第4話 いつもと違う新学期

 2001年4月9日、月曜日。


 朝、いつもより早目に学校に行き、体育館の壁に掲示されているクラス分け表を確認するのがこの学校の習わしだ。


 私は前世の記憶で既にどのクラスに振り分けられるかを知っている。


 だから、迷う事無く校舎に入り、5年2組の下駄箱、上から3段目の左から4番目のスペースに脱いだ運動靴を入れて、自宅から持ってきた上履きを履いた。


 教室はこの校舎の3階にある。


 階段を昇り、3階の廊下に出て一番手前が5年1組の教室だ。


 1組の教室を通り過ぎると、私のクラス、5年2組の教室がある。


 教室の扉は開け放たれていて、教壇の奥の黒板に、座席表が貼られていた。


 右前の端から順に、苗字の50音順で出席番号が振られている。


 私の出席番号は見なくても知っている。


 16番だ。


 右から4列目の前から2番目の席。


 私は背負っていたランドセルを机の縁にあるフックに引っ掛け、持ってきていた文庫本を取り出して読む事にした。


 読んでいる本は司馬遼太郎の歴史小説「尻啖え孫市」という作品だ。


 同じ人生を繰り返してきて、毎回同じ様な小学校生活を送ってはいるが、ここで読む本は毎回違う。


 最初の頃はミステリー小説を読み漁り、徐々にSFや恋愛小説を読む様になったが、それも有名どころはほぼ読み終えたので、ここ数回の人生では歴史小説を読む様にしている。


 一つ前の人生では吉田秀治や浅田次郎の小説を読んでいたので、今回の人生では司馬遼太郎を読んでいた。


 これらは街の図書館で借りて来たものだが、今後も人生を繰り返していくうちに、図書館の本も全て読み終えてしまうのかも知れない。


 そうなると、次の暇潰しは何をすれば良いのだろう。


 テレビは見飽きたし、テレビゲームもRPGなんかはやり尽くした。


 パズルゲームなんかは友達と遊ぶ時にはいいけれど、一人で遊ぶのは時間の無駄ね。


 永遠に人生を繰り返すのだから「時間の無駄」だなんておかしな話だと思われるかも知れないけれど、肉体が若々しい時間ってのは限られているのよ。


 やがて大人になり、年老いていけば身体は思うように動かなくなるし、油断をすれば病気になったりして苦しい時期を過ごすハメになる。


 だから、意外と時間は大切にするし、無駄な時間は極力避けたいと思っているの。


 私は小説のページをめくり、鈴木孫一が豊臣秀吉と紀の川を挟んで戦うシーンを読んでいた。


 鈴木孫一と言えば、雑賀衆と呼ばれた日本最大の鉄砲隊を持つ傭兵集団の当主で、歴史上では雑賀孫一として知られている。


 浄土真宗の敬虔な信徒で、本願寺を守る事を何よりも大切にしていたが為に、本願寺と敵対する豊臣軍と戦う事になるというシーンだ。


 鉄砲の名手としても知られる孫一の活躍を描いたシーンに、私は没頭していた。


 おかげで、いつの間にかクラスメイトが全員席について、近所の席同士で会話を始めて教室が騒めいている事にさえ気付かなかった。


「はーい、みんな静かに!」


 という声がして私は顔を上げた。


 そこにはこれまでの人生でも見慣れた担任教師、小林啓二の姿があった。


 小林先生は28歳の若手教師で、クラスの担任を受け持ったのは4年前かららしい。


 最初の3年間はずっと1年生の担任をしていたのを、昨年は3年生を受け持ち、そして今年は5年生を受け持つ事になった様だ。


 この先生、少し頼りないところはあるけど、結構児童からは慕われるんだよね。


 職員室では他の先輩先生方から色々叱られているみたいだけど、それを知るのは私が二十歳の時に企画された同窓会に小林先生が出席し、小林先生が私に人生相談してきた時に知ったんだよね。


 あの人生は最悪だった。


 小学生の頃から天才少女と呼ばれていた私は、友達も居なかったし、イジメにも遭っていたし、先生からの信頼は厚かったけど、私が天才少女だと思い込んでいるせいで、イジメへの対応なんて何もしてくれなかったしね。


 いくら天才って言っても、上靴に画びょうを入れられたり、体操服袋に給食のカレーを入れられたりってのは、何が何でも耐えがたいものがあるのよ。


 だけどその時の小林先生は、


「紅羽は大人だな」


「紅羽なら解決できるよ」


「お前なら絶対大丈夫だ」


 などと、無責任な励ましの言葉をかけて来るだけだったのよ?


