報い

斧田 紘尚

手詰り

 白衣を着た如何にも研究者といった出で立ちの男が、照明を落とした暗い研究室で巨大なガラスカプセルの中に浮かぶ眩い球体を覗き込む。


「博士、どうですか極小宇宙の様子は。」


「ああ、君か。どうも何も無い。いつも通りだ。」


 コーヒーを片手に助手が研究室に入ると、博士の元に歩み寄りその宇宙を覗き込む。


「電波情報の方もどうですか。アルファベットの羅列をモールス化して送った件です。」


「あまり影響はないようだが、まあこれからだろう。」


 博士は手元のタブレット端末を操作し、ほとんど斜度の無い一次関数的なデータを眺めながらため息をつく。


「そうですか。もう何カ月になりますかね。これの観察を始めてから。」


「ああ、もう9カ月だよ。もうそろそろ研究報告を纏めねばならないのに。こうも静かだと困り物だよ。何を報告すればよいのか全く思いつかん。」


「まあそうですよね。一体どうしましょうか。」


 博士と助手は来年度の予算獲得の為にどう報告すべきかと気が重くなる中、なにか妙案があるのか助手が施策を提案する。


「博士、こんなのはどうでしょう。地球上では全球凍結などの絶滅と再興を繰り返し人類や動植物が発展してきたのですから、それをこちら側から与えてやるのです。」


 助手は意気揚々と博士に向かって思惑を語るものの博士はそれを訝しみつつ聞いていた。


「いや、それはどうだろうか。確かに君が言う通りにやったとしたら恐らく何かしら反応があるだろう。だがしかし、私はそれをやった後の反応が想像できない。反応を見るのであれば穏当な手をすべきだと思う。」


「ですが博士、もう時間が無いのですよ。であればなおさらの事、何かしらやるべきです。」


「だがな、それを上が許すかどうか。」


「上におもねいていては何も得られませんよ。それに予算が停止されてしまったらこの極小宇宙も停止せざるを得ないのですよ。」


「確かにそうだ。君の思う事は理解した。だがな、少し考えさせてくれ。」


 助手のただ観察しているだけではなく、きちんと実験しその反応を観察すべきという事は最もだと理解しつつも、この目の前にある極小宇宙はやはり宇宙ではあるのであってこの宇宙に住まう者たちの命、これを無為に奪ってしまうのではないかという研究者の守るべき倫理がこの施策の実行にブレーキをかけていた。


「博士、分かりました。では失礼します。」


 助手は博士の煮え切らない態度に業を煮やして研究室から早足で去っていく。


 その後ろ姿を博士は見送りつつ、何をそんなにも焦っているのだろうかと助手の事を心配していたのだった。

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