母と子

 さて、半分のお金を返してもらい、二宮家の田地は残りました。金次郎さんたちは病気の治ったお父さんとお母さん、そして兄弟二人の四人で暮らすことになりました。半分になった田地でみんなが生きていかなければならなくなったのでした。


 さて生活の苦労からでしょうか、お父さんはお酒が好きでした。金次郎さんは幼いころから草鞋をつくって、毎日一合の酒を求めては夜にはお酒を飲ませてあげたそうです。お父さんはそのやさしい心を喜ばれたといわれています。


 当時のお酒には値段の差があり、江戸の庶民が通うような居酒屋でだされたお酒の値段なども残っています。上等のお酒で一合が三十二文したそうです。安いお酒になると、一合・四文ぐらいで飲むことができたといいます。


 一方で草鞋はある程度の金額がしました。参考として履き物の値段をしらべると、江戸末期にですが、藁の草履が一足で十二文ほどだったといいます。二足だと二十四文になりますから、大事に使って一足ずつ買いかえたのでしょうか。武士の中間(身分の低い家来ですね)が内職としてつくって売ったりしていたようですが、その内職を金次郎さんが子供のころからしていたわけです。


 一足十二文ですので安い四文のお酒なら三合買えることになります。またあまりがでたなら生活費にもなったでしょう。さぞご両親は喜ばれたでしょうね。


 ちなみに履き物、草履には種類があって、つくりが頑丈なものにいたってはもっと高かったといいますから、金次郎さんはすでに子供のころから家族を養っていたことになります。


 しかしこのような金次郎さんの助けにもかかわらず、お父さんの体調はよくありませんでした。


 寛政十二年(1800年)、金次郎さんが十四歳のときです。お父さんの利右衞門さんはまた大病をわずらい日々に衰弱されました。お酒を飲んだのはよかったのでしょうか、お母さんと金次郎さんはこの病をなげきつつ昼夜看病をしました。のこっていた家の財産を売ってでもお父さんの治療をもとめ、神様にお祈りまでしてもらい、心をつくして看病をしました。


 しかし運命だったのでしょう、ついに寛政十二年(1800年)九月二十六日、お父さんは亡くなってしまわれたのです。


 お母さんと金次郎さんの悲歎ひたん働哭どうこくされることは見るにしのびないものがあり、村人たちはみなその心をおもんばかってそっと涙を流したものでした。


 このころにお母さんは赤ちゃんを産まれていました。兄弟は三人になっていたのです。三人もの子供を育てるようになり、艱難はいよいよきびしくなりました。それにお父さんがいないのです。お母さん一人で、田地で生活のことをやっていかなければいけません。それも酒匂川が氾濫した、石ころだらけの田んぼです。


 お母さんは赤ちゃんを産んだあとの体力のおとろえもあったにもかかわらず働かねばなりませんでした。


 お母さんは金次郎さんにおっしゃいました。


「おまえと次の弟の三郞左衞門とは私がどのようにかして養うことができるはずです。しかし末の子の赤ちゃんまでは力がおよびません。三人ともに養おうとしたら、全員がすべて飢えてしまうだけです。このような事態になったからには末の赤ちゃんについては親類に連れていってお慈悲を願い、養ってもらうつもりでいます」


 そして親類のもとをおとずれて、その了解をえて赤ちゃんを養ってもらうことになりました。


 お母さんは一旦は喜んで家に帰ってきました。そして金次郎さんと弟の二人にそのことを告げて、さあ、これからがんばるんですよ、と困難に立ちむかおうとされました。


 しかしさあ、その夜です。お母さんが寝られたあと、何か泣いておられるのです。金次郎さんも心配しています。音をきくと夜をとおして泣き声がきこえ、寝ることができないようです。お母さんが泣かれるのはその晩だけではありませんでした。毎日涙を流し、枕をぬらされます。


 金次郎さんはついに聞いてみられることにしました。


「每晩、寝ておられないようですが、どうしてでございますか」


 お母さんは金次郎さんが自分が寝ていないことを知っておられることにきがつき、驚かれました。金次郎さんも心配しておきておられたということですから。


 お母さんはおっしゃいました。


「赤ちゃんを親類にあずけたでしょう、だから私の乳が張って痛みのために寝ることができないのですよ、数日たったならこの悲しみもなくなるでしょう。おまえ、心配することはないんだよ」


 しかし言葉とはうらはらに、言葉がおわるとともに涙がポタポタと雫となって落ちていくではありませんか。お母さんがないておられるのです。


 金次郎さんはその子供を思う気持ちの深さを感じ、自分も泣いておっしゃいました。


「お母さん、さきにはお母さんがおっしゃったからそのままに赤ちゃんを他の人にあずけました、しかしよくよく考えるに赤ちゃんが一人いるといってもどれだけ違いがあるでしょう、明日から私は山に行きまして薪を伐りましょう。薪を売って赤ちゃんの養育費にいたしましょう。急いで赤ちゃんをもどしてもらいましょう」


 お母さんは金次郎さんのこの言葉を聞いて大いによろこばれました。


「おまえがそういってくれるのは本当にうれしいことだよ。今からすぐにあのお家にいって、赤ちゃんをもどしてこよう」


 そういって起きていってこようとされます。金次郎さんはこれをとどめておっしゃいました。


「今は夜ですよ。今はの刻(二十三時から一時の間)におよんでいます。夜が明けたならば、私がいってだいてまいりましょう。夜半の行き来は思いとどまってください」


 夜遅くに女の人が闇のなかを赤ちゃんを迎えにいく、あまり安全なことではなかったのではないでしょうか。しかしお母さんはおっしゃいました。


「おまえが幼いのにまだ赤ちゃんを養おうといってくれているんだ、私が夜半の往来をなんで恐れよう」


 そしてどうやってかはわかりませんが袖をはらって隣村の親類の家にいたり、この時間だったのですがわけをつげて赤ちゃんをかえしてもらい、だいて家に帰りました。そして母子四人でともに一緒に暮らす決心を喜んだのでした。


 金次郎さんのお父さんもやさしい、人に報いようとする人でしたが、お母さんも家族のきずなを大事にする人だったのかもしれません。一家はここに赤ちゃんをふくめ四人で暮らすこととなりました。しかしその家計の負担は重くのしかかります。そしてそれは金次郎さんにも苦しい道のりとなってあらわれるのです。


 それを追ってみましょう。

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