第21話【これから──】

日中。


愛美はソドム村のモブギャラコフ邸の庭先で、いつものように筋トレに励んでいた。


今は背中にデブナンデスを座らせて腕立て伏せに取り組んでいる。


その姿を少し離れた場所から木の柵に寄りかかるセンシローが眺めていた。


「10105回、10106回、10107回……」


1万を越える腕立て伏せだが愛美はノンストップで休まない。


しかし、これでも愛美はトレーニングが足りないと思っていた。


転生してからと言うもの、愛美の脳裏には筋トレをしなければならないといった考えが自然と沸いてくるのだ。


前世でも女子プロレスラーだったからトレーニングには熱心だったのだが、ここまで異常なまでのハードトレーニングは行っていなかったし、考え付きすらしなかった。


だが、この異世界に来て、このゴリラボディーを得てからは考えが大きく変わってしまったのだ。


一に筋トレ、二に筋トレ、三四がなくって五に筋トレなのだ。


もう完全に脳味噌まで筋肉に汚染されてしまった感覚である。


どうやら異世界転生したことで魂が異世界の身体に引っ張られているらしい。


それで考え方も矯正されたのかも知れない。


まあ、筋トレをしていると愛美の心も瞑想しているかのように落ち着くから問題ないと考えていた。


そのような愛美の姿を眺めていたセンシローが問い掛ける。


「あねさん、いつまで筋トレをやっているつもりっスか。もう二時間以上は筋トレに励んでいるっスよ」


愛美は腕立て伏せを繰り返しながらセンシローに返す。


「あの~、センシローさん。そのあねさんってのは止めてもらえますか……。私のほうが年下なんですし……」


「ですが、あねさんのほうが強いのは事実っス。だからあっしはあねさんを姉貴分として認めたんっスよ」


「勝手に人を姉貴分にしないでくださいよ。迷惑です……」


「いえ、迷惑でもあっしはあねさんを尊敬していますから幾つになってもあねさんはあねさんなんっスよ」


「もう、訳分かんない……」


「それにあねさんは今後どうするつもりなんですか?」


「今後?」


「そっスよ。金鉱争奪戦が終わったらっスよ」


「あー、考えてなかった……」


「ならばあっしと一緒に町に出ませんか?」


「町に出る……?」


「そうです。エデン町に出て冒険者ギルドに入りましょうぜ。あねさんなら直ぐにランクアップしてA級冒険者になれるっスよ」


愛美は腕立て伏せを続けながら真剣に考えた。


確かに今後のことを考えなくてはならない。


金鉱争奪戦の代表役が終わったら村長邸を出ていかねばならないだろう。


そうなれば、この異世界で一人で食べて行けるだろうか。


愛美は都会育ちで土いじりなんてやったことがない。故にスローライフ的な農業生活は難しいだろう。


狩猟生活も難しい。愛美は動物を殺すどころか魚すら絞めたことがないのだ。


それなのに、この異世界で一人でやっていけるのかが心配になってきた。


この異世界には頼れるような知人も居ないし、それどころかこの異世界の常識すらしらないのだ。


何せ一人で買い物すらしたことがない。


通過の価値すら知らない。


しかも愛美は調理も苦手だ。


何より電化製品も無しに一人で生きていけるかも疑わしい。


この現実を考えれば愛美にも今の状況が正確に悟れた。


これは、ピンチだ!!!!


愛美は腕立て伏せのスピードを上げて更に考える。


この異世界で生きていくための選択肢。


それらが思い付く限りの選択肢は三つである。


一つは村長邸にしばらく居候して一般常識を学びながら農家になる。


二つ目はセンシローの提案を受け入れてエデン町に出るである。


そこで一般常識を学びながら冒険者としてお金を稼ぐだ。


三つ目は、誰か良い殿方を見つけて結婚するである。


はい、思い付いた瞬間に三つ目の提案は消えました。


このゴリラ顔で人間との結婚は不可能だろう。


おそらく人外を好む超マニアックな異性でも奇跡的に現れない限り結婚は無理だと思う。


やはり結婚願望を叶えるのはゴリラ顔の呪いを解いてからだろう。


そもそもこのゴリラ顔から人の顔に戻れるのかすら分からないのだ。


まずは顔面整形の方法を探すところから始めなければならないだろう。


そうなれば選択肢1よりも選択肢2のほうが可能性は高そうだ。


冒険者になっていろいろなことを学びながら整形方法を探したほうが現実的である。


「分かりました、センシローさん。しばらくはあねさんって呼んでも構いません」


「本当ですか、あねさん!」


「ただし、しばらくは私に付き合ってください」


「す、すみません……。実話いいますとあっし、好きな娘が居まして……。だ、だから……」


「そう言う意味の付き合うじゃあありませんよ!」


「じゃあ、なんスか?」


「交換条件です」


「交換条件っスか?」


「あねさんって呼んでも良い代わりの交換条件です」


「なるほど」


「私はこの世界の一般常識すら良く分からないのです。何せ異世界から来た異世界人ですからね。だからこの世界の常識をいろいろ学びたいのですよ。それをセンシローさんに教えてもらいたいのです」


