Ⅴ 二度目の死

「なっ……! どうして⁉ せっかく生き返ったのに!」

 ルゥの目の前で糸が切れたように崩れたチェルリ修道士は、ぴくりとも動かない。

「生き返ってなどいません! チェルリは遺体を操られていただけです。死を、魂の安息を奪われたのです! あああああっ……!」

 ミデール院長の声が震えていたのは甦りの衝撃ではなく、激しい怒りだったのだ。


「これは甦りなんかじゃない。屍体を動かされていただけだよ。遺体を改めれば、体内のどこかに聖護札が埋め込まれているはず」

 かがみ込んだデビッキがチェルリの体を仰向けにし、開いたままの瞼と唇を閉じてやる。

「運んでくれ」

 動揺する修道士たちだが反射的に従い、遺体を運び出していく。


 フランがデビッキの側に寄った。

「屍体を動かすのって、ラグナ教の悪魔祓いの術なんだよね? 誰でも使えるわけじゃないんでしょ」

「うん。悪魔祓いのほとんどは修行と鍛錬で何とかなるんだけど、法術だけはセンスが必要でね。これは趕屍かんしの術といって、千年くらい前の『屍体裁判』で初めて使われたんだ。死んだ総主教を墓から掘り出し、腐った死体に聖護札を埋め込んで復活させて尋問したっていう、アホみたいな話でさ」


「あぁ、屍体兵を操るのはこの前、君もやったよね」

 そうだった。しかもあろうことにデビッキは操った屍体兵で、フランの大切な友人を攻撃し重傷を負わせたのだ。

「操るのは応用編でもういくつか術を足す必要があってね。四百年前に魔物が大虐殺を起こした時に、対抗手段として編み出されたものだよ」


 心の善悪に限らず、魔法の使い手はすべて魔物と呼ばれる。だからフランも少しだけ魔物だ。

「けどそれ以降、魔物が害をもたらしたことはないでしょ。だからこんな古くさい術を学ぼうなんて奴は、今どきいないはずなんだけど」


「君以外、って付け足した方がいいんじゃないの」

「おれは神だしラグナ教最強の悪魔祓いだし。ミデールは古術マニアだしな」

「お言葉ですが、沼ったきっかけは司教の法術を見た衝撃ですからね」

 どうやらデビッキとミデールは歳下の師匠と年長の弟子らしい。


「だから二人には見ただけで甦りの正体が分かったんだね。ということは教祖さまもラグナ教の聖職者? 元かな?」

「趕屍の術を使いこなすのですから、その可能性が高いです。しかもかなり強力な。少なくとも私のレベルでは屍体を起こすことすら不可能ですから。どのような人物でしたか?」


「髪は白髪で、顔には深いしわとたるみが影になって刻まれていたけど、まだ三十歳前後な気もする。身長は小さく痩せていて、濁った色の瞳の異様な感じは確かだね。デビッキのことを知ってるみたいだったよ。近いうちにまた、って伝えてくれって」

「それだけじゃ全然わかんないよ」

「名前は引き出せなくてね。君に恨みを持つ人なんじゃないの?」

「そんなの数えきれないほどいるし」

 けろっとした顔で怖いことを言う。


 するとフランがポケットから小さな何かを取り出した。

「実はね、昨日火葬炉でご遺体が爆発したんだ。僕が着火してすぐのことだった。ご遺体の身元は不明なんだけど、火葬炉の中でこれを見つけたんだ」

 黒ずんだ紙片には複雑な紋様が描かれている。


「聖護札だな」

「爆発は、骨が耐熱強化ガラスを貫通する勢いだったよ。従業員も危なかった。火葬反対派の嫌がらせにしては度が過ぎるよね」

「ていうかさ、それおれのところへ来る直前の話なんでしょ? なんで昨日言わなかったの? 死ぬところだったんだよね? もう今、動悸が止まらないんだけど」


「僕はてっきり、君の意地悪な遊びだと思ってたんだけど」

「なんで? そんなことするわけないじゃん」

「してたよね、昔。僕が火葬場を作ってた時にさ」

「精神はかなり削ったかもしれないけどね、生命を脅かす真似はしないよ。おれは。あ、もしかしてこれを遺体に仕込んだのがおれかどうかを確かめるために、本気の聖護札見せてって昨日言ったの?」


