第10話 2日目 17時13分 野球部グラウンドと見えてきた事実
明盛大学に来た。
私は大学という場所に縁が無かったので、こういう場所に来るだけで新鮮だ。
大学という場所なのに、高校生の姿で入っても良いのか、それさえ分からないが、大学に通っていた瑞樹が入っていくので大丈夫なのだろうと後ろをついて行く。
明盛大学の敷地は公園のように広かった。
大きな噴水があり、周りにはベンチが置いてある。そして大学だというのに中にコンビニがある。
敷地の地図を見ると何棟もあり、戸惑ってしまう。
野球部のグラウンドは、その中でも一番奥にあり、必死に歩いた。
そこは、テレビで何度か見たことがあるような巨大な野球場があった。夕方なのに照明が点いていて、昼間のように明るくて圧倒される。そして大人と変わらないような身体が大きな人たちが練習をしているのが見えた。
勝手に入ってよいのか分からず、入り口付近でキョロキョロしていると、瑞樹に気がついた男性……仁さんほどの年齢だろうか……白髪で恰幅がよい男性がこっちに向かって歩いてきた。
「おお、瑞樹。良かった……メチャクチャ心配したんだぞ」
「監督。すいません、ご心配をおかけしました」
そして私のほうをチラリと見て、
「……君はよくここに来られたもんだね。瑞樹も……もういい加減この子と付き合うのはやめたほうがいい。少なくともここには連れてこないほうがいい」
と厳しくピシャリと言った。
本当に蔑むような、汚い生物を見るような目と、言葉を投げ付けて拾う気もないような冷たさで。
何があったか知らないけれど、目の前にその人がいる状態で年配者が取る態度ではない気がする。
瑞樹は私の前に立ち、
「すいません。俺と結菜なんですけど、事故のショックで二、三ヶ月の記憶が曖昧なんです」
「えっ……お前、二、三ヶ月って夏の予選の前から……?」
「そうです。夏前まではなんとか記憶があるんですけど、最近のことはすべて覚えていなくて……それにみんなも何も教えてくれないんです。知らないならそのほうが良いと。監督はどう思いますか?」
「いやだってお前……そんな責任逃れみたいなこと信じろって言われても無理だろう。虫が良すぎる。ていうか記憶以外は大丈夫なのか?」
そういって監督は瑞樹の身体を見た。
肘の痛み……きっとまだ何も分からないし、検査前にいうことではない。
瑞樹は身体を直角にまげて、頭をさげた。手は太ももに沿ってまっすぐに。
「一週間眠っていたし、頭もぼんやりしてて、身体も普通には動かせません。だからすいません、トライアルなんですけど一週間待って貰えませんか? 体調が戻り次第、筋トレや基礎練は開始します」
「うーん、一週間か。ギリギリだな。こっちも申請書の締め切りが近いんだよ。本当に受けられるのか?」
「はい。検査の結果が分かり次第、ぜひよろしくお願いします。すいません、何度もご連絡を頂いていたのにこんなことになりこちらの不手際ですが復帰次第即時対応しますので」
「なんだお前どっかの営業か」
「すいません、謝るときの癖が出てしまいました」
私はそれを聞いて口を押さえて笑ってしまう。優太朗は長く営業をしていて、仕事の半分は人に謝ることだと言っていた。あれが足りないこれがない、あれが変わった、届かない、型が違う……とにかく寄せられるクレームに謝り続ける仕事をしていた。だからもう『謝る』となるとフォーマットが出てきてしまうのだ。
そして心の奥がちくんと針で刺されたように痛む。優太朗は最初の方、私にああやって頭をさげて謝っていた気がする。
「なんとかする」「寄り添いたいと思っている」「どうしたら楽になる?」「何が手伝える?」「抱え込まないでほしい」。
それでも何も響かなくて。
だってなんとか出来ないし、寄り添ってもらっても事実は変わらないし、楽にはならないし、何の助けにもならない。
それを言ったら傷つく。だから黙っていた。でも……その言葉はちゃんと受け取るべきだったと目の前の監督を見て思う。
監督は昔の私のようだ。ため息をついて顔も見ず、イライラして頭をかき、舌打ちをしている。
そして瑞樹をみて、
「お前、立場にあぐらかいてると一瞬で寝首掻かれるぞ。お前の代わりなんてたくさんいるんだからな」
その言葉にカチンときたのか、瑞樹が顔を上げる。
「……野球をする人はたくさんいると思いますが、瑞樹はひとりです」
「そんなことわかってんだよ。わかってるけど、お前の立場は最初からチートだろ。それなのにトライアル待てとか調子に乗りすぎるなって言ってるんだよ。本来とっくに終わってるんだから」
「それは……脅しですか?」
「はあ? 瑞樹お前、何言ってるんだ。俺に向かってそんな事いうなんて頭おかしくなったな。練習入ってくか? 身体ナマってるんだろ。走ればそれでスッキリするぞ。走れ走れ!」
「高校生に『調子に乗るな』と言葉を投げるのは残酷だと思いますね。しかもあなたは監督という強い立場だ。そしてこっちは選ばれる側。そして体調は完全に復帰していない。一週間寝たきりだった場合、筋肉が完全に回復するまでに一ヶ月程度の基礎トレーニングが必要です。その状態の高校生に向かってその態度……指導者としての姿に疑問を持ちますが」
「うるさいな。お前どーかしちまったな。あーあーもうわかったよ、今、来てるからさ、
