第二話 偉い人がやって来た

「仕方ないじゃないの。ようやく物価が少し安くなったんだから。今のうちに買える分は買っておかなきゃ」


 ねー、と美雨メイユーは隣を歩いている雄鶏――多那如多ドナルドに語りかけると、コケ! と多那如多ドナルドが返事をするかのように鳴いた。


「……前から思ってたんだけど、何、その名前」

「えー、なんかそんな感じがしない?」

「どっちかというと、その名前はアヒル……いや、やめとく。消されそう」

 何が? と美雨メイユーは首を傾げる。気づかない方がいい。

 以前怪我をして我が家に入り込んできた雄鶏は、すっかり美雨メイユーになつき、こうして時々闘鶏に出ては荒稼ぎをしている。

 ……いや、コイツ本当に雄鶏なのか? ニワトリってサイズどころか僕よりも背丈があるし(どれほど屈強な男でも、このトリを超えているのを見たことがない。絶対六尺はあるぞ)、ニワトリの要素は頭だけで、尾は魚みたいにヒラヒラしてるし、何より羽の色が色彩豊かカラフルだし。なんなら光り輝いているようにも見える。なんなんだこいつは。そしてなんで皆この生き物に疑問を持たないんだ。なんか目がつぶらと言うか落書きみたいなんだけど。


「それにハオ、あなた、貧乏になったらクビになるんでしょう」


 その言葉に、僕はうっ、と唸る。

 下級役人は庶民とは違う。それを示すために、すくなくとも資産が四万銭なければ務まらないとされる。

 これは庶民が何もしなくても三年ほど暮らせるのだが、月に貰える禄は微々たるもので、実質庶民が貰える禄と変わらない。そのため下級役人の殆どは、副業をしたり、時には賭博で稼ぐものもいる。

 僕は賭博は好きでは無いが、力仕事も向いていないため、もっぱら美雨メイユーがこうして稼ぐのだ。

 

「……いや、闘鶏は別にいいんだよ。僕好きじゃないけど。それより、阿嘉アジャはどうしたんだよ」

花鈴ファーリンに頼んだわよ。さすがにあの子を連れて闘鶏にはいけないし、買い物で手一杯になるし」

 花鈴ファーリンに頼んでるなら大丈夫か、と思った時だった。



美雨メイユーさん! ハオ兄さん!」


 

 阿嘉アジャを抱えた僕の従妹、花鈴ファーリンが小走りでやってきた。

花鈴ファーリン、どうしたの? 阿嘉アジャに何かあった……わけじゃなさそうね」

 僕らの子どもである阿嘉アジャはキョトンとした顔で、僕らを見つめている。阿嘉アジャは髪の色は僕と同じ黒だが、髪質と瞳の色は美雨メイユーのを受け継いでいた。


 ハアハア、と息を荒らげて、花鈴ファーリンが言った。

「い、今! 宮廷から!」

「宮廷?」


 

「た、大将軍さまがぁぁ!!」


 ピキリ。

 固まったのは、僕だけじゃない。美雨メイユーも、石のように固まった。

 たっぷり間を空けたのち、美雨メイユーが尋ねる。


「……ねえ。大将軍さまって、、大将軍さま?」

「そうですよぉ! あの、天子さまに最も近くてめっちゃ偉い大司馬大将軍さま、藍仲卿ランジョンチンさまです!!」


 天子さまとは、つまり皇帝だ。

 皇帝に一番近い大司馬大将軍の、藍仲卿ランジョンチンさま……。


「「どぅ、どぅぇぇ!!!?」」


 偉い人が我が家にやってきたァ――!?



 ■



 黄河国は、大司馬・大司徒・大司空の三公が政を取り仕切っている。

 その中で大司馬は主に軍事を仕切っており、大将軍は大司馬と兼ねることが多いが、この大将軍にはもう一つ意味がある。

 それは、外戚勢力の長としての役割だ。

 昌帝の皇后は藍仲卿ランジョンチンの孫にあたる。また、幼い昌帝を支えたのも、藍仲卿ランジョンチンだった。

 この国の実質的な支配者は皇帝ではなく、この藍大将軍だと言っていいだろう。そんな人がどうして我が家に。


 我が家の客間に座っていた男は、僕らが帰ってきたことに気づくと、さっと立ち上がった。とても八十ちかくの老人とは思えないほど、美しい立ち姿だった。

 床に着くほど長い丈の長袍が、彼が高貴な人間であることを示している。――初めて間近に見た藍大将軍は、とても優しそうな顔をしていた。

 名君であった孝武帝の時代から名将軍として名高い方だから、もっと怖い人だと思っていた。刻まれた目尻の皺が、目を細めることで、藍大将軍の雰囲気を柔らかくしている。

 だが、僕らはただの下級役人とその家族。少しでも失礼がないように、拱手をして膝をつき、頭を下げよう――として、


 先に、藍大将軍が頭を下げた。

 それも、叩頭だ。

 最上級の礼である叩頭は、頭を地につける。皇帝に対して行うものだ。

 呆然となる僕らに対し、藍大将軍はこう言った。


「その髪、その瞳……陛下と瓜二つの面差し……お目どおりが叶い、光栄でございます。美雨メイユー殿下」

「…………は?」

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