。

    私的にはどっちでもいいかなという感じです。仏教の三観でいうところの中観ですね。どちらにせよ自分の生き方にそう影響無さそうなので…^^。

  • ガンダムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ああ、ガンダム……たぶん私もほぼ同世代だと思うのですが、これまた馴染めなかったやつです。マクロスっていうのもありましたよね、何が違うん? ぐらいのレベルです。なんでそんなに人気だったのですか?

    ええと、ガンダムが今置かれている状況は、つまり、もともとはひとつのストーリー(一部、二部、…)としての『ガンダム』があったのだけれど、今ではそれを精緻にまねた二次創作が作られるようになった、という感じでしょうか? そう考えても遠からずということなら、公式に認められた二次創作たちは同じ関係にあるのかな、と思いました。それならいろいろありそうですね。

    知らないので、適当なコメントですみません。

    ガンダム料理、良いですね(^^;) ガンダム要素が入った料理という意味なら、しっくりきます。

    数年前に一か月毎食インド料理を食べる機会(カフェテリアだから和食も選べた)があり、私はずっと食べ続けましたが、飽きませんでした。カフェテリアなのでバリエーションはなかったうえに、日本人にはどれも同じ「スパイスのきついカレー」としか映らなかったようです。日本人はかなりの数の人が辟易としていました。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。
     
     ガンダムがそれまでのロボット物と違っていたのは、ロボットというよりはそれは人が乗り込む兵器だという設定です。なので機体はモビルスーツと呼びます。マクロスもその流れを汲んでますが、これは更に変形して戦闘機になります。そうしてマクロスの斬新だったところは『歌』という文化を戦闘手段に使うという部分と、メインキャラの三角関係です。これは後に続くシリーズにも受け継がれていきます。

     二次創作はキャラは流用して、違う話を作るというのが普通ですが、ガンダムの場合キャラも全く違います。共通するのはガンダムという人が乗り込む兵器の存在とそのデザイン位ですね。因みにガンダム迄のロボット物と言えば身長50mぐらいでしたが、ガンダムは20m前後です。戦闘機だから50mはでか過ぎます^^;。

     インドの一般家庭だとカレー料理だけで、200種類以上のレシピがあるそうですね。北側はマイルドな味ですが、南インドの辛さは一ヶ月食べたらヤバい事になりそうです。

  • 名優への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いままで何話読んだか分かりませんが、これは私にとって、間違いなく難テーマトップ3に入ります(笑)。何も言えることがない……。

    映画って、どういう気持ちで鑑賞するのですか? 映画やドラマって、文字通り劇的ななにかがおきるじゃないですか? それって見ていて怖くなったり苦しくなったりしないのでしょうか?

    と、以前もお聞きした気がします。大抵の人は劇的な出来事にどきどきはらはらするのを楽しむんですよね。きっとそれが映画の醍醐味なんですよね。うーむ。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     劇的な何かが起きるのは映画でも小説でも同じですよね?文字だけだと映像は想像の世界ですが、映画だとより具体的に視覚情報が入ってきます。そうして違う表現も可能となります。

     ここで書いた『ブレードランナー』はフィリップ・K・ディック原作のSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が原作です。主人公デッカードが住んでいる家はロケ地にフランロイドライトという建築家が設計した建築物が使われています。それだけでも見る価値ありです^^。

     『インターステラー』は物理学者と話し合って、現代物理で明かされているブラックホールの姿を映像的に表現しました。これは後に本物のブラックホールが写真撮影された時に、そっくりだったと話題になりました。この映画では五次元世界もを映像で表現していますが。これがまた非常に興味深いです。

     本来は映画はあらずじを楽しむものなのかもしれませんが、映像を楽しむというのも大きな目的かなと思います。

     映画『グランブルー』は海がテーマの作品ですが、映した海中シーンが膨大過ぎて、その後単に海中シーンだけで構成された『アトランティス』という映画が公開されました。これはストーリーもセリフも無くて、単に映像と音楽だけです。

  • 行く末への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    若者が結婚しない、子供を作りたがらないという話が語られ始めて久しいですが、今の職場に来て感じたのは、十分な給与をもらい十分な社会的地位を得ている若者は、学生(あるいは就職後すぐ)結婚して子供も作っているということです。みんなが結婚したがらない、子供を作りたがらないわけではないようです。そんなの当り前だと思われるかもしれませんが、それは大事なポイントだと思います。

    国の金を回すのはたいてい、そういう人たちです。つまり、人生にアグレッシブでそれなりにお金持ち。そういう人たちには、結婚しな人、子供を作ろうとしない人の気持はわかっていないのではないでしょうか? だから抜本的な対策なんぞ打ち立てられないし、小手先の対策でごまかそうとして失敗する、と。

    行きつくところまで行かないと駄目なんでしょうね。そしてそこからの立て直しは政治からではなく、もっと草の根からの切実な声でないと駄目なのだろうなと感じます。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     おっしゃるとおり学歴や収入と婚姻率(未婚率)、出生率の関係は統計的にも数字で出ていますよね。面白いのは男の場合は収入が多いほど未婚率が下がりますが、女性は収入が高いほど未婚率が上がるところです。出生率は収入が高いほど高くなるというのは男女とも同じ傾向です。

     それはおいておいて、国を動かしているのは確かに上澄みの人たちだとは思います。少子化対策で三人目から手当ての増額やら大学の無償化やら、完全にあさっての方を向いてますよね。

     韓国の企業が、子供を作った社員に1100万円支給するという話をニュースでやってましたが、それくらい極端な事をしないともう無理かなと思ってます。できないだろうからやっぱり無理ですね^^;。

  • ヴォイニッチ手稿への応援コメント

    ヴォイニッチ手稿については、テレビで観たことがあります。
    あの下書きのような絵に見入ってしまいました。

    アーサー王などの写本の絵は、けっこう丁寧に描かれていますが、パパッと落書きのように書かれた人物絵は、微笑ましく感じました。

    「うーん、こんなのを思い付いたぞ!」と、描き手が楽しんで描いたように思えます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ヴォイニッチ手稿は妄想を搔き立てますよね。
    絵も面白いし、解読不能な文字らしきものの羅列もグッときます。
    ただ残念なのは作られた年代が結構最近(と言っても600年前とかですが)な所です。これが5000年前とかだったらさらに面白いんですけどね…紙が無いですが^^;。

  • 告別式への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ああ、これは先日宮崎にいらっしゃっていた時のお話ですね。

    『出で立ての膳』、これは初めて聞きました。うちは父方が浄土真宗なのですが、出で立ての膳は知らなかったです。宗派特有のしきたりではなく、地域に根付く慣習なのでしょうね。葬儀は地域ごとの慣習が色濃く出る行事のひとつですね。

    こちらのサイトでは「西日本で広く行われている」とありますが……知らないです。棺回しと茶碗割はかろうじて知ってます。

    https://sougiya.jp/news/miyazakiken-sougi-shikitari/

    でも、棺回しも、親族の若手が四人いないと成り立たないですね。父のときは葬儀社の職員が二人でさっさと霊柩車に乗せてしまい、回さなかったです。

    私も特定の宗教に帰依してはいませんが、何か大きな力を畏むという気持ちはどこかにあります。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     葬式というのは、故人の供養と見せかけておいて実際は残されたものが、別れの踏ん切りをつけるための物だと思ってますので、やる方が満足するのであればどんなものであってもいいのかなと思います。

     ただ現在の宗教…特に浄土真宗は集金マシーンの様に見えてしまって違和感があります。中には葬式宗教と揶揄して改革しようという動きもあるみたいですね。

     色々な説法も聞きましたが、そもそもお釈迦様は偶像崇拝を禁じていましたからね。仏像を拝んでいる時点でもうアウトだと思います。

     私は本来の仏教の考え方…色即是空みたいなものは好きです。もろ量子力学と重なってますね。実験や検証を経ずに、その思想に辿り着いたというのは凄い事だと思います。

  • 福岡市の男女比への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    福岡市の男女比率の話から、じゃあ他地域はどうかということで、まとめて調べてみたら、2020年版ではこんな感じでした。

    https://ranking.singlekurashi.com/archives/182

    都道府県レベルで見ると、女性に対する男性の割合が1を超えるところは一つもないんですね。

    じゃあ、市町村レベルだとどうか、ですが、ありますね。こちらはもろに仕事に関係していそうです。

    https://diamond.jp/articles/-/140028

    若い世代の男女人口比の話、「その10:11の9人が既婚ないしは恋人持ちだと考えてみましょう」ですが、もし11人の女性の9人に決まった男性がいるとしても、それが福岡市内の人とは限りません。となると、10人の男性に決まった相手がいるとは限らなくなるのでは…… むしろ過酷な競争が繰り広げられているという現状もあり得るかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    女性の方が高寿命なので、現在の高齢化社会では人口の男女比で女性が多くなるのは仕方ないともおもうんですが、統計を見ると特に九州は男が少ないみたいですね。何か社会学的にも研究すれば出てきそうです。

    福岡市内の女性が、自分の住む地域以外の男性にも触手?を伸ばした結果、九州全体がその影響を受けているのかもしれませんよ^^;。

    本当に福岡に住んでいると、特に夜は若い女性の姿が目立ちます。東京だと基本おっさんばかりですよね。ライフスタイルの違いかもしれませんが、街を歩いていてもそう思います。昨日山に登ってきましたが、すれ違った人数の男女比は、女性の方が多かったかもしれません。山頂で仕事上取引のある会社の女性と偶然ばったり遭遇しました。

  • 続バランスへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    EV車のタイヤの問題、どのように解決しようとしているのでしょうね。ちょっと考えたところだと、タイヤを削られても大気汚染につながりにくい素材にする、削られにくい素材にする、車両の軽量化を目指す、削られた素材を回収する機構を開発する、という感じでしょうか。泥縄ではありますが、思いもよらぬ弊害が生じるのはしばしばあることで、対策を積み重ねるしかないのでしょうね。

    前にも書いたかもしれませんが、地球の大気圏・水圏・地圏に生物がいる場合といない場合とで各圏の状態や相互作用が変わってくるのは当然とも言えます。生物圏の組成によりその影響の程度は大きく変わるでしょうし、それがいいとか悪いとかは言えないですね。

    結局社会が問題視するのは、人間にとって生きやすい環境であるかそうでないかだと思います。バランスも、人間の影響というパルスを、これまで数十万年ほどの地球環境変遷の枠内に収まるようにしなきゃねという話のように聞こえます。

    という屁理屈を考えてしまうので、「子や孫にはせめて我々が生きてきた時代に似た環境を残しておきましょう」が前提の考え方には、ときどき疑問を感じてしまいます。

    恩師は海洋の二酸化炭素循環研究の大家でしたが、「温暖化したら、駄目かい?」とぽつりとおっしゃったのが忘れられません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    EVは環境問題だけでなく、充電にかかる時間や維持コストもあって、現在北欧ではガソリン車回帰への動きが出ているそうです。新素材も開発しているとは思いますが、コストの問題もありますからそう短期間には代替品を開発するのは難しいんじゃないでしょうか?

