第4話 氷室さんと料理

「陽太君、起きて」


「ん、おはよう、氷室さん」


 僕はベッドから下りて氷室さんの隣に座る。


 今日の氷室さんはとても嬉しそうだ。


 僕のあげた髪留めと、多分明莉があげたシュシュを付けている。


「じー」


「ん? あ、うーんと。可愛いね?」


 昨日氷室さんに髪型が違うのを気づいているならちゃんと言うことを約束したから言ってみた。


「なんで疑問形なの。普通に言われたら恥ずかしいけど」


「なんて言えばいいのか分からなかったから思ったことを言った」


「そこは『似合ってるね』とかでいいの。まぁ陽太君の可愛いは好きとかじゃなくて愛嬌があるとかの意味なのは分かってるけどさ」


 最初は聞こえたけど、後の方は氷室さんの声が小さくなって聞こえなかった。


「似合ってるね。そっか、可愛いだと氷室さんのことだもんね。髪留めとシュシュを付けた氷室さんを褒めるのか」


「私だって成長するんだからね。そんな可愛いばっかり言ってたらいつかは慣れるんだから」


 氷室さんが頬を赤くしながら言う。


「僕、人と話すこと家族と氷室さんしかないからなんて言えばいいのか分からないんだよね。ごめん」


「だからしゅんとしないで、陽太君はそのままでいいから。むしろそのままでいて」


「うん」


 氷室さんは優しいからそう言ってくれるけど、言葉のレパートリーを増やさないといつか氷室さんに愛想を尽かされてしまう。


 そうなったらこの楽しい時間が無くなっちゃうから頑張らなきゃいけない。


「でも僕、氷室さんの隣に居られるように頑張るね」


「……分かってるよ、物理的な隣ね。分かってる分かってる」


 氷室さんが腕を胸の前に組んで首を縦に振る。


「あ、そうだ」


 氷室さんが何かを思い出したようで、隣に置いてあった紙袋から何かを取り出した。


「何か買いに行こうかなって思ったんだけど、陽太君の欲しいものが何にも思い浮かばなくて。だからお姉ちゃんに聞いたら『お菓子でもあげたら』って言ってたから作ってみたの」


 そう言って氷室さんが綺麗にラッピングされたクッキーを渡してくれた。


「氷室さんお菓子も作れるんだ」


「初めて作ったの。お母さんがキッチンに人入れるの嫌いな人だから。でも昨日は入れてくれたんだよね。顔は引き攣ってたけど」


「優しいお姉さんとお母さんだね」


「うん優しいよ。クセはあるけど」


 氷室さんが「あはは」と薄く笑いながら言う。


「お母さんが人に『陽太君にあげるなら澪も一緒に食べなさい』って言ってたから一緒に食べよ」


 そう言って氷室さんは紙袋からこちらは簡単に包まれたクッキーを取り出した。


「ちょっと待ってて。手洗いうがいしてくる」


 寝起きは口の中が菌でいっぱいと聞いたことがあるので、僕は起きてからうがいをするまでは何も食べないようにしている。


「待ってる」


 僕は急いで手洗いうがいを済ませて僕の部屋に戻る。


「ただいま」


「お、おかえり」


 氷室さんは僕のベッドにも垂れながら待っていたらしい。


 でも僕が帰って来た途端に背筋をピンと伸ばした。


「今のはほんの出来心だから気にしないでくれると助かります。軽蔑したのなら土下座でもなんでもしますのでお許しを」


「別に眠かったらベッド使ってもいいよ?」


「それはその、まだ早いと言いますか。いや、お友達ならそれぐらいするのかな?」


 氷室さんが僕の方を見ながら聞いてくる。


「僕、氷室さんが初めてのお友達だから分かんない」


「初めて……」


 氷室さんがどこか遠くを見つめて固まった。


「氷室さん。クッキー食べていい?」


「はっ。忘れてた。食べよ」


 僕はラッピングを丁寧に外して、クッキーを一枚取り出す。


「美味しそう。いただきます」


「め、召し上がれ」


 どこか緊張してるように見える氷室さんと一緒にクッキーを食べる。


(不思議な味)


