第37話 俺が役立たずの従者と呼ばれていた頃 1



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 パーティーが始まって、随分経った。

 俺は、会場の外で一人黄昏れている彼女に声を掛けた。


「――――――大丈夫? 飲み過ぎた?」

「……ただ夜風に当たってるだけ。話しかけんな」

「なかなか厳しいな」


 相変わらず、彼女の俺への当たりは強い。異常な程。

 確かに最初の出会いはまずかった。それは認めよう。両手に荷物を抱えていたのも、うっかり彼女にぶつかってしまったのも、全部俺の不注意が原因だ。


 ただ、それにしたって嫌われすぎなような気はする。


「ギルバート様のお傍にいなくて大丈夫なのかい? 今、彼すっごく男爵に詰められているみたいだけど」

「あたしが行ったらますます火に油でしょ。ま、充分楽しんだし、ワイン美味しかったし、無事婚約の話はなかったことになりそうだし。男爵に屋敷追い出されたらその時はその時。一夜限りのお貴族様気分が体験できて楽しかったわ」


 彼女はそう言いながら、手にしていたワインをぐいっと飲み干した。


 会場の中にいる時はあんなに凜として所作も綺麗で、どこからどう見ても立派な令嬢でびっくりしたのに、これじゃ酒場の飲んだくれだ。

 だが、酔い潰れてはいない。よっぽど強いらしい。俺が見る限り、彼女はかなりアルコールを摂取しているはずだけど、顔色は全然変わらない。


 薄い青色の髪、青い瞳に、真っ白な肌。


 言葉はキツいのに、顔立ちはどことなくおっとりしているようでもあり……初めて見た時は、どうしたって視線を逸らせなかった。



 どことなく、グレイス様に似ているような気がした。



 多分、気のせいだ。よくよく見ると彼女とは違う。顔かたちも、髪色も目の色だって、グレイス様とは違う。全くの別人だ。わかっている。


 なのに、なぜか気になって仕方ない。

 こんなことは初めてで、彼女に出会ってからというもの、俺は俺自身がよくわからなくなっている。



「夜風は冷えない? 中にいる方があったかいよ」

「このくらいで風邪引くほどやわじゃない。それに中は煩すぎ。視線も鬱陶しい」


 ラビはそう突っぱねて、どこからともなく煙草を取りだし、一本咥えた。


 ……本当、何から何までグレイス様とは違う。

 いつも笑顔を絶やさず、周りに気を遣って、己を律して、上品で、柔らかい言葉で話す。

 あの人は、素晴らしい意味で、貴族らしい貴族だった。

 俺はずっと気づけなかった。



 グレイス様は、俺の所為で亡くなった。



 知らなかったんだ。彼女が、あそこまで病弱だったなんて。

 重い病に伏せっている姉に比べれば、ずっと恵まれているのだと思っていた。だってグレイス様は、いつだって機嫌が良くて、顔色だって良くて、可愛くて、優しくて、だから…………



『グレイス様は、貴方が来る時だけは、必ずお化粧をして顔色を隠していらっしゃったのよ。貴方にだけは、ずっと……』



 専属侍女だったアニーは、そう言ってまたさめざめと泣いた。自分の所為だと、グレイス様をお一人にさせてしまった所為だと、自分を責め続けたアニーは、その後メイドを辞め、実家に帰った。


 俺だって、侯爵家の使用人はもう辞めようと思った。何度も、何度も。

 アニーの所為じゃない。俺の所為でグレイス様は亡くなったんだ。彼女のおかげで姉は完治したけれど、それを喜ぶ心の余裕さえ、なくなっていた。


 墓前で何度も許しを請い、侯爵にあの夜の真実を懺悔し、いっそ首を刎ねてほしいと願った。

 それでもまだこの家で奉公を続けるのは、贖罪だった。



「……そういやそっちこそ、シャーロット様のところに行ったら? 今頃泣き喚いてんじゃないの、彼女」


 ラビに指摘され、俺は思わず肩を竦めた。


「ああ、役立たずの従者の顔なんて見たくないと、しばらく外に出て行けと追い出された」

「あははっ、最悪じゃん! さすが貴族だね、最低~」


 ケラケラ笑いながら、ラビは「ぷはあ~」と煙を吐き出した。


 ラビは、昔の俺に似ている。

 俺はラビのように、あからさまに突っぱねることはできなかったけれど、心の中では自分より恵まれた存在に、激しく嫉妬していた。

 今は、あの頃に比べれば少しはマシになっただろうか。……いや、どうかな。正直シャーロット嬢には嫌悪感を拭いきれない。あの人は、まさに俺の嫌う貴族そのものだ。


 だけど……だけど、グレイス様は違った。

 純真で、誰にでも優しくて、民のために命を捧げた。本当の貴族って言うのはああいう人のことを言うんだと思う。



「……良い貴族もいるさ。君にとって、ギルバート様もそういう御方の一人なんだろ?」

「………………」


 沈黙は肯定、かな。

 普通に肯定すればいいのに。……そういうところも、子どもっぽくて可愛いなとは思うけど。


「まあ、ここだけの話、彼はどことなく執着心が凄そうだから、大丈夫かなとは思ったけど」

「なんじゃそりゃ」

「何が何でも君を離さないって顔をしてる。だから少し不安でもあったんだ。君がそれで苦しんでいるんじゃないか、本当はどう思っているんだろうとか、いろいろね」

「あんたには関係ない」

「それはそうだけど……。ねえ、君はずっとギルバート様の傍にいたんだよね? 唯一、君だけが。だったら、奇跡の一夜のことも知ってるんじゃない?」


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