    先日車の定期点検をしましたが、そろそろバッテリーも交換ですねと言われました。アイドリングストップ車の場合、バッテリー交換は恐ろしい金額です。EV車の交換頻度はどれくらいなんでしょう?太陽光発電も同じですが、ここの長寿命化と低コスト化が実現しない限り、化石エネルギーとの交代は絵にかいたモチだと思っています。

    個人的には今のSDGS的な社会の動きにはうさん臭さを感じます。地球にやさしいって言葉も好きじゃないです。あれって佐藤さんが言う通り『人間にやさしい』もっと言えば『人間に都合がいい』ですよね。

    地球は今氷河期ですから、温暖化もそう悪くないんじゃないかなと思ったりもします。

  • 建築の定義への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    建築とは『空間を場にする行為や意識』とのこと、これを読んでニワシドリ(アズマヤドリ)を思い出しました。

    オスはメスを呼び込むという目的のためだけ(子育てには使わない)に木の枝などで建物を作ります。面白いのが、建てたあと、種ごとに決まった色合いのもので飾り付けをします。メスの気を引くようにです。飾り付けが気にいらないと、これならどうだ、いやこっちか、と、何度もやり直します。

    映像を見たとき、人間くさくて驚きました。これは建築に近くないですか?

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    そんな鳥がいるんですね?!それは建築と言ってもいいような…いや、雌を呼び込むためだけの行為だとすれば、場ではなく物を作っている事になるんじゃないでしょうか?

    巣としても活用するのであればまた微妙な感じですね^^。

    しかしその行為の理由はどこにあるんでしょう。
    装飾がうまいオスは生活力もあるだろうという事になるんですかね?

  • クラウドへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    生物として単純になればなるほど、刺激に対する応答に個性というぶれが無くなり、一糸乱れぬ行動に結びつくんじゃないかなあと思いました。魚の泳ぐスピードくらいなら(人間の目にはかなりのスピードに見えても)まとめて統括している存在を仮定しなくとも、行けるんじゃないでしょうか? 映像を精密に解析して、ターンのタイミングについて考察した研究ってないんですかね? 

    アリやハチは分業していますが、群れを成す動物にもリーダーの役割を持った個体がいて、それが電磁波かなんかで統制を取っている、ということはないんでしょうか? 

    「生物の各個体は端末みたいなもので、別の場所にある何かを受信しているだけ」

    そうなってくると、どこまでが端末の個性になるんでしょうね。そもそも個性がなぜ付与されるのか、いや、そもそも生物を作り出した意図はなんなのか……マスターコンピューターの暇つぶし?

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     魚の動きもA→Bぐらいなら無くは無さそうですが、A→B→C→D…みたいな感じだと一瞬で実行するのは難しい気がします。もちろんリーダー的な存在がいてA→B、A→Cみたいな流れがあれば別ですが、その伝達手段が思いつきません。意外と電気を使いこなす生物も多いので、電磁波みたいな可能性もゼロでは無いでしょうね。

    ただそのリーダー的存在が個体として群れの中に存在しているか、外部にあるかの違いでしょうか。

     前に書いた「人生ポイント」の中でも書きましたが、より色々な経験をした方がポイントが高いという事は、マザーコンピューターのデータ収集の為に私たちは生きている…生かされているのかもしれません^^
    https://kakuyomu.jp/works/16817330655273695966/episodes/16817330657368874671

  • ギョベクリ・テペへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ギョベクリ・テペの発掘調査はどこまで進んだのでしょうね。考古学と共通点のある分野に片足突っ込んではいますが、調査研究から導き出された結果のどこまでが真実なのか、常に気になっています。恩師は古環境学は実証のしようがないと眉をひそめていましたが、私もその考えから離れられないです。

    農耕と宗教の相性が良いことはわかりますが、狩猟と宗教も悪くない気がします。狩猟も死と隣り合わせ、運任せですよね。自分の力以外の何かを信じてすがろうとする、あるいは恐れ奉る気持ちは自然と湧いていたのではないでしょうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^

    ギョベクリ・テペの発掘調査はwikiによればまだ全体の5%らしいですね。それにも増して近辺に14000~15000年前の構造物があるというのも気になりました。

    農耕文化だと遺跡の多くは、季節と関係して天体の運行をモチーフにした構造が多いと思います。狩猟文化の場合、アイヌや縄文もそうだと思いますが、大きな宗教由来の構造物は完全にオリジナルデザインで作らないといけないので大変ですよね。

    ギョベクリ・テペは動物や人間の性器をモチーフにした形状が散見される様ですが、もっと大きな構成は誰が考えたんでしょうね?ある意味建築家みたいな存在がそこにあったのかもしれないなと妄想します。

    農耕社会でないと、まとまった大きな構造物は作りがたいんじゃないかというのが通説でしたが、最近では縄文時代の大きな構造物跡が日本でも出てきていますので、本当のところはどうだったんでしょうね?

     人手という点では、農業が無いと大勢の人間の食料を賄えないので、普段はバラバラに生活していて、ある時期に集まって何かを作り上げると言った慣習だったのかなと思います。

  • 応急危険度判定への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    なるほど、応急危険度判定というのですね。覚えておきます。トリアージと同じく、大災害のあとに速やかに行わねばならないことですね。

    先日の近況ノートでも拝見いたしましたが、

    「現在の耐震基準は、一度の大地震を受けても建物が倒壊して中の人命が失われないようにする事を目的としています。なので一度被災してしまうとダメージが蓄積して余震で倒壊する可能性が残ります」

    という事実を知って、驚き、そして納得しました。

    どこかで線引きしなければならず、その線がどこに引かれているかを知ることは重要ですね。自分のレベルを「みんな」に押し広げる気はありませんが、でも、耐震基準が変わってから建築された建物だから(そこそこの規模の地震なら何回来ても)安全、と考えている人は多いと思います。ダメージの蓄積に思い至る人は少ないかな、と。

    専門家が草の根レベルで知識を広げていくということには意義があると思います。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    生物の凄いところは、自己修復機能だと思います。建築には基本的にそれがありません。外部から修復の手を入れない限り、法隆寺でさえ無事ではいられなかったでしょう。

    ただ最近の研究では長寿命で知られるローマ時代のコンクリートには、水分と反応しての自己修復機能がある事が分かってきました。

    現在複数回の地震に対しての一番有効な抵抗手段としては、制振より免震となっています。耐えるのではなく逃げるのです。地震が本体に伝わらなければその影響は受けません。そうして免震部材だけを入れ替える事も可能です。

    実は昔の日本建築は既にこの免震という考え方が出来ていました。今度古い寺社仏閣などを見てみてください。基礎になる石の上に、単に柱が乗っかているだけです。地震時は石の上を柱が滑る事で免震になっているんです。

    科学技術は前に進んでいるだけでは無いんですよね。

  • 神籠石への応援コメント

    カムイ……分かります。
    高校生ぐらいの頃に、父が道央のサービスエリア車を止めて下車。
    そこから見た山の情景……
    崖で揺れている木々を見た時、確かに『意志』を感じました。
    神との対話とは、ああした瞬間を指すのかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    アイヌではヒグマはキムンカムイ(山の神)と呼ばれていて、肉とか毛皮をお土産にして地上に遊びに来た神様と捉えているんだそうですね。

    山を登っているとそこら中に神?を感じます。縄文の時代にはそりゃ八百万の神がいて、人間を神格化して拝むなんて事はありえないんだろうなと普通に納得できます。

  • アイアムレジェンドへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    どんな問題でも多かれ少なかれそうですが、物事は多面的であることを忘れてはならないということですね。議論が白熱するとこの前提は簡単に忘れ去られるのですが。

    「判定すること自体、結局はエゴでしかないように感じます」

    これはそのとおりだと思うのですが、その歪さを受け止めたうえで、弁別し判定しなければならないのが人間であることなんだろうなとも思います。命名すること、言語を使用すること、他者とコミュニケーションを取ること、それら自体が判定の上に成り立っています。

    結局、人間が生きるとは自らの存在がエゴに根差すことを認めることなのだと思っています。あ、また大きく出てしまいました(笑)。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    本来のエゴの意味は自己とか自我ですが、エゴイズムの略で使う時は大体ネガティブな使い方だと思います。己を持つことは大事だけども、己の為だけに生きるのは良い事とはいえないだろうというのが、今の社会の道徳観なのでしょう。

    でも前にも書きましたが、自己は自己以外のものがあって初めて存在するものなので、エゴはエゴであってエゴじゃないような気もします。書いていて良く分からなくなってきました^^;。

    結局楽しく生きれば、自分も楽しいしまわりも釣られて楽しくなるという事です。

  • 止まらないし止まれないへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    三十年後にこの日本社会がどうなっているか、見たくないけれど、生きていたら仕方ないなあという感じです。多少足掻いたって、この社会が転落していく方向はもはや変わらないだろうと感じてます。

    社会人になって実感したのは、人は「身内のため」を振りかざして我儘になるんだなあということです。資金獲得に奮闘し、いったん獲得した金は不要であっても将来の備蓄としてため込み、返還しようとはしません。

    今のは研究費の話ですけど、おそらく生活すべてにおいて、そして多くの人がそのスタンスで生きているんだろうなと思います。限りある資源を大切に、みんなで分け合いましょうなんて理念はこれっぽっちもありません。身内を守る、は大事なんですね。わからないでもないですけど、行き過ぎている人も多いです。

    こんな考え方の人が多いうちは、富める人が貧しい人を食い尽くし、自分の世代が良ければよかろうという傾向が続くのだろうなと感じます。

    でも、まあ、人類が滅びるまでは「今の社会」はありつづけるわけで、それはそれで受け止めるしかないんですかね。

    作者からの返信

    こんにちは。コメントありがとうございます^^

    私も独立前は公共工事の設計もしていましたので、予算消化のむなしさは何度も味わいました。民間でも似たようなことはありますが、個人住宅ではまずありえません。システムがおかしいんでしょうね。というかシステムを改善するシステム…サイクルのようなものができていないし、作る人もいないのでしょう。

    多分もう行くところまで行かないとダメだというのが、人間の業なのかなと思ってますが、それでも他者に幸せを与える事が自分の幸せだと思っている人が、案外多かったりするのが救いかなと思っています。

    宮崎駿監督の漫画作品『風の谷のナウシカ』、アニメの方では無くて漫画ですが(全然違うストーリーです)、未読であったならお勧めです。

    お気に入りのセリフ
    「生命は光だ!」と言われてナウシカはこう言い返します。
    「違う、いのちは闇の中の瞬く光だ!!」

    メインのテーマは↓です。
    「その人達はなぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」

  • レベルアップへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    このレベルアップ、現在の値が目に見える形で示されていると面白いですよね。

    感覚的には、人によって、あるいはレベルによって、同一の条件を与えられても得られる解が異なるというのは、それはそうだろうと思うのですが、これは人やレベルで波動関数の定数が異なるからということでしょうか。

    経験値やレベルが減ることがないというのは、現実世界だとボケることがないというのと近いような気がします。そうだとありがたいんですけどね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    波動関数の定数自体は万人共通じゃないですかね。電子の位置を特定する確率みたいな話なので…レベルが上がると入力値が変わって今まで結果に影響を与えてなかった項が意味を持ってくるとかそんな感じなのでは?

    現実世界では頭はぼけるし、体もあちこちガタが来ます。でも社会的なステイタスや経験値は上がってますし、物忘れも実は全てを覚えていて思いだせないだけだなんて話もありますので、無意識のうちに判断や行動に影響しているような気がします。

    ドラゴンボールだと、スカウターという道具で相手の強さが数値化できるんですが、あんなのがあったら面白いですよね^^。あ、これも小説のネタに使えるかも。

  • 勾玉への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ヒトの小さな胎児を見るのは難しそうですが、それ以外の生き物ならあり得るのではないでしょうか? 鳥や魚、あるいは両生類ならたまごの中で簡単に観察できますし、猪や鹿などなら解体時に子宮の中に胎児がいるのを見る機会があったかもですね。

    ヒトでなくとも、発生の過程、あるいは腹の中に子を宿しているのを見ると、神聖な気持ちになるかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    確かに考えてみれば、人間の胎児に限った話では無いですね。様々な動物の胚を見て、その形状の共通性に神秘を感じていたのかもしれません。そうして多分自分達も同じじゃないかと想像して…時には見る機会もあったとかそう言う感じかもしれませんね。

  • 三十年後の未来人への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。いま大分ですが、昨日の天気は酷かったですね。別府で雪が舞いました。

    1993年(いまは2024年になってしまったので、本当は1994年ですが)からすでに30年なのですね。ときどき30年という時の人生に置けるウエイトと実際自分が成し遂げた成果とを鑑みて、ギャップにげんなりします。

    確かに、30年前と現在を比べると、変わったような、でもさほどでもないような……。よく子供が未来を想像して、人間が空を飛んで移動するだの、海の底で暮らしているだの、宇宙に町ができるだのの絵を描きますが、それらはほぼ実現してないですね。資源と人材のリソースは有限で、社会福祉と過去の借金にそのかなりの量を割き続けねばならない制約の中、高度成長期のような社会の飛躍的変化はもう見込めないんじゃないでしょうか。

    アイドルも多様性ということで。30年前のような恰好で歌を歌い続けるのもありかと思うのですが、本人の希望でなく誰かに踊らされているだけなら、悲しくなりますね。今の広範多岐にわたるアイドル業界事情では、中年になってまで人気を集めることは不可能でしょうから、30年後には復活アイドルという企画も消滅しているんじゃないかと思います。

    「これはぎりぎり生きているうちに見る事の出来る未来という感じがしますが、高齢になった時に、そんな興味は保ち続けられないような気もします」

    雀百まで踊り忘れずかと(^^)

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    昨日は風が凄かったですね。航空便もかなりの欠航が出たみたいですが、無事帰りつかれたようで何よりです。

    アイドルに関しては間違いました。今もそんなに興味がないし、有名どころは名前をかろうじて知っているだけで、記憶を保てそうにないというのが実際ですね^^;。

    今から三十年後はどうなっているんでしょうね?車は燃料がガソリンから水素に変わっていそうな気がします。あ、シンギュラリティが2047年予測なので、そこはブレイクスルーになるのかも^^

  • 人は死ぬのだろうか?への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    一足す一が二であることって、証明されているんでしたっけ、されていないんでしたっけ? それはさておき、結局は科学も、根幹となる部分は測定も照明もされておらず、仮定の下になりたつ壮大な学問体系ともいえるのかもしれません。

    PCRはDNAのコピー機ともプリンターとも言うべき技術ですよね。3Dプリンターで生物を作り出すのも、あながち荒唐無稽な話ではない気がします。

    切り出された人型と人型の穴の開いた紙のたとえが良く理解できないのですが、これは精神的なものの存在を言っているのでしょうか? 周囲が「ある」としてふるまってしまえば、それは「ある」ことになり、そうやって生まれたのが個々の存在であると。難しいですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    1+1=2についてはネットで検索するとペアノの公理というのが出てきました。1+1=2になるように自然数が定義されているだけなのかなと私は受け取ります。

    漫画ワンピースのキャラクター、ドクターヒルルクのセリフで「人はいつ死ぬと思う?」「人に忘れられた時さ」というのがあります。これは社会的な存在について言っているのかもしれませんが、案外それは生物(というか人間)の存在も同じなのかもしれないと思います。

    全ての存在は波動関数の観測の結果に過ぎないと量子力学でも言ってますよね。自分の存在を決めているのは自分では無くて、他者の思い込み…もっと言えば外的世界がそう形作っているだけなのかもしれないなという事です。

    哲学上の未解決問題で、『砂山のパラドックス』というのがあります。砂山があったとして、砂粒をひとつずつ減らしていって、最後に砂一粒になった時にそれは砂山と呼べるのか?というものです。これと同じことが人間にも言えるのではないでしょうか?自分じゃなくてまわりが決めているみたいな…。

    癌の研究に使われるHeLa細胞は、本人は死んでいるのに未だに増殖をし続けています。細胞の持ち主?本人であったヘンリエッタ・ラックスさんは果たして死んでいる事になるんでしょうか?もし生きているとするならば、HeLa細胞は本人の知らないところで培養されたそうなので、自分が知らないところで自分が生きているという、恐ろしい事になりますね^^;。

  • 教える事と教わる事への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    教える側は色のないものを伝えようとしているつもりでも、学生さんたちには教える側の色が良く見えてしまっているのですね。それを感じ取れる機会があったのは貴重なことだと思います。

    年齢に関係なく、人が複数いたら、互いに教えることも教わることもあるんだと思います。それがうまくできていない人は、きっと変なこだわりにとらわれているんでしょうね。自分もそういうところがないとはいえず、もったいないことをしているかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    小説を書いていても、絶対に書き手の色というものが出てしまいますよね。何でも同じなんだろうなとは思います。そうして他の人が書いた物を読むと学びになります。人間というのはそういう生き物なんでしょうね。

    現在のAIは学習する事で進化していきますが、人類がすべて滅んでしまい、少なくとも人間による世界の変化が無くなった時に、何を学習してどう進化するんでしょうね?なんかそんな事を思ってしまいました。

  • おならへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    便が腸内を移動するのは重力より蠕動運動で送り出されていくのではないでしょうか? おなかが時折ごぼっとかこぽこぽとか音を立てることがありますが、あれは蠕動運動の時にガスが動く音だそうですよ。だから、半固形物に挟まれた空気が蠕動運動でぐっと押し込まれていく感じなのかと思います。想像です。

    でも、上方に逃げていく空気もあるでしょうから、便より排出効率が悪い気がします。飲み込んだ空気や発生したガスが全てそのまま出てきているんじゃく、徐々に入れ替わってる感じじゃないんでしょうかね?

