第13話 ハーフアップ



「ぎゃはははは!!! なにそれ、どういうことよ、お嬢さん! 条件おかしくない?!」


 室内にはヴィノ様の笑い声が響いていた。


 わたくしはソファに座ったまま、身じろぐこともできなかった。


 ――本当にわたくしは何を言っているのかしら? これは笑われても仕方がないわ。だって支離滅裂ですもの。


 気持ち的には白目を向いている状態だったが、本当に白目になってたらどうしよう。貴族のご令嬢がやってはいけない顔である。


 すると、わたくしの目の前から、威圧感のある低い声が聞こえてきた。ランティス様だった。


「ヴィノ……」

「ゴホッ。ケホ、す、すみません。お嬢さん。失礼致しました」


 ランティス様はヴィノ様を見ながら呼びかけたため、わたくしからは表情が見えないが、まとう空気が重々しく冷たく感じた。

 ヴィノ様は姿勢を正し、ランティス様ではなく、わたくしに謝った。


「わたくしの方こそ、ごめんなさい。変なことを言いました。忘れて下さい」


 わたくしがそう言うと、ランティス様は髪をほどきながら、わたくしの方へ振り向いた。


「どうぞ、リシュア。いくらでも触って?」


 ランティス様はとてもニコニコしていた。そして、わたくしが触りやすいように、こぶし一個分の距離まで詰めてくれる。


「よ、よろしいのですか?」

「もちろん」


 わたくしに背中を向けて、斜めに浅くソファに腰を掛けるランティス様。その動きに応じてランティス様からせっけんの良い香りがした。


 わたくしはドキドキしながら、ランティス様の髪に触れた。


 ランティス様の髪、トゥルトゥルだわ! すごい。全然引っかからない。なめらかだわ。


 つややかな髪だとは思っていたが、手ぐしでといてみてもストンと毛先まで指が通る。弟たちとは違った髪質で新鮮だった。


 少しの間、ランティス様の髪を堪能していたが、ふとランティス様の耳が目に入り、わたくしは慌てた。


 ランティス様の耳が真っ赤だったのだ。


「ランティス様? あの、耳が赤いようですが大丈夫ですか?」


 熱でもあるのかしら?!


 わたくしは心配になったが、ランティス様は少しビクッとした後、自身の耳に触れた。


「……大丈夫だよ。なんでも無いから」

「そう、ですか?」


 疑問に思ったが、わたくしは続けて触り続ける。


 本人が大丈夫と言っているし、もう少し触っていてもいいわよね?


「あの、ランティス様。髪をくくってみてもよろしいですか?」

「えっ! リシュアがくくってくれるの?!」


 ランティス様が突然振り向いたものだから、わたくしは驚いた。ランティス様の黄金色の瞳がキラキラとわたくしを射抜いてくる。


 どことなくランティス様の顔が赤いように見えるが、気のせいだろうか?


「ええ。お嫌じゃなければ」

「嫌じゃないよ。ヴィノ! 櫛を持ってきて!」


 ランティス様は、ずいぶんと嬉しそうにヴィノ様に頼んだ。ヴィノ様は「へいへい」と言いながら退出する。


「髪、くくれるんだね」

「お母様のように難しいくくり方は出来ないのですけど、よく弟たちやお母様の髪も触らせてもらっているのです。わたくしのこの髪型もお母様がくくってくれたものですわ」


 わたくしはランティス様に背を向けた。髪型を見せるためだ。


 今日のわたくしは三編みにした髪を、大きなお団子にしていた。


「そうだったんだね。今日もかわいいなと思っていたんだ」


 ランティス様が髪型を褒めてくれたわ。お母様の力作ですもの。後でお母様に報告しましょう。


 わたくしは、お母様を褒められて嬉しくなった。


「そうでしょう? お母様って三編みがお上手なんです。わたくしはここまで上手にくくれないのですけど、簡単なものなら出来るので――」


 そう言いながらランティス様の方へ振り向いた。すると、ランティス様が嬉しそうに微笑んでいた。


「髪型だけじゃなくって、リシュアの全部がかわいいって意味だけど通じてる?」

「へ?!」

「フフッ。やっぱり通じてなかったんだね。そこもかわいいけど」

「??!」


 わたくしは混乱した。言葉も出なくなって、固まってしまった。


 毎回思っていたが、ランティス様って愛情表現がストレートよね。こんな方だったとは。5年後はここまで言われていなかったと思うのだけど、他の方にもこんな感じなの?


「はい、櫛だよ」


 固まっていると、ヴィノ様が櫛を持って帰ってきた。わたくしは慌てて立ち上がり、ヴィノ様に駆け寄った。


 別に駆け寄らなくても良かったのだが、ランティス様から少し距離を取りたくなったのだ。


「あ、ありがとうございます!」

「なになに、どうしたの? なんかあった……殿下、睨むのやめてくれます?」


 わたくしが振り向くと、ランティス様がヴィノ様に対して、じっとりした目つきでみていた。睨むというほど怖いものではないが、わたくしと会話しているときはニコニコしていたので、ランティス様の情緒が心配になる。


 ヴィノ様から櫛を受け取ったわたくしは、ランティス様の背後に立って、髪をくくり始めた。


「ランティス様の御髪はとても綺麗ですわね」

「そうかな? 特に気にしたことはないけれど」

「とっても綺麗ですわ! だから、ひとつにくくってしまうのが少しもったいなく感じてしまうのです。髪をおろしてみても素敵だと思いますわ」


 わたくしは5年後のランティス様を、自然と思い浮かべていた。


 5年後のランティス様は、ずっとハーフアップだった。ランティス様の整ったかんばせから、するりと流れる金髪は美しくキラキラと輝いていた。


 だからだろうか。わたくしは無意識のうちに、髪型をハーフアップにしていた。


「……よし、できたわ。ランティス様、こんな髪型はいかがです?」


 わたくしの声がけで、ランティス様は手鏡を取った。


「……」


 ランティス様はまじまじと自分の髪型を見ているが、何も言ってくれない。


 もしかして気に入らなかった? 髪をおろしたくなかったのかしら? 失敗した?


 少しの間、沈黙が流れた。ソワソワしていたわたくしは、そのうち不安になり瞳を伏せた。


「ごめんなさい。ランティス様。やっぱり――」


 そう言いつつ目線を上げると、手鏡に映るランティス様と目があった。


 鏡の中のランティス様はぼんやりとしていたが、瞳だけは熱を帯びていて、わたくしを射抜いていた。


「ラ、ランティス様?」


 明らかにランティス様はハッとした。


「ありがとう、リシュア。とても気に入ったよ」


 手鏡をテーブルに置いたランティス様は、わたくしの方へ振り向いた。本当に嬉しそうな満面の笑みである。


「すