二幕 阿螺村《くまらのむら》

「きみさ、こんなところで何やってたの」

 坊主頭の鈴経が、燃えくずを竹ひご編みのに集めながら、ぼそりと耳打ちするように清応に訊ねました。白い息がひと固まり、ほうと浮かんでしんと消えてゆきます。

「いやあ、急に雪うさぎが作りたくなって」

 清応はわざと、大きめに声を張りました。まわりで燃えくずを掃いていた、作務衣さむえ姿の童たちが、揃って二人に目をやります。

「なんだそりゃ。夜中にひとりで? いや、文月とふたりで?」

「ひとりでさ。恥ずかしいだろ、見られると」

 無駄なこととはわかっていても、清応はそううそぶきます。

「文月、白衣のすそが焦げて顔がすすだらけのところを、ちょうどお舎那さまが鉢合わせしたんだとさ。今ごろ講堂でお説教じゃないか」

「火鉢でも出そうとして、すべってぶちまけたんじゃないか」

「そんなわけあるか。きみがかばわなきゃならないようなこと、ここで何かしていたのかい、文月は」

 鈴経はいっそう声を低く落としつつも、ごまかされないぞとでも言いたげな眼差しで、清応を睨みます。清応はふふん、と鼻先で笑って返すことしかしませんでした。

 昨晩、山門の見えるところまで清応が戻ったころには、お舎那さまが、庫裏くりわらしたちを皆たたき起こしておりました。お舎那さまとは、清応たち童の面倒を見る、この村でただ一人の成人の男です。てきぱきとした指示のとおりに、ある者は手桶に汲んだ井戸水を、ある者は濡らしたぼろ布を、足の速い童どうしで送り渡して、魔王殿の火の手をどうにかこうにか抑えようとしておりました。

 夜通しの火消しの甲斐あって、東の空がうっすらと白むころには、炎はすすと炭ばかりを残して、きれいに消えておりました。風向きに救われたのでしょうか。薄雪に守られたのでしょうか。炎はかろうじて森の木々を脅かす事もなく、木造りの魔王殿だけをじっくり味わうように包んで燃やし、飲み下したのです。

「鈴経、悪いくせだ。どうしてそう、うがった見方をするのさ」

 清応は肩をすくめて、困り顔を作って見せます。

「文月が関わってるからだろ。きみや他の誰かなら別に、火遊びでした、しゃんとんしゃん、でおしまいでいいさ。でも、わけもなく夜中にひとりで出歩くなんて、あいつがすると思うかい」

「たまたまあいつも、雪うさぎが作りたくなったとか」

「こんな回禄かいろく(火災のこと)だよ、冗談はいい。それともきみ、誰かかばって……」

 清応のはぐらかしに苛々いらいらした鈴経が、清応にずいと詰め寄った、その時でした。

「ひええ! だ、誰か、誰か来て!」

 焼け跡のほうからすっとんきょうな声が上がりました。万が一、巻き込まれた者がいないかと、焦げて傾いた柱の間を探し回っていた、杏点あんてんという童の声でした。なんだなんだと、まわりの童たちが駆け寄ります。普段は紅をさしたようにふくふく顔の杏点が、真っ青な顔で自分の足元を指差しておりました。

「て、手だよね……手みたいだよね、これ。ねえ、誰かここにいる!」

 杏点が声を裏返らせて叫ぶと、清応は思わず「心蔵」と言いかけた自分の唇を、すかさず手で塞ぎます。

 真っ黒な柱の合間から杏点が見つけたのは、確かにひとの腕の形をした真っ黒な棒。近づいた鈴経が、怯える杏点の代わりにおそるおそる手を伸ばすと、棒の先の、平手に開かれた指の一本が、ぼろり、と崩れました。途端「わあ!」と鈴経は身を強張らせますが、一度ごまかすように咳払いをします。

