エリザベーテ・ヴィランズの華園

秘灯 麦夜

エリザベーテ・ヴィランズ





 +




「エリザベーテ・ヴィランズ公爵令嬢!」


 名を呼ばれた私は肩を震わせる。


「貴様の行状は目に余る! アンジェ・ピースウッドへの度重なる侮辱行為!」


 失望したぞと王太子は宣告する。


「この私、王太子アレクサンダー・オスカー・ヒロウスの名のもとに、其方そなたを死刑に処す!」


 私は言い返す。「こんなことはあんまりです」と。「どうか公正な裁判を」と。

 しかし、取りつく島もなかった。あるわけがないとわかっていたが。

 王太子アレクは王宮の衛兵たちに命じる。


「牢に連れていけ! そんな女の顔など、見たくもないわ!」


 衛兵たちに両腕を掴まれ、私ことエリザベーテは、泣き喚きながら王太子の前から連行されていく。

 連れていかれる私が見た王太子の姿は、恋敵であるアンジェ・ピースウッドを優しく介抱し、金糸の髪を撫ですくところであった。





 +




「あ~あ。これで何度目かしらね」


 誰もいない、薄暗い牢屋の中で、エリザベーテは失笑を浮かべる。


「今回のルートは短かったわね。ということは、アンジェは殿下との結婚コースかしら?」


 黒鋼くろがね手枷足枷てかせあしかせわずわしいったらない、黒髪の頭をかくのにも、冷たい鋼鉄が邪魔をする。

 だが、これが運命・・であることを、どうしようもない宿命・・であることを、エリザベーテ本人は承知している。了解できている。

 この世界は、いわゆるゲームの世界──『アンジェ・メモリーズ』なる乙女ゲームの世界であることを、彼女はゲームキャラクターでありながら完全に理解していた。

 エリザベーテは公爵令嬢ではあるが、この世界では『悪役令嬢』として振る舞うキャラクターであった。主人公であるアンジェをいびり、いじめ、罵倒し、何かあれば障害となって立ちはだかる、生粋の〈悪役〉だ。

 そうあるように振る舞うことを義務付けられた存在、主人公を引き立てるための踏み台──それがエリザベーテの役割であり位置づけであった。

 自分の命が明日にも失われようとしているのに、エリザベーテはまるで物怖ものおじしない。仮にも公爵令嬢が、無様に泣き喚き続けるのは貴族の誇りプライドが許さなかった。


「お父様とお母様は、──考えるだけ無駄か」


 娘のことを溺愛し、宝石のごとく大切に育ててくれた両親。実の娘が明日にも処刑されると聞いて、さぞやお嘆きあそばしていることだろう。公爵家の地位を活用し、王太子殿下に直談判じかだんぱんして、そうしてすげなく棄却ききゃくされる姿が目に浮かぶ。封建制度の根強いヒロウス王国では、王族の決定は絶対。くつがえしようのない最後通牒さいごつうちょうなのである。二人に会えるのは、明日の刑場で……断頭台ギロチン越しにと決まっている。


「あ~あ、お腹すいた!」


 牢で過ごすこと、やく半日。

 夜半も過ぎた頃だが、食事どころか水も与えてもらえない。

 眠りに逃避しようにも、石牢の中にはベッドどころか干しわらの類もない。身を横たえようものなら寒さで凍死しそうだった。


「暖炉に当たりたいなー……言うだけ無駄ってね……ふふ」


 ドレスの布をかき寄せて、どうにかこうにか体温を奪われないようにする。


「うーん、眠い……けど寝れない」


 手枷足枷が尋常でなく冷たいのだ。

 おまけに体力も尽きて立っていることもままならない。

 仕方なく冷たい床に腰を下ろし、徐々に奪われる体力を気遣うしかない。

 どうせ死ぬのだから、すっかりさっぱり殺してくれとも思いつつ、エリザベーテは眠気に負けてまぶたを下ろす。 


「おい、起きろ」


 気が付いた時には朝になっていた。

 牢番は冷え切った風のような声でのたまう。


「刑場へ連行だ」


 わかりました。そうかすれ声で呟く私の姿は無惨の極みに見えたのだろう。せめて最後の晩餐──朝餉あさげだけでもどうかと言われるが、私はそれを固持こじする。「情けなどいりません、私は公爵令嬢ですの」と傲岸に告げて。