    直腸でガスと便をどう排出し分けているのかはわからないですね。

    作者からの返信

    こんにちは。コメントありがとうございます。

    ガスを内包した便ごと蠕動運動で下に移動していくという事でしょうか?それで漏れ出したガスは上に行くと思いますが、それもまた次なる便で包まれて下方に移動する。なかなか奇跡的な機構だと思います。同様の事を人工的に行う装置を作ることは現代科学では不可能な感じがします^^;。

    もしかして上に漏れ出たガスで、その後の便の壁もすり抜けたものはげっぷになって口から排出される…・だとすればげっぷヤバいですね。げっぷの中にどれくらいの大腸菌が含まれるのかを研究すると、そのあたりの秘密が解明される気がします。でも解明されなくていいような気もします^^。

  • ヴォイニッチ手稿への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いまだ解読されていないヴォイニッチ手稿、これもまた、さまざまな想像・妄想をかきたてますね。

    年代はどうなっているのだろうと思いましたが、羊皮紙の14C測定は行われてるんですね。でもそれより古くはないとわかっただけで、どれほど新しいかはわかりません。初期に所有していたことが確実な人物はプラハの錬金術師、ここにもまた、ロマンが……。でも、その手稿と現在残っている手稿は、本当に同じものなのでしょうかね? 描かれている人物が裸で、時代の推定ができないとありましたが、そこにも何か不可思議な意思、あるいは作為的なものを感じてしまいます。

    この世のことわりの秘密について語られているのなら、それが解読されてしまったら世界の何かが変わってしまうんじゃないか、世界の影の支配者である植物が自分たちの偉大さをほのめかしつつ、人間をけむに巻いて楽しんでいるのではないか、と妄想してみました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    本当ヴォイニッチ手稿ってなんなんでしょうね。いたずら書きにしては手が込み過ぎています。植物が真の地球の支配者だって言う考え方は面白いと思います。宇宙人じゃなくて宇宙植物がUFOで地球にやって来たりして…。

    今朝もうひとつヴォイニッチ手稿についての説を思いつきました。実は書いた人は文房具マニアで、新しいものを買うたびに試し書きしていたなんてのはどうでしょう?それが溜まりに溜まった結果あれができあがったとか…

  • ルージュの伝言への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「ルージュの伝言」を初めて聞いたころに、なんじゃそりゃと違和感を抱いたのを思い出しました。まさに「なんで口紅なんて書きにくいもので伝言を残す? 赤だし、血の代わりなの? なんで自分の親じゃなくて彼のママ?」です。

    でも、その後似たシチュエーションをマンガなどでも見かけました。ということで、「あり」なようですよ、そういう展開。かっとなって、その時に持ってるものでうっぷんを晴らしちゃう、ということらしいです。

    口紅を塗りながら彼の浮気について考えていた私はかっとなり、とっさにルージュで「死ね」(は建設的じゃないですね)「反省しろ」(そんなに冷静でもないか)だか「バカ」(感情的なら、これが一番ありそう?)と書いて家を飛び出した。「私」と彼のお母さんは友達のように仲が良くって(当時ならまだしも、最近ならありそうですね)、しかも彼はマザコン、ママに叱ってもらえば、ちょっとした火遊びくらいならすぐに鎮火、と。

    ところで、「真珠のピアス」は知らなかったので歌詞を見てみましたが、怖さがいまいちわかりませんでした。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    真珠のピアスに出てくる彼はルージュの伝言と違って、浮気ではなく二股をかけているのでしょう。それで女の方は自分が振られて、もう一人の女と結婚又は同棲する事が分かっているわけです。それでわざと自分の存在が本命彼女に分かるように真珠のピアスを残して行くわけです。

    しかもベッドですよ。明らかに行為の後にやっているわけです。本命の彼女がそれ見つけたら大騒ぎですよね。

    真珠のピアスなんてそれなりに値も張るでしょうに、復讐と当てつけの為に捨て去るんですよ。

    もちろん二つで一組のピアスが片方無くなったら役に立たない事と、男女二人の思いが無ければ恋愛が成立しない事に対する暗喩で、捨て去ることで踏ん切りをつけようというのは分かります。

    しかし男は果たして最後の行為の前に別れ話をしたんでしょうか?それとも黙ってバックレるつもりだったんでしょうか?どちらにしろ自分の元を去っていく存在だと分かっていながら、最後に行為してベッドに自分の遺留品を残して行くってヤバいと思います^^;。

  • 神籠石への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    神籠石も知らなかったのでネットでさくっと調べてみると、ほぼ福岡に集中しているんですね。明らかに朝鮮の技術がのこされた朝鮮式山城とは異なる、山城としての特徴に乏しい遺構だとか。見事に福岡の県境をまたぎ、大分に入るとみられなくなるようですが、これは大分県側が調査に力を入れていないせいなのか、地形のせいで実際に築かれなかったのかも気になります。

    明確な意図のわからない構造物には不思議な魅力がありますね。そこまで古いものでなくとも、山のちょっと分け入ったところに立つ小屋(おそらく農機具置き場か水源管理の設備?)や祠など、見つけるたびにわくわくしてしまいます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    低山に登っていると、そりゃもう人為的な石積みなんてあちらこちらにあります。史跡に指定されていないだけで、その中の多くは見る人が見たら凄い物なんだろうなとは思いますが、あまりにも頻繁に見かけるので、もう普通にそうだよなという感じです。

    大分の山はくじゅう以外だと由布岳ぐらいしか登ったことが無いですが、今の所石積みは見たことが無いですね。でも神籠石の分布では瀬戸内海…四国にも広がっているみたいなので、普通に考えて大分の低山にも存在していると思います。

    というか山の中は手付かずだったから今でも見られるというだけで、きっと元来はそこら中に何かしらがあったように思います。アフリカは人類誕生の地ですが、九州は日本人誕生の地…なんて事を書くと又ロマンチストだと言われてしまいそうですが、何かしらの根源的なものを感じます。

  • 改善できない国への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    建築基準法って、そんなに難解で難ありな法律でしたか。扱う事象が多かったり複雑なケースが多いので適用に迷うというのならまだしも、専門家である建築士でさえ解釈に戸惑うというのは何とも悩ましいですね。

    そぐわないところが出てきたら修正を重ねるのでつぎはぎになるのは当然ですが、定期的に全体をみなおし、矛盾や重複があれば整理する、とかしなくていいんですかね? それともそれをやったうえでの複雑怪奇さなのでしょうか? ちょっと心配になる裏話でした。

    先日従妹が建築事務所で働いていることを知ったので、今度そういうネタを聞いてみようと思います。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    佐藤さんのおっしゃる通り、一度全体を見直すべきなんですがそれができる人がいないんです。建築基準法を理解している国会議員というのはもちろんいないでしょうし、票にならないので基準法改正を訴えて建築士が立候補しても当選することは無いでしょう。官僚は生粋の公務員が殆どで実務経験がありません。弁護士は法律は専門でも建築の事は分からないので、死刑廃止運動みたいなことも起こりえません。

    では建築家と呼ばれて社会的に影響を及ぼせる立場の人はどうかと言えば、自分の作品を作ることに夢中で、その支障になる事でない限りは戦ったりしません。

    そうして手付かずのままどんどん複雑になってしまって、AIでもなければ辻褄合わせられないんじゃないでしょうか?新宿駅みたいな感じですね。

    そうしてこれに加えて、各自治体で条例も定めているのでもう無茶苦茶です^^;。

  • 福岡市内観光への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    福岡観光、面白いです。

    「観光客どころか福岡県民、驚くことに福岡市民ですらその存在を知らない」……これは、もうどこから手を付けるべきかがはっきりしていますね。地元民が知らないというのではお話になりません。いくら素晴らしいものでも、作って終わり、じゃもったいないです。

    添付の福岡市広報課へのメール、具体案も示されていて、食いつくべきだと思うのですが、これでもリアクションなしなのですね。市民の声を拾い上げるというより、大物のトップダウンですべてが決まる体質ですかね。政治家とコネを作って進言するとあっという間に実現したりして……(^^;)

    個人的には空海の大河ドラマ案が気に入りました。ただ、昔ほど大河ドラマも視聴率を稼げていないでしょうから、ドラマ自体上手にアピールしていかないといけないですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    地元の人間に聞くと、鴻臚館跡は平和台球場のイメージが強すぎて、他の情報がインプットされていないんだそうです。
    平安時代の街並みを再現したところがあったら面白そうだと思いませんか?十二単を着て写真撮影とか絶対受けると思います。近くに大宰府もあるので、菅原道真公所縁のコンテンツも色々考えられます。分祀してもいいかもです。そうすれば今人気の呪術廻戦もからめられますし、近くに大きな藤棚もあるので鬼滅の刃もいけます。

    最近他にも高祖神社(福岡市内じゃないですね^^;)、妙見神社とか柳町とか化けそうな観光コンテンツが盛りだくさんです。勿体ないです^^;。

  • 恋せよ人類への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    明け方のセミと真昼のセミはおもしろいくらい鳴く速度が変わります。彼らは変温動物なので気温の上昇が代謝の上昇につダイレクトにながっています。鳴く以外の動作の速度もそうなのでしょう。つまり、変温動物にとっては朝はあっという間に過ぎ、真昼が延々と続いているように思えているのでしょうね。

    人間は恒温動物で、体温維持のために低温で食べる量が増え代謝も上がるのはわかります。ただ、代謝が盛んになると、その分寿命は短くなってしまうのではないでしょうか? なんとなく、死ぬまでの総代謝量はざっくり決まっているように思えます。それを早く使うか、ゆっくり使うかは環境次第ということで。

    恋愛で代謝が上がるなら、楽しい時間を長く感じられるということで、その代謝の上げ方は良いのかもしれませんね。客観的には早死にすることになりますが。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    心臓を持つ生物は、種を超えて一生のうちに鼓動する回数は違いが無いという話を聞いたことがあります。なので寿命の短い生物程心拍数が多くて、実はみんな体感的には同じくらいの時間を生きているんじゃないかという説です。

    という事は教え込んだらマウスの方が人間よりも暗算が早かったりするかもですね^^。サイボーグ009の瞬間加速装置を思い出します。

    恋をするのは無料ですから、どんどんしないと(行動するかは別として)損ですよね。でも歳をとると心が固くなるんでしょうか?なかなかそうも行きません^^;。

  • 秒速5センチメートルへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    十三岡繁さまはロマンチストだなあとときどき思います。皮肉で言ってるのではなく、物事を多岐にわたる知識に照らし合いながら眺め、比較できるからこそなのでしょうね。

    理系一家の会話、私は経験ありませんが、現在の上司は一家四人みな理系で、かつて家族団らんの様子をうかがってたじたじとした記憶があります。

    快感専用のC触覚線維の存在は知りませんでした。触られるスピードに関しては最適な速度があるとのこと、強度について、あるいは触るものの温度については関係しないのか、そもそもそれらを分離して計測するにはどうやったらよいのか、興味がわきます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^

