第3話『薬師、強制連行される』


 わたしがクロエさんに連れてこられたのは、街外れにある二階建ての建物だった。


「あ、あの、ここ、どこですか? さっきの食堂じゃないですよね……?」


「あそこはただのバイト先です。どうぞ、上がってください!」


 クロエさんに促されるがまま、建物へと足を踏み入れる。


 棚に置かれた道具を見た限り、ここは元々、薬師やくし工房のようだ。


 ……そういえば、父が亡くなるまではこんな小さな工房が街の至る所にあった覚えがある。


 グレガノさんがハーランド工房を引き継いでから、利益独占のために圧力をかけて、街中の工房を潰していったというし、ここもその時に潰されたお店のひとつなのだろう。


「あ、あの、クロエさん、このお店、薬師工房のようですけど……」


「そうなんですよー。ミラベルさんが買い上げてくれたんですが、まだ開店準備はおろか、国に開業の申請すらしていないんですよねー。今日もまだ寝てるのかなー」


 そう言いながら、クロエさんは腰に手を当ててお店の中を見渡す。


 そこかしこに埃は積もっているものの、棚の上に置かれた道具だけは新品のようだった。


「……あの、この街で薬師工房を立ち上げるのはやめたほうがいいかと……」


「え?」


「い、いえ。なんでもないです。ごめんなさい」


 ついそう口にするも、声が小さすぎて聞き取れなかったよう。聞き返してきたクロエさんにとっさに謝り、わたしはうつむいてしまう。


「マイラは寝込んでしまうし、雇う予定だった薬師さんには逃げられるし、踏んだり蹴ったりですよー」


 そんなわたしを気にすることなく、彼女は困った顔のままカウンターの奥へ向かい、階段の下で足を止める。


「あ、熱を出したのがそのマイラって子で、今は部屋で寝てもらっているんです。こっちですよ」


 そう言ってから、階段を上り始める。どうやらこのクロエさん、聞かなくても色々と答えてくれるタイプらしい。人見知りのわたしからすれば話しやすい人かもしれない。


「昔患った熱病の後遺症なのか、マイラは時々熱が出るんですよ。普段は元気いっぱいなんですけど」


 そんな話を聞きながら一緒に二階へ上がり、一番手前の部屋へと案内される。


 そこにはベッドが置かれていて、赤髪の少女が苦しそうに横たわっていた。


「あー、マイラ、寝てるみたいですね。エリンさん、診てもらっていいですか?」


「あっ、はい……」


 神妙な顔つきのクロエさんに言われ、わたしはおずおずとベッドのそばに腰を下ろす。


 マイラと呼ばれた少女は眠っているようだけど、呼吸も荒くて顔が赤い。


 静かに首元に触れてみると脈も速く、明らかに熱があった。


「これは、やはり熱冷ましが必要、ですね……」


 その症状からそう判断し、頭の中で必要な薬材やくざいを整理していく。


 解熱鎮痛剤として一番効果があるのはゴールデンリーフだけど、これは日の当たる森や草原に自生する植物。今から採りに行く余裕はない。


 次点でパープルアイ。これは花だから、花屋さんに行けば売っていると思う。


 加えてスイートリーフも必要だ。これも野菜として売られているし、お店で買えるはず。


 街の中で手に入る薬材では簡易的な薬しか作れなさそうだけど、何もしないよりはマシだろう。


「そういえば、このお店の地下に倉庫があるんですよ。カラカラに乾いた木の根っことか、謎の瓶詰めが並んでいて、不気味な場所なんですが」


「……そこ、案内してください!」


 クロエさんの発言に対して、予想以上に大きな声が出てしまい、わたし自身が自分の声に驚き、口を抑えてしまう。


 そこはおそらく、このお店の薬材倉庫だと思う。もしかしたら、使えるものがあるかもしれない。


「いいですよ! こっちです!」


 マイラさんの部屋を出て、どたどたと階段を下りていくクロエさんについていくと、カウンター奥にある調合室らしき部屋にたどり着く。


 階段下のデッドスペースを利用したこの部屋は窓もなく、日光が全く入らないようだった。


「ここです。一度だけ中を見てみたんですが、気味が悪くてすぐに閉めてしまいました」


 彼女は近くのランプに火をともすと、その床に設置された扉を開ける。


 渡されたランプを手に中を覗き込むと、そこには木製のはしごがあって、その先に人一人がやっと立てそうな広さの床が見える。それ以外の場所は、カゴや木箱で埋め尽くされていた。