そういって監督は瑞樹と私に向かって手をひらひら振り回して、邪魔くさいものを追い払うように集団に合流していった。
瑞樹の世界の事だから黙って聞いていたけど、はあああ?? 瑞樹の横に立つと、その顔は怒りで震えていた。
ずっと監督を睨んで少しも動かない。怒りという感情が肌に出ているかのよう。私は慌てて瑞樹にしがみついた。
抱きついて背中を撫でて一緒に息を吸って、息を吐き出して、身体をひとつにまとめるように一緒に呼吸を続けた。
やがて瑞樹の身体から力が抜けて、私に抱きついてきた。
「……俺はここに入りたくないな」
「そうね。でも決めるのは瑞樹ね。でも私が瑞樹のお母さんなら心配するわね」
「こんなのウチの会社よりやばいぞ。あれだ、石川部長だった頃こんな感じだったな」
「ああ……あなたが一番病んでたころ?」
「そうだよ。めちゃくちゃなパワハラでほんとヤバかった。いやー、ひさしぶりにパワハラくらったけど、ヤバいな。薦めないけどな」
瑞樹はそう言って「いやあ、スポーツの世界ってこんなもの?」「いやぁ、どうなのかな」と何度も首を傾げた。それは本当に優太朗の癖で……私は優しく手を握った。
そして手を引っ張る。
「菱沼さんって方は連絡が入ってるの?」
「ああ。事故のあとも『退院したらすぐに来いよ』って言ってくれてる人のひとりなんだけど……ほら、メッセージの会話が全部消されてるんだよ。だから何の人なのか分からなくて返信してなかったけど、今の話し方だと身体を見てくれてる人かも知れない。ひょっとして肘の相談にも乗ってくれるかもしれないから連絡してみるよ……って、ああ、電話だ、はい、瑞樹です、はい、明盛大学のグラウンド横に来ています」
そう言って瑞樹は歩き出した。どうやら監督が菱沼さんという方に連絡したらしく、すぐに電話がかかってきた。
どうやら今日明盛大学の生徒の身体を見ているらしく、寮にいるから来てくれ……という話だった。
小学生の時からずっと野球をしていたのに、私たちの事故に巻き込まれてせいで夢を追えなくなったら……本当に申し訳がない。
私の肘なんてそんなに使ってないから、死んじゃったことだし使えないかしら? と無責任なことを思ってしまう。
明盛大学の寮は大学から少し離れた場所にある普通のマンションだった。しかし一階には受付、その奥には巨大食堂や応接室が見えた。
なんとなく最後に静子さんが入院していた病院のようで懐かしくなってしまう。それほど感傷に浸らなくて済んだ理由は、若い学生たちがどんどん出入りして、みんな活気があるからだろう。バレー、バスケット、色んなユニフォームを着た若い子たちが楽しそうに食事をしている。そして高校生の制服を着ている私たちを見て「こんにちは!」と元気に挨拶してくれる。学生のパワーは気持ちが良いわね。瑞樹と一緒に指定されたケアルームへ向かった。
ノックして中に入ると、そこに若い男性……といっても三十代か四十代……私より少し若い程度の人が座っていた。
もじゃもじゃの髪の毛に分厚いメガネ、そして上下とも黒いジャージを着ている。
「おお。瑞樹。見た感じ大丈夫そうだな。入って入って。あ、結菜ちゃんも来たの? どうぞ、座って」
そういって私たちを中に入れて微笑んだ。
さっきの監督とは違い、私にも優しい。それだけで少しだけ安堵して椅子に腰掛けた。
瑞樹は指示されるままに上下トレーニングウエアのような服装に着替えて、ベッドに横になった。
菱沼さんは瑞樹の身体にゆっくりと触れていく。
首に触れ、頭の動く角度を丁寧に見ていく。そして肩、角度を確認して回して骨の動きを掌でチェック。
その動きは正確で掌そのものが精密検査をするマシンのようで見惚れた。そして問題に肘に触れて、ゆっくりと見て行く。
お願い……瑞樹くんの肘に気がついて……そして他の部分はなんともありませんように。
全身を一時間近くかけて見て、菱沼さんはiPadに事細かに書き込んで顔を上げた。
「結菜ちゃんを抱きしめて転がったって聞いて心配したけど、左側から着地して背中で回ってる。それに芝生の公園に飛び込めたのが功を奏したね。結菜ちゃんを抱っこした状態で受け身を取ってるからふたりとも無事だったんだな。やっぱり普段からボールを追ってる人間は本能で動けるんだな。ああ、良かった。右肩の打撲は少し酷いけど、療養期間で良くなるレベルかな。背中はもう治ってる」
全身に触れただだけで私たちが聞いていない事故の状況まで見えてしまうなんて、この人の掌はすごいのかも知れない。
問題ないと聞いて安堵して、同時に「あれ、それ信じられる?」と思った。
だって現時点で瑞樹の右肘は痛むのだ。それに気がつかなかった人の言葉を信じても良いのだろうか。
疑問に思ったのと同時に菱沼さんは瑞樹に近づき、鞄からたくさん薬が入った袋を出して声を潜めた。
「肘の薬、切れてて辛いだろ。とりえあえずコレを飲め。あと注射しないとトライアルは無理だから、トライアルの前日に診療所に来い。ここでは無理だ。事故で肘が更に壊れたら……って心配しててさ、それをずっと心配してた。結菜ちゃん。君これを狙ってトラックに突っ込んでないよね? 君はしそうだ。どうなの?」
そう言って菱沼さんは私を見た。
私が瑞樹を見ると、瑞樹もベッドから身体を起こしてコクンと頷いた。
この人に全部聞こう。
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