「尊天さまの像だよ、脅かすんじゃない。人が焼け死ぬ時は指を縮こめるんだ」

 鈴経の言葉に、まわりの緊張がひと息にほどけ、安堵のため息がそこかしこからこぼれます。清応もつい、呑んだ息をふうと吐き、考えまいと小さく首を横に振ります。

「誰も出てこなくてほっとしたかい」

 そんな清応のしぐさを、鈴経はしっかりと見ておりました。

「そりゃあそうさ。燃えがら、流しにいこう」

「ねえ、本当に誰もいなかったのかい。ねえ」

 清応は妙にしつこい鈴経から逃れるように、傍らの箕を持ち上げて歩き出しました。

「あのさ、僕は文月を疑いたくはないよ」

 清応はわざと早足でその場を離れたつもりでしたが、鈴経も自分の箕を持ってついてきます。燃えがらや木くずをぽろぽろとこぼしながら、ともすればつまずきそうな木の根の連なりを、慣れた足さばきでとんとんと器用に避けて、二人は森をゆるやかに下っていきます。

「でもさ、本人が口をつぐんでしまったら、実際のことはわからないじゃないか」

「もし何かあるんなら、お舎那さまに白状するだろ。僕は知らないよ」

「どうだろう。お舎那さまは文月には甘いから」

「甘いなんてことはない。怒られるようなことを、普段文月がしないだけだ」

「だから僕だって気になってるんじゃないか」

 やりとりするうち木の根道は唐突に終わり、開けた細い川が現れました。角の取れた岩の間を静々と流れる、透き通った反物のような清流です。

 二人が箕の中身をばさばさと川にあけると、清らかな水に浮いたすすや木くずは、ゆらゆらと流れて遠く離れてゆきます。

 清応は箕を川にさらして、ざっと汚れをすすぎます。と、

「わっ」

 岩のぬめりに足をすべらせ、はずみで手を離してしまいました。

「ああ、やっちゃったな」

 箕は川の流れに乗って、小舟のように水面をすべってゆきます。自分の手落ちに肩を落とした清応が見送る先で、ちょうど一回りした箕が、ふっと姿を消しました。

 沈んだのではありません。川は清応たちのいるところから半町はんちょうほど先の、まるで門扉のような一対の大岩を境に、まっすぐに落ちる滝に変わっておりました。

「なあ、村の居心地を悪くしたくはないだろう。きみも文月も何をしていたのか、正直に言ったほうがいいよ」

 いつになくしつこい鈴経の声を聞かぬふりをして、清応は水辺を川の終わり際までふらふらと歩きました。水と箕が落ちた先はどうなっているのか。清応は知ってはおりますが、それでもふいと覗き込みました。

「僕たちはまだ、ここから出られないのだから」

 滝がまっすぐに落ちてゆく先、目もくらむほどに下の下。そこにはやわらかに陽を照り返す真っ白な雲海が、四方の空の果てに向かって、どこまでも広がっておりました。


 § § §


 清応たちの暮らす阿螺村くまらのむらとは、現世うつしよから切り離されて幽世かくりよとの狭間に浮かぶ、山のひとかけらそのものでした。

 村と呼んではおりますが、この山の切れ端に建っているのは、古びた伽藍をいくつか抱える、小さな寺院ただひとつのみ。雲は足元にあるというのに、頭の上から雨も雪も降り、泉の水も絶えることなく流れでるのです。

 現世とは理の異なるこの不思議な山で、清応や文月らの子ばかり十と五人が、お舎那さまの教えのもとに、ひっそりと暮らしておりました。


「心蔵は見つかったかね」

 講堂に集まった童たちに、お舎那さまは落ち着いた声で尋ねました。齢三十過ぎのお舎那さまは、長身の清応より頭ひとつも背の低い、小兵の男でした。ですが、ひところは名の知れた武士であったと噂されるにふさわしい、確かな威迫いはくをその身に帯びておりました。その頃の名残からでしょうか、村の中でもただひとり、額から頭頂を丁寧に剃ったさかやき・・・・頭を続けています。

