第11話 魑魅魍魎の文芸部と合宿計画


 ちょっと前まで妖崎に同情していた俺だが、早速前言撤回する。


「つまり! 発足して間もない我々文芸部は互いのことをもっとよく知る必要がある! ついては夏休みという学生のみに許された輝かしい長期休暇を利用してだな……」


 放課後の文芸部室、例のごとく先輩が黒板の前に立って演説をしている。


「ちょ、ちょっと待ってください! 仲を深めるのは私と正也君だけで十分です! 完全な吸血鬼である私はあなた方凡人と馴れ合う気は毛頭ありません!」


 いきり立った妖崎麗佳が先輩の言葉を遮り、自分が吸血鬼であることを大声で暴露する。


「吸血鬼がどうとか今はどうでも良いんです! まず転校初日に喧嘩が原因で授業をすっぽかしたことを反省してください! ていうか何で私がここにいるんですか!」


 女子の中でも小柄なリンが大きな身振り手振りでまくし立てる。

 真に同情されるべきは妖崎ではなく、魑魅魍魎蔓延るこの空間に放り込まれた俺だろう。


「まあまあ、皆落ち着いて」


 俺はそんなことを考えながら、紙パックに入った動物の血をストローで吸い上げる。


「こら正也! しれっと問題行動するな!」


 えっ? 俺、今何かおかしなことしてたか?


「まあまあ皆、一回落ち着きたまえ」

「櫻先輩……」


 先輩は腰に手を当て、やれやれとでも言いたげにため息をつく。この中じゃお前が一番問題児だっつーの。


「私も焦ってしまって悪かった。まず新入部員の紹介から始めるべきだろう。リン君、彼女は妖崎麗佳、吸血鬼だ」


 先輩から紹介を受けると、窓側の席に座っていた妖崎は立ち上がって丁寧にお辞儀する。


「教室でもお話させていただきましたが、改めて、妖崎麗佳と申します。人間の上位種です」

「改めてキャラ濃すぎでしょ。ていうか、一応祓魔師の私に何でその自己紹介なわけ?」

「そんなこと、わかりきってるじゃないですか」


 妖崎は薄気味悪い笑顔を顔に張り付けたままリンに近づいていくと、非常に可愛らしく小首を傾げた。


「あなたになら問題なく勝てると思っているからですよ?」

「へえ、吸血鬼のお嬢様でも喧嘩の売り方は下品なんだね」


 リンが立ち上がって真正面から言い返すと、すかさず先輩が二人の間に割って入る。


「まあまあ二人とも、立場上の対立は仕方のないことだが、今は同じ文芸部員同士仲良くしようじゃないか、な?」

「部長、これは立場など関係ありません。正也君を巡る戦いなんです!」

「は?」

「へっ? 俺?」


 思いがけず話題の中心に放り出されてしまい、素っ頓狂な声が漏れる。


「この女、筧リンは部長や私の目が届かないところでこそこそと正也君にアピールしているんです! 昼休みの時間も正也君にいやらしく身体を擦り寄せて……思い出すだけで腸が煮えくり返ります」

「そっ、そんなことしてないって! 脚色しすぎ!」

「リン君、そうなのか? いつでも相談に乗るぞ?」

「櫻先輩まで乗せられないでください!」

「では、あなたは正也君のことは別に好きではないと?」

「そ、それは……!」


 頬を赤くして声にならない声をぶつぶつと呟くリンと目が合う。

 その瞬間、リンは目を潤ませてふいっと目を逸らす。それから俯きがちに俺の反応を伺うようにチラチラと見ると、袖で口元を隠した。正直ちょっとドキドキしてしまったが、これは脳のバグに違いない。


「どうなんですか、はっきりしてください」

「そ、そんなこと言われても、別に嫌いだし」

「本当ですか? それは本心ですか?」

「……も、もう帰ります! 文芸部なんて入りませんから!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしいリンは、自分の鞄を乱暴にに持って早歩きで部室から出て行こうとしてしまう。


「あっ、リン君!」


 尊敬する先輩の呼びかけも無視し、ドアに手を掛ける。


「はー、やれやれ」


 こういうとき、こいつに一番必要なのは冷静な友人だろう。


「おい、待てよ」


 リンは動きを止め、今にも泣き出しそうな目を俺に向けてくる。


「そんなくだらない話は一旦置いといて、お前がこの部にいる必要はあると思うぞ?」


 リンは目元を袖でごしごしと拭う。


「……例えば?」

「この部にいるメンツ、よく見てみろよ」


 リンが恐る恐る振り返るのを見ると、俺も妖怪たちに視線を移す。


「自分が吸血鬼であることがバレたら人間社会で圧倒的に生きにくくなる妖崎と俺。自分の性癖がバレると社会的にマズい先輩。そして、自分が祓魔師の家系であることが公になると今までの平穏な生活が失われる可能性があるお前」

