第二十話 女帝の逆転劇

 墓を暴くなど、大罪中の大罪だ。死罪も免れない。


「本当にごめん! 叔英シューイン! こいつのことだから、えげつない脅迫でもしたんだろ!」

「む。失礼ですね。彼は自ら名乗り出てくれたのですよ」

「そうだぜツァイどの。俺はあんたを守りきれなかった。これぐらいはしないと、示しがつかん」


 花鈴ファーリンから暗殺未遂の話は聞いてたぜ、と叔英シューインはいう。


「あんた、帝が俺を寄越すと思ったから黙ってたんだろ。でも帝には、いざと言う時はあんたを優先してくれ、って頼まれてたんだぜ」

 私を殺しても意味が無いもの、と美雨は言ったらしい。意味が無い?

「豪族派も外戚派も、今皇帝を失う訳にはいかないってことですよ。

 何せ、残る世継ぎはただ一人、阿嘉アジャだけなんですから。美雨メイユーさんが死んだあと、幼児のうちに死なれたらホントに後がありません 」

「そう。まああんたの配慮も無駄じゃなかった。何せ軍事演習が行う前は、豪族派が帝をよく思っていなかったのも事実だからな。……けど、風向きが変わった」

「風向き?」

「ああ。帝の新しい兵法は、いつ他国に襲われるかもしれない地方の豪族たちにとっては、喉から手が出るほど欲しいものだったんだ」


 あ、と僕は気づいた。

 そうだ。彼らには豊かな海の資源がある。交通要所でもある。逆に言えば、

 彼らが財を欲するのは、ひとえに軍事力を個々で維持する必要があるからだ。――彼らは、内陸にある河安の人間を信用していない。

 前線に立たされる彼らは、河安に、皇帝にいつ切り捨てられるかわからない存在だ。おまけに、孝武帝にはシメられているし。

 その不信と恐怖を取り払わないうちは、塩の専売制をめぐっての争いはやまない。


「帝は強い皇帝であること、いざと言う時は地方を助けるという姿勢を示したことで、豪族派は皇帝を少し信じ始めたんだ。

 だが今度は、それを外戚派の連中が面白く思わない」

「彼らから見たら、自分の派閥にいた皇帝が裏切ったように見えますからね。しかも、皇帝の伴侶は藍大将軍の孫である李皇后と、ハオ兄さんだけ」

「だから僕を殺すしか方法がなかった……」


 美雨メイユーが、自分の夫は一人だけ、と宣言したから。

 僕を殺して、藍家の男と関係を結ばせようとしている。

 阿嘉アジャは大丈夫だろうか。悲しい思いをさせたり、傷ついたりしてないだろうか。心無い大人たちに声をかけられてないだろうか。

 多分、僕が死んだ時、美雨メイユーも李皇后も葬式で忙しくて、今もまだ落ち着いていないはず。花鈴ファーリンは今ここにいるし、叔英シューインに至っては犯罪行為行ってしまってるし。

 寂しい思いも、絶対にさせている。

 

 あいつが――多那如多ドナルドが、そばに居てくれたらいいけど。

 ……いや待て待て! なんで鳥に頼ってるんだ僕は! さっきの夢といいとち狂ってるな!


「ところで、ハオ兄さん」

 花鈴ファーリンは僕の肩に手を置いて、僕の目を見た。

「良いですか、落ち着いて聞いてください」

「な、なんだよ」

「あなたが寝ていた間に、美雨メイユーさんは、ありとあらゆる貴公たちを、数人ごとに閨に呼んでいるそうです」


 …………へ?

 閨?


「あと、藍大将軍がお亡くなりになりました」

花鈴ファーリンさんやい、そっち先に言ってあげな? ツァイどの精神的苦痛で頭に入ってねぇよ?」

「ただ、おかしいんです。藍大将軍が亡くなった今、藍家の力を削ぐ絶好の機会のはずなのに、美雨メイユーさん、そんな素振りを見せないんです」

花鈴ファーリン、崔どの聞いてないって。聞こえてないって」


 そ、そりゃ、僕死んじゃった(ことになってる)わけだし、男帝は多くの女を娶る必要があるのだから、美雨メイユーがしなくていい理由はなくて……。いや、でもちょっと早くない? 僕夫だよね? もう少し感傷に浸って欲しいな? まだ僕が死んでから、三十六日も経ってないよね? 喪、明けてないよね?


 ……というか、それを聞いて、礼学を重んじる高官たちはどう出るんだ?