 お舎那さまに尋ねられた童たちは、隣り合った者同士で少しの間、さわさわと目くばせなどしあいますが、誰も答える者はおりませんでした。顔も手も、作務衣もすすだらけ。朝餉あさげもまだなので、時折誰かがぐうとおなかを鳴らします。

「焼け跡の中を誰か捜してみたか」

 杏点と鈴経、それに加えて何人かが、おずおずと手を挙げます。

「どうだった、鈴経」

「はい。みんなであらかた探したつもりですが、その、心蔵も、他に下敷きになったような人も、まだ見つかりませんでした」

「そう! 尊天さまの腕が急に見つかって、僕びっくり……しました」

 はしゃいだ声を出したところをお舎那さまにじろりと睨みつけられ、杏点の声はしぼんでしまいます。

「最後に心蔵を見た者は」

寝所しんじょにみんなが布団を並べた時には、一緒にいました。いつもどおり、回廊に近い隅っこでした」

「文月と枕つきあわせて、おしゃべりしていました」

 この村の童たち十と五人は、いつも板張りの庫裏に布団を並べて眠ります。それぞれお気に入りの場所はありますが、冬場に回廊のや風が入りこむふすまの近くは、誰もが寝るのを嫌がりました。

 そうした場所には、文月がいつも進んで布団を敷き、その隣に心蔵が、枕側に清応が布団を寄せるのでした。

「文月、心蔵がいないのに気付かなかったのか」

 一段低い声で、お舎那さまは文月に尋ねました。文月は普段そうするように、落ち着いた声で答えます。

「いえ、布団にいなかったので、東司にでも行っているのだろうと思いました」

「お前はどうして外に出たんだ」

「悪い夢を見て目が覚めてしまい、滝に打たれにゆきました」

「滝? どんな夢を見たんだ」

「もう覚えていません」

「それで」

「木の根道を通りがかりに、魔王殿のほうがやけに明るいのに気づいて、近寄ってみたら、すでに火が上がっていました」

「そうか。で、清応は」

 お舎那さまが清応に説明を求めた時、文月がちらりとこちらを見るのを、清応は感じました。清応は「ええっと」と一度言葉を濁し、わざとらしく首を傾げて思い出すそぶりをして、文月の言い訳に合わせたごまかしを組み立てながら、口を開きました。

「東司に起きたら、文月が山門をふらふら出ていくのが見えたので、追いかけたんです」

「一緒に出たのか」

「いいえ、寝ぼけてるんだったら面白いなと思って、ちょっと離れてあとを追いました。そうしたら、燃えてる魔王殿の前で正気をくしている文月がいたので、これはまずいじゃないかと思って、先に伽藍のほうに助けを呼びに行かせました」