「いやぁ、私としては、私の性癖がバレてバッシングを受けてもそれはそれで良いのだが」

「先輩の性癖の話は一旦置いといて、先輩もそういう意図があったんでしょ?」


 俺がそう聞くと、先輩はまるで我が子の成長を見守る母親のような表情で何回も頷く。


「そ、それが何? 脅迫のつもり?」

「ちげえよ。自分の正体を隠して無理するより、秘密を共有し合ってる奴らといた方が気楽なんじゃねえのって俺らは言いたいの」

「それは……」

「それにさ」


 目を丸くしている妖崎と先輩に視線を移す。


「皆、別に悪い奴らじゃないと思うよ。妖崎はわからないけど」

「わ、私だって悪い人というわけじゃ……! ただ」


 妖崎はチラチラと伺うようにリンを見て、それから深々と頭を下げた。


「先程は柄にもなく熱くなりすぎました。申し訳ありません」

「ていうことでさ、もう少しここにいてみたらどうよ。悪いとこじゃないぜ。小説なんて書かなくても誰にも文句言われないし」

「そ、そうだぞリン君! 小説を書かなくて良いというのは心外だが……部長の私としては魂を揺さぶられるような、私に新しい性癖を植え付けてくれるような刺激的な作品を常に欲しているわけであって」

「変に期待すんのは良くないっすよ先輩。のんびり好きなように、それが俺らでしょ?」


 俺がそう聞くと、先輩は穏やかな表情で頷いた。


「そうだな。リン君、先程は私の変なテンションに巻き込んでしまってすまない。出来れば、私は君と一緒に部活動がしたい。ダメかな?」

「櫻先輩」


 リンは袖で目元を擦ると、自分の荷物を机の上に置いた。


「わかりました。じゃあ、もう少しだけここにいさせてもらいます」

「リン君……!」

「リン」


 まだ戸惑いの表情が残っているリンを見つめ、出来るだけ優しく微笑む。


「ありがとう。これからもよろしくな」


 一瞬目が泳いだリンだが、俺の目を見て力強く笑った。


「うんっ」

「ああいうところです。昔から程よく律儀で誠実というか」

「ああ、言いたいことはわかるぞ。普段は乱暴な印象を受けるが根は優しくてまともだ。リン君のように純粋な子はそのギャップに弱いんだ」

「こらそこー、無駄話してないで活動始めようぜー」


 そう言うと、妖怪二人組は顔を見合わせて笑った。


「ふふ、やっぱり敵いませんわ」

「これじゃあどっちが部長かわからないな。よーし! 新生文芸部! さっそく活動を始めるぞ!」


 再びテキパキと動き始めた先輩を見て、俺とリンはやれやれと笑った。




「んで、夏休み使って何するんすか?」

「よくぞ聞いてくれた正也君! 流石だな」


 黒板に『夏休み中の部活動計画』とでかでかと書かれているのだから、きっと俺でなくとも聞くだろう。


「ズバリ……! 何だと思う? リン君!」

「えっ⁉ えっと、何か一つ作品を書き上げる、とかですか?」

「うーん、惜しい! 実に惜しい! 童貞の主人公の初エッチが変に小慣れてるみたいな雰囲気だ」


 例え気持ち悪っ。共感しづらいし何なんだよ。


「次! 妖崎君!」

「そうですね、長期休暇を利用するくらいですから、文化祭に掲載する作品のための取材兼旅行とか? 学校があるときは時間が取りづらいですし」

「くーっ、それも惜しいな! 何と言えば良いのだろう。ドSな先輩とエッチ大好きな幼馴染みたいな感じで、お互いの特性が合体すれば最強のヒロインになれると思わないか⁉」


 思わないよ。ていうかその例え縛り何なんだよ。誰かに脅迫でもされてんのか?


「先輩、つまり」


 でも、言いたいことは大体わかった。


「文化祭に掲載する作品を執筆するために合宿でもする、ってことですか?」


 俺がそう言うと、先輩の表情が遠目でもわかるくらいに晴れやかになっていく。


「せ、正解! 流石私のご主人様!」

「おーい、言葉を慎めーい」

「ご主人様のために詳しく言うとだな……」


 先輩は振り返り、黒板に何やら文字を書いていく。


「テーマは自分の好きなものだ! 短編でも長編でも良い! 好きなものをテーマに合宿で作品を書き、文化祭でそれを掲載する!」

「さ、作品を掲載ですかっ⁉」


 しかし、一つ隣に座っていたリンが立ち上がって異議を唱える。


「そんな、自分の作品を他の生徒に見せるだなんて、恥ずかしくて出来ません!」


 続いてそのリンの一つ隣に座っていた妖崎も立ち上がる。


「そ、そうです! 私も実は一人で書くことはあるのですが……人様に見せる程のものではありません」


 そりゃそうだ。この性格の先輩ならまだしも、比較的正常な俺らが作品を他の生徒に見せるなんて、中々出来ることじゃない。俺も嫌だ。

 だけど、こういう突拍子もないことを言うときの先輩は大抵何か深い考えを持っている。


「で? 何を企んでるんですか?」


 俺が頬杖をつきながらそう聞くと、先輩は悪戯っぽくニッと口角を吊り上げた。


「ズバリ、これは君たちを呪縛から解き放つ作戦だ」


 次の瞬間、部室に静寂が訪れる。


「先輩、俺たち宗教には興味ありません」

「そっ、違う! そういう意味じゃなくてだな! ごほんっ、すまない。言葉足らずだった。つまり!」


 先輩は教壇の上から俺たちを一人一人順番に見つめていく。


「君たちは一人一人大きな秘密やトラウマを抱えている。私が思うに、君たちはこれ以上自分が傷つかないために、自分の本心を無意識に隠してしまっているのではないだろうか」