 初めて食べる味のクッキーで感想が難しい。


 食感もぺたぺたしている感じで、こちらも初めての食感だ。


 とりあえずもう一枚食べようと手を伸ばしたら氷室さんに手を掴まれた。


「駄目。それ以上は命に関わるから無理しなくていいよ」


「なんで? 確かに不思議な味だけど、美味しいよ」


「変にとりあえず褒めるなんて教えなければよかった。正直に言っていいよ、美味しくないでしょ」


「美味しいよ! 氷室さんだって僕が言っても返さなかったんだから、返さないよ」


 僕は昨日氷室さんがやったように、クッキーを氷室さんから隠す。


 そして二枚三枚と食べていく。


「大丈夫? お腹痛くない?」


「大丈夫だよ。氷室さんは心配し過ぎ」


 氷室さんに取られないように食べ進める。


「ごちそうさまでした。ありがとう氷室さん」


「そんなに急いで食べなくても。ティッシュ貰うね」


 そう言って氷室さんが僕の口の周りを拭いてくれた。


「自分で出来るよ、これぐらい」


「せめてもの罪滅ぼしです。お母さんが私をキッチンに入れない理由が分かった」


「氷室さんのやつ食べないの?」


「これは戒めとして取っておきたいけど、出来ないから廃棄します」


「ならちょうだい」


 廃棄なんて勿体ない。


 せっかくの食べ物を捨てるなんて駄目だ。


「でも」


「そのクッキーだって捨てられる為に作られた訳じゃないでしょ」


「そうだけど」


「クッキーが可哀想だよ」


「分かった。じゃあ一緒に食べよ」


「うん」


 僕と氷室さんは二人で半分ずつ残ったクッキーを食べた。


「なんで陽太君はそんな普通に食べられるの」


「美味しいから」


「嬉しいけど、ほんとか疑わしいよ」


「美味しいもん」


 本当に美味しいと思っているのにそれが氷室さんに伝わらない。


 確かに僕は明莉に「お兄ちゃんはなんでも食べるね」と言われたことがあるけど、僕だって苦手なものはある。


 ただ出されたものを苦手だからと残したりするのが嫌なだけだ。


「ありがとう陽太君。私は陽太君の言葉を信じるね。少なくとも陽太君は私の作ったクッキーを美味しいって食べてくれるって」


「うん」


「だからこれからも私の作ったもの食べてくれる?」


「うん。楽しみ」


 そんな約束をして、氷室さんは朝ごはんを食べに家に帰った。


 そして学校に着いて二時間目に氷室さんは保健室に行った。


 だから僕を起こしてくれる人はいなかったけど、僕は僕で休み時間の度にお腹が痛くなってトイレに行っていたから寝ずに済んだ。


 氷室さんは早退したようだ。


 僕のお腹は帰る頃には落ち着いていて、いつも通りお昼寝をしていたら、氷室さんのお母さんがうちに来て、僕に謝罪した。


 なんで謝罪してるのか分からなかったけど、どうやら僕がお腹を壊したのが氷室さんのクッキーが原因だと思ったらしい。


 だからもう無理して氷室さんの作ったものは食べないでいいと言われたから「嫌です」と断った。


 僕は氷室さんが作ってくれるなら、それを全部食べるつもりだ。


 それを聞いた氷室さんのお母さんが少し嬉しそうにして、一つ決め事をした。


 氷室さんが料理をするのは休みの日だけ。それなら学校でお腹を壊したりして、授業が受けられないなんてことはないからと。


 僕はよく分からないままにそれを受け入れた。


 そして最後に氷室さんのお母さんが「これからも澪をよろしくね」と片目を閉じてウィンクをした。


 僕が「はい」と言ったら、嬉しそうにして氷室さんのお母さんは帰って行った。


 なんだか氷室さんとは違った感じに可愛い人だと思った。

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