第48話 俺が次期男爵と呼ばれていた頃 3


 落ち着け。


 落ち着け落ち着け落ち着け。

 彼女は、まさか出て行ったのか? 俺にも誰にも言わずに、逃げ出した? いや、そんな訳ない。彼女はそんなことしない。


 煩い心臓を押さえつけながら、俺はラビの部屋を調べた。

 窓は開いている。いや、鍵のところが割れている。外から割って、誰かが中に侵入したんだ。


 最悪の事態が頭に過った。


 ああクソ、心臓が煩い。落ち着けって言っているだろ。

 大丈夫、大丈夫だ。彼女は無事だ。絶対に。そうでなければならない。それ以外は認められない。――――――血は? ない。怪我は、多分していない。争った形跡もない。足跡は…………ある。この靴の形は…………俺や男爵が履くようなものとは違う。使用人のものとも違う。もっと一般的な、街の労働者が履くようなやつだ。成人男性。背は相当高い。歩き方に癖があるのか、右側が擦れている。それとは違ってもう一つ、若干種類の違う足跡。


 二人組、か。二人組の男が、彼女の部屋に侵入した。


 確信した途端、改めて怒りが込み上げた。


「どこのどいつがッ……八つ裂きにしてやる……!!!」


 他に、他に何か証拠はないか。一刻も早く、彼女を穢らわしいクソ共から取り戻す。早く、早く早く早く…………



「……ギルバート様?」



 扉の方から、声がした。振り返れば、「何があったのです」と、怪訝な様子のチャールズが部屋を見渡している。


 ラビの部屋に、男がいる。そう考えただけでまた頭が熱くなった。


「来るな!!! 彼女の部屋に入るな!!!」

「すみません。ですが、これは……」


 チャールズは俺の言葉を無視してずかずかと侵入し、割れたガラスと足跡を見てサッと顔を青ざめた。


「これは……!!!」


 それから殺気立った目を俺に向けた。


「どういうことですか!? グレイス様が連れ去られたのですか!? 一体いつ……どこに――――――」

「煩い! お前には関係ないことだ!」

「ない訳ないでしょう!! 何言ってんです貴方は!?」

「俺が、俺が彼女を見つける。お前は引っ込んでいろ!!!」


 酷く焦っていた。焦りと怒りで、周りが見えなくなっていた。

 ただ、この男にこれ以上ラビの件で関わってほしくなかったというのはあって、自分ならば絶対に、すぐに、たった一人でも、彼女を救い出せる自信だってあった。


 もっと何か証拠を、と床に視線を落とすと、突然チャールズに肩を揺らされた。


「何意固地になってるんだしっかりしろ!!! 早く男爵と侯爵に伝えるぞ!! 手は多いに越したことはないだろ!!」

「ッ……それ、は……」

「俺が伝えに行く。ここはできるだけこのままで、証拠を――――――……」


 チャールズはハッと言葉を切り、窓の外を食い入るように見つめた。俺から手を離し、外へ出る。腰を屈ませ、地面に手を伸ばした。


「これは……」


 追いかけて覗きこむと、そこにあったのは新しい靴跡だった。

 男二人組のものとはまた違う、特徴的な靴跡。それに小さい。この大きさなら恐らく女性……ああ、この靴、ハイヒールか。


 女性一人に、男性二人組。


 だめだ、わからん。誰が何の理由でラビを誘拐などしようと思ったのか、全く検討もつかない。何も思い浮かばずに考え込んでいると……


「…………あいつ」


 チャールズの喉から、今まで聞いたことがないほど低く殺気立った声が発せられた。顔を見てぎょっとした。本当に人を殺しそうな顔をしている。


「おい、チャー……」

「あのクソ女…………!!!」

「……おい? どうした。何かわか――――――」

「目星がつきました。さっさととっ捕まえにいきましょうギルバート様。犯人共を懲らしめて男爵様に突き出してそれで終いです。ほら、何ぼさっとしてんですかさっさと行きますよ!!!」

「あ、ああ」


 チャールズはピュウ、と甲高く口笛を吹き、その途端真っ白な鷹が舞い降りて奴の肩にとまった。チャールズが何か囁き、鷹が「わかった」とばかりにまた飛び立つ。


 何なんだこれは。こいつ何者だ。鷹使いだったのか。


 さっきまで、焦りと怒りとこいつへの苛立ちでどうにかなりそうだったのに。

 すっかり人殺しのような顔になって余裕のないチャールズに引っ張られていると、どういう訳か俺の方は徐々に落ち着き、ようやっと冷静さを取り戻していくのを感じた。


 そして何となく、想像もできた。


 チャールズが「クソ女」呼ばわりしそうな相手。チャールズの見知った相手。

 そんなの一人しか思い浮かばない。

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