3月26日②/この世界のこと

 フィス先生様がなにかメモ帳に書き付けている間、俺は暇を持て余して流れていく荒野を見ていた。


 地球の日本で暮らした二十八年の人生が、走馬灯のように一緒に流れていく。


 先生が言うように、実際俺はずっと不安だった。それは頼みの綱の先生との報連相がうまくいっていないからだが、自信満々の先生様にはよくわかってもらえないらしい。


 落ち込んでいる相手にかける言葉が似ていたくらいで勝手にシンパシーを感じてガードを下げてはいけない。この人は気遣いとかできないタイプに違いない。


  ◇


 宿屋から乗った馬車は、隣町で俺たちを降ろして帰って行った。ほんの数時間快適な生活をして、また野に放たれてしまった。


 町というか、そこは交差点だった。

 塀も門もなく、店舗兼民家が少しと東西南北に大通りが伸びるだけ。砂埃がすごいのなんの。


 砂埃の中に霞んで見えるのは、馬車の修繕屋と食堂と宿屋。一応番兵の詰め所みたいなものもあった。

 あくまで通り道に過ぎないという感じで、右に左に馬車が駆け抜けていく。


 ぎょっとしたのは、馬車を引いているのが馬じゃなかったときだ。黒くて大きな、角の生えたトカゲが、のしのしと荷台を引いて走っていた。

 バッファローのようなものに跨った旅人たちもいた。


「ああ、いよいよファンタジーだ……」と、寂れた食堂で頭を抱えていると、席を外していた先生が、あの美女になって戻ってきた。


「え! どうしたんですか!?」


 俺は思わずここ一番の大声を出していた。


「なにがだ」

「いや、その。なんでもないです……」


 長い灰色のウールのローブに、同じ素材のフード。

 羽織った緑のマントは上等な布のようだ。エンボス加工でドラゴンが浮かぶレリーフのついた、立派な黄金のピンブローチで留めている。


 身長は少し縮んでいるように思うが、それでも俺より高い。裾を引きずらないのかな、とこっそり足元を見たが、高尚な魔法使い先生様は服の大きさも自在に操れるようだ。


 彼女は優雅に、俺の対面に腰を下ろした。この薄汚れた食堂には不釣り合いの輝きを放っている。


 髭がなくなり、キレイな形の唇がよく見える。


 もはや別人だ。


「なんで女性に変身したんですか」


 俺は意を決して聞いてみた。


「お前は、どちらが真の私だと思う?」


 え?

 今までが「男になっていた」のか?


「さて、人目がなくなったので少し話そう。大きなところから知りたいと言ったな。我々が大陸と呼んでいるのは、十の国が乗ったこの地面のことだ」


 先生は白くて細い指で机をノックし、その下の地面を指した。

 急に始まってしまった解説に、俺は慌ててメモ帳を取り出す。

 

「黄金王は大陸を治めた記念に、その形を模してこれを作らせた」


 彼女が胸のピンブローチを指したので、俺は思わず昨日の白い生足を思い出してしまった。顔には出ていないだろうが、すぐに視線をメモ帳に戻した。


「大陸の中心には不死の山がある。そこには『漆黒竜』が住んでいる。竜の吐いた息が固まってできたのがこの大陸だと言われている。神話だな。ドラゴンの子が十人、王として産み落とされ、それぞれ国を作ったのが始まりと信じられている」


 俺はノートに描いた楕円の真ん中にさらに丸を描いて「竜」と記した。


「その言い方だと……あなたは信じてないんですか?」

「もはや信じていない者もいるし、いまだに誇りに思っている者もいる。私は半々だ」


「続けてもいいか?」と先生はこっちを見た。美人に真っ直ぐ見つめられるなんて、変な汗が出る。女性ではないはずだけど。


「『不死の山』の周囲には深い霧がかかり近づくことはできない」


 先生は魔法で取り出した自分の羽ペンで、竜の外側にもう一つ丸を描き、「霧」と足した。


「霧を囲うように十の国があった。それぞれに繁栄していたが、領地争いだ謀略だ和平だと揉めた末に、『六夜の国』の王が『黄金王』となり、全てを統治することになった」


 話しながらさっさっ、と大陸に放射線を引いて行き、南西の箱に『六夜』と書いた。これでざっくりとした世界地図ができたというわけだ。


「その辺の政治的な話は、また今度でいいです……」


 インプットが多過ぎて目眩がしそうだ。


「統治したといっても、それぞれの国は自治をしている。そして、国に属さない人々もいる。私は王から、未知なる彼らを調査するよう依頼された」

「どんな生活をしているか調べるんですよね」


「しかし私は、お前にも興味がある」

「え、僕ですか?」

「お前の暮らしていた、にぱん?」

「ジャパンです」

「それはどこにあるんだ? どんな暮らしだった?」

「え、えっと……たぶん、だいぶ遠いです」

「なんでもいいから、思いつくままに話してみなさい」


 先生がダークグレーの目を輝かせて前のめりになるので、俺は戸惑って体を引いた。


 そのとき、扉のない食堂の入り口に、男が現れた。誰かを探すような仕草で、中へは入ってこない。


「おいあんた、出発するぞ」


 大声を上げた男は、明らかに先生を見ているが、先生は俺の答えを待ちわびていて気づいていない。


「先生。あの、あの人が呼んでますよ」

「うるさい後にしろ」


 振り向きもせず、ハエでも払うように手を振る先生に、男はムッとしてさらに大きな声を出した。


「あんたが乗せてくれって言ったんだろ、もう出発しちまうからな!」

「すみませんすぐ行きます!!」


 なんのことか大体見当のついた俺は、代わりに立ち上がって返事をした。


「馬車に乗せてくれって、あの人に頼んだんですね」

「ああ、そうだった」


 フィスさんは「はは」と笑って、『ジャパン』とだけ書かれたメモ帳を閉じると荷物を背負った。


 細身の女性なのに筋力がある。やっぱり男が本体で幻覚を見せられてるんじゃないだろうか。


 それにしてもこの人は、のめり込むと周りが完全に見えなくなるのかもしれない。



 まだこの世界の常識もわからないのに、視野狭窄の学者とふたり旅?



 どうしろってんだ。


 

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