第八話 夫VS元婚約者にございまする

 城郭を揺るがすような大歓声があがった。

 

 上ノ方かみのかたの御前試合は一種の祭りだ。

 この日ばかりは老若男女貴賤を問わず、一丸となって熱狂する。


 広間で相対するは、二人の男。


 一人は城主の長男、下松真兼しもまつまさかね

 いま一人は同じく次男、下松影雪しもまつかげゆき


 両名ともにを手にしている。


「ゆくぞ」


 真兼が叫んだ。


 四方を取り巻く観衆の中で椿姫つばきひめがそっと笑む。


 彼女は、先刻夫と交わした会話を思い出していた。


 

 

 **************************************

 

 


「な、なに!? 真剣にて勝負しろじゃと?」

「殿、お声が大きい」


 あまりの驚きに素っ頓狂な声を上げた真兼を、椿姫がいさめる。

 すでに城内の一角に移動し、人払いを済ませていたが、念のため周囲を探る。

 誰にも聞かれていないことを確認すると、密談を再開した。


「……あの変わりようです、影雪様は今後、殿のお立場を脅かす存在になるかと存じます」

「………………」

「ちょうど良い機会ですので、弟君にはここで身罷っていただきましょう」

「身罷るのではなく、わしに殺せと申しているのでは……」

「そこはそれ。ということで済ませればよいのですよ」


 椿姫はぺろりと唇を湿らせる。

 

「御館様はあの通り戦一筋のお方。これから先、万一、影雪様が武勲をお立てになることがあれば、次期領主の座を譲るのは、次男の方がふさわしいなどと仰りかねませぬ」


 たしかにあの父なら言い出しそうだ、と真兼。


「だからこそ親父の留守中に、と」


 夫の言葉に、椿姫はニッと笑んだ。


「さすれば、次代の領主は真兼様で決定いたしまする。もちろん、舞姫もたやすく側室に迎えることができまするぞ?」

「……!」


 真兼の顔色が変わる。


 ――あの美しく、知的な女を手に入れることができる


 それは甘美な響きを伴って、彼の胸中を突いた。


 椿は、夫のそんな様子を冷ややかに眺める。


 ――ふん、たわけが……


 心の中で唾を吐く。


 彼女も舞姫同様、別に真兼を愛しているわけではなかった。

 

 彼と結婚した理由は一つ。

 である。


 幼い頃から身分の差を鼻にかけ、ことあるたびに小馬鹿にする態度をとられてきた(少なくとも彼女の主観ではそうなっている)椿は、姉に並々ならぬ劣等感を抱いていた。


 歪んだ彼女の心は一つの価値観を生み出した。


 姉の物は私の物。

 私の物も私の物。

 くれてやるのは、カロリーだけ――


 これが人生哲学として、心の底に根付いていたのだ。


「そうじゃな、それがよい……よし、殺るか!」


 都合の良い話を吹きこめばたやすくコントロールできる夫は、いつものように期待通りの言葉を宣った。


 ――本当に馬鹿な男だ。領主の居ぬ間にそんな事態を引き起こしたら、嫡男であってもただでは済まぬだろうに

 

 椿の瞳に暗い光が灯る。


 さっきはついカッとなってしまったが、あの女が側室になるなら、かえって都合が良い。

 奥の間では正妻の自分の方が当然立場が上だ。

 

 末永く、いびり続けてやる。


 

 

 **************************************

 

 


「影雪よ、そう気を張るな」


 真兼は弟に、ひょうげた声で話しかけた。


「木刀ではなく、真剣にしたのは、あくまで場を盛り上げるための茶番よ。刃は潰してあるゆえ、安心せい」


 というのは嘘で、潰してあるのは影雪の刃だけだ。


「……一つお願いがございまする」

「なんじゃ?」

「刀ではなく、私の愛用の品を使わせていただきとうござる」


 弟の言葉に、片眉を上げる真兼。


 影雪は刀を小姓に手渡すと、代わりにある物体を受け取った。


 40貫(約150kg)は下らない鉄の塊だ。


「……………………それは?」

「マサカリにござる」


 たしかにそれは斧の形をしていた。


「鍛錬の際に使用していた物でござる」


 この時代、ダンベルなどはなかったため、筋トレ用に鍛冶屋に頼んだ特注品だった。


「ご安心召されよ。鍛錬用なので刃は潰してござる」


 ――いやいやいや刃が潰してあるとかじゃなくて、あんなの頭を掠めただけで、普通にスイカ割りになるだろ


 そう思ったものの、自分の方から武器の変更を提案した手前、嫌とは言いにくい。


 観衆も「なんじゃあれは!?」とか「これはすごい対決が見れそうじゃのう!」などと騒ぎ始めてしまっている。

 皮肉にも、余興を盛り上げるという状況が成立してしまっていた。


「よ、よかろう! 受けて立つぞ影雪」


 やむを得ずそう叫ぶ真兼。


 …………落ち着け。あんな鉄塊をたやすく振り回せるはずがない。

 こちらは免許皆伝の腕前なのだ。奴があれを振り下ろすころには、とっくの昔に俺の刀が、奴のそっ首をはねているに決まっておる。


 真兼が腹をくくると同時に 審判が叫んだ。

 

「いざ尋常に勝負始め!」




 一方、観客の最前列では、舞姫が冷徹な眼差しで事態の推移を見つめていた。


 ――これは妾の夫の勝ちじゃな


 影雪が件の獲物を手にした瞬間、彼女はそう確信する。


 舞姫がこの試合のために考案した策は一つ。


 それは――


「キェェェェーッ!」


 間合いに入った真兼が攻撃をしかけた。


 電光石火の白刃が影雪へと迫る。


 勝利を確信したか、真兼の口の端がにやりと歪んだ。

 

 が――


「フンッ!」


 彼女の夫は、腰だめにしたマサカリをバットの素振りのように振りぬいた。

 真兼に対してではなく、真兼の持つ刀に向かって。


 きぃん、という澄んだ音が響いた。


「はえ?」


 真兼が呆けた顔で、柄しか残っていない自らの刀を眺める。


 遅れて、ドスッという鈍い音が少し離れた場所で上がった。


 シーンと場が水を打ったように静まり返る。


 ちょうど椿姫の眼前に、抜き身の刃が突き立っている。


 試合を眺めていたほとんどの者が、そこに至って初めて、影雪の斧が刀をへし折ったのだと理解した。


「ひ、ひぃぃぃっ!」


 椿姫が腰を抜かして、ぺたんと座り込んだ。

 

「長引けば技量の差が出るは必然。よって、最初の一撃で獲物を破壊する」


 それが舞姫の考えた戦略だった。


「なにやら企んでいたようじゃが、武器の変更とは墓穴を掘ったのう、殿」


 夫が無言でマサカリを真兼につきつける。


「ひいっ!」


 かつて一方的に婚約破棄を言い渡してきた男は、世にも情けない声を上げてぺたんと尻餅をついた。


「ま、まいった……」


 審判が影雪の方を示して、旗を上げる。


「勝負あり!」

 

 再び城郭全体を揺るがすような大歓声が上がった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る