 自分の本心を隠す? いまいちピンと来ない。


「あっ、すまない。説教する気なんてないんだ。ただ、私のような人間からすると君たちの生き方は非常に窮屈に見えてしまうんだ」

「……それの何が問題なのですか?」


 とうとう妖崎が牙を剥く。

 しかし、先輩は悲しそうな表情のまま笑顔を作る。


「問題なんか無い。誰も責めてない。強いて言うなら、私に責められていると思っている君の強烈な罪悪感が問題なんだ」

「言わせておけば、人間……!」


 妖崎が徐々に殺気立っていくのがわかる。今にも先輩に飛びつきそうな雰囲気だ。


「落ち着いて」


 しかし、数珠を左手に絡ませたリンがそれを妖崎に向けることで、その衝動を抑制した。


「これは……心が、安らいでいく」

「まず座って。櫻先輩はいたずらに仲間を傷つけるような人じゃない」

「わ、わかりました」


 妖崎が大人しく席につくと、先輩はホッとため息をつく。


「言葉足らずで申し訳ない。怒るのも当然だ。でも、君たちにはどうか自分を許してほしい。自分を許すには、まず自分を知ることが大切なんだ」

「自分を許す、か」


 高校の入学式の日、衝動を抑えられなくて暴走したとき。リンの姉に全く太刀打ち出来なかったとき。そして何より、それらを引き起こした弱い自分。

 許せている、責めていないと言えば噓になる。


「先輩、俺は賛成です」

「正也君! 本当か!」

「ええ、何か、良いきっかけになる気がする」


 自分が吸血鬼であることを一度受け入れた俺だが、まだ越えるべき過去と立ち向かうべき将来が残っている。

 覚悟を決めるために、一度初心に帰って自分を知るのは良い手段に思えた。


「二人はどうだ⁉ 今の話を抜きにしても、創作はきっと良い経験になると思うぞ!」


 少しすると、妖崎が恐る恐る手を上げる。


「正也君がやるなら、私も」

「妖崎君! 良いのか⁉」

「はい。自分を許すためにまず自分を知る。あながち間違っていない話だと思いましたから。それに」

「ん?」


 妖崎は振り向き、遠い目で俺を見る。


「何でもありません。よろしくお願いいたします」

「じゃ、じゃあ私も!」

「おっ、リン君! 本当に良いのか? 無理してないか?」


 先輩にそう聞かれると、リンは拳をギュッと握り締める。


「正直、無理はしてます。初めてのことで怖いし。でも、ずっと曖昧なままじゃダメだと思ったんです。私は、ちゃんと自分を知りたい」

「え?」


 そして、リンもまた俺を見る。しかも、何やら決意に満ち満ちた目で。


「……よろしくね」

「お、おう」


 そんな俺らを見た先輩は満面の笑みで腕を組み、うんうんと頷く。


「後輩が育っていくのを見るのは尊いなあ。うんうん」

「そういえば先輩、合宿ってどこでするんすか?」

「ああ、そういえば言ってなかったな。この夏休みの間両親が山の中の別荘を貸してくれるらしくてな。そこに行くぞ」


 うわー、本当に何でも持ってるんだなこの人。正直嫉妬してしまう。


「先輩、最後に一つ」

「何だ?」


 俺は頬杖をつくと、薄っすらと笑いながら先輩を見る。


「正直、合宿する理由って他にありますよね?」

「えっ⁉」

「正也君、私もそう思ってました。純度百パーセントの善意などこの世には無いのです」

「櫻先輩、もしかして」

「ぐ、ぐぬぬ」


 俺たちの熱い視線に耐えかねた先輩は、少し俯きがちにボソッと呟いた。


「正也君に、泊まりでイジメてもらおうと思って」

「や、やっぱりそういうことですか! この小賢しい女狐!」

「櫻先輩、正直見損ないました」

「そ、そんなっ、でも自分に正直にならなきゃ……ううぅ」


 あまりの羞恥心に赤面する先輩を眺めながら、俺は心の底からざまあみろと思って笑った。

 ドMで真面目な先輩、吸血鬼を監視する祓魔師のリン、幼馴染の吸血鬼妖崎、そして、出来損ないの吸血鬼の俺。

 魑魅魍魎蔓延るこの文芸部にも、そろそろ本格的な夏が訪れようとしていた。

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