    ロマンなくしてなんの人生でしょう?男はみんなロマンチストなのです(男とか言うと今は不適切なんでしょうね^^;)

    C触覚線維は興味深いですよね。度を超えた刺激になると、やはりそこは痛点の出番になるんでしょうね。そこには境界があるのか、または同時に働くものなのか?色々と思う所もあるんですが、公の場ではちょっと書けないような内容です。

  • 行動原則への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    種の存続に必須なことを楽しいと感じるようにできているかもしれないとのこと、強いられた苦痛を緩和するのに楽しいと感じるようにできているともとらえられますね。たとえば、ランナーズハイや疲労極限での躁状態なんて、どちらかというと後者を暗示しているように思えます。

    私は生物が何らかの意思のもと設計されたという考えには懐疑的なので、全部偶然と淘汰の産物なのかなと思ってしまいます。おそらく、十三岡繁さまほどまじめに物理や生物を突き詰めていないので、まだそこに科学的に解き明かせる余地が十分にあると信じているんでしょう。科学を突き詰めていくと、哲学や宗教と分かちがたいところに到達するのではないか、そんな気はしています。

    だから、何らかの意思が働いているのではないかと思われるような事象がまれに起きると、ぎょっとしますね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    物理や数学は高校で落ちこぼれて、研究者の道は諦めた口です^^;。
    生物として苦痛すらも楽しみに変えてしまう機構が備わっているというのは、興味深いですよね。

    物理法則で言えば、最近物理学者がよく言っているのを耳にするのは、『この世界は我々に都合よく出来過ぎている』というものです。高校の時の物理の先生の言葉が思い出されます。重力の式を説明する中で『重力は距離の二乗に反比例します。1.9乗でも1.8乗でもなくぴったりと二乗です。なぜそうなっているのかは誰にも分かりません』とおっしゃいました。奇麗すぎますよね。

    E=MC2も奇麗すぎます。誰か作った人がいるなら、もう少し複雑にしておかないとダメですよね。色々とばれてしまいそうな気がします。

  • 確率とうさぎと亀への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    サイコロの話、完全にどの数字も1/6の確率で出るというのは「無限」にサイコロを振った場合であり、実際に振れるのは有限です。まずその差が「矛盾」に効いているのではないでしょうか?

    それと少し角度を変えて、毎回1/6の確率で数が出るのなら、1回目に1,2回目に1,3回目に1と無限に1が出続ける可能性だってあるわけで、無限回サイコロを振れば無限回1が続く集合になる可能性だってあるわけです。そうなると、無限回繰り返したってすべての数が同じ回数ずつ出てくることにはなりません。そんな可能性だってあるんじゃないのかと思ってしまいます。

    ミクロとマクロの違いは、もっと卑近な話になりますが、面白いですね。安定していそうな鉄の塊も細かい粒子にしてしまえば自然発火します。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     ずっとサイコロで1が出続ける世界…多世界解釈が正解とすればあり得ますね。

     最近知って驚いたのはアメリカでは地球平面説を信じている人が600万人もいて、徐々にその数を増やしていってるという事実です。

     確かに身の回りの常識に照らし合わせると、平面である方が分かりやすいです。実際昔はそう考える事が常識だったわけですし…。ただそれなら富士山の頂上から世界全他愛が見渡せないとおかしいんじゃないかとは思います。

  • 二大イベントへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    死はさておき、それに至るまでのラストスパートが不安ですね。書かれているようにボケるもそうですし、身体が一人で生活できないほどに衰えるというのも、困りものです。

    この先人手はますます足りなくなり、貧乏人には介護制度を利用することもままならず、病院もぎりぎりまで利用できなくなるかもしれません。それを見越して、できる対策は取っておかないとなあ……と思いつつ、体を鍛えるわけでもなし、お金を貯めるわけでもなし、結局出たとこ勝負かな、という感じです。

    一昨年より両親が相次いで対照的な死に方をしたのを見て、ますます死へのラストスパート設計に気が重くなっています。

    「なので老後はなるべくボケないように、こうやって色々と何かを書いていきたいなと思う今日この頃である」

    これは実践しないといけないですね。

    作者からの返信

     おはようございます。 コメントありがとうございます^^

     今気になっているのは自動更新です。クレジットカードはこちらから希望しない限り自動更新が続きます。アマゾンプライムやグーグルドライブも、更新のお知らせは来ても、解約しない限りは自動更新です。

     もし自分が死んだとしても、銀行口座が凍結されない限りカードでの引き落としは延々と続き、通帳の残高がゼロになるまでこの手のサービスにお金を払い続ける事になるかもしれません。

     今は生涯未婚や子供がいないことも珍しくないので、いや、誰かいたとしても何が自動更新されているかなんてわからないので、政府は更新時はお知らせするだけではなく、本人の継続する意思を確認が取れなあい場合自動解約になるように制度化しないと、これからヤバいんじゃないかと思います。

  • 回転ずしへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    それこそ、人間がいないとできなかったり効率が悪かったりする仕事のほうに人材が集まり、二極化していってるんじゃないでしょうか? ファミレスや回転ずしのようにIT化可能な店からはどんどん人が減り、人対人のサービスを売りにする高級店にが流れている(あるいはそうなる)のではないかと。

    サービスする側の楽しみもそうですが、される側の満足も、人からと機械からとでは異なると感じる人がそこそこいるでしょうから、サービスにおける人対人の関係は、なくなってしまうことはないと思っています。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     最近は店員のいないコンビニなんかもできつつあるみたいですね。ユニクロやダイソーなんかも店員はいるものの、セルフレジが普通になりました。店に入ってから出るまでに誰とも口をきかないというのは、昭和世代の私にとってはかなり奇妙な感じです。

     今後商品の生産も自動化が進んで、流通なんかも自動化されたら何かマトリックスの世界みたいな感じですよね^^;。

  • 人口減少社会への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    この現状の要因はいくつもあるのでしょうが、受け入れざるを得ないものも多いのかと思っています。

    人口が減り、さらに生産人口率も減ってしまえば、これまでのようにインフラに予算をつぎ込むこともできなくなるでしょう。重要性が高いと見込まれるところ、あるいは声の大きなところに集約させざるを得なくなるのではないでしょうか。九州なんて、福岡市を除き、衰退は加速するでしょうね。私自身、九州内の高速道路網(網じゃないけど)の必要性には懐疑的です。

    五十年前とこれからとでは、目指す方向性を変えねばにっちもさっちもいかないはずで、それに伴い、誰もが何かすこしずつ我慢しなければならないのではないかと思っています。全てをこれまでどおり保持しようとしてすべてが共倒れになるより、メリハリつけた社会づくりが必要なんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

    こんばんは。コメントありがとうございます。

     2023年の出生率が発表されましたね。日本の1.26はヤバいですが、韓国の0.72はとんでもないです。ただ韓国も2015年は今の日本と同様でした。日本も後を追うのかもしれません。

     政府予想では2120年に日本の人口は5000万人を切る(現在の40%)という事ですが、私は甘いと思っています。多分100年ぐらいすると、人口は1/3ぐらいになるでしょう。不便とか我慢のレベルでは無くて、走っている車が1/3なら電車の乗客も1/3、消費量も生産量も技術革新が無ければ1/3です。既存の住宅は2/3が空き家になります。

  • 街山歩きへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ちょっとした冒険を求めて平地から山へ。それと似た気持ちで、内地から海へ、もあるのかもしれません(と山より海に縁のある者は思います)。海岸も、風が強く、農業には向かず、外敵から身を守る場所が少なく、波にさらわれることもままありますが、潮間帯の生き物や数メートルの潜水で手に入れられる海の幸は、陸上の食べ物とはまた異なる喜びを与えてくれますね。

    日本は海のすぐ近くまで山が迫っている地形も多く、多様な環境がそろっていますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^。

    若い頃はダイビングもやっていたんですが、山ほどにははまらなかったです^^;。楽しいんですけど酸素の無い環境というのが怖かったです。山も危険は多いんですが、なんというか恐怖の種類が違う感じです。

    初めて登山という意識で登った山は糸島の立石山です。ここは海水浴場が登山口になっていて、海の景色が楽しめます。300mもない低山ですが、それなりに登山の醍醐味も味わえるのでお勧めです。福岡に来られた際は是非登られてみてください^^。

  • 時間旅行への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    手つかずの山というのは、なかなか貴重な存在ですね。手つかずでなくても、千年以上変わらぬ姿を保つ山というのも、そうかもしれません。

    山を信仰の対象とするのは山からの恵みがあってのことではないかなと。食糧、燃料を得られるものの、時に命を落とすような危険にも遭遇する、その危険を回避したいということからの信仰という流れがあるのではないでしょうか?生活の場であれば必ず生活する人の手が入るので、多かれ少なかれ徐々に移ろっていくでしょうね。脱線しますが、山の石切り場跡とか、好きだったりします。

    自然に残された人間の足跡の変遷を見守るのもまた別の面白さがあるかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    海外でも山岳信仰はありますが、それは神の住む場所というか遠い所というイメージのものが多い様な気がします。日本では低山がもっと身近なものとして信仰されているように思います。源は縄文人の思想で、それが色濃く残るのがアイヌの自然崇拝のような気がします。

    ゴールデンカムイが実写化されて話題ですが、原作の漫画はアイヌ民族を知る教科書と言ってもいいぐらいの内容です。あの思想を広めたという意味でもあの漫画は素晴らしいです(もちろん内容も面白いですが)。フリーレンとどっちがおススメなんだと言われれば、カレーとラーメンどっちが好きだみたいなお話です。とにかくおススメです^^

  • 色眼鏡への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    視野の狭さが色眼鏡を外せない原因でもありますね。例えば外国の文化に目を向けてみると、日本で子供むけのお遊びと思われているものが高度に洗練され、芸術文化となっている例もあります。

    何かを突き詰めるためにはそれに集中することが不可欠ですが、時にひろく外に目を向けないと、行き詰ります。結局はスイッチさせながら両者のバランスを取ることが大事なのでしょうね。

    葬送のフリーレンはいまだ見ていないです。文化がどうこう言う前に、深く感銘を受ける作品を視聴する行為って、けっこう活性化エネルギーが高いんですよね……。

    あと、近視の人が眼鏡を外してしばらく過ごすというのも、新たな世界が開けて良いですね。もちろん十分ご経験はおありでしょうが。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    文中で近眼と書きましたがちょっと違います。ド近眼です^^;。眼鏡を外すと足もとに落とした物すら拾えません。多分程なく死んじゃいます。

    人間の文化というのは本当に多岐にわたっていると思いますが、何事も試してみないと勿体ないなと思ってしまいます。試したうえで自分には向いていないなと思えば、切り捨てて行けばいいだけじゃないでしょうか?