 なので私はイジメなんて気にしない事にして、その人生で後に大富豪になって、イジメてきてた連中を見返してやったわよ。


 現時点では誰も知らない事だけど、今年は世界を揺るがす大事件が起きるのよ。


 バブルが弾けてデフレ経済の入り口に立たされている日本は、今年の9月にアメリカで起こる「同時多発テロ」をキッカケにして、加速度を増して不景気に陥る事になるのよ。


 しかもその不景気は、その後2035年まで続くの。


 ほんと、闇の時代に突入していく事は確定的なんだから、今の内から備えておかないと、みんなロクな人生を送れないってのにね。


 そんな事を思い出しながら小林先生の顔を見ると、先生は教卓の上にある黒いファイルを開き、出席簿に目を通していた。


「はい、じゃあ出席を取ります!」


 小林先生はそう言って、出席番号順に名前を読み上げる。


 出席番号は男女交互に割り振られていて、男子が奇数で女子は偶数になっている。


 私は16番なので、女子の中では8番目になる。


「紅羽優子」


 と私の名前が呼ばれ、「はい」と私が応えた。


 私の隣には後藤伸二という少年が座っている。


 野球少年らしく、マルコメみたいに髪を短くした男の子だ。


 勉強はあまり得意ではないけど、彼が将来実家の自動車工場で働く事になる事を私は知っている。


 後藤君は車をイジるのが好きみたいだから、彼の人生を左右しないように、この人生でもあまり彼に接触しないようにと考えている。


 このクラスは40人。


 最後は渡辺真理恵の名前が呼ばれて終わる。


 いや、終わるはずだった。


鰐谷修平わにやしゅうへい


「はい!」


「よし、全員揃ってるな。じゃあ、出席番号1番の安藤から順番に、自己紹介をしてもらおうか」


 いやいやいや、ちょっと待って?


 私の知るこのクラスは40名の筈よ?


 最後の「鰐谷修平」って誰?


 私は窓際の一番後ろの席に座る鰐谷わにやと呼ばれた少年の方を見た。


 頬杖をついて開け放たれた窓から入る風に艶のある黒髪をなびかせる少年は、一生懸命に自己紹介をする安藤君の事など興味無さげに窓から見える運動場の方を見ていた。


 運動場には桜の木が3本生えており、既に半分くらい散ってしまった桜の木を眺めている様だった。


 私は胸の鼓動が高鳴るのが分かった。


 トキメキかって?


 違う違う。


 未知のものに対する好奇心から来るものよ。


 いわばワクワクしているといったところね。


 これまでに100回以上繰り返してきた小学校生活で、知らないクラスメイトなんて居なかったのよ?


 なのに、今回は私の知らない少年が、しかも「主人公席」とも呼ばれる窓際の一番後ろの席に座っているのよ?


 これで胸が高鳴らない方がおかしいでしょ?


 しかも、よく見ればなかなかの美少年。


 整った顔立ちで目元も涼し気で・・・


 と私がそこまで考えていた時に、


「おい、次は紅羽の番だぞ?」


 という先生の声が聞こえた。


「あ、はい!」


 と私は慌てて立ち上がり、


「紅羽優子です。本を読むのが好きです。以上です」


 と言って席についた。


 先生はきょとんとした表情で私を見て、


「・・・それだけか?」


 と訊いてきた。


「それだけです」


 と私はキッパリと言い、すぐに鰐谷君の方を見た。


「そうか・・・、はい。じゃあ、次は児玉からだな」


 そんな先生の声に促される様に、私の右斜め後ろに座る児玉君が立ち上がり、これといって特徴の無い自己紹介が始まった。


 その後も順番に自己紹介が行われたが、そんなものはこれまでの人生で何度も聞いて来たので興味は無い。


 今の私は、鰐谷修平という少年への好奇心で胸がいっぱいなのだ。


 そうして私が知っているこれまでの人生での最後のクラスメイトだった渡辺真理恵の自己紹介が終わった。


 鰐谷君が立ち上がり、


「鰐谷修平です。親の仕事の都合でこの街に引っ越してきました。まだこの学校の事はよく知らないので、宜しくお願いします」


 と言って、席に着いた。


 転校生か!


 これまでに無かったパターンだ!


「はい、じゃあ今日からみんなは5年生になるので、授業の科目も増えて、家庭科や英語も勉強していく事になります。これから1年間、みんな仲良く勉強を頑張る様にしましょう」


 小林先生のそんな声を聞きながら、私は鰐谷修平という名前を心の中で反芻していた。


 降って湧いた様に突然私の前に現れた「私が知らない男の子」が、私の人生にどのような変化をもたらしてくれるのか。


 いや、そもそもこの人生はこれまでの人生とは違う、未知の世界へ私を誘ってくれるのではないか。


 そんな期待に胸を膨らませながら、私はホームルームが進行するのを眺めていたのだった。

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