「お前はどうしたんだ」

「川も近いし、ひとりでちょっとでもなんとかできないか、少し迷いました。でも、さすがにどうにもできないなと思って、後から文月を追いかけました」

 ふむ、とお舎那さまは鼻を鳴らし、顎を手で支えて黙り込みます。文月と清応の言葉を、頭の中で検分しているようでした。

「文月はどうして、私のいる塔のほうへまっすぐ呼びに来なかったのだね」

「……それは」

 文月が答に詰まったのを清応は察し、すぐさま口を開きました。

「僕が言ったんです。その……文月が怖がって、まともに口が回らないようだったので」

「何と言ったのだ」

「鈴経あたりを起こして、一緒に行ってもらえって」

 眉を片方傾け、怪訝けげんな顔を見せたお舎那さまから、清応はつい、目を逸らしてしまいました。

「本当かね、文月」

「……清応の言うとおりです。心細かったので、誰か起きていないかと、庫裏のほうへ先に行こうとしてしまいました」

 童たちの空気がざわと揺らぐのを、清応は感じました。苦しい言い訳かと思いましたが、それをどうにか顔に出さないよう、清応は目を伏せました。

 お舎那さまは「そうか」と短くうなずいたあとは、

「本当に、心蔵の居場所に心当たりはないか。魔王殿の中にはいなかったと思うか。お前たちは」

 二人に向かって、改めてそう尋ねました。

 清応と文月の目は、お互いのほうを同時に向きました。口に出してもいないのに、互いに「言おう」と決めたことを察したような、不思議な意思の通じ合いがありました。

 清応が先に意を決し、口を開きました。

「白い羽根が、炎と一緒に空へ上っていくのを見ました」

 童たちのざわつきが大きくなりました。

「ひょっとしたら、心蔵がいたのかもしれません」

 腕組みをしたお舎那さまは、口を真一文字に結んで目を伏せます。誰もが、恐れていたことを聞かされたようでした。講堂の空気がより重く、冷たく沈んでいきます。

 つらそうに眉間をぎゅっとつまんでいたお舎那さまが、踏ん切りをつけるように「よし」と口を開きます。

「清応と文月、それから林琶りんべ徒六とろくは、私と一緒にもう一度、焼け跡を掘り返してみよう。鈴経は他の当番以外の者を連れて、森の中を探しなさい」

「わかりました」

「今日は昼のお勤めも、狩りもなし。日が暮れるまで、心して心蔵を探そう。いいね」

 はい、と揃って答えた童たちは、また近くの者どうしで何やらこそこそ話しながら、食堂じきどうに向かう回廊に出てゆきました。


 最後にお舎那さまが出たあとも、清応と文月の二人は講堂に残っておりました。回廊の人の気配が遠くなってから清応は、

「あれでよかったかな」

 と、文月に尋ねました。

「ごめん、嘘つきをさせて」

 そう目を伏せた文月の肩を、

「嘘じゃない。もう、そうだったことにしよう」

 清応はひとつ、そっと叩きます。

 兎にも角にも、文月のことを守ろう。あの夜、炎に照らされた文月の瞳を見たその時、清応はそう心に決めておりました。

 たとえ真実がどうであれど、文月がこの村を追われてしまうことがないように、と。


 § § §


 真っ黒の柱が重なり合った下を覗いた清応は、きらりと光を照り返した、ひとかけらの金物を拾いました。

「これ、心蔵のじゃあないか」

 文月に手渡したそれは、折れた剣でした。すすにまみれてなお輝きを失わない、まっすぐな独鈷とっこつるぎの、金色こんじきの刃の切っ先。手のひらに少し余る長さのそれを見た時、文月の顔からさっと血の気が引いたのが、清応にも見て取れました。

 清応にも、確かに見覚えがありました。

 刃のかけらを乗せた文月の手が、やがて小さく震え出し、取り落とさぬよう胸にぎゅっと握り、あふれるものを押し戻すよう口元をぎゅっと押さえ、とうとう、肩をわななかせ、泣きました。

 ぐっ、ううっ、と、懸命に押し殺そうとしてし切れなかった、かすかなかすかな嗚咽おえつでした。それでも周りの童たちは、文月が泣き出したことにすぐに気づいて手を止め、おそるおそる近寄りましたが、かける言葉も見つからず、少し遠巻きのまま、膝をついて身を震わす文月を、見守っておりました。

 清応もまた文月に手を伸ばしかけ、やめました。昨夜もし、文月をそのまま炎の中へ行かせていたら。あるいは自分が心蔵を助けに行ったならば、こうして文月を泣かせることはなかったかもしれない。そう思うと、文月を慰め励ますべきは、自分ではないのではないか。そう思うと、手も口も、うまく動きませんでした。

 童たちの囲みを抜けたお舎那さまは、泣きじゃくる文月の背に、清応にしてみればやけにたやすく、その手を添えます。

「供養をしてやろう」

 嗚咽に揺さぶられ息の乱れた肺から、声を絞り出すようにして文月は答えました。

「まだ、いやです」

 心の奥底からほんのわずかこぼれてしまった、ささやかな拒絶。文月が誰かの前でそんな言葉を発したのは初めてではないだろうか。清応だけでなく、この村で文月と共に暮らしてきた誰もが驚きました。

 そして、文月の悲しみが波紋となって広がってゆくように、嗚咽をこらえ切れず泣き出す者が、また一人、また一人と、増えてゆくのでした。

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