ねこまんま②


 大正ロマン、昭和レトロ。

 そんな言葉が似合いそうな内装だ。

 扉を通り、俺は勝手に適当な席へと着く。

 客は見当たらないし問題はないだろう。

 

 そういえば昔、腹が減ってなにかを食おうと店に入ったら、摘み出されたことがあった。

 小綺麗にしているつもりだが、以来、身なりには特に気をつけている。

 招き入れてくれたのだから、きっとここは何の問題もないだろう。


 そんなことを考えていると、女が銀の御盆を抱えてやってくる。

 ああ、この女は店の女給だったのか。

 はい、どうぞ、と目の前に水を出されたので、それをちまちまと飲む。

 喉もだいぶ乾いていたようだ。


 

「何か、食べたいものはございますか」


 そう言われても困ってしまう。

 腹の虫が鳴るくらいだから、腹は減っている。

 さりとて食いたいものとなると思いつかない。

 俺が一人唸っていると、女給が言う。


「特にないようでしたら、おまかせっていう手もありますよ?」


 悪戯っぽい笑みと慈愛の眼差し。

 俺がこくりと頷くと、女は、かしこまりました、と奥に下がっていった。

 




 

 チックタックと鳴る振り子時計の音。

 わからないけどどこかで聞いたことのあるようなレコードの優しい音楽。


 そういえば、昔、こういうのが好きな奴がいた。

 外国の文化が好きで大金を叩いて集めては嫁さんに怒られていた。

 あいつの真向かいに座って、ゆっくりと振り子時計の音に耳を澄ませるのが好きだった。

 そんなあいつも、あいつの嫁ももういない。

 あいつの子どもたちとも、疎遠になってしまった。

 今では顔も思い出せない。

 




「お待たせしました。熱すぎということはないと思いますけど、気をつけて食べてくださいね?」

 


 懐かしんでいると、女給が立っていた。

 そして浅い丼鉢を俺の目の前に置く。


 そして、俺は目を見開き、鼻をすんすんと鳴らす。

 

 

 丼鉢に小盛りになった、茶色い混ぜ物をした米。

 ちらちらと米の上で踊る、木屑のようなもの。

 ああ、この香り。かつ節だ。

 潮風を感じる、ツンとする魚臭い独特の香り。


 俺の好物だ。


 俺は目を瞑り、心の中で呟く。

 いただきます。


 すると聞こえていたかのように女給が答える。


「召し上がれ」




 ――塩気は抜いてあるから、あんたにも食べられるからね。ほら、おあがんな。


 視界の隅に映った着物姿の女給と言葉が、誰かと重なる。


 ひどく懐かしい気持ちで一口齧る。


 ああ、この味。

 そうだ、塩気なんてない、この味。

 ああ、懐かしい。

 女将さんの味だ。







「そんなにがっつくもんじゃないよう。ゆっくりお食べ」


 言われ、真ん前を見る。

 畳の上に正座で座る女性。

 背筋はしゃんと伸びていて、気品がある。

 結った髪に赤い簪が刺してあって、飾りがしゃらしゃらと揺れていた。

 確か、旦那が大坂に行ったときに博打でうまいこと儲けて、土産でかってきてくれたと喜んでいたやつだ。

 ああ、女将さんだ。

 俺の目の前にいる。

 確かに女将さんだ。


「よう、旦那様のお帰りでっせ」

「似合わない言葉遣いはよしとくれよ、あんた」

「へへ、わりいわりい」


 旦那さんもいる!

 ああ、懐かしいなあ。

 若いのに、ずいぶんとやり手で大津の米問屋ときたら、この人の名前が真っ先にあがるくらいだったんだ。

 腹が減って行き倒れてた俺を拾ってくれた女将さん。

 女将さんがひろってきた俺を嫌な顔ひとつもせず置いてくれた旦那さん。

 二人とも立派な人だった。


「ん? おめえ美味そうなもん食ってるじゃねえか。おい、俺にも一杯よそってくれ」

「はいはい、わかりましたよ。ったく、稼ぐ癖にあんたは質素なもんが好きだねえ」

「だってなあ。こいつの食いっぷりときたら、見事なもんでよ」


 そうだ。

 若い頃の俺は、がつがつと食う俺を見ては嬉しそうに笑ってくれて、それがなんだか幸せだった。

 食い終わると必ず頭を撫でられ、長生きしろよ、と言ってくれるのだ。


 ああ、懐かしい。

 涙で、目の前が霞む。






「ちいと、お前には塩っからいかもしれんなあ」


 声をかけられ、はっ、と顔をあげる。


「まあ、たまにはいいじゃろ」


 爺だ。

 女将さんたちと離れて、旅をしていた折に出会った、爺。

 しばらく一緒に住んでた、爺。

 五年も経たずに、老衰で死んじまって、どうすればいいかわからない俺は人を呼びに行って、またそのまま旅に出た。


「はは、そうがっつくな。どうだ、うまいか?」


 そうだ。

 爺もよくコレを出してくれたんだ。

 ああ、懐かしい。

 涙で目が霞む。






「ごめんね……こんなものしかなくて」


 また気がつくと、今度は目の前に若い女がいた。

 こんなもの、なんて言うな。

 俺にとっちゃあ御馳走だ。

 そう、何度も伝えたのに、彼女はわかってくれなかった。


「もうちょっとしたら、お金入ってくるから、そしたらいいもの食べようね」


 そんなことを言って、またあの男に銭を持ってかれるのだろう。

 あの野郎、今度こそぶん殴ってやる、と息巻いたのが伝わってしまったのか、彼女は次の日から帰ってこなくなった。


「あなただけは無事に生きてね」


 俺がそばにいたじゃないか。

 俺と暮らしていればいいじゃないか。

 そうも思ったが、去っていった彼女の願いだけでも聞き届けようと誓った。




 

 ああ、そうだ。

 なんで忘れていたんだ。

 俺は、独りじゃなかった。

 いつだって誰かがいたじゃないか。

 生きるんだ。

 ただ、生きるんだ。

 時の流れは残酷だ。

 こうした想いさえ、忘れさせる。

 みんな死んでいく。

 みんな居なくなっていく。

 それでも、俺は受け取っていたじゃないか。

 幸せな日々を、希望を、明日を。

 だから、出会った人にそれを分け与えるつもりで生きていたんじゃないか。


 思い出した!

 思い出したぞ!

 俺が、『何者』なのか!

 


 




 

 

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