 本音としては、どうせこれから死ぬ身の上、食事を無駄にする必要もないという、彼女なりの配慮だった。

 貴族らしい堂々たる歩調で、エリザベーテは牢を出た。

 寒風が吹きすさび、城の窓ガラスをガタガタ震わせる。

 そして、用意された刑場、断頭台の前に引き出されるエリザベーテ。やはり寒い。


「エリザベーテェッ!!」


 滂沱ぼうだの涙を流してくれる両親を衛兵が引き止める。娘の不憫ふびんな姿──ぼさぼさの黒髪、薄汚れたドレス、涙の跡が残る目元を見つけ、悲嘆の限りを尽くす親の姿に、この時だけは涙腺に来る。

 そして、直立不動の死刑執行人スリーツイッグと、刑を言い渡した王太子アレクの姿が椅子に座している。

 私は牢番の引く鎖に従うまま、王太子の前にひざまずいた。


「……最後に何か言い残すことはあるか?」


 お決まりの台詞を吐く王太子殿下。

 だが、それが彼というキャラクターなのだ。責めはすまい。

 静かに首を振るエリザベーテだったが、一言「父と母と、アンジェ様に謝罪を」とだけ告げる。

 エリザベーテの殊勝しゅしょうぶりに、僅かに瞠目どうもくする王太子。

 しかし、刑は執行される。ほかでもない王太子・次期国王が決めたことだ。


「刑を執行せよ」


 エリザベーテの身は断頭台に横たえられる。

 娘の最期を見守ろうとして、しかし、あまりにも惨い結末に目をそらす父と母。

 エリザベーテは微笑んだ。

 どうせ、これはゲーム。

 またすぐに会えますよと、口の中で言葉を発する公爵令嬢。

 死刑執行人が王太子に確認を取ると、断頭台の刃を作動させる。

 自分の首が削ぎ落される一瞬の、しかし、何度となく味わった感覚。


(ああ、これが死)


 エリザベーテの意識は失われる。

 そして、次のルート攻略のために、また殺される。それが〈悪役令嬢〉。

 処刑で。

 事故で。

 謀殺で。

 猛毒で。

 戦争で。

 魔物で。

 殺戮で。

 幾度となく死を味わい続けたエリザベーテは──


「…………え?」


 ──目を覚まし、しばし呆然とした。

 柔らかな寝具の感触。二段ベッドの下段にいる、自分。

 そこは、自分が知っているヴィランズ家の屋敷の寝室でもなければ、寮の一等貴賓室きひんしつでもない。


「ここは、どこですの?」


 身を起こして周囲を見渡す。

 狭い部屋だったが、石牢に比べれば天国のような場所だ。

 二段ベッドの寝具。二人分の机。二人分のクローゼット。

 ふと、部屋の扉をノックする音が。


「エリザ、起きた?」

「え、あ、あなたは! アンジェ・ピースウッド!」

「ピースウッド? なに、誰それ? 何かの冗談?」


 アンジェは頭上に疑問符を浮かべているようだった。

 しかし、それはエリザベーテとて同じ。

 アンジェは学院の制服姿ではなく、見たことのない様式の──私服──姿でエリザベーテを見つめる。

 彼女は満点の笑顔で食事を運んできた。


「ああ、よかったぁ。一日たっても起きないから、目を覚まさないかと思ったよ!」

「え、なにこれ、私、え、どうなって……?」


『アンジェ・メモリーズ』の世界観にはそぐわない雰囲気としゃべり方だ。

 ゲーム序盤の、おどおどして小動物然とした存在でしかないアンジェだとは、思えない。

 別人?

 しかし、その顔は見間違えようもなくアンジェ・ピースウッドである。


「あの、アンジェさん?」

「やだなぁ、いつもみたいに呼び捨てにしなよ!」

「ア……アンジェ?」


 くすぐったそうに微笑む少女に、エリザベーテはたずねる。


「ここはどこですの? あなた、その格好は?」

「え……エリザ、覚えてないの? エリザったら学校で階段から転げ落ちたんだよ? それで一日中、目を覚まさなくて、みんな心配してるよ」

「学校……学院ではなく?」

「? そだよ?」


 エリザベーテはまったく理解が及ばない。

 ここはどこなのか。『アンジェ・メモリーズ』の隠しステージか何かなのか?

 いな

 断じて否だ。

 そんなもの存在しない。

 あの世界の〈悪役令嬢〉たる自分が一番心得ている。

 ……まさかという思いと共に、エリザベーテの脳裏に閃きが生じる。


「アンジェ。今はいつですの?」

「変なこと聞くね? 今日は十二月二十七日だよ?」


(やはりそうか!)


 エリザベーテは頭をかかえかける。

『アンジェ・メモリーズ』内の日付は「山羊座の月二十七日」──つまり、ここは、ゲーム『アンジェ・メモリーズ』の中ではない!


 エリザベーテは即座に理解した。


 自分が、ゲームとは違う『現実世界』と呼ぶべき異なる世界に着た事実を!

 




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