第3話【巨漢の肉体】

愛美は驚愕のあまりついつい蹴りが出てしまったのだ。


トーキック。


空手で言うところの前蹴りだ。


彼女的には爪先で軽く中年男性の腹を蹴っ飛ばした積もりである。


両腕は胸と胯間を隠していて使えない。


だからついつい足が出たのだ。


だが、想像以上の衝撃に腹を蹴られた中年男性が斜めの角度に宙に向かって吹っ飛んだ。


体をくの字に曲げて宙を舞ったのだ。


その高さは1メートルは浮いていた。


しかも不自然な体制のままに横向きで地に落ちる。


石畳の床に肩から落ちたのだ。


見るからに受け身は取れていない。


しかも中年男性は悲鳴も上げずに気絶する。


いや、蹴られた直後に空中で気絶していたのかも知れない。


「あれ、あれれ。何これ……」


愛美は自分が繰り出した蹴りの威力に呆然としていた。


以前までの愛美の脚力ならば、このようなことは絶対に不可能だ。


これではまるで暴れ馬の後ろ蹴りである。


だから未だに何が起きているのか理解出来ないで困惑していた。


そして、自分の全身を確認する。


「なに、これは!?」


驚き。


手の平は大きく、手の項を見れば拳が岩のようにゴツゴツしている。


裏も表もとにかく大きな掌だった。


大きいのは手の平だけでない。


他の部位も異常なまでに太くて大きい。


腕は超合金のような筋肉で太い。


胸は座布団のように厚いのに、鋼の如く硬い。


腹筋は綺麗に八つに割れていて腰は括れて引き締まっている。


太股は筋肉が太すぎてちゃんと閉じられない。


片足だけで競輪選手の両足分の太さがある。


故に自然と蟹股になっていた。


両足の筋肉がぶつかり合って脚が閉じられないのだ。


並みのボディービルダーですら、ここまで全身を鍛え上げるのは難しいだろうと思える体型だった。


そんなことよりも──。


「おじさん、大丈夫ですか!?」


愛美は蹴飛ばした中年男性に駆け寄った。


そして気付く。


小さい───。


気絶する中年男性の全身を見て小さいと感じた。


だが、小柄と言った印象とは違う。


それなのに、明らかに中年男性のサイズ感が小さいのだ。


この違和感を理解するのに対して時間は要らなかった。


愛美は察する。


「私が大きくなっているの……」


後ろを振り向くと矮躯な老人が怯えるように振るえていた。


その老人も小さく見える。


しかし、老人が小さいのではなく、愛美が大きいのだと分かった。


愛美が老人に問う。


「な、何が起きているのですか……?」


老人が振るえながらも質問に答えてくれた。


「儂は呪いの魔術師マ・フーバ。貴様を呼び出した魔法使いなり……」


「呼び出した?」


「そう、貴様はゲドジャッド・ワリーノ・ゴクアクスキー男爵を呪い殺すための不幸を意味する権化。そのためだけに異世界から呼ばれたのだ」


「い、意味が分からないわ……」


老人は愛美の背後に倒れている中年男性を指差しながら御告げのように言う。


「すべては、その男が話すであろう!」


──っと、言った感じが昨晩の話であった。


現在のところ愛美はソドム村の村長邸に居た。


村長とは、昨晩トーキック一発で気絶した中年男性である。


そして、男物の服を着た愛美が御礼を述べた。


「村長さん、服をありがとうございます」


村長ことモブギャラコフ男爵は、痛めた肩を三角巾で吊るしながら答える。


「そのような粗末な服しかなくてすみません。何せこの村にあなた様が着れるような大きな服を持っている物がほとんど居らず……」


「ですよね……」


村長の言うとおり服はパッツパツだ。


上着の袖も短いしズボンの裾も短い。


胸元のボタンは閉められない。


愛美はなんとなくだが、自分が置かされた状況が少しずつ理解できていた。


魔法使いの塔からソドム村まで来る道中で見たものでいろいろと察する。


夜空に浮かぶ三連の月。


見たこともない不思議な形態の植物。


森の中で見かけた様々な容姿を有した奇怪な動物たち。


それらは愛美が初めて見る生き物だった。


虹色の羽を持った首なが妖鳥。


鹿の角を生やした野兎。


後ろ足の他に腕が四本あるリス。


半透明な大蛇。


背中に蝙蝠の羽を生やした山猫。


ぷよぷよなスライム。


どれもこれも有り得ないほどの珍獣の類い。


それらがここを異世界だと告げている。


更に朝方になりソドム村に到着してみれば、村人たちが愛美を驚愕の眼差しで見ていた。


怯えて泣き出す子供まで居るしまつである。


それは仕方ないだろう。


長身で筋肉達磨のゴリラ顔が村にやって来たとなれば世紀末の襲来だと勘違いしても可笑しくなかろうて。


しかも、どの村人も身長が愛美よりも低かった。


ほとんどの村人を愛美は上から見下ろせたのだ。


その感覚から、愛美の身体が大きくなっていると嫌でも分かる。


そして村長さんの家に招かれたのだが、入り口が狭かった。


頭を下げなければ入り口をくぐれないし、体を斜めに向けないと肩が当たってつっかえてしまう。


まるで小人の家である。


そこからも、この身体が巨漢だと悟れた。


とにかくビルドアップされた筋肉があちらこちらに当たってしまうのだ。


更に村に建ち並ぶ家々を見て思った。


どの家も山小屋かと思えるほどのボロい家。


どの家も中世レベルで低い文化の建築物に見えた。


窓にはガラスはあるが薄汚れているし質が悪そうなのも分かる。


これだと愛美が着れる服が少ないのは仕方ないだろう。


この世界には、フリーサイズの服が売ってる店なんか存在するわけがないと思えた。


そんな感じの文化レベルだ。


そして、魔法使いの塔からは毛布を一枚だけ羽織ってやって来た。


毛布の下は全裸。


魔法使いの塔には、この身体のサイズでは着れる服が一着もなかったからである。


お爺ちゃんの服では腕が太過ぎて袖すら通らなかったのだ。


そして村に到着してから、村一番の巨漢男性から服を一着譲り受けたのである。


その巨漢男性はかなりデブだった。


それでも身長は愛美よりも頭一つ分だけ低く見えた。


だから愛美の腕や足は服の袖や裾からはみ出ている。


しかも胸の筋肉が厚すぎて弾けそうだった。


あと、服が臭い……。


何か野生動物のような悪臭が漂ってくるのだ。


これと似た臭いを動物園で小さなころに嗅いだ思い出があった。


たしか猿だったと思う。


とにかく、臭い。


それでもわがままは言ってられない。


なんにしろ花も恥じらう19歳の乙女が全裸を晒すよりはましである。


我慢なのだ。





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