第3話 最期の戯れ(1)


 あれから、十五分。


 駅前に着くと、すでに彼女はいた。

 彼女は時計塔の下で誰かを待つ様に立っている。


 本当に僕を待っているのか。

 まるで、彼氏を待つ彼女。

 輝かしいその光景に雅人は言葉を失った。


「あ、佐伯くん」

 呆然とする雅人に気づいた詩織は、ゆっくりと向かって来る。


 やはり――僕か。

 彼女が待っていたのは、僕なのか。

 呼吸が出来なかった。


「ご、ごめん、遅くなって」

 過呼吸に近い。

 今の言葉が精一杯だった。

「大丈夫?」

 不思議そうな顔をして詩織は瞬きを繰り返している。

「うん。大丈夫」

 何回か深呼吸をして、無事に落ち着きを取り戻した。

 周囲を見渡しても、僕らを監視している人物は見当たらない。

「それでどこのカラオケ行くの?」

「へ?」

 話しかけられた雅人は声を裏返した。

 夢の様な彼女との会話。

 未だに現実と言う実感が湧かない。

「カラオケ、行くんでしよ?」

「う、うん」

 呆気に取られた。

 想像以上に乗り気。

 彼女はカラオケが好きなんだろうか。

 

 歌う神崎の姿。

 きっと、彼女の歌声は普段よりも綺麗で高い良い声なのだろう。

 雅人は妄想の様に勝手にその光景を想像していた。

 

 微妙な距離感を保ちながら、雅人たちは駅前のカラオケボックスへと辿り着く。

 

 着くまでの五分間。

 一言も会話が無かった。


 好きな女子に何も話題を振れない。

 どこまでも僕は情けない人間だ。

 

 まあ、今ではそれもどうでも良い話だけど。

 そもそも、僕は神崎とカラオケをするために、ここに来たわけでは無かった。

 

 防音性の高い二人だけの空間。

 自身の願いを叶える絶好の場所だった。

「フリータイムで」

 入店すると、受付の店員に雅人が告げる。

 受付の間、彼女は楽しそうな素振りも無く、怒っている様な素振りも無い。

 彼女は店員と話す雅人をじっと見つめていた。

 彼女は歌うためにここに来たはず。

 雅人は少しだけ申し訳ない気持ちになった。


 店員の指示の通り、四人用のカラオケボックスへと雅人たちは入った。


 入ると雅人は照明を薄暗くする。

 そして、テレビの音量を消した。


 善は急げ。

 逃げられる前に、僕は自身の最期の願いを叶えるのだ。


「――ねえ、佐伯くん」

 雅人の行動に詩織は顔色一つ変えない。

 詩織は落ち着いた動きでゆっくりとソファーに座った。

「ど、どうしたの?」

 何で音量消すの。

 そんな質問が来ると思っていた。

 飛び掛かろうとした足が止まる。

 

 沈黙の中、じっと彼女が僕を見つめている。


 透き通る綺麗な彼女の瞳。

 高鳴る鼓動。

 正直、気が狂いそうだった。


「あなたはどうして、今の私に声を掛けたの?」

 身の無い声で彼女は聞いた。


 最初から聞けばいいのに。

 僕が声を掛けた最初の段階で、それは言及すべきだった。

 

 どうして彼女はこの段階で聞くのか。

 それを今更聞いて、何だと言うのか。

 それに今の彼女とは何なのか――。

 

 数々の疑問が過るが、考えても無意味だろう。

 雅人は考えるのを止めた。

 

 ここまで来た以上、有言実行だ。

 彼女に嫌われたとして構わない。

 だって、僕は死ぬのだから。

 不思議と身体は身軽だった。


 雅人は詩織に返事をする前に、襲う様に詩織をソファーへと押し倒す。


 抵抗出来ないほどの強い力で押し倒した。

 彼女が悲鳴を上げることは想定内。

 ここはカラオケボックス、きっと周囲には聞こえないだろう。

 だから、僕はここを選んだのだ。


 しかし、詩織は悲鳴一つ上げなかった。

 怯える様子も無い。

 

 好都合。

 左手を使い、拘束する様に彼女の両手を掴んだ。

 抵抗される前に身体の自由を奪う。

 雅人は慌てた手つきで、彼女の制服のボタンを外していった。

 

 彼女の両手に意図した力は感じない――なぜか。

 その疑問よりも、欲望が勝った。


 ボタンを外し、ブラウスから下着が見えた頃。

 雅人はようやく口を開いた。


「こう言う事だよ」

 覇気の無い声。

 理由は事実が物語る。

 これ以上のことを雅人は言わなかった。


 入学当初からの願望。

 それが今、夢の様に目の前にあった。


 今の僕にあるのは背徳心。

 きっと、彼女にあるのは嫌悪感。


 ブラウス越しに胸を触る。

 僅かながら無表情だった彼女の表情が崩れた。

 拒絶する様な、苦痛に耐える様なそんな表情。


 知っていた。

 わかっていた。

 それすらも見たいと思ってしまっていた。


 幾度も想像したこの世界。

 狂った僕の妄想。

 それらは今まで、僕の理性で止まっていた。


 今の僕にそんな理性など存在しない。

 ――だって、僕は死ぬのだから。

 

 死を恐れなくなった生き物に理性など無いのだから。

 それにこの行いで仮に僕が逮捕されたとしても、

 自身の願いを叶えたことに変わりは無かった。


 溢れ出す熱量。

 それから、雅人は無我夢中で詩織の身体に触れていく。


 初めて触る女子の身体。

 次第に好奇心と似た何かが込み上げた。


 触れる度、悶える様に彼女は声を漏らした。

 しかし、彼女は恐怖からか叫ばない。


 時計の無い薄暗い部屋。

 部屋の外では、聞き取れない程度に流行りの曲が流れていた。

 

 誰もいない僕らだけの世界。

 愛する君との最期の世界。


 これから僕は死ぬ。

 これからも君は生きる。

 

 死ぬ者と生きる者。

 死者と生者の最期の戯れ。


 最期に僕は君の生をこの身体に覚えさせる。

 愛した君の生きる証を。


 身勝手な男だ。

 我儘な男だ。

 無責任な男だ。

 

 ――クソ野郎だ。

 傍観者の様な視点で、自身に語りかけた。


 身勝手で無責任。

 こんな気持ちは初めて。

 これが自由と言うのだろうか。

 今の雅人には、開放感があった。


「これで――」

 右手を動かし、雅人はゆっくりと息を飲んだ。

 これで君の素肌が露わになる。

 雅人は興奮していた。

 ブラウスを脱がそうと、雅人はブラウスを外側へとめくっていく。

 

 冥途の土産。

 これから僕は人間である彼女を壊す。

 最愛の神崎詩織を僕の手で壊すのだ。


 しかし、雅人は手を止めた――。


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