    フリーレン面白いですよ。すごーくダラダラと進むので、見ても疲れにくいんじゃないでしょうか?でもたまーにビシッと来ます。そこがまたいいんです^^。

  • パンツを履いた猿への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    何を恥ずかしいと思うかは人によってもさまざまで、性行為についても、他の物事と同様、かなり幅があるんじゃないかと推察します。

    かつて、とある作家が子供への性教育を真面目に行い、昭和中期であったにもかかわらず、その家庭では親子で性の話題をオープンに話せるようになっていたとか。それを知ったとき(小学生でしたが)恥ずかしいという感情は環境で作られるものなのだと知り、驚愕しました。

    排せつについては、トイレのドアは基本的に開放、というご家庭もあるらしいです。裸は見られること見ること、平気な人たちもいますね。かと思えば、銭湯で裸になるなんて絶対無理という友達もいました。

    日本人が共感できない恥ずかしさもありますね。髪の毛を見られると恥ずかしいとか、逆に腋毛を見せつけても恥ずかしくないとか。こういうのはまさに幼い時からの植え付けなんだろうなと感じます。

    性行為、排せつ行為、裸が比較的特別なものになる可能性として、外敵に対して無防備だということがあるかもしれません。でも、絶対的なものではないんじゃないかな、って思います。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    昔オオカミに育てられた少年ていましたよね。彼はきっと裸も性行為も見られることに、全く抵抗は無かったんじゃないかと思います。やはり羞恥心は成長段階で教育によって刷り込まれるのかもしれませんね。

    ドイツなんかだとサウナは混浴で、全員素っ裸らしいです。逆にこっちが恥ずかしそうです。ネーナはわき毛ぼうぼうでしたね。社会的な刷り込みが本能に近いと感じられるところまで感覚に影響を与えるというのは、やはり人間を人間足らしめている理由の一つのような気がします。

    以前知人が男性同士のカップルの家を設計した時に、トイレにドアを設けませんでした。排泄行為をしているときも、常にお互いを感じていたいという要望だったそうです。

    編集済
  • ひまつぶしへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    子育てというか、妊娠・出産部分のみ、女性側に負担、ですかね。育児自体は男性主体でもできるでしょうから。

    収入を得る仕事に就く必要がない人が育児を終えたとき暇を持て余すかどうかですが、持てあまさない人も多いかもしれません。一人暮らしだと家事は恐ろしく手を抜けますが、共同生活を営む人間がいると、そのお世話という名目の住環境整備に意外に時間を取られます。

    一般的な掃除、洗濯、食事の準備と後片付けに加え、台所の掃除、風呂や洗面台の掃除、洗濯機周りのメンテ、玄関周りの掃除、靴や傘の手入れ、トイレのメンテ、布団のメンテ、カーテンやじゅうたんや畳のメンテ、窓掃除、壁や天井の掃除、衣服の管理とメンテ、郵便物の管理、冷蔵庫の掃除……

    不意にお客さんが来ても大丈夫なレベル(社会的に健全に生きるレベルとでも言いましょうか)に家を保つのはかなり大変でしょうね。ちなみに私はできません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     住宅の設計をしていると、それはもう本当に様々な家や家族と交流が持てます。いつ誰が来ても大丈夫なくらいに家をきれいに保っている方は稀な存在ではないでしょうか。一般的には共働きよりも専業主婦の家庭の方がちゃんとしそうに思われるかもしれませんが、そうではありません。家事に割ける時間の問題よりも、個々の性格によるんじゃないでしょうか?

     でもそれがいいとか悪いとかではないと思います。例えゴミ屋敷であっても、近所に迷惑をかけるレベルはまずいですが、そこで暮らす人たちが幸せであればそれでいいんだと思います。

     家全体をきれいに保つのが難しそうだと思った場合、私は来客ゾーンとその他を分けて考えます。特定の部分(来客ゾーン)だけ切り離せればきれいに保つ…または不意の片づけは簡単です。

  • デストロイヤーへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    きっちりオチがついてしまって、何を突っ込めばいいのやら(^^;) 椅子、そんなに壊れますか。

    ネットで椅子を買うと、ブラウザを開くたびに「椅子を買ったあなた、こちらの椅子もいかがですか?」と矢継ぎ早に椅子を勧めてきてアホかと思ったことがありましたが、どうやらその広告には需要があったということなのですね。

    登山に求めるものは人によりけりですが、昼食や休憩に重きを置くのは休日のうってつけのレクリエーションとなるでしょうね。健康的だと思います。

    さて、椅子を壊した経験はないので、じゃあ何を一番壊してきたか考えてみました。食器……これが壊れないんです。椅子やテーブル……そもそも使わないので壊れようがない。服……学生時代のものがいまだに(^^;)。PC……意外と丈夫です。つらつら考えて、私が一番壊しているのは靴だと思いいたりました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    本当に山用の椅子はよく壊れるんですよ。確実に年1個は超えてます。体はでかいですが、本人としては肥満体型では無いと思っているんですけどね^^;。

    靴は壊すというよりは寿命では無いでしょうか?私もかなり歩く方なので、消費は早いです。いや、もしかしてそこにも体重問題が…。

    物や道具のうちはいいですが、これが関節とか体のパーツになってくるとそら恐ろしいです。

  • IT大学構想への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    なるどほ、何度かお聞きしていたIT大学構想ですね。

    その趣旨でいくのなら、大学より大学校のほうが良いのかなと思いました。専門バカでITに特化した知識と技術を持つ人を受け入れてさらに鍛え上げるのなら、一般教養科目を強制的に学ばせる必要はないですから。むしろ、その時間と労力を専門知識のさらなる研鑽につぎ込んでもらうほうが建設的ですよね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうごいます^^

    防衛大学校や水産大学校みたいな感じでしょうか?ただ学位で学士がとれるようにするには、文科省の設置基準をクリアしないといけないので、一般教養科目も必要になりますよね。技術屋としては学位なんてものはどうでもいいと思うんですが、意外と最近の若者たちはそこには敏感じゃないでしょうか?

    専門士ではなく学士になるために、通信大学等との併修を選択している学生さんは結構多いみたいです。

    というかそもそも大学においての一般教養科目は不要だと思っています(実体験的にも)。ここは反対に必要だという人も多い事は知ってますが…。

  • 流れへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ありますね、そういうこと。

    そういうことがあったときだけ記憶に残るからだとか、意識下でそうなるべく働いていたのだとか、理屈はいろいろこねられますが、それは無粋というもの。私も流れには抗わず、何らかの意思に動かされている感に身をゆだねる派です。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     我々は事象をとかく静止画で捉えがちですが、全ては流れですよね。止まっているものはありません。何がその流れを司っているのか?我々は川の中で泳いでいる様なもんじゃないかなと思います。

  • 最適化問題への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    量子コンピューターの仕組みもわかっていなければ、粘菌の実験についても詳細を知らないので、きちんと突っ込みを入れられないのですが、要は試行錯誤で収束していく感じなんですかね。あ、でも、もしも粘菌が最適経路発見後、それのみを選択するようになるのなら、それは最適化という事象を認識し記憶しているこということに?? そんな実験結果だったようなうすぼんやりとした記憶が……。

    考えることが残されているというのは、人間の精神衛生上必要なことなんだろうなと思います(決して、上記の二例について調べずに適当にコメントしたことのいいわけではありません)。

    作者からの返信

     おはようございます。 コメントありがとうございます。

     粘菌の方は試行錯誤の結果だとして、量子コンピューターの方はそうではないようです。書いていてなんですが、私も一生懸命量子コンピューターの仕組みを理解しようと思いましたが無理でした。そもそも重ね合わせの状態にある量子ビットという考え方が分かりません。高校の時に習った、電子の位置は確率でしか分からないというのに似ています。建築と一緒でイメージできないものは理解できません。

     計算というよりは、実験して結果が出るようなものだという捉え方も、他人の受け売りです。今の所その説明が一番しっくり来ています。

  • 御自作天満宮への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    隣県とはいえ、知らないことだらけです。武蔵寺も初めて知りました。飛鳥時代開山と伝えられる、由緒あるお寺なのですね。

    地名から歴史をたどるのも、また面白そうです。被災地に災害を記録する地名が付けられるのはよく聞きますが、歴史上の人物の動向から名づけられた地名というのは、歴史が教科書の中のお話ではなく、「ちょっと前」の現実であり、自分たちの時代ともつながっているのだと気づかせてくれますね。

    ゆっくり寄り道しながら歩き、新発見を楽しむのも、ぜいたくな休日の過ごし方かもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     地方都市は本当にネタの宝庫です。まぁ東京でもそういう目で見て回ると色々とあるんだと思いますが、再開発されてしまっていて元の姿が全く残っていません。

     ちなみに私がイチ押しの人気が無い福岡市の観光スポットは『鴻臚館跡』です。福岡に来られた際は是非一度立ち寄られてみてください^^。

  • QUEENDOMへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    邪馬台国には複数の中心都市があったのではないかという説、魅力的ですよね。首都って言ってしまうと、ひとつ、というイメージに縛られてしまいますが、同等の規模の都市がいくつかあっても良いのではないかという気はしていました。あまりそういう例を聞かないのは、複数都市を同等に治めるのは統治者側にとって困難なのでしょうか? それとも、現実にはそういう国もあったのだけれど、後世の人がそう解釈していないだけ?

