第二話 どうやら妹に、はめられていたようにございまする

 ――栄養不良


 一言でいうと、それが舞姫まいひめの体調の悪さの原因だった。

 

 彼女の食生活は極めて質素であった。

 

 いや、質素などという言葉で表現するのは、生ぬるい。

 なにしろ毎食口にするのが、幼い子供の一口分程度なのだ。


 そんな生活を続けていれば、当然体に必要な栄養も足りなくなる。

 肌や髪が荒れるのもむべなるかな。


 ――とはいえ、彼女も子供の時分は普通に食事を取っていたのだ。

 だが、ある日、体に異変がおき、それまでの生活習慣を改めざるを得なくなった。


 太り始めたのである。


 別段暴食したわけでもなく、日々の献立を大きく変えたわけでもない。

 これまで通りの生活を送っているのに、なぜか目方がぐんぐんあがってゆく。

 それも、一週間前の着物がもうキツくて入らないというレベルで、だ。


 これはまずいと思い、食事の量を減らしてみたが、やはり体重の増加は止まらなかった。

 

 同じ食生活の椿姫つばきひめは変わらぬのに――というか、妹の方は御用聞きなどから送られる菓子まで節操なく食べ散らかしているにも関わらず――彼女だけが太ってゆく。


 思い悩んだ舞姫は、ついに絶食を敢行した。


 すると、さすがに体重の増加はおさまったものの、ホッとする間もなく、今度は別の変化が現れた。


 体調不良である。

 

 めまい、立ち眩みから始まり、動悸に息切れ、不眠、果ては失神……。


 空腹だけはなぜかほとんど感じなかったものの、命の危険をおぼえた舞姫は、最小限の食事だけは摂るように心掛けた。

 それでようやく日々の生活を送れる程度には回復したのであるが――


「それがそなたのせいであると?」

「はいですコン」


 侍女改めキツネのイズナはぺこりとすまなそうにふさふさの頭を下げた。


「すべてはあの日のことが原因なんですコン」

「あの日とは?」

「舞姫様は、幼少のみぎりに、怪我をした子ギツネを助けたことを覚えておられますかコン?」


 しばし記憶を手繰る舞姫。


 はたと思い出す。

 

 あれは裏山を妹と一緒に散策していた時のこと。

 彼女は地に横たわる一匹のキツネを発見した。


『気を失っておるのぅ。どうしたのか』

『罠にかかっているようですわ姉上』

『たしかに。見ればまだ幼いではないか。かわいそうに。手当てして逃がしてやろう』

『では、私が診ておりますので、姉上は城から手当の道具をもってきていただけますか?』

『あいわかった』


 彼女は城までひとっ走りして戻ってきたのだが、その時にはもうキツネの姿はどこにも見当たらなかった。

 妹いわく、意識を取り戻してどこかへ逃げて行ったとのことであったが――


「あの時のキツネがそなたであると?」

「その通りですコン」


 舞姫の問いに、コクンと頷くイズナ。


「して、妾の身に起こった変化といかなる関係が?」

「それは…………一言でいうと妹君に騙されたんですコン」


 イズナはキツネ顔を心持ち暗くさせて、語り始めた。



  

**************************************

 

 


 ――摂取熱量二分の一


 それがイズナが舞姫の妹、椿姫に授けたスキルだった。


「この能力を持っていると、消化吸収される熱量カロリーが二分の一になりますコン」

「熱量? わかりやすく説明いたせ」

「ええと、簡単にいうと、食べても太りにくくなるってことですコン」

「なんと!?」

「たくさん物を食べれば、その分太るのはわかりますコン?』」

「それはそうじゃろ」

「だ・け・ど。この能力は摂取したものを半分なかったことにするんですコン」


 要は口にするすべての物が、カロリーハーフになるスキルというわけである。

 

「で、では、大福を二つ食べても一つぶんしか食べていないことになると?」

「はい」

「みたらし団子も?」

「ええ」

「ま、まさかまさか、家主貞良カステラもかえ?」

「そうなのですが、一つ注意点が――」


 イズナは注意事項について丁寧に説明したが、うかれている様子の椿姫は、聞いているのかいないのかわからない状態であったという。


 兎にも角にも、人間にスキルを与えたイズナは、一族のしきたりに従い(なんでも彼女は由緒正しい化け狐の血筋なのだとか)、己も人間に変化へんげして、椿姫の側にひそかに侍ることとなった。


 そのまま歳月が過ぎ、数日前――


 とある用事を仰せつかり、裏庭に向かったイズナは、つまみ食いをする椿姫を発見した。

 彼女が人目を忍んで間食するのはよくあることであったので、イズナはいつものように見て見ぬふりをしようとした。


 独り言が聞こえてきたのはその時だ。


「にしても、あのキツネは、ほんに馬鹿じゃったのぅ~」


 ――え?


