来襲

昼下がり、山下群司令は、勤務室でうだうだしていた。すべき仕事も大方片付け、同室していた山田くんも、副官席で時々うとうとしていた。山田くんは『副官』と呼ばれる士官で、一般の組織で言うところの秘書みたいな役割を担っているのだった。


山下群司令は、上司の航空幕僚長に貸しを作ってしまい、高級ステーキを奢る羽目になった。そのための予算交渉のための家内との戦いを思い出していた。なんとか家内に高級ステーキ代を出してもらうことに成功したが、その代わりしばらくの間お小遣いを20%もカットされてしまった。これは、勝利と言うべきなのか、それとも敗北と言うべきなのか、などと本人にとっては深刻だが、他者から見たら割とどうでも良いことをぼーっとした頭で考えていた。部屋には午後の日差しが差し込み、このまま居眠りをずっと続けていたい。


そこに急な連絡が入った。インターフォンに出ると、第1妖精隊群のナンバー2、副司令の小田1等空佐からの連絡だった。


「群司令!緊急事態です!」


「な、何?どうした?何があった?」


「妖魔およそ200体の出現を確認」


「場所はどこだ?」


「妖精研究所上空に密集して浮遊中です」


山下群司令は、執務室を飛び出した。慌てて副官の山田くんも続く。


目的地は、地下の指揮所だ。エレベータのボタンを押す。なかなかこないエレベータが本当にもどかしい。

指揮所に飛び込むと、司令部のメンバーは大方揃っていた。副司令の小田1佐を始め、司令部要員が各席にいる。急いで、指揮官席に座り、部下に状況を確認した。


「どうなっている」


副司令が指揮官席まですっ飛んできて、席に座る群司令の側に立ち、手を後ろで組みつつ状況の説明を始めた。


「敵勢力、妖魔約200体、妖精研究所上空から動きはありません。攻撃も今の所なし」


「第1妖精隊の第2中隊出撃準備中。第3中隊は、アメリカ合衆国で研修中です。第1中隊は非番で授業中でしたが、現在基地に向かっているとのことです」


「関西の第2妖精隊は?」


「第2妖精隊麾下の部隊のうち第6,7中隊が準備中。第5中隊は現在、第3中隊と共にアメリカ合衆国で研修中」


「わかった、他には?」


「航空総隊から通達あり。陸自の支援ヘリコプター隊が急行中」


「それと」


「なんだ?」


「最大望遠なので、解像度があまり高くありませんが、これまでに記録されたことのないタイプの妖魔を1体確認しました」


「どんなやつだ?」


「通常より、ひとまわり大きいのです。さらに」


「AIで画像解析したところ、ツノのようなものが2本生えてることが確認されました。まるで、自分が指揮官だと言わんばかりに」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


第1妖精隊第1中隊は、基地内特別学校において数学の演習を行なっていた。自衛隊内では士官クラスの高位の自衛官だが、学内ではただの生徒扱いである。通常はそんな少女たちが士官になることはありえないが、妖精隊員は特別だった。


隊員はそれぞれ対応する学年が異なるため、数学の先生がそれぞれの机に出向いて教えて回りつつ、上の学年の子が下の学年の面倒も見ていた。


学校では最上級生で、自衛隊では中隊長の荒川祥子は、唸り声を上げていた。


「なんでマイナスの数のルート取んなきゃいけないの。一体なんの意味があるの!?」


そのうめきに南りかが答える。


「それを虚数というのだよ、しょーこ。虚数のおかげでどんな2次方程式も解が解けるようになるのさ」


「あー、もう、なんで2次方程式が解ける必要があるのよ?」


「2次方程式は重要だよ。例えば惑星の軌道とかに関係してるのさ」


「惑星?ますます訳がわからないわよ。もう。あんたはほんと理系女ね。男子にモテないわよ」


「しょーこ。何言ってんだい?最近は理系で可愛い女の子が男の子の注目の的だよ。ギャップ萌えってやつさ」


「あー、ああ言えばこう言う」


妖魔よりもずっと難敵な数学の問題に大いに苦戦している祥子は、癒しを求めて後ろに振り返り、後輩の高野藍を見やった。彼女は一生懸命に与えられている問題を解いていた。その健気さが可愛い。祥子に見つめられている事に気がつき、手を振ってきた。


「あーーん、藍はほんと可愛いなぁ…癒されるぅ」


「はい、荒川さん、よそ見禁止ですよ」


先生に注意された。


「きひひ、歴戦の勇者も数学の問題はからっきしだめだねぇ」


「うっさい、りか!ほっといてよ」


こんな学園生活を送っていると、自衛隊員として危険な任務についていることなど、何かの悪夢のようにも思えてくる。強いて言えば、数学の時間は居眠りの時間にしてくれればもっといいのだが。


