第39話 僕らのこれから(2)


「……ん」

 出て行った時の扉の音で、雅人がゆっくりと目を覚ます。


「……」


 目を覚ます雅人。

 詩織は言葉が出なかった。


「あ、詩織」

 顔を上げ、寝ぼけた顔で詩織を見つめる。


 阿保みたいな寝ぼけた顔。

 でも、どこか愛らしい――愛おしい。


「おはよう、雅人」

「……っ!」

 ハッと気がついた顔で雅人は目を見開いた。


 ここまでの経緯。

 その様子だと私の手紙を読んでいる様だ。


「ねえ、詩――」


 雅人が言い寄る前に詩織が雅人に抱きつく。


「なに?」

「何って――」

「雅人」

「ん?」

「ありがとう」

「――うん」


 返す様に雅人も力強く抱きついた。

 しばらく、雅人たちは二人の時を過ごす。


 病室の扉がゆっくりと開いた。

 開けたのは奏介だった。

 驚く様な眼差しをした雅人と奏介の目が合う。


「……」

 この時、雅人の中には驚きよりも勝る感情があった。


 雅人は奏介を知っていた。


 ――先日の父の写真に写っていたかっこいい人である。


「案外、似ているな、お前ら親子は」

 察したのか、奏介は笑みを浮かべる。

「……そうですか?」


 雅人は理解する。

 目の前にいる人物は父の同僚であることに。

 

 そして、もう一つ理解する。

 この人は詩織の父であることに。

 

 つまり、目の前にいるこの男性は、父の同僚であり詩織の父なのだ。

 雅人の中で複雑な感情が込み上げる。


「ああ。似ているさ――その雰囲気もな」

 奏介は嬉しそうに笑顔を雅人に向ける。その顔に詩織は驚いていた。


 その笑顔は仕事が楽しい時の顔。

 普段の笑顔とは少し違う。


「僕は……父みたいに寡黙でも無いですし、頭は良くないですよ?」

「え――? あいつが寡黙?」

「はい。父とはほとんど話したこと無いですから」

「あ――え? え? ほんとか?」

 腹を抱えて笑う。

 奏介はそんな姿勢をしていた。

「はい」

「あいつ……馬鹿なんだな」

 唖然とした顔で奏介は呟く。

「父がですか?」

 少しだけ嫌な気持ちだった。

「ああ。大馬鹿者だよ」

 何がおかしいのか、笑いながら奏介は言う。


 詩織は交互に二人の顔を見つめていた。


「――どうして」

 次第に雅人の目つきが鋭くなる。

「そりゃ、息子のことを好き過ぎて話せないところだよ」

「……え?」

 好き過ぎてでは無く、嫌いだからの間違いでは無いのだろうか。

 思わず、聞き返した。

「十年以上、一緒に仕事をしている俺が言うんだから。まあ、多少は信じてくれ」

「あ、はい」

 そんなことは無いだろうけど。内心そう思っていた。

「ねえ、お父さん」

 すると、気が抜けた様な声で詩織が言った。

「ん?」

「雅人とお父さんは知り合い……なの?」

「知り合い――と言うより、彼のお父さんと俺は海外で一緒に仕事をしているチームなんだよ」

 どこか困った様な顔で奏介は言った。

「チーム?」

「ああ、そうさ。発展途上国に電気を通す仕事」

「父さん、そんなことをしているんですか?」

 知らなかった。そもそも、知りたいと思ったことも無いけど。

「そうだよ。俺が帰国するきっかけも秀斗だよ」

「父がですか?」

「ああ。君の父さんの言葉が無ければ、俺は愛する娘と向き合うことが無かっただろう」

「そうなんですか……」


 父の言葉。

 いったい何を言ったのか。

 想像がつかなかった。


「それに私が日本に戻れたのも、君のお父さんのおかげだしな」

「え?」

「本当は二か月後に君のお父さんは日本へ帰る予定だったんだぞ?」

「え、そうなんですか?」


 初耳である。

 ――いや、確かにメールに書いてあった気もする。


「しかし、俺と入れ替えてもらった。まあ、あいつからの案だったけどな」


 秀斗と奏介の役職は同じ。

 技師長。現場においては、技術部長と同様の権限を持つ役職だった。


「まあ、良いんじゃないですか? 父さんは別に帰りたいと思っていなかったみたいですし」

「いやいやいや」

 奏介は雅人の言葉を激しく否定する。

「帰りたいなんて聞いたこと無いですよ?」

「いやいや、帰りたいって奥さんと電話する度に言っているよ」

「母とですか?」

「ああ。溺愛しているもんな、夫婦揃って」

「……嘘だ」

 あの二人に限ってそんなことある訳無い。

「まあ、そのうちわかる日が来るさ」

 そう言うと奏介は再び、扉を開いた。

「――あ、詩織」

 思い出した様に立ち止まり、振り向く。

「どうしたのお父さん?」

「雅人くんと付き合うのは良いが、時に強行するかもしれないから気を付けろよ」

 眉間にしわを寄せ、解せない眼差しを雅人に向ける。

「どうしてですかっ」

 解せない。思わず、詩織の父にツッコミを入れてしまった。

「そりゃ――あいつもだからだよ」

 不敵な笑みを浮かべた。

 つまり、父にもそんな一面があると言うことである。

「うん――わかってる」

 焦らす様な素振りで詩織はゆっくりと頷いた。

「……そうか」

 察した様な顔で奏介は頷くと、病室を出て行った。


 静まり返った病室。

 僕と詩織の二人だけの世界。


「ねえ、詩織」

「何?」

「好きだよ」

「――っ」

 恥じらう素振りをして顔を赤くする。

「私も。――だけど」

「だけど?」

「今日までは同志でいましょう?」

「同志――か」


 最期を共にする同志。

 今日までは僕らは同志。

 その単語を雅人は噛み締めた。


「うん。同志は今日で最後」

 ゆっくりと笑みを浮かべて、詩織は飛びつく様に抱きついた。



 明日からは恋人として、僕らは共にいる。

 僕らの最期は最後になった。

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