 わたしは慎重にそこへ下りて、周囲を見渡す。


 目線より少し高いところに、乾燥させた木の根が何本も吊るされ、近くの棚には瓶詰めにされた木の実がところ狭しと並べられていた。


「おお……あれはジャールの根。こっちにはグリーンオリーブが……」


 予想以上にたくさんの薬材が残っているとわかり、わたしはつい興奮してしまう。


「あ、でもそれ以外は使えないものが多いかも。さすがに6年近く放置されてたら無理か……」


「やっぱり薬師さんにはわかるんですねぇー……この緑色の実、お薬の材料になるんですか?」


「ひぃっ」


 近くにあったグリーンオリーブの瓶詰めを手にしていると、すぐ隣でクロエさんの声がした。どうやら彼女も下りてきたようだ。


「そ、そそそうです。高い木の上にできる実で、熟す前のものを採る必要があるので採取が大変で……」


 わたしは視線を泳がせながらそう説明し、反射的に逃げようとしたけど、地下倉庫は狭くてそれは叶わなかった。うう……ち、近い。でもクロエさん、なんかいい匂いがする。


「じゃあ、ここにある材料だけでお薬が作れちゃったりします?」


 胸の前で両手を合わせながら、期待に満ちた目でわたしを見る。はうっ……だから眩しい……!


「そ、それは無理です。足りないものがあるので、お店で買ってこないと」


「いいですよ! 何が必要ですか?」


 そう伝えると、彼女はキラキラの笑顔で言って、メモを取り出した。


「えっと、花屋さんでパープルアイを。その、植木鉢に植えられたものがいいです。それと、スイートリーフを買ってきてください」


「スイートリーフって、料理に使うあの甘い葉っぱですよね?」


「そ、そうです。そっちは根っこがついたものをお願いします」


「根っこつきがいいんですか? 新鮮さをアピールするために根っこをつけたまま売ってることもありますが、料理だと捨てちゃう部分ですよね?」


「いえその、薬材には根っこの部分を使うので。よろしくお願いします」


「わっかりました! 行ってきますね!」


 わたしの話を聞き終わると、クロエさんはメモをポケットにしまい、地下倉庫を飛び出していった。


 ……その後、わたしはクロエさんの帰りを待ちながら、お店の道具を借りて調合準備を進める。


「ようやく一人になれたし、今のうち、今のうち……」


 調合室に備えつけられた水道設備はまだ生きていたので、桶に水を溜めておく。


 加えて薬を煎じるための土瓶にも水を入れて、火にかける。


 次に倉庫から持ってきたジャールの根とグリーンオリーブを自前の薬研やげんで粉にしていく。


 ……一定の間隔で、ゴリゴリと。


 ……わたしは誰にも邪魔されないこの時間が一番好きだ。


 グレガノさんに理不尽に怒られても、調合に失敗したエルトナの尻拭いをさせられても、ステラおばさんに無視されても……薬を作り始めれば誰からも邪魔されない。嫌なことは全部忘れて、わたしだけの世界に入ることができる。調合作業、最高。


 薬材たちよ、わたしが数年ぶりに命を吹き込んであげましょう――。


「……うん? クロエ、帰っていたのか?」


「ひょえっ!?」


 作業に没頭していたタイミングで背後から声をかけられ、わたしは変な声が出た。


「い、いいいえその、わたしはですね」


「……うん? 誰だお前は」


 うろたえながら振り返ると、そこには金髪の女性が立っていた。入口が開いた気配もしなかったのに、この人はどこから現れたのだろう。


「うちの工房に無断で入り込むとは、怪しい奴め」


 その女性はわたしに鋭い視線を向けながら腰の剣を抜き放ち、まるで鏡のように磨かれた剣身にわたしの姿が映る。


 深緑色の髪は三つ編みにしているものの、手入れが行き届かず所々崩れている。


 青色の瞳の下にはクマができていて、顔色も悪い。加えて身につけた割烹着もボロボロだ。


 これは、不審者と思われても仕方がないかも……なんて、冷静に分析している場合じゃない。


 ……こんな時、わたしが取れる行動は一つだけだった。頑張れエリン。負けるなエリン。


 そう意気込んだあと、わたしはその場に膝をつき、全力で土下座をする。


 そして、できるだけ大きな声で叫んだ。


「ど、どうか、命だけは。命だけはお助けください」

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