2-2 現実

 進路指導の教師が、俺の手からファイルを取り上げ、求人票のコピーを取った。そしてその中の一枚を、俺に手渡した。


「明日までに、これをよく見ながら履歴書の下書きしてこい」


 そう言って、学年主任は求人票のコピーの上に、真っ白な履歴書を叩きつけるように置いた。今まで俺は、未来はいくつも枝分かれしているものだと思っていた。しかし、今の俺の未来には、3Kの仕事一つしかない。いつの間にか枝分かれしていた道が、崩れ去っていたのだ。だから、今目の前の一本道は、細くて険しい道しかなかった。山口のことを思い出した。島崎のことも、香川のことも、先輩のことも、浮かんでは消える。そして初めて今までのことを後悔した。タイムマシンがあったら、公園で悪ふざけしていた自分を殴りたいくらいに、猛省した。それと同時に、やはり人のせいにした。山口も、島崎も、香川も、どうして就職活動を黙っていたのか。不良のくせに就職活動をしていることが、恥ずかしかったのか。どうしてあの時、俺も誘ってくれなかったのか。どうして先輩は、もっと手本になってくれなかったのか。


「くそっ!」


 俺は廊下の壁を蹴った。もう壁には求人票は張り出されていなかった。次に廊下の壁を埋め尽くすのは、今の二年生に向けた求人票だ。


 教室に戻ると、教室では現代文の授業中だった。俺を睨んでくる教師を、俺は睨み返して、自分の席に着き、両足を机の上に上げた。誰も注意しないのは、相変わらずだ。ただ、いつの間にか俺のように髪を派手に染めている奴も、授業中に席に座っていない奴も、制服を着崩している奴も、いなくなっていた。いつの間にか、俺は置き去りにされていたのだ。もうこのクラスの奴等だって、数か月後には正社員で、社会人なのだ。それなのに、俺だけが子供のままだった。そのことに、イライラした。履歴書を思い浮かべてみても、書くことが思いつかない。学歴なんて、この高校の入学と卒業見込みしか書くことはないから、たった二行だ。免許や資格は、普通運転免許証くらいだ。英検も漢検も受けていないから、仕方がない。趣味や特技はケンカだけだし、志望動機はない。短所は思いついても、長所はない。こんな履歴書で、企業が俺を採用するとは思えなかった。給料も安月給だし、汚いし、俺だって御免だ。留年でもして、新卒で来年の就職にかけることも考えたが、大卒ならまだしも、この高校で留年していたら、今度こそ求人はなくなるだろう。


 俺は午後の授業を寝て過ごし、放課後に職員室に行った。自分から職員室に行くのは、免許の筆記試験ぶりだ。これで二回目なる。教師たちが目配せする中、すかさず学年担任が寄って来て、俺の頭を軽く叩いた。これでも体罰になるご時世だが、教師に軽く叩かれたくらいでは、痛くも痒くもない。


「ドアから入ったら、立ち止まって挨拶だ。お前は失礼しますも言えないのか?」


 俺は面倒だとしか思えなかった。しかし、今回ばかりは分が悪い。


「失礼、しやす」

「お前はいつから江戸っ子になった? 失礼いたしますだ」

「失礼いたします」


 言い慣れない言葉に、危うく舌を噛みそうになった。隣で学年主任が満足そうにうなずいているのが癪に障った。


「言えるじゃないか。で、何の用だ?」

「あ、これの書き方、何か、ないかな、と思って」


 俺が履歴書を取り出すと、学年主任はますます満足そうに笑い、進路指導室に俺を連れ込んだ。連れ込まれるなら、若い女の教師がいいのだが、贅沢も冗談も言っている余裕はない。事務的な机に、折り畳みの椅子で、向かい合って座る。机の上には白紙のままの履歴書がある。そして学年主任は、進路指導の教師に一言かけてから話を始めた。


「お前、履歴書にひな型でもあると思ったのか?」

「見本みたいなの、あんじゃねぇのかよ?」

「あのな。確かに売っている履歴書には見本がついているが、それをそのまま写しても仕方ないだろ? この履歴書は、お前の人生の説明書みたいなもんだろ? お前の人生の説明書を他人が書いたひな型が当てはまるのか?」


 あくまで見本は見本、ということだ。確かに誰かが勝手に俺の人生に説明を付けるとしたら、俺はそいつを殴り飛ばしているところだ。他人の人生に口出しするんじゃない、と。


「山口たちも、何回も書き直して、自分で書いたんだぞ。少しは見習え」

「え?」


 聞き間違えたのかと思った。飽きっぽくて、何をやっても続かなくて、結局その場しのぎの遊びにしか時間を費やせないあいつらが、履歴書を何度も書き直したなんて信じられない。山口は必死だったと思うが、島崎や香川までそうしていたのか。黙る俺に、学年主任は鉛筆を渡して、履歴書の下書きをするように迫った。仕方なく、俺は久しぶりに鉛筆を持つ。


「ちなみにな、香川は十社近く受けて、採用になったのは一社だ。落ちるたびに履歴書は巧くなる。書き慣れてくるんだな。でも、お前の場合は元から一社だ。これで落ちたら春には無職だ」


 俺と一番仲が良かった香川が、陰でそんな苦労をしていたなんて、全く気付かなかった。十社受けるということは、十枚の履歴書を書いたことになる。それでも、受かったのは一社という厳しすぎる現実に、俺は打ちのめされていた。職に就くとは、こんなにも難しくて、大変なことなのだ。

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