「うん。聖護札の紋様は術ごとに変わるんじゃなくて、術者ごとに各々独自の紋様を持つって前に聞いたからね」

「じゃあおれの仕業じゃないって分かってくれたのね」

「疑ってごめん」

「ほっぺにチューしてくれたら許す」


「そこでさ、チェルリさんの遺体の中にあるという聖護札と、爆発したこの聖護札の紋様を比べてみてくれないかな。何か分かるかもしれない」

 デビッキがミデールに目線をやると、頷いた。

「ちなみに、もし教祖さまがフラン君を狙ったとして思い当たる理由は?」

「それこそ見当もつかないよ」


 二人の会話が終わるのを待ち、ミデールが呟く。

「しかし……、趕屍かんしの術では甦りを受けたご遺族は救われないでしょうね」

 頷いたデビッキが、フランに向けて説明する。


「あの術は、聖護札を体内に埋め込んで一時的な生命力を与える。昔の司祭たちは屍体兵が生き残り続けても困ると考えたんだろう。一定期間が経ち聖護札の効力が切れると、事故に遭ったり急に脈が乱れたりとか、最初の死因とは因果関係のない理不尽な死が訪れるんだ。どんなに聖護札を改良しても二度目の死だけは防げない。だから甦っても結局長生きはできないんだよ」

 

「一定期間って?」

「遺体の状態にもよるけど、一、二日で死ぬこともあれば、三年間生活したっていう記録もある。生きるっていうのはやっぱり、肉体と魂どちらにも欠損があっては成り立たないんだよ」

「そう。するとご遺族は悲しみの淵をもう一度泳ぐことになるんだね。確かその説明はあったよ」


 フランは内ポケットから細かい字がびっしりと印字された説明用紙を取り出した。100万かけて手に入れたものだ。

「ほら、ここ。『甦ったとしても長く生きられるとは限りません。日を置かず再度死亡した場合も補償期間はない事に同意します』って」

「そんな一言で済む話ではありませんよ! あいつらは人の死と悲しみを一体何だと思って……!」

 再び怒りに肩を震わせるミデールに、ルゥも同情する。


 あそこで行列していた人は皆、それでもわずかな希望を信じていたのだ。お金が足りなかったり、審査に通らずがっくりと肩を落として棺を引きずり去っていく後ろ姿をルゥも見送ったが、他人事なれど身を切られるような気持ちになったものだ。


「さてと、僕は調べたいことがあるから、ちょっと出かけてくるね」

「うん。おれたちはチェルリの体から聖護札を取り出してみるよ。気をつけてね」


「あのっ! フランさんも皆さんもごはんにしませんか? 朝から何も食べてないですし、その、こんな時だからこそ食べた方がいいんじゃないでしょうか」

 思わず挙手してしまい注目を浴びて、ルゥはすぐに手を下ろした。ずっと言うタイミングを逃していたのだ。

 フランはきょとんとしたが、すぐに笑って頷く。

「そうだね、腹が減ってはなんとかって言うもんね。作ってくれるの?」

「もちろんですっ」


 修道士と共に張りきって調理場へ向かうルゥに、フランとデビッキがふっと笑い合う。

「ルゥ君に持っていかれるとはね」

「さすが僕の料理人でしょ」

「だね。少し休もう。ミデール、お前たちもな」


 礼拝堂から移動して食卓を囲むと、修道士たちが明らかに萎縮している。フランはクスッとして囁いた。

「君って怖い上司なんだね。どんなパワハラしてきたの?」

「違うよ、フラン君だね。ここは男しかいない修道院だよ? そんな天使の笑顔見せられたらみんなズッキューンだって」


「それを言うならお二人ともです。そのように囁き合っているのなんて、見てはいけないものを垣間見る背徳感がもう……」

「羨ましいだろ? たまんないよな? この天使かわいいでしょぉ!?」

「ミデールさん、全然見てはいけなくないからね。勘違いしないで」


「お待たせしました。どうぞ」

 ルゥが運んできたのは白身魚の切身を白ワインで蒸して、ゆで卵と豆を添えたものだ。修道士は野菜スープを取り分けていく。

「こちらのエルヴィン修道士と一緒に作りました。メルルっていう魚です。出汁が出てるので、パンを浸すとおいしいですよ」


「スープは……野菜がいっぱい」

 隣のデビッキの器を見て、みるみる仔犬の目になるフラン。

「調味料はいつものを使ってるので大丈夫ですよ。フランさんのはポタージュにしましたから、野菜は見えないです」

「わざわざ持って来たの? それであんな大荷物だったんだ」

「当然です」

「じゃあがんばってみる」


 魚の捌き方を見せてもらいながら新鮮なメルルを調理するのは楽しかった。海が近いというのは羨ましい。皆おいしいと言ってくれあっという間に完食し、フランも付け合わせのインゲンだけ残して食べきった。

 若い修道士たちの様子にミデール院長が「感謝します」とルゥの目を見つめてくれたのが、じんわり嬉しかった。

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