「それは構いませんが」


「あと、私も冒険者に成ります。折角の超筋肉を生かせるのは、やっぱり冒険者が一番良いと思うんですよ」


「本当ですか、あねさん。本当に冒険者になってくれるんですか!?」


「ええ、だから最初のころはいろいろと教えてくださいね」


「任せてください、あねさん。あっしがオスゴリラの口説きかたまで伝授してあげますとも!」


「それは結構です……」


愛美がセンシローの提案を丁寧に断った刹那だった。


街道の果てからザゴディスが大声を上げながら走ってくる。


「大変だ!大変だぁ!!」


「んん、あれはザゴディスじゃあねえか。何を叫んでいるんだ?」


「すみません、デブナンデスさん。降りてもらえますか」


「分かったでぶ」


愛美は背中からデブナンデスを降ろすと立ち上がる。


そして、走ってくるザゴディスを迎えた。


「どうしたんですか、ザゴディスさん。そんなに慌てちゃって?」


息を整えたザゴディスは、青い表情を恐怖に引きつらせながら三人に怒鳴るように言った。


「ゴ、ゴブリンだ。ゴブリンの群れが攻めてきたぞ」


「ゴブリン?」


愛美は聞き慣れない単語に首を傾げた。


愛美は前世でほとんどゲームをやったことがない。


なのでファンタジー世界でポピュラーなやられキャラのゴブリンすら知らないのだ。


「センシローさん、ゴブリンって何ですか?」


センシローは澄まし顔で答えた。


「ゴブリンってのはモンスターです。人に害を加える可能性が高い魔物で、その中でもゴブリンは雑魚中の雑魚。俺一人でも5匹ぐらいなら余裕で討伐できますよ。まあ、何せこれでもあっしはC級冒険者ですからね」


「じゃあ、ゴブリンってのが攻めてきてもセンシローさんが居れば村を守れるのですね」


「はい、当然っス」


センシローが自信満々に自分の胸を叩きながら言うが、それをザゴディスが否定する。


「む、む、無理ですよ!」


「何が無理なんだよ?」


「ゴブリンが大群で攻めてきたんですよ、大群で!」


「大群だと?」


「ああ、大群だ!」


「馬鹿言うな、ザゴディス。この辺に巣くってるゴブリンの数は精々10匹程度のはずだ。だからこの村は昔っから平和なんだぞ。それをゴブリンの大群だと。お前、夢でも見てるんじゃあないのか」


「し、信じないなら構わんぞ。俺は家族を連れて先に逃げるからよ!」


そう述べるとザゴディスは三人の元を過ぎて行った。


その背中を見送りながら愛美が言う。


「センシローさん、念のためにも見てきたほうが良いんじゃあないですか?」


「そうっスね、あねさん……」


「私も一緒に行きますね」


センシローは念のためにデブナンデスを家に帰すとザゴディスが走ってきたほうに歩いていく。


愛美もその後ろに続いた。


やがて魔の森が見渡せる丘の上に立つ二人。


その二人が見たものは、遠く離れた魔の森からワラワラと歩み出てくる複数のゴブリンたち。


その数は時が過ぎる程に数を増やしていく。


あっという間に森から出てきたゴブリンの数は100匹を越えていた。


しかも中には巨漢のゴブリンも居る。ホブゴブリンだ。


しかも、一割のゴブリンがホブゴブリンだった。


普通サイズのゴブリンは150センチサイズの矮躯で頭だけが大きい小鬼だが、ホブゴブリンの身長は180センチを越えている者も少なくない。


腹は出ているが胸板は厚くてプロレスラーのような体型をしている。


しかも、すべてのゴブリンやホブゴブリンが武装していた。石斧、石槍、木の棍棒。弓矢やスリングを持っているゴブリンも居た。


幸いなのは鎧までは装備していない。せいぜいボロい服を来ている程度だ。


「あれがゴブリン……」


「な、なんでこんなに数が居るんだよ。魔の森に巣くってるゴブリンの数じゃあねえぞ」


センシローが一歩たじろいた。


流石のセンシローも、これほど大群のゴブリンを見たことがない。


それに、これほどの大群を相手にしたこともない。


5匹程度のゴブリンだったらセンシローでも討伐出来ただろう。


10匹程度なら壊滅はムリでも追い払うことは出来ただろう。


だが、この数は無理だ。


100を越えるゴブリンなんて一人でも相手に出来ない。


「あねさん、逃げましょう。これはヤバいっス……」


怯えたように言うセンシローに愛美は涼しげに返した。


「なに言ってるの、センシローさん。あんなへんちくりんな魔物ぐらい蹴散らしましょうよ」


愛美は平然と言ってのけた。


その表情には怯えの欠片すら伺えない。


それどころか敗北する理由が無いと言いたげな表情だった。


事実愛美の心には、眼前のゴブリンたちに負けると言ったイメージが沸いてこなかったのだ。


勝てるイメージしか沸かない。


脳筋───。


脳味噌が筋肉化して弾き出した計算式である。


負けない。この筋肉があれば100%負けない。


そう勝算を弾き出したのである。





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