研究者視点①

「………………う」


 寝ていたのか……?

 いや、違う。そうだ。嵌められて、追い出されて……ああ駄目だ、記憶が曖昧になっている。

 ええと、確か、迫ってくる連中から逃げて、■■市の方へ行こうとして……攻撃された?

 そうだ、あの十字路の辺りで、後ろから……となると、私はもう……いや、それは無いな。

 元とは言え、あんなのを研究していた研究者。今更になって死後云々とか、そんなスピリチュアルな物を信じることなど出来ない。

 とりあえず、今現在の状況を確認してから‥……ッ!?


「これは……」


 体が動かない……椅子に縛りつけられている……!?

 縄抜けは……出来そうにないな。ご丁寧に全く体が動かせないようにされている。

 ……というか、そもそも縄抜けしたところでという問題だよな。

 こんな穴の空いた足では、まともな抵抗すら難し────


「俺がやった」

「ッ!?」


 男だ。見た目は若いが……社会人では無いな。高校生か大学生だ。

 日本人らしい黒い髪と黒い瞳に、白いマスク。

 恐らく運動系の何かに所属しているのだろう。腕から覗く筋肉はよく発達している。

 しかし……彼は一体…………?


「君は…………誰だ?」

「……こう表現して良いのかはわからないが、生存者だ」

「生存者……いたのか……?」


 馬鹿な。この時代の時期にエアコンはおろか、窓すら開けていない人間がいるだと?

 正気の沙汰とは思えない。気でも狂っているのか?この男は。

 もしくは何かしらの病に犯され……てはいないか。肉体が健康を全力で表現している。

 ……あぁ、もしかして、トレーニングの一環だったのか?

 人体について多少知っている身からすると、即刻止めることをお勧めしたいが……


「では、次は俺の質問に答えて欲しい……貴方は何だ?何処の誰なんだ?」


 ッ………………これは……どうする?偽るべきか……?

 彼は生存者だ。馬鹿正直に研究者などと名乗れば、それこそ殺され……

 ……あ、そう言えば私、バッチリ白衣着てた。

 あークソ、失敗した。脱ぎ捨てておけば良かった。これでは嘘を言っても速攻でバレる。

 いくらでもタイミングはあったのに……完全なる失敗だ。正直に言う他に何も無い。


「……研究者だ。あそこの■■■病院で、研究者をやっていた」

「……そうか」

「ッ……」


 元々低かった男の声が更に一段低くなる。……どうしよう。

 ……最悪死ななければ何でも良い……何か……そうだ、体を差し出そう。

 これでもルックスとスタイルには自信がある。髪とかは先程の逃走中に乱れているかも知れないが、それでも大抵の男なら釣れる……はずと思いたい。思春期ならば、なおさらだ。

 しかし、これでも正直賭けだ。男の憎悪が欲を上回れば普通に殺されてしまう。

 やはり…………いや、もういい。当たって砕けろだ。どうせ賭けなら盛大にやってやれ。


「……な、なぁ、どうだ?取引といこうじゃないか」

「………………取引?」


 男が疑念に満ちた目でこちらを見る。底冷えするような、絶対零度の瞳だ。

 あまりの恐怖に口を噤みそうになってしまう。

 しかし、ここで弁を止めるわけにはいかない。


「あぁ、そうだ。取引だとも。まず、私の右足の靴を取って、足を見てくれないか?」


 男は少し考えてからゆっくりと私の前に跪き、靴を外してゆく。

 小さいとは言え衝撃を受けた傷が痛むが、別に耐えられないわけではない。

 歯を食いしばり、声を抑える。


「…………これは」


 若干の驚きが混ざった声。これは手応えがあったか。

 しかし、ここで急いではいけない。落ち着いて、順序立てて話さねば。


「見ての通りだ。君も察しはついているだろうが、あそこの病院……より正確に言うなら、私達が全ての原因なんだがね。私は他の連中と意見が食い違ってしまって、追い出されてしまったのさ」

「……それで?」

「ま、まぁ、落ち着いて聞いてくれよ。追い出されてしまったから私はもうあの病院には帰れないし、怪我もしているから、外に出ればあれらに殺されてしまうんだ。だから、私はなんとしてでもここに居たいんだよ」

「…………」


 男が足から目を離し、こちらの目を見た。

 相変わらずの冷たい瞳だが、その奥には先程とは違って何かを見出すことができる。

 それが何の感情かは読み取れない。しかし、何かを感じていることは確か。

 …………ここだ、ここで決める。


「そこでだ!君は私に『ここへ生きた状態で住み着く権利』をくれる代わりに、私は君に、『私の事を好きにしてもいい権利』をあげようじゃないか!」


 もう後先は考えない。どうなろうと最終的に生きていれば良いんだ。

 四肢を失おうが、耳を切り取られようが、目を抉られようが、生きていればなんとかなる。

 どんなに不利な条件であろうと、生存さえ保障されていれば構わない。

 ひたすらに相手に都合のいいことを捲し立てる。


「別に、悪い条件ではないはずだ!決して君に危害を加えない事も約束しよう!」

「わかった、受ける」

「それでも不安というのならこのまま椅子に縛り付けたままでもいいし、首輪を繋いでくれても構わない!なんなら腕を切り落……へ?」


 あれ?……あ、あれ?思ったよりあっさり……

 え?えー……あー……えー……?

 もしかして、思春期の男って思っていた何倍もチョロいのか?

 いや、もしかしたら聞き間違いって可能性も……


「受ける」


 無かった。


「い、いいんだね?……よし、それじゃあ契約成立だ!…………ふぅ」


 体が弛緩する。どうやら私は私が思っていた以上に緊張していたらしい。

 ……しかし、まだ安心は出来ない。こんななんの強制力も無い契約、向こうが破棄しようと思えばいつでも破棄できてしまう。

 やはりそこは体で何とかしなければならないんだろうが……できるだろうか?そんな類いの経験は一回もないし、飽きられないようにするにはどうすればいいかとか、その辺全く知らないぞ?

 あー……何で過去の私は全ての時間を研究にぶん投げてしまっ────


「あ?」


 いきなり体がずり落ちる。どうやら、男が私の拘束を解いたらしい。

 ハサミを持った男が視界の端に映っている。

 一体何のために……ああ、そうか、まぁ確かにあんなぐるぐる巻きだと邪魔だよな。


「あぁ……成程、早速か……」


 体の下に腕が差し込まれ、持ち上げられる。行き先は一つだろう。

 初めてがこんなのというのも少し残念だが、仕方がない。命よりは安いんだ。

 下ろされたのは、やはり柔らかい感触。視点の低さ的に布団だろうか。

 ……さて、覚悟を決めるとしよう。全身の力を抜き、目を閉じて、その時を待つ。


「…………あれ?」


 しかし、聞こえてきたのはドアの開閉音。

 ゴムでも取りに行ったのかと思ったが、いつまで経っても帰ってこない。

 まさかこれが放置プr…………あ、拙い。いきなり眠気が──────

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