そう思っていたとき、不意に強い悪寒を感じた。


「え、何?」


強い悪寒を感じたのは祥子だけではなかった。


「しょーこ、これは!?」南りかが問い掛けてくる。


「りかも感じた?」


その刹那、教室内で非常警報が鳴った。これは非常召集が要請された場合に鳴るものだ。通常授業中の隊員は勉学が優先されるため通常出撃命令が出されることはない。それでも招集されるということは、それだけ事態が逼迫していることを意味する。


この悪寒は間違いなく、妖魔が近くに出現したことを示していた。大体の方向も感じ取れる。祥子は窓から外を見た。思った通り遠くに妖魔の集団らしきものが見える。あの辺には妖精研究所があったはずだ。


数学の先生が、「お、落ち着いて、皆さん、落ち着いてください!」と叫んでいるが、おそらく先生が一番教室で慌てていた。


「先生、大丈夫です。落ち着いてください。あたしたち第1中隊は、非常事態によりこれより本部に向かいます。先生は地下シェルターに退避を」


「わ、わかりました、あなたたちも気をつけて」


階段を降りるのももどかしい。『跳躍』の能力を発現させて窓から飛び出すことにした。『跳躍』によりこの空間の軸から体をずらすことで重力の影響が非常に小さくなり、体が紙よりも軽くなる。ただし、特殊な素材でできていない制服などは『跳躍』するとかなり傷んでしまう。


「みんな、窓から出るよ、『跳躍』して!」


「「はい!」」中隊の面々が返事をする。南りかだけは、


「制服代は出してくれるんだよな?」と替えの制服の心配をしていた。


祥子たちは、窓から飛び出し、本部へ、更衣室へ急いだ。途中、通信機に第1妖精隊司令の袴田陽子から連絡が入った。


「祥子、今どこ?」


「本部へ向かう途中。飛んで向かってる」


「あんた、許可なく『跳躍』したでしょ。ほんとは私か副長の許可が必要なんだからね。非常時だから仕方ないけど」


「ごめん、急いでたから」


「新しい制服代は、祥子だけ自腹ね」


「ちょ!それひどい」


「じゃあ、頼んだわよ、第2中隊と一緒に出て。関西の第2妖精隊もこっちに急行してるからそれまで持ちこえたえて!」


「了解!」


急いで、本部通用門に飛び込み更衣室へと向かう。隊員の装備が更衣室にあるためだ。妖精には武器は基本必要ないが、装備がないとかなり危険だ。妖精の装備は下着も専用のものなので、全部脱ぐ必要がある。急いで制服も下着も脱ぎ捨てて、素っ裸になる。りかのロッカーは祥子の隣だ。つい、彼女の裸を見てしまった。


「ちょっと!前より胸が大きくなってない?どういうこと?」


「僕はまだ発育期なんだよ、君と違ってね」


胸が少々小ぶりなのが悩みの種な祥子にはこれはかなり腹が立つ発言だった。


「むかつくー!小ぶりなの好きな男子だっているんだから」


「さて、君のお兄さんは大きいのが好きなのかもよ」


「そんなことないもん!お兄ちゃんは小ぶりな子が好きなんだもん!!」


「きひひ、賢さんに今度聞いてみようぜ。どんな胸が好きなのかをね」


などとスキンシップ(?)をしつつ、第1中隊の準備が終わり、既に準備を終えている第2中隊と共に出撃した。


第2中隊の隊長は堀田あかりだ。今は髪をアップにしているが、普段はロングストレートの、切れ目で、妖精隊一の美少女で、もし高校に通っていたら生徒会長でもやってそうな、堀田早苗ラブな姉で、とにかく属性てんこ盛りな人物だ。


「堀田先輩!頑張りましょうね」


「荒川さん、あんまり無茶はしないようにね。うちの早苗をお願いね」


堀田あかりは、とにかく二言目には「早苗」が出てくる妹への愛が重い美少女だった。堀田あかりは第2中隊を引き連れ妖魔の集団を挟んだ向こう側に陣取る。


祥子たち第1中隊が妖魔の集団へと近づく。妖魔たちは、不思議なことに、研究所上空でじっとしたままだった。


さらにおかしなことに、集団に一体、一回り大きな個体がいた。バッファローのような不釣り合いなツノまでつけて。


堀田早苗が、思わず口走った。


「何あの、変なの?ツノみたいのつけて」


すると突然、無線機に誰かが割り込んできた。


「オイオイ、ツノがついてンだから、このオレ様がこいつらの頭だってわかンだろ!」


祥子が思わず声を上げた。


「だれ!?勝手に無線機に割り込んだおっさんは!?」


声が答えた。


「オイオイ、おっさん呼ばわりはネエだろ。目の前のツノのついた俺様の声がわかんネェのかよ、嬢ちゃんたちにはよ」


「え、まさかあいつが喋ってるの?どうやってこの回線に割り込んでるの?」


「キケケケケ。てめえらのその子供のおもちゃみたいな通信機に割り込むなんざ簡単なンだよ。その紙みたいなセキュリティーをなんとかしやがれ」


「あ、あんた何者?大体妖魔がなんで喋れるの?」


「俺様を周りのバカなこいつらと一緒にすンなよ。ところで何者って質問の答えだがよ、俺様は女王様にまだ名前もらってねえンだわ」


祥子以外の妖精隊員はただ黙って聞いてるだけだった。喋る妖魔という未知の存在に誰もが動揺を隠せない。


「てめえらは俺たちのことを『妖魔』とか呼んでやがンだろ?そいなら、こいつらの頭の俺様はさしずめ『妖魔将』だな!今思いついたんだが、どうだ?カッコいいだろ!ウチんとこのちょいと厨二病とやらを拗らせた王様が喜びそうなネーミングだぜ!ケケケケケ」


