第10話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 7



 それからというもの、坊ちゃんの態度は以前より若干優しくなった――――


「おい、遅いぞ。さっさと林檎を持ってこい」

「今日はこれだけか? 何でもっとくすねてこないんだ。得意なんだろ」

「薬湯の準備はまだか。僕が入ってやるって言ってるんだ。さっさと準備しろ」

「お前は向こうを向いていろ!! こっち見たらクビだからな!」



 ……ような気がしたけど気のせいかもしれない。

 このクソガキ。

 と言う言葉はぐっと堪えて、あたしは小さな我が儘ご主人様にお仕えしている。


 坊ちゃんの態度は最悪として、坊ちゃんの生活は明らかに変わった。


 朝はいつの間にか起きてるし、林檎も以前よりご所望だし、薬湯も肩まで浸かることにしたし、そう言えば罵倒も何かハキハキしている。

 それだけ元気になってるってことならまあいいかなと思うけど、頑張って元気になろうとしている、ようにも見えると言うか。



 ……ま、未来に悲観して落ち込んでるよりかは、楽しそうだからいいか。



 そんなある日の昼下がり、坊ちゃんは気怠そうに私に声を飛ばした。


「おい、暇だ。何かないのか」

「何かって何ですか」

「お前、普段は何やってるんだ。僕が寝てる間とか」

「ああ、そう言えばそろそろお昼寝の時間ですねえ? ちゃんと寝なきゃ。寝れないならお腹とんとんしてあげましょうか?」

「子ども扱いするな!!!! 誰がとんとんして欲しいと言った!?」


 一日の大半をベッドで眠ることに費やしていた坊ちゃんが、まさかの娯楽をご所望か。

 本当は寝たいんじゃないかと思う。いくら林檎を囓ってもお腹は完全に満たされないし、病気の所為で体は痛むし、起きているだけでも彼にとっては重労働だろう。


 なのに「暇だから何かやりたい」なんて、そんな言葉が出てくるなんて思わなかった。


「どうしたんですか坊ちゃん。急にやる気MAXじゃないですか。反動とか来ません?」

「お前が言ったんだろ。人生をしゃぶり尽くせって」

「そんな下品な言い方しましたっけ?」


 娯楽。娯楽か――……あたしの娯楽と言えば、煙草に酒だもんな――……さすがに病床の坊ちゃんに勧められるものじゃない。


「お前は何やってるんだ、普段」

「煙草と酒ですねえ」

「……それ、楽しいのか」

「楽しいですよ。一度始めたらやみつきです」

「じゃあ僕もやる」

「寿命縮める気ですか~?」

「どうせ早かれ遅かれ僕は死ぬ。だったら興味あることをやって何が悪い」


 んなこと言われても、それで「はいどうぞ」って煙草を渡せる訳ないでしょ。

 そもそもこれはあたしが必死で地面這い蹲って見つけた大切な大切な宝物であり、それを煙草の良さも知らないガキンチョ坊ちゃまに渡すなんて嫌過ぎる。


「煙草は自分の金で買って下さい。あたしのは絶対あげません」

「ドケチだな」

「ドケチで結構。他のことやりましょ。例えば――――」


 あたしは「う~ん」と部屋を見渡した。何か面白そうなものが転がっていればと思ったけど、そんなものが転がっていればとっくに坊ちゃんが見つけている。


 ないなら探しに行くしかない。

 遠出はもちろんできないけれど、例えば……



「このお屋敷を探検してみる、とか?」




――――――――

――――――――――――――――



「おい下ろせ!! なんで! 僕が! お前に――――――!!」

「足下ふっらふらじゃないですか。大丈夫、あたしがしっかり抱っこしててあげますから、安心して下さいね、お姫様」

「誰が姫だクビだクビ!!!」


 あたしは騒ぐ坊ちゃんをお姫様抱っこで抱え、ゆっくりと階段を降りた。

 浴室まではいつも何とか自分の足で歩いて向かう坊ちゃんだけど、それはある程度浴室が近いからできること。

 屋敷中を歩くとなると、さすがに体力が持たない。そのうち足がぷるぷるして、立つのもやっとの様子だった。

 やっぱりベッドで寝てましょうよ、とは言ったけど、それは「嫌だ! 探検する!」の一点張り。いつもみたく寝てるだけなのはもう飽きたらしい。


