雨降らしの少女

凪司工房

1

 見上げた空は煌々こうこうと太陽が輝いていた。

 夏、という訳ではない。かつての季節で言えば梅雨。この国の短い雨季である。それが今や青年のスニーカーの靴底は砂のような大地を踏み締めただけだ。山道の脇に生えていたモヤシのような植物は、風に揺られると朽ちて砂になってしまった。数本伸びている樹にも葉はなく、乾きに苦しむ人間のような手足を天へと伸ばし、固まっていた。


 青年は空からゆっくりと降りてくる一つの球体を見つけ、歩みを止める。バルーンに小型の計器が取り付けられた気象観測用のドローンだ。

 青年の名は霧尾きりお。山の中腹にある平賀台観測所の研究員だった。


 バンの後部席にドローンを入れると、一路、観測所を目指す。

 空を見ればどこまでも青空が広がっていたが、それに対して清々しいなどと思うことはない。それは霧尾だけではなく、全世界の人間が同じ思いを抱えている。なぜならこの二十年ほどの間、世界はほとんど雨が降っていない。ごく稀に落ちてきても数滴、あるいは一分ほどで収まり、今や世界中どの川もダムも干上がり切ってしまっていた。

何故そんなことになってしまったのか。世界中の学者や研究員、市井の好事家までがあれやこれや議論を重ねたが、未だにその原因は分かっていない。また一方で雨を降らせる研究も続けられているが、世界中の降雨量を賄うことは到底無理だと試算されている。その為にどの地域でも水不足は深刻で、飲料用の水を確保するのに海水を濾過したり、地下深くに溜まった水を組み上げたりしているが、必要量には達していない。

 しかもこの十年あまりの間に海面水位は下がり続け、新しい島がいくつも露出していた。


「……本日も節水と給水制限にご協力下さい。では続きまして米国の研究機関NXAが発表した新型濾過器についてご紹介します」


 ラジオからは軽妙な音楽と共に女性の声でニュースが流れてきたが、相変わらずの節水の呼びかけに苦笑すら浮かばない。

 運転するバンは凹凸の多い路面を下り、ようやくアスファルトの道路へと出た。左手側に深い谷が見えたが、そこはかつてダムと呼ばれた場所だ。天鯉村と呼ばれた小さな集落が沈んでいたが、崩れた建物がすっかり露出していた。


 霧尾はつまらなさそうに舌打ちをすると、アクセルを吹かして帰路を急いだ。



 西日を受け、白い二階建ての観測所がオレンジに輝いていた。屋根に複数のアンテナが付いている以外はただの四角い箱だ。駐車場にバンを止め、回収したドローンを下ろしていく。


「どうせまた白データばかりに決まっている。同じデータを少し手直しして送っておけばいいだろう?」


 玄関のドアを開けて出てきたのは同僚の風馬だった。既に白衣は脱ぎ、肩から鞄を掛けている。天然パーマの髪は遠くからでもよく目立つし、小ぶりな丸眼鏡を合わせればそれだけで彼だと視認できた。


「データというのは同じように見えても小さな変化をしっかりと捉えているものだから、毎日きっちり記録していくことが将来の大発見に繋がるんだよ。僕はそう榊教授に教わった」

「この世界少雨危機を予測すらできなかった、あの老いぼれのことか?」

「空の神様だって予測はできなかっただろうよ。未だに誰一人として原因の欠片すら突き止めていないんだ。それとも君は天才学者でもいればこの問題がたちまちに解決できるとでも?」

「天才ねえ。嫌な響きだ」


 風馬は唇を捻って霧尾を睨めつけると、軽く手を振って自分のミニクーパーに乗り込み、帰ってしまった。

 もう時刻は六時前。それでもデータの処理をして本部に送ってからでないと、霧尾の仕事は終わらない。

 台車に載せたドローンを所内に運ぶ。きゅるきゅるとコマの回りの悪い音を響かせながら、霧尾は思った。


 ――本当は無駄なことを続けているだけなのかも知れない。




 霧尾は結局その日も観測所の仮眠室で夜を過ごした。

 その日は風が強く、何度も窓が叩かれ、あまりよくは寝付けなかった。

 結局まだ日が昇る前から過去のデータをグラフに起こし、モニタで一つ一つ確認作業をする。

 気象観測用のバルーンといえばラジオゾンデが有名だが、こちらは一日に二回、地上三十キロまで飛ばしてデータ収集をすることになっている。それとは別に低層用の観測ドローンを使い、ピンポイントで幾つかデータを収集していた。その確認作業だ。

 昨日と、一昨日のデータだった。

 降雨したことを示唆するものがあったのだ。

 僅かな雨はこの世界でもごく稀に発生する。

 特にここが地上四百メートルの場所だということもあるが、年に何度か、小規模な降雨現象は確認されていた。

 けれど、地図に起こしてみると同じポイントでその謎の降雨は発生していたのだ。

 その場所は天鯉あまごいダム。

 かつての霧尾の実家があった場所だった。

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