第3話 恋という感情

 桜河にエスコートされながら、長い廊下を歩く。

 中庭には鯉が泳いでいる池や大切に育てているのであろう美しい花々が咲いていた。

 絵に描いたような庭に目を奪われる。

 こんな庭がある家に住んでみたいと撫子はこっそり憧れていた。

 「中庭が気になるか?後で案内しよう」

 瞳を輝かせて中庭を見ていた撫子に気づき、桜河が足を止める。

 「は、はい。ありがとうございます」

 初めての場所についキョロキョロと辺りを見てしまっていた。

 歩きながら見るのは辞めようと少し反省をして再び歩き出す。

 「こちらでございます」

 百合乃が襖を開けると部屋の中には見るからに高級そうな家具が置かれていた。

 大きなテレビ、ベット、ソファ、テーブル……。

 どれも見たことがないくらい上等な家具だ。

 鈴代家にもこんな家具は無かった。

 叔母達が使う部屋には良い物が揃っていたが撫子の部屋には最低限の物しか置いてなかった。

 脚がガタついている机に綿が減っている薄い布団。

 冬は障子の隙間から入ってくる風が寒く、何度も体調を崩した。

 しかしこの部屋はそんな心配をしなくても良さそうだと分かるほど調度品が整えられている。

 「自由に使って良い。何か欲しい物があったら遠慮しないで言ってくれ」

 「あ、ありがとうございます」

 これ以上に欲しい物など出てこないと思った。

 ここに置いてある物で自分にとっては十分すぎると礼を言いながらも胸の中でこっそり思っていた。

 「ずっと白無垢姿だと疲れただろう。服を用意してある。好みの物を着ると良い」

 桜河の言葉に百合乃がクローゼットを開けるとそこには様々な洋服が所狭しと入っていた。

 まるでお店のような並びに撫子は目を丸くする。

 「撫子がどのような服が好みか分からなかったから人間界の流行りの服から有名企業の服まで全て取り揃えた。俺は居間で待っているから着替えておいで。百合乃頼んだよ」 

 「お任せ下さい!」

 百合乃が元気に返事をすると桜河が部屋を出て行った。

 部屋に二人きりになると百合乃がくるりと撫子の方に振り向き、そっと手を引く。

 「さあ、撫子様。お好きなお召し物をお選び下さい」

 「え、えっと……」

 百合乃の明るさに押されてしまい、とりあえず一着手に取ってみる。

 (あ、これ可愛い……。隣の洋服も)

 どれも可愛らしい洋服ばかりで自然と胸が弾んだ。

 何着か見ているとふと一着のワンピースが目に入る。

 水色のふんわりとした生地に裾の部分がフリルが付いていてシンプルだが女の子らしさを感じるワンピース。

 「私、これがいいです」

 「かしこまりました!」

 ワンピースを取り出し百合乃に着替えを手伝ってもらう。

 最初は断ろうとしたが白無垢の着がえは一苦労だと思ったので素直に甘えることにした。

 着替えながら撫子は百合乃に質問をしてみる。

 「あの、龍神様はずっと人間界に居ても問題ないのですか?」

 何となく撫子の中で神様は天界に存在するイメージだった。

 神とその花嫁が暮らす光結町の話を聞いたとき、神達はどんなことをしているのだろうと不思議に思っていた。

 「桜河様を始め、神達は執務をこなす際は天界で執り行います。光結町にある鳥居を使用すれば簡単に往き来出来るのですよ」

 「なるほど……。百合乃さんや他の使用人の方達も天界の方なのですか?」

 「左様でございます。私共は神に仕える一族で幼い頃から忠誠を誓い、勉学に励んで参りました」

 丁寧に説明してくれたおかげで疑問に思っていたことがすっと消化されたような気がする。

 そうこうしているうちに着がえは終わり桜河が待っている居間へ向かう。

 襖を開けると座っていた桜河がこちらを見る。

 水色のワンピースを身に纏い、恥ずかしそうに頬を染める撫子を見て愛おしそうに見つめる。

 「とても似合っている。可愛いよ」

 「ありがとうございます……」

 小さな声でお礼を言うと桜河に座るよう勧められる。

 撫子が座ると使用人がお茶とお菓子を出してくれた。

 茶葉の良い香りが鼻腔をくすぐる。

 今日一日で慌ただしく疲労が溜まっていたのだろう。

 香りを嗅いで少し気持ちが落ち着いた。

 一つ深呼吸をして目の前にいる桜河を見る。

 「本当は今日の婚儀は嫌だったのです。勝手に玲子さんに決められて反論出来ずに今日を迎えました」

 桜河はしっかりと撫子の話に耳を傾けている。

 「龍神様は私のことを想っていてくださいますが私はまだ龍神様に対して恋の感情は分からなくて…。すぐにお返事出来ず申し訳ありません」

 桜河とは今日初めて会ったが優しくて自分のことを大切に思ってくれている。

 地主とは違い、怖さが無い。

 どんな女性だってすぐに好きになるだろう。

 それくらい魅力がある男性だと恋愛経験が無い撫子でも分かるのに現時点では芽生える感情は無かった。

 自分も神達のように運命の人に出逢ったら恋い焦がれたような気持ちになれば良いのにと悔しさも感じる。

 「顔を上げて」

 桜河の言葉に自然と俯いてしまっていたことに気づきゆっくり顔を上げる。

 美しい藍色の瞳がこちらを真っ直ぐに見ており何故か恥ずかしさを忘れ目が離せなくなった。

 「謝ることは何も無い。撫子の気持ちを話してくれてありがとう」

 自分を否定せず逆に感謝までしてくれる桜河。

 『神の花嫁に選ばれた者は幸せになる』という言い伝えを思い出す。

 その言い伝えを信じてみても良いのかもしれないと思わせるほど桜河は温かかった。

 「俺も撫子に好きになってもらえるよう、努力しよう」

 目を細めて楽しそうに笑う桜河。

 初めて見る表情に撫子は少しだけ驚いたが安心できるこの時間が心地良くて微笑むのだった。

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