    双子の卑弥呼説、ロマンは広がりますね。九州の歴史で面白い新知見を得られたら、また教えてください。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます。

     邪馬台国についての話で最近聞いて面白かったのは、読み方が違う説です。ずっとみんな『ヤマタイコク』と読んでましたが、『ヤマトコク』じゃないかという事です。

     確かに昔から似ているなと思ってましたが、結構そうかもしれないなと思ってます。しかしそうなると畿内説が有力となるのかもしれません。

     複数箇所説も、例えばニューヨークとワシントン、ブラジルみたいに政治と経済で首都機能を分けている国も結構あるので、そういう風に分担していた可能性もあるかなと思ってます。

  • 電気鉄道への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    鉄道事情は時代性と同時に地域性が非常に色濃く反映されていると思います。東京近郊では電車の導入が早かったようですが、山陰地方はいまだに中心となる山陰本線が一部非電化です。九州も久大本線、豊肥線はディーゼルでギョロギョロ言っています。

    太陽光発電含む自然エネルギーの利用、ご説のとおり、踊らされている部分が大きいのではないかと危惧しています。私自身収支計算をしていないので、実際のところ維持経費を含む設備投資と発電量とのバランスがどうなっているのかわからないのですが、宣伝されるほどいいこと尽くしのはずはないと感じています。

    かつて某国で高温焼却炉への変更に伴いプラスチックごみの分別を止めたそうです。すると市民から反対の声が上がり、ごみはずっと分別され続け、焼却場で混ぜ合わせる事態になったと聞きました。環境問題への意識、リサイクルという意識を持つことは大切ですが、たいていの問題は一面的なものではないことも知っておく必要がありますね。絶対的に良いものなんて、ほとんどありません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    世の中はそろばんだけでまわっていないというのは、もちろん分かるんですが、嘘はいけないです。本当のところを理解したうえで判断すべきだと思います。

    その本当の所というのも、実は良く分からないとは思いますが(EV車の大気汚染の様に)、少なくとも分かっている事は公にすべきです。あの注射も然りです。

    完全な理解は出来なくても、既存の情報でリスクとベネフィットを比較して判断する。そんな当たり前のことを繰り返していくしかないと思います。いや、損得勘定だけで世の中がまわっているわけでもないんですが^^;。

    編集済
  • 男は女に適わないへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    生物は子孫が作れないと存続できないわけなので、子孫作成システムがどれだけうまく機能しているかは重要だと思うのですが、女性が妊娠して子を産むという仕組みが果たしてうまいやり方なのか、疑問です。胎児を大きく育てあげそれを出産するというのは母体にとって相当な負担ですし、妊娠予定のない時にも生理や排卵があるのは非効率ですし。

    どうせなら、排卵の時に採卵できて、それを保管して適宜胚にして人工子宮で育てるとかできると、らくちんだろうなと思います。ついでに男性はチョウチンアンコウ方式で女性と一体化し、排卵は受精卵排卵とかになると、さらに手間が省けて良いですね。

    お手軽であることが良いわけではないと眉をひそめる人も多そうですが、お手軽であることって軽視できないよなあと最近思うのです。

    ずいぶんエッセイとずれたコメントになってしまいましたが、十三岡繁さまの小説の小ネタになりそうな気がしまして……。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    以前書いた『プラトニックアース』に近いな話ですね。女性にくっついて生命維持まで依存してしまえば究極のひも生活というか、楽そうではありますが楽しくは無さそうです^^;。

    本能に根差した欲求は、満たされた時に快感を感じるようにできているので、そこは捨てない方が人生楽しいんじゃないでしょうか?

    確かに、そのままだと産道を通れないから、頭蓋骨を複数パーツに分けて生まれてくるとか、なかなか凄いやり方だとは思います。生物としてはそこまでしても今のシステムがいいという事になってるんでしょうね。但し本当に人工的にどうこうできるようになったら、みんなどうするのかなとは思います。

  • 植物は動かないへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    なぜ光合成能力の有無で植物と動物の線引きをするのかという問題もあります。この「光合成能力の有無」については独立栄養と従属栄養で分類するという考え方ですが、独立栄養は光合成だけでなく光に依存しない化学合成もあります。でも、化学合成生物が「植物」かというと、植物や動物といった区分けをするのを聞いたことはありません。しいて言うなら、植物?、みたいな。

    もうすでに、植物動物の区分はかなり苦しくなっていますね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうごうございます。

    植物動物の区分というのはかなり昔に行われたものなので、今ぐらいに研究が進んでくると別の枠組みが必要そうな気がします。又は佐藤さんがおっしゃるように、動物、植物の他、あともう一つどちらでもないグループを作って…『別物(べつぶつ)』とか?^^独立栄養と従属栄養を考えると、嫌気生物の存在なんかが調べてみると面白いですよね。

    PS
    新連載楽しみにしておきますね^^
    長編→長編続編と来てからの短編集という構成が面白いですね。

  • 鏡像の不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    車のバックミラー、ルームミラー、それにカーブミラーも、映像を一瞬で脳内解析しないといけないようなものは、脳が手を抜くってあるんじゃないでしょうか。カーブミラーなんて、左右だけでなく、前後の位置関係も逆転させて位置関係を把握しないといけませんし。

    ミラーじゃないですが、商店街ののぼりで、似たような経験があります。はためいているのぼりを裏からちらりと見て、あとで何て書いてあったか思い出すと、どうにも奇妙な言葉にしかならないんですね(カタカナののぼり)。一部そのまま、一部反転させて思い出しているようです。これも一瞬の映像に対し、基本そのまま解析し、意味不明な文字を「裏返し」補正しているようです。車のミラーとは違い、危険に関わる重要な作業でもないのに、なぜ手を抜くのか不明ですが。

    正義にも絶対はなく、自分を含む身近な人の今の幸福が正義、のようなところがあるからこそ、戦争はなくならないのかもしれないです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     鏡像の話を考えると、脳内の処理は結構いい加減なんだなと思います。子供の時から疑問なのは、果たして自分に見えている世界は他の人と同じものなのどうかです。例えば色です。自分では赤だと思っているものが、実は他の人は自分が青だと思っている可能性はないんだろうかというものです。

     のぼりの件は私にはこころあたりはないですね。『とんこつ』ののぼりが裏返っているとやばいというのは鉄板ネタですが^^;。

     自分と他人は多分死の瞬間まで融合することは無いんでしょうね。でも戦争だけは本当に色々と勿体ないのでやめて欲しいです。

  • 建築における騒音問題への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    梁やでこぼこしためんどくさい構造が防音遮音には効果的だという話、興味深いです。野暮ったくも見える構造が実はそんな効果を持っていたなんて、建築は奥深いです。

    固有振動数を知っていても、それがマンションの騒音に関係してくると、すぐにはピンとこないものですね。こういう気付きにはセンス構築の材料となる豊富な経験が必須だと思います。なんでも首を突っ込んで浅く広くかじってみるという。世の中、道楽心が大事ってことですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     建築という言葉が日本で生まれる前は、日本ではその行為を何と呼んでいたかと言えば『普請』です。そうしてその行為を楽しむことを『普請道楽』と呼びました。建築が道楽なのは昔からの事なんです。

     音の問題は物理的な話もありますが、精神的な物や周囲の環境の話もあるので、本当に難しいです。幹線道路前のマンションならうるさいも何も無いですし、生活習慣が昼夜逆転している人なんかがいると更にややこしくなります。

  • 文化の進化への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「文化」は「進化」するものだろうか、と疑問に思います。「進化」という言葉には低級なものが高級なものへと成長するイメージが付きまといますが、本来の意味合いは環境に適応してそのありようを変化させることですね。文化に関して言うと、自分たちの馴染みあるものに近づく向きの過去の変化のことをそう呼んでいるだけのような気がします。技術については、その性質上、「変化」と「進化」方向は同じになるかもしれませんが。

    道具と使用者とが相互的に進化を推し進めるというのは、ありそうですね。玩具を与えられた子供が与えた大人の思いもよらない遊び方を考えだすようなものでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     進化と呼べるかどうかは、文化の種類によるんでしょうね。例えば和歌なんかは今よりも平安時代の方がよほど上だったでしょうから…。アニメなんかは文化と言いながらも(サブがつきますが)、技術的なバックヤードが重要なので、これは進化と呼んでいいかと思います。

     安彦良和氏はガンダムオリジンシリーズで、やっとアニメの技術が自分のイメージするところを表現できるまでに達してくれたみたいな事を言ったそうです。

     ただ手書きが減る事で退化している側面もありそうです。『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は手書きの最高傑作作品だと言われていますが、今手書きであの作品を作る事は無理でしょうね。あれはあれで今見返してみても痺れます。

     ちなみに『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』の主題歌『めぐりあい』はオリジンでGLIM SPANKYがカバーしましたが、元の故井上大輔氏の楽曲とどちらも痺れます。音楽的な技術も日々上がっていますが、これは進化とも変化とも違う気がします。

    編集済
  • 後悔には二つの顔があるへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    小学校の校長先生からは「今やらねばいつやれる、俺がやらねば誰がやる」という言葉を聞かされました。後悔という概念とは無縁ですが、やるかやらないかなら、やれよ、という教えとしては似た部類ですね。こういう言葉がいつくもあるということは、人はしり込みしがちなものだということの表れなのですかね。

    「まずやってみよう」の精神で死なずに生きていける社会というのは、かなり恵まれているのだろうと最近考えます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    人は安定を求めますからね。未知の行動は不安定だと思っちゃうんでしょうね。

     前からしつこく書いていますが、人生にはマイナスなんて無いと思っています。プラスしかないんだからやりたい事をやるべきだし、何事もチャレンジするべきじゃないかと思うんです。失敗したって人生にはプラスです。

  • 一方通行への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「人間の意識が起こしている錯覚、もしくは認識するという行為の癖」というのは、知覚にはままありますね。