 ■

 


 藍菫卿ドンチンは腸が煮えくり返る思いだった。

 己の夫が死に、しかも藍大将軍も死去した。それなのに、喪に服さずすぐさま淫蕩三昧とはどういうことだ。なんの権力のない、冴えない男を囲っておきながら、そいつを殺した途端、態度をひっくり返しよって。

 それとも、あの男を囲うのも退屈だったのだろうか。あの女は夫が死んだにも関わらず涙も流さなかった冷血だ。選ばれる男は全員見目麗しい男たちばかりだ。自分は特に美人でもないくせに。

 それでも、あの女は我が祖父によって皇帝になれたのだ。言わば父のような存在。それをコケにするようなことを!


 怒りを隠さず、藍菫卿ドンチンは皇帝の前に立つ。

 だが。


「あら。ご機嫌麗しゅう。山河侯」


 玉座に座り、気だるげに、しかし威圧ある皇帝を前に、藍菫卿ドンチンの威力は削がれた。

 ろくに纏められていない金の髪は、品のない色だと思っていたのに、まるでこの国を守護する、黄龍の鱗のように神々しかった。大きな鳶色の目は、まるで獰猛な鷹のような目をしている。

 藍菫卿ドンチンは、膝をついた。それは、礼学における皇帝への拝礼ではなく、逆らえない巨大な存在への、畏怖ゆえの行動だった。


 もしやこの皇帝は、自分たちの邪智を見通しているのではないかと。

 だが、美雨は気にすることなく、童女のような声で言った。


「この度は喪に服している時に朝礼に出るとは、ご苦労さま。礼学じゃ、親孝行を示すために、喪に服すのが美徳じゃなかったかしら?」


 その言葉に、はっ、と藍菫卿ドンチンは自らの行動に気づく。

 周りからは、藍菫卿ドンチンへの非難の目が向けられていた。藍菫卿ドンチンの背中に、汗が流れる。

 美雨メイユーが言った通り、礼学では親孝行を美徳とし、その忠孝を示すために葬式がある。いかに親のために泣き続け、家から出ず禁欲の生活が出来るのか。それを試されている。

 勿論、朝議に出るなど、以ての外だ。


 うふふ、と美雨は笑った。

「藍大司馬大将軍の働きは、あまりに大きなものでしたわ。藍大司馬大将軍がお亡くなりになったことは、この国の損失ですわね。

 一刻も早く、この損失を埋めなければなりませんわ」


 なので、と美雨メイユーは続けた。


「次の大司馬には、藍菫卿ドンチンに。そして

 大司徒には藍公卿ゴンチンに任命いたします」


 その言葉に、藍菫卿ドンチンは目を丸くする。驚いたのは、朝議に出ていた者たちもだった。どよめきが響きわたる。

 だが、美雨メイユーは全く何も気にしていなかった。


「働きを期待するわ。この国のために、頑張ってちょうだいね」


 藍菫卿ドンチンは、ニヤッと笑った。

 どうやら、藍家の天下は、揺るがないものであるらしい。


「はっ。謹んで、お受けいたします」



 ■



「ハア!? 藍大将軍の孫である藍菫卿ドンチンと、藍大将軍の兄の孫である藍公卿ゴンチンを、それぞれ大司馬と大司徒に任命した!?」


 花鈴ファーリンが届けた情報に、叔英シューインが大声で復唱した。

 それは、僕が目覚めてから、三日目のことだった。


「なんでだよ!? 今が藍家の権力を削ぐ絶好の機会だろ!? なんで権力を与えてるんだよ!?」


 藍家が崔どのに毒を盛ったことぐらい、帝も察してるだろ! と叔英シューインが叫ぶ。

 僕も驚いた。藍菫卿ドンチンは藍家の中でも礼学を重んじる人間だ。そんな男が、喪に服さず朝議に出たのか?

 ……朝議に出ざるを得ない、何かがあった。

 それは、もしかして、美雨メイユーが、そう仕向けさせた? そして、わざわざ親不孝な態度を公衆に晒した藍菫卿ドンチンに、大司馬を任命した? 何のために?


 ふと、美雨の声が脳裏でひらめいた。

『なんで大司馬が軍事と政務の頂点なわけぇぇぇ!』


 美雨は、大司徒が政務の役割を果たさず、大司馬が実質軍事と政務の頂点になっていたことを嘆いていた。それを、二人で分割した?

 権力を分割させるということは、つまり、その分

 大量の兵力を相手に、少数の兵力で戦う場合、狭い場所へ導き、二分させる。兵法の常套手段。


 そうか。

 美雨は、本気で藍家を解体し始めている――――!

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