第6話 無駄に悩んでしまいました。

 穂ノほのくにのオヒトに会いに出かけたカヒラが戻ってきたのは、その三日後の日暮れ時だった。


 国守を継ぐまで朝廷の警護をしていたカヒラは、今でも出かける時にともを付けない。多少歳は取ったとはいえ、四十手前。腕はまだまだ衰えていないと豪語する。それに、単騎で駆けていく方が、逆に賊には目を付けられづらいらしい。


 ――などと言い訳をしながらも、実は護衛を雇う余裕がないというのが一番の理由である。


 カヒラの呼吸と馬のひづめの音が聞こえてから、ユキノは出迎えに御館みたちを出た。


 馬の背には出かけて行った時と同じ荷物しか乗っていない。ユキノはそれを見て、落胆と同時に安堵するという複雑な気分を味わった。


 これはもう覚悟を決めろってことよね。


 米の一俵でも乗せられていたら、またトウガを手放せなくなるところだった。手ぶらでよかったのだ。


「父様、おかえりなさい。無事のお戻り何よりです」


 別に皮肉を言ったつもりはなかったのだが、カヒラは困ったように笑った。


「留守をありがとう。土産がなくてすまんな」


「父様が気にすることじゃないわ。でも、叔父様とどんな話をしたのかは聞かせて」


「それは食事をしながらでも」


 ユキノは手綱を預かり、馬の世話を終えてから夕餉の支度に入った。




「穂ノ国の状況はどうだったの?」


 くりやの机をはさんで食事を始めながら、ユキノは聞いた。


 カヒラは「うーん」とうなったきり、なかなか話を始めない。言葉を選んでいるようにも、何から話そうか思案しているようにも見える。


「あちらなら古米が充分に残ってるはずだから、この増税も問題ないでしょ?」

「結局のところ、そういう問題ではなかったんだよね」


 カヒラは汁物をずずっとすすってから重そうに口を開いた。


「どういう問題だったの?」

「あまり大きな声では話せないことなんだけど――」

「この御館にはわたしと父様以外いないわよ」


 本当は床下に一人いるけど。


 そんなことを思いながら、ユキノはカヒラを促した。


「夏が過ぎたあたりから、大王おおきみが病に伏しているんだって」


 ユキノは口に運ぼうとしていたさじを止めた。


「先は長くないっていうこと?」


「たぶん」と、カヒラは硬い顔でうなずく。


「新しい年を迎えられるかどうかというところらしい」

「つまり、今回の増税はもともと人集めだったと?」

「ユキノは相変わらず話が早いね」


 カヒラはまいったというように笑った。


 風の民の動きを見ても、朝廷周りで何かが起こっているのは確かだった。


 まさか大王の代替わりだったなんて――。


 先の大王が亡くなったのはユキノが生まれる前の話だが、その時も御陵ごりょう(墓)づくりに各地から大勢の人が集められた記録は残っていた。


 先の大王は急死だったので、その後すぐに臨時の税が課されたが、今回は病。亡くなるのを待っている間に準備は進められる。


 とはいえ、『御陵づくりのために人を集めている』となると、大王が死ぬのを待っているようで外聞が悪い。だから、朝廷は今年の税を増やすという形にしたのだろう。


「それにしても、ここがいかに辺境かわかる話ね……」


 とにかく朝廷周りの情報が入ってこない。大王の代替わりが近いことすら知らされていなかったのだ。さすがに皮肉の一つも言いたくなる。


 書簡を持ってきた使いに、もっとしつこく聞けばよかったわ……。


「そういうわけで、穂ノ国もすでに人を集めて波ノはのくにに送っているとのことだった」


 御陵は大王の母の出身国に作られる。今の大王の場合は波ノ国――この秋、高波の被害にあった国だ。


「なるほど、壊れた塩田を修復するのと同時に御陵づくりを進めるにはちょうどよかったと」


「まあ、そういうことだね。うちはかき集めてもたかが知れているから、単なる『増税のお知らせ』が来たらしい」


「朝廷にとっては微々たる労働力かもしれないけど、この国はそのわずかしかいない働き手を奪われるのよ。あくまで税という形での徴収なんだから、他のもので何とかしたいところだわ」


「だからって、代わりになるものもないからねぇ」


 ユキノは椀と匙を置いて、座り直した。


「父様、わたしが都へ行きます」


 カヒラも食事の手を止めて、ユキノをまっすぐに見つめてきた。


「そう言ってくるとは思ってたけど、ダメだよ」


「父様! わたしももう子供じゃないの。今度こそ国守の娘としての責務を果たすわ」


「ユキノ、今、この時に采女うねめになるという意味がちゃんとわかっている?」


「わかってるわ。領民で税を払うのなら、その前にわたしを使うべきでしょう」


「それはわかっているうちに入っていないよ」


 カヒラはやれやれといったようにため息をつく。


「どういうこと?」


「大王の埋葬には采女も付き従う」

「それってつまり……殉死じゅんし?」


「今の後宮に入っても、もって数カ月。命を無駄にするだけだよ」

「そんな……」


「君が死ぬのをわかっていて、都へ行かせるわけにはいかない。どうしてもって言うなら、新しい大王が即位されてからにしなさい」


「では、父様は今回の増税は仕方ないと、領民を出すつもりなの?」


「君と違って領民を波ノ国に行かせても、必ずしも命を落とすわけではないからね」


「そうかもしれないけど――」


「ユキノ、国守は僕だよ。その僕が決めたことだ。何かあって責任を取れるのも僕だけ。この件に関して、これ以上ユキノの意見は聞かないよ」


 カヒラの揺るがない目を見て、ユキノは「わかりました」とうつむいた。


 いつもニコニコしているカヒラだが、時々こういう目をする。ユキノが何を言っても無駄な時だった。


「ユキノ、いろいろ悩ませてすまないね」


 なだめるようにカヒラに声をかけられて、ユキノはキッと顔を上げた。


「そうよ! 父様がぽやんとしてるから、朝廷の情報も入ってこないのよ! 夏過ぎからですって? 大王が病になられてから、どれだけ時間が経ってると思ってるの!? もっと早く知ってたら、打てる手もあったかもしれないのに……!」


「本当に面目ない……」と、カヒラはしょぼんと頭を落とした。


 ああもう、こんなのただの八つ当たりだわ……!


 悩んで悩んでようやくトウガと離れる覚悟をしたというのに、これでは無駄に悩んだだけだった。


 それとも――


 こうしてまだ縁が続くということは、この先に期待してもいいということなのだろうか。そんなことを思ってしまう自分にも腹が立っていた。


 ユキノはガツガツと夕餉ゆうげをたいらげ、「ごちそうさまでした」と席を立った。

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