小田原藩・桜町領のこと

『報徳記』からの意訳を続けます。


 金次郎さんは小田原に帰り言上しておっしゃいました。


「君はそれがしめの不肖を察していただかれず、宇津家の釆邑(ご領地)の興復のことをお命じになられました。その任にあらないことをもって固辞するといえども、あえてこのことをお許しなさらない。止めることをえないでかの地にいたり、土地と民情とを察して再復のことを考えますに、土地は瘠せみのりは薄い状態であって、人民の無賴・怠惰もまたきわまっております。


 そうであるといえども、これを振起するに仁術をもってし、村人の旧染の汚俗をあらため、もっぱら力を農事につくすときは再興の道がないわけでもございません。そして仁政が行れないときは、たとえ年々四千石の年貢をゆるすといえども、彼の貧困をまぬがれることがあることはございませんでしょう。


 たとえば江戸における巢鴨の地と日本橋の地のようなものでございます。日本橋の土地は屋賃がいかほどにたかいといっても、売買の利が厚いがために人は競って居住し富優をえます。巢鴨のような土地にいたっては金銀の融通・売利が薄いがために、屋賃がないといっても人はこの土地を望みませんし、また(居れば)貧窮を免れません。上地は年貢が多いといえども民はその益が多いがために繁栄し、下国は年貢がないといっても田産が薄いがために、その艱難を免れることは難しいのでございます。これは土地の(実りの)厚い・薄いのいたすところなのでございます。そうしてこのような下国をして上国とともに栄えさせようと望めば、必ず仁政でないのならばできないのでございます。


 どうしてかとなれば、温泉は人力をまたずして周年(一年中)温かでございます、風呂は人力をもってたくがために暖かでございますが、暫時しばらくも火を去るときは忽然として冷水となります。上国は温泉のようで、下国は風呂に似ております。そのために仁術を行うときは栄え、仁政がないときは衰えます。


 今、野州(下野国)・桜町の衰廃をすくい、永く民を安ずるの道はほかありません、厚く仁をほどこし、その艱苦を去って安栄に導き、大いに恩澤をしきてその無賴の人情をあらため、もっぱら土地の貴き理由を教え、力を田圃につくさせるにあるのでございます。


 そしてこの興復の用度は幾千萬金なるか、あらかじめその数を定めにくうございます。前々に君はかの土地の再復を命ぜられるにたくさんの財をおくだしになりました。このためにその事は成らなかったのでございます。以後はこれを興復するに、必ず一金もおくだしなさることがありませんように」


 そうおっしゃいました。


 忠真侯はおっしゃいました。


なんじのいうところは至道というべきである、そうではあるけれども、廃亡をあげるに財をもちうれどもなお興らない、今、財がなくしてこれをあげるの道はどうするというのか」


 金次郎さんはこたえておっしゃいました。


「君が財をおくだしになれば、代官・村民ともにこの財に心をうばわれ、たがいに財を手にいれんことをのぞみ、下民は代官の私を論じ、代官や役人のものは下民の私曲(過ち)のみをうれいます。たがいにその非を論じてその利をむさぼり、ついに興復の道をうしない、いよいよ人情をやぶり、事は廃せられることになります。これは用財をおくだしになるときの災にございます」


 忠真侯はおっしゃいました。


「善いかな、汝の言うことは。それでは財は無くして廃亡をあげる(村を復興する)方法、その道とはどのようなものだ」


 金次郎さんはこたえておっしゃいました。


「荒蕪を開くのには荒蕪の力をもってし、衰貧をすくうには衰貧の力をもってします。どうして財を用いましょうや」


 忠真侯はおっしゃいました。


「荒蕪を起こすのに荒蕪の力をもってするという事はどういうことだ」


 金次郎さんはこたえておっしゃいました。


「荒田一反を開いてその産米一石がありますに、五斗(半分)をもって食となし、五斗(半分)をもって来年の開田料(田を開く資本)となします。年々(毎年)このようにして止まなければ、他の財を用いないでも、何億萬の荒蕪といえども、開きつくすことができるのでございます。


 わが神州は往古の開闢かいびゃく以來、幾億萬の開田のそのはじめにおいて、異国の金銀を借りて起したわけではございません。必ず一鍬よりしてこのように開けたのでございます。


 今、荒蕪をあげんとして金銀をもとめるのは、その本を知らないがためにございます。そもそも往古の大道をもって荒蕪をあげんとするに、何の難しいことがこれありましょうや。そもそも宇津家の采邑(領地)・四千石であるといえども、実際の事で納まるところの年貢はわずか八百俵のみにございます。これは全く四千石の虛名があって、実は八百石の禄なのでございます。


 この八百俵をもって再復までの分限と定め、そのあまりを求めず、艱難に素して艱難に行い、その生地はわが邦の開けたるがように、その余りの荒蕪はいまだ開けざる蝦夷えぞのようであるならば一金の用財もおくだしなさらないようにし、荒蕪を開き村人を安んじるには荒蕪の地をもってそれがしにお任じなさるなら、十年にして必ず功を奏すはずでございます。


 ただそうではありますが、ここに一つの難事があり、どのようにもすることができません」


 忠真侯はおっしゃいました。


「その難事とはどのようなものだ」


 金次郎さんはこたえておっしゃいました。


「かの土地がいかなる難場であるといえども、前段の(述べたような)道をもって興復することは難しいことではございません。ただいかんせんその功を奏するにいたっては、二千石の不足を生ずるのです。荒蕪のままに置くときは四千石の名があります。今、千辛萬苦をつくして幾千萬の財をしき、功をなすにいたっては四千石にあらずして全く二千石となります。そうであるならば、つまり再復しないほうがまされるにほかならないではありませんか」


『報徳記』はこのように述べています。


 忠真侯と金次郎さんが問答をされていますが、これはのちの世に聞き書きなどをもとにしてつくられた伝記とされます。実際にこのような問答があったわけではないのではないでしょうか。


 しかし金次郎さんは語りかけられます。温泉のたとえ、荒蕪をもって荒蕪を拓く、含蓄のある言葉だと思います。


 しかしどれだけ努力をしても、桜町領の限界は二千石で、四千石には遠い。八百石の二倍以上の収穫ではありますが、これが限界という金次郎さんの嘆きにも聞こえます。


 この嘆きに、忠真侯は答えられます。

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