「こいつ、ふざけてる」祥子が舌打ちする。


そこに南りかが通信機をミュートして荒川の耳元まで近づいて喋った。


「しょーこ、あいつのペースに乗せられちゃダメだ。あいつが何者か僕もわからないし動揺もしてるけど、もうこれ以上聞く必要はない。いつものように淡々と作戦をこなそう」


「わかったわ」


祥子は通信機をオフにして地声で周りのと隊員に号令をかけた。


「いい、みんな!いつもの作戦をで行くよ」


「「はい!!」」第1中隊の皆んなが答えた。あの妙な妖魔に聞かれないよう、通信機をミュートしてるので向こう側の第2中隊と連絡が取れないが、堀田先輩ならこっちの意図を正確に把握するだろう。


「おい、とっとと来やがれよ、小娘共!とっととこねえからこうしてやるぜ」


『妖魔将』を名乗るこの個体は、手を下に向けて、「ふん!」と力を入れた。


その直後、真下にある研究所で爆発が起こる。


「え!?そんな、あそこにはお兄ちゃんがいるのに!」祥子が叫ぶ。兄が心配だが今はそれどころではない。きっと地下シェルターに避難しているはずだ。兄の無事を祈りながら、祥子は号令をかけた。


「くそ!みんな作戦通りについて来て!」


隊員がそれに反応して、妖魔から遠ざかる。妖魔の習性により集団で動いている隊員を追いかけるはずだ。実際、妖魔の一団が追いかけてくる。


「散開!」祥子の号令により、密集していた隊員が散開する。通常妖魔はすぐ止まらず直進する。その隙に妖魔の後ろに回り込み攻撃するのだ。


しかし、妖魔達は、この動きを予測していた。妖魔達は散開し後ろに回り込もうとした瞬間、さらに同じように散開して後ろに回り込んできたのだ。


後方から襲われた第1中隊を助けるべく、第2中隊が全力で向かってくるが、今度は別の妖魔集団に阻まれて身動きが取れなくなった。


「オイオイオイ。木偶の棒なこいつらだけじゃなく、俺様もいンだぜ。そんな子供みてえな手に引っ掛かるワケねぇだろ、小娘供」


危険な状況だ。このままだと全滅も有り得た。そこに通信が入った。


「支援ヘリコプター隊が赤外線弾を打ち込むわ!皆んな、目を瞑ってて!」袴田陽子の声が通信機に入る。


陸上自衛隊のヘリが妖魔に向けてミサイルをぶちこむ。


ミサイル自体には妖魔にダメージを与える性能はないが、妖魔はどうやら赤外線によって周囲を認識しているらしく、このミサイルは爆発すると大量の赤外線を放出する、言わば目潰しのためのミサイルだった。人間の目はこの赤外線を感じることはできないが、大量に浴びてしまうと失明してしまう可能性があった。隊員達は、通信が入った瞬間、目を閉じた。


ミサイルが爆発し大量の赤外線を浴びた妖魔達の動きが鈍る。


「支援ヘリコプター隊の後方に下がりなさい、早く!」


司令機に搭乗して空から指揮を取る袴田陽子の指示を受け、妖精隊員達は動きの鈍った妖魔の間をすり抜け、攻撃ヘリの後方へと避難したのだった。


「祥子、被害状況は?」


「負傷者数名、ただし全員自力で離脱可能」


祥子は負傷者たちを集め、急いで基地に戻るよう指示した。その中には藍もいた。


藍は「先輩!私大丈夫です。かすり傷ですぅ」と言いつつ、痛そうに腕を押さえていた。


「だめ!藍も基地に戻りなさい!どこがかすり傷なの!」と祥子が怒ると渋々藍は他の負傷者と共に引き上げていった。


引き上げる妖精隊員を見送りながら祥子は陽子との通信を続けた。


「あの変なやつが通信に割り込混んできたけど、暗号方式を変更したから暫くは大丈夫なはずよ。多分。あいつをなんとかしさえすれば妖魔達はいつものお馬鹿な奴らに戻るというのが司令部の見立てだわ。なんとかやつの隙をついて攻撃できない?」


「やってみる、陽子お姉ぇ。あのチンピラみたいなやつ絶対倒してやる!」

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