 ベッドに縛り付ける訳にもいかないし、かと言ってこのままご自分の足でうろうろさせれば、翌朝には高熱間違いなし。

 だからこうして、あたしが信じられない程軽い坊ちゃんの体を抱えて、動き回ることにしたのである。


 最初は抵抗して仕方なかった坊ちゃんも(かと言って大した抵抗ではなく、声が煩い程度だったけど)そのうち大人しくなった。


「坊ちゃんってこの離れに来たのは病気になってからですか?」

「…………ああ」

「じゃあこの屋敷のことってあんまり知らないんですね? あたしと一緒だあ~」

「まるで幽霊屋敷だな。……誰も使っていなかった離れだ。僕を追いやるのに丁度良かったんだろ」

「その割にはまあ綺麗な方だとは思いますけどね。確かにちょーっと寂しいですけど」


 貴族の屋敷にありがちな絵画は一点もなく、花も何も飾られていない。

 盗まれて困るような、高そうなものはパッと見た感じ全然ない。


 でも建物としてはなかなか丈夫で、床や天井が剥がれているところもないのだから、まあまあ上等ではあるだろう。広いし、部屋もたくさんあるし。幽霊屋敷って言うほど酷い屋敷には思えない。

 以前暮らしていた人は、結構愛着を持って暮らしていたんじゃないだろうか。頑張って修繕を繰り返してね。そんな感じがする。


「へえ、ビリヤードルームですって。こんな部屋あったんですねえ。やります?」

「お前、ビリヤードなんてやったことあるのか」

「ないです」

「ないんかい」

「あれでしょ? 玉を突いて穴に入れればいいんでしょ? 簡単ですよ~。あれ? 棒がないな……」

「お前の言い方はいちいちいかがわしいぞ……」

「え~? どこら辺が~?」


 坊ちゃんには椅子に座っててもらって、あたしはちょうど良い棒を探した。

 部屋は埃っぽくて、そこかしこに蜘蛛の巣が張ってある。汚い。連れて来といてなんだけど、坊ちゃんにこの場所は良くないかもしれない。


「坊ちゃん、良い感じの棒全然ないですしここ汚すぎるんで、移動――――」


 コロコロコロ……。


「坊ちゃん?」


 坊ちゃんは椅子に座ったまま、ビリヤード台の上のボールをころころ転がしていた。


「ばっちいですよ、それ」


 話しかけると、遊んでいたのがバレたのが照れ臭いのか、坊ちゃんの頬がパッと赤くなる。


「! い、いいだろ、これくらい。おい、これはどこに入れたら正解なんだ!」

「知らないですよ。ビリヤードなんてしたことないですもん。取りあえず遠くの穴にでも入れてみたらどうです? 難易度高そうじゃないですか」


 坊ちゃんはジー、とボールを見つめて、えいと転がした。

 非力すぎて、ころころ転がったボールは、台の真ん中くらいで止まった。


「………………」


 坊ちゃんの顔が、わかりやすくシュン、となる。

 あたしはボールを掴み、手でコロコロ転がした。転がしながら、ボールの気持ちになって裏声を出す。


「ア、アア、ナニカ、ナニカオオキナチカラガハタライテイルヨ~~……アアアア~~アアアアレエエエ~~」


 ボールは断末魔を上げながら、コロン、と穴の中へ落ちていった。

 それから、あたしは目が点になっている坊ちゃんに、にっこり微笑みかけた。


「ごほんっ、坊ちゃん、すごいですね! 坊ちゃんの力で一点入りましたよ!」

「お前…………」


 少しは喜ぶかと思ったら、坊ちゃんは眉間に皺を寄せてすごい顔になった。


「馬鹿だろ」

「んだとクソガキ」

「クソガ……!? 誰がクソガキだ!! お前がしょうもない寸劇するのがいけないんだろ!! 笑えるかあんな――――うわっ!?」

「は~い次の部屋行きますよ~。もう面倒臭いので椅子ごと動かしま~す」

「おいガタガタさせるな! て言うかこの椅子ボロすぎるだろ! おい聞いてるのか! おい!」


 坊ちゃんに子ども騙しは通用しないらしい。ちょっとくらいノってくれてもいいのに。

 ま、あたしもあたしで、何らしくないことしてんだか。


 椅子ごと外に出たその時、いつの間にか坊ちゃんが手に持っていたらしいボールが床に落ちて、ころころ廊下を転がっていった。

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