    人間の網膜には上下左右ひっくり返った画像が写っているはずなのに、私たちは触るものと見えるものとが同じ上下左右関係にあると見えるように脳が視覚を修正しています。いろんな感覚にこの「他の感覚と整合性を保つための修正機能」が無意識のうちに働いているんじゃないかなあと思いますね。

    何らかのきっかけでそれに気づけるようになったとき、一気に見えてくるものがあるような気がします。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     以前実験で、上下が逆さまに見える眼鏡をずっとつけて生活した場合、しばらくすると普通に知覚するようになるんだそうです。

     人間は個体として世界を知るには、五感で知覚するしかないですからね。実は知覚できない部分で凄い事が起こっているのかもしれませんよね。

     ただそれはきっと知覚できない方が都合がいいからそうなっているのかもしれません。見て見たいと思っても、見ない方がよかったなんて事になるかもです。

  • LRTの不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    路面に線やゾーンを描くのではなく鉄道を敷くメリット、摩擦が小さいの一点しか思い当たりません。ただ、最終的に旅客を運ぶ消費エネルギー量をバスや車と比較したときに、本当に効率的なのかどうかがよくわかりませんでした(同じ条件で比較したデータがなかなかない)。

    路面電車の気分的なメリットとして、路面を走るから乗降車時に方角を見失わない、足が悪くても乗降車が楽、見知らぬところまで乗っても線路をたどってあと戻れる、がありますが、これらは路面上の線でも良いってことになりますね。

    鉄の線路という既存のものへの安心感も大きいのでしょうか。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     佐藤さんもメリット思いつきませんか…。車輪で動く場合、摩擦力が少ない と滑る分エネルギーロスが大きくなるような気がします。運動エネルギーが外部から与えられる場合を除く)。

     ただ車輪の事を考えて、もう一点だけ利点を思いつきました。現在ノルウェーではEVの普及に伴い、車重が増加してタイヤの摩耗が大気汚染を引き起こしているそうです。その部分だけは鉄道敷きの方が有利ですね。しかしそのわずかな事の為に大きなコストをかけるというのは弱すぎます^^;。

     もしかして本当に心理的理由で、極端に言うと誰もが持つ鉄道マニアの部分が影響しているとか?

  • 選択肢への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    プラスマイナス関係なく、何もないよりあるほうがよいというのは、経験を絶対値で足し合わせていきましょうという考え方ですね。平坦な道のりより分散が大きい方がおもしろいと。

    すぐに死んでしまわない程度のマイナスの経験も積極的に積んでいくことが多様性や生物としての強固さにつながっていくような気がします。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    「なかしま君となかじまさん」でも書きましたが、『人生万事塞翁が馬』で覚えてしまっていて、一般的には『人間万事塞翁が馬』だというのは最近まで気が付きませんでした。ただ、元々は『万事塞翁が馬』に誰かが後付けしただけなので完全な間違いでも無いようです。自分的には『人生』の方がしっくりくるのでこのままにしておこうと思います。これは人生におけるマイナスな出来事ですかね?(笑)

  • 後悔には二つの顔があるへの応援コメント

    「後悔には二つの顔がある~」の言葉。
    人の真理を突いているように思えました。

    私も後悔しないよう、『カク』と『ヨム』を続けます。
    素敵な言葉を教えていただき、ありがとうございます!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本当にいい言葉ですよね。言葉には人生を変える力があるように思います。これからも後悔を後悔しないように生きていこうと思います^^。

  • まわしているだけへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    物質としては閉じていますが、エネルギーとしては太陽エネルギーにほぼ全面的依存ですよね。太陽エネルギーを駆動源として、ぐるぐる回されている。ちょっと滞ったり、ルートが変化したりするけれど、少なくとも生物がいる間は、巨視的に見れば循環しつづけますね。

    生物が完全に滅亡したら、いずれ物質循環も止まるのでしょうか。でも太陽エネルギーが加えられる間は、それをもとに地上の物質の確率的な組み換えが続けられそうで、そうなると地質学的時間後にはまた生命が誕生しないとも限らず、生命誕生と滅亡もまたぐるぐると繰り返されるのかもしれないなと思いました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     人間や動物がいなくなっても、物理現象としての循環は続くんでしょうね。でも現象としては随分と単純になってしまいます。

     もし地球がレゴブロックのような大きなおもちゃだとして、より色々な遊び方ができたほうが楽しいですよね?誰を楽しませるためのおもちゃなのかは不明ですが…。

     火星と一緒で段々と地表から水分が失われていくので、生命進化にかかる時間を考えると、生命誕生のセカンドチャンスは難しくて、結局火星みたいになるんじゃないかなと私は思います。

  • 道路上のGへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ギンリョウソウ、初めて知りました。モリチャバネと相利共生なんですね。一種対一種での共生だと、環境変化に脆そうです。

    行き倒れゴキブリは私も数年前によく見るなあと思うようになりました。でもうちの通勤路はゴキブリだけでなく、カナブンやカブトムシやクワガタもちょくちょく落ちているので、相対的に、ゴキブリだけが目立つということはないですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     私も山登りを始めるまでギンリョウソウの存在を知りませんでした。街中で見かけたことはないですね。山に登らない人は一生見る機会は無いのかもしれません。

     アスファルトの照り返しは、身長の低い子供の方がきついと言いますが、ゴキブリは更にきついんでしょうね。普段は地球上から滅んでしまえばいいぐらいに思ってますが、きっと共生関係やら何やらで、生態系の一部として組み込まれているんでしょうね。

  • クラウドへの応援コメント

    アリって本当に不思議です。一日見てても飽きないかも。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    農業を営む生物は人間の他は蟻だけですよね。
    (ハキリアリのキノコ栽培)
    ある意味生物の最も進化した形なのかもしれないなと思います。

  • エアコンの話への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    たしかに、ざっと検索すると「エアコンは室内外機で一つの製品」と謳われていますね。そりゃそうでしょうけれど、パーツ交換に対応してくれたらいいのにとは思います。

    最近の家電製品は一部壊れても現実的な修理がほぼ不可能です。修理するより新製品が安いですし、利用者が修理を好まなくなり、それに伴い技術者の意識や質が変わりました。一部修理し、使えるようになるまでメンテにつきあってくれる技術者は少なくなってしまった気がします。エアコンも、室外機・室内機の片側だけ交換することはできても、きちんと作動するよう調整できる技術者は少ないんじゃないですかね。

    家電だけじゃなく科学機器も似た状況なのが何とも悩ましいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    これって海外ではどんな感じなんでしょうね?浄水器のカートリッジにまで共通規格を設けているヨーロッパあたりだと互換性を規定しているような気もします。昨日建築士の定期講習会だったんですが、既存ストックの利用を促進させようとする一方で、建替えない限り基準達成は難しいバリアフリー化も促進を促しています。矛盾だらけです。

  • 焚火への応援コメント

    企画から来ました。人生は暇つぶし、名言ですね。私もそう思います。焚火、いいですね。意味ないところが良いんです。

    作者からの返信

    こんにちは。コメントありがとうございます^^。

    まさにPNがチラシの裏なんですね。

    焚火は煮炊きもできるし、暖かいのでそれなりに役にもたってくれます。でも今時の若者が言う所のタイパで行けば最悪だとは思います^^;

  • 甲子園への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    地方出身の自分にとって、付属学校は、国立大学傘下のお堅い学校というイメージしかありません。教育学部の実習の場を兼ねているので、あるスリットを通った、比較的均質な児童生徒を集めた学校という感じです。私学の付属高校だと位置づけ自体違ってそうですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    私も付属高校あがりですが、当時の学長は推薦入学をもっと増やしたいし、付属も増やしたいと考えていたようです。理由は『馬鹿を増やしたい』との事でした。大学受験というフィルターを通ってこない学生を増やしたかったんでしょうね。

  • コーヒー豆を挽きながらへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    人間の一生の短さ、存在の取るに足りなさというのもなかなか微妙な話で。私たちが最もよくその存在を認識できるのは自分自身で、それがすべてともいえます。あとは植え付けられた知識、あるいは妄想ともいえるわけで、宇宙と比べりゃ自分なんてちっぽけだ、と実感できるのは、なかなか高度な知的遊戯なのかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    胡蝶の夢ですね。

    宇宙は大きいと言っても、自分で見てきたわけでもないので、本当かどうかは分かりません。いや、見たとしてもそれが実在するとも言い切れません。

    最近は自分という存在そのものが幻想であると論じる人も多いですね。一理あるように感じてます。

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    インスタントラーメン、今では作り方の説明書きがそういうふうに変わってきているのですか? 私が買っている超安物は、いまでも「鍋の火を止めてスープを混ぜ、器に移してお召し上がりください」でした。

    昔(30年以上まえ?)、「インスタントラーメンの美味しい作り方」として、麺を湯がき、具を準備し、スープを丼の中で湯で(ゆで汁でではない)溶かして、最後に三つを合わせるというやり方が紹介されていたようですね。そうなると、もはや「インスタント」ではないですが。昔は麺の揚げ油の酸化が今よりひどく、ゆで汁でスープを作るとまずかったそうです。

    でも、改良が進んだ今でも「本当はスープは器で溶いた方がおいしく出来上がる」のは変わらないんじゃないかという気がします。

    私的には、丼でスープを作る良いところは、やっぱり湯量を調整できるとこだと思いますね。麺と多めの具を一緒に湯がこうとすると、どうしても水量が多くなる(具からも出る)ので、調理後、適量の湯を丼に注いでスープを作るやり方だと、湯量調節がしやすいです。残ったゆで汁は捨ててます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    多分年間100食以上インスタントラーメンを食べてますが、手ごたえとしては器でスープを溶かす方が過半ですね。サッポロ一番やチャルメラ、うまかっちゃん等の老舗ブランドは変わらずといった感じでしょうか…。

    茹でる湯量は計らないので、多かったり少なかったりしますが、それはそれで味のバリエーションとして受け入れるようにしています。