 イズナは相手に気付かれないよう、木陰に隠れ、聞き耳を立てる。


「久方ぶりにキツネ汁を食いたかったから、姉上を追っ払い、石で叩き殺そうとしただけなのに、偶然手元が狂って罠を壊しただけで、『助けてくださり、ありがとうございましたコン。お礼に異能の力を一つ授けますコン』だからのぅ~ぷぷぷ」


 下品に大口を開いて饅頭を頬張りつつ、忍び笑いをもらす椿姫。


「しかも、『能力の代償は身近な者に及ぶから充分注意されたし』ときたもんだ。なんだっけ? 私の摂取した熱量が半分になる代わりに、その分が身近な者――つまり姉上に上乗せされるんだっけ? で、姉上は食べてもいないのに太り始めたとか騒ぎ始めたんだよねぇ(笑) 本当は私が食べまくっているだけなのにねぇ~」


 彼女はふいに目付きを鋭くする。


「だいたいあの女、昔から気に食わなかったんだ……正室の娘だからってお高くとまりやがって。やれ『そなたのために厳しく言っている』だの『もっと大名の子女としてのふるまいをおぼえろ』だの、この私にぬかしやがってさぁ……。私ゃ充分大名の子女として洗練されてるっての」


 手についた餡子を意地汚く舌で舐めとりつつ、恨み節をのたまう。


「ま、あの一件以来、運がこっちに向き始めたからいいけどねぇ。正室がおっ死んだり、あいつのお気に入りだった侍女が次々にやめたりさ。あの女がはぐれ者になってくれたおかげで、ずいぶん婚約者も盗りやすかったねぇ」


 椿姫は、にたぁりと日頃の天真爛漫な姿からは想像もできないような悪党面で笑む。


「ホントに馬鹿キツネ様々だねぇ~、あっはははははははははははははははは、ひひひひひひひひひひひひひひひーっ」



  

**************************************

 

 


 なるほど、と舞姫は得心した。


「それなら食わずに目方が増えるのも道理よな」

「本当に申し訳ないですコン。『命の恩人には力を授けよ』というしきたりがあったとはいえ……」

「よいよい。そなたも騙されていたのであろう? ならば、妾と同じじゃ」

「姫様……」


 イズナはまん丸な目をうるうるさせて、舞姫に頭を垂れる。


「椿姫からは能力を取り上げたので、もう舞姫様に余分な熱量が送られてくることはないですコン。これからは安心してお食事を召し上がってくださいコン」


 スパーン。


 唐突に、奥向の障子が開かれた。


「話は聞かせてもらった!」


 仁王立ちしていたのは、彼女の夫、影雪かげゆきその人である。


「許せん……許せんな、姫をかような目に…………わしの女神を……」


 語尾を震わせながら、そう呟く新郎。

 手をわななかせ、怒り心頭といった様子である。

 

「ええいままよ! 今からその奸婦を手打ちにしてきてくれる!」


 ――まてまてまて


 舞姫は、本気で刀を取りにゆこうとする夫の袴を慌ててつかむ。


「殿、どうか気をお鎮めになってくださいまし」


 むぅ、と唸る影雪。


「もう過ぎたことにございます」

「いやしかし……そなたの恨みは察するにあまりあるが……」

「過ぎたことにございますよ。このような些事で殿の手を煩わせとうございませぬ」


 本音を言えば恨み千万に決まっているが、かといって夫に殴り込みをされても困る。

 新婚早々、未亡人とかシャレにならない。


「だが、このことゆえにそなたは兄上から婚姻の約束を反故にされたのではないのか?」

「それはそうですが」


 たしかに、栄養状態が良くて、下ノ方の蝶君と評されていたころの外見を保てていたなら、真兼まさかねも心変わりをしなかったかもしれない。


 だが、それが自分にとって良いことかというと、大いに疑問が残る。

 

 しょせん人を見た目で選ぶ男なのだ。

 そんな人間の元に嫁いでも幸せな生活が待っているとは思えないし、そもそも彼女は彼のことを愛していたわけではない。

 むしろ本音を言えば大嫌いだった。


 なので、今回の婚約破棄は――大名の娘という立場を抜きにすると――舞姫にとっては正直小躍りしたいほどの僥倖に思えたのである。


「それに婚約を破棄してもらえたからこそ、こうして影雪様の元に参ることができましたので」


 え、という顔で、大きく目を見開く影雪。


「……すると、そなたはわしの元に来ることになったのが幸運であると?」

「もちろんにございますよ」


 あのまま真兼に嫁いでいたら、その後のDV生活が確定したようなものである。

 

 それに比べれば、多少辺鄙なところに嫁ぐ方がぜんぜんマシ。

 しかも夫はやさしそうだし。


「姫……」


 影雪はなぜか瞳を潤ませ、熱いまなざしを彼女に向ける。


 目をうるうるさせるキツネと夫。


 感極まった様子の二者に挟まれた舞姫は、私はなにかやったのだろうか、と小首を傾げる。


「しかし、解せぬな……そなたのような身も心もたっとぶべき御方を、かような目に合わせ続けてきたとは。兄上も奥方もなにをお考えなのか……」


 たぶんなにも考えていないだろう。


「それより、影雪様の方こそ、なにゆえこのような不遇に見舞われておられるのですか?」


 ちょっと聞きづらいことだったが、思い切って尋ねてみる舞姫。


 途端、影雪は暗い表情になった。


「それはじゃな……」

 

 彼は語り始めた。

 なぜ大名の子息である自分が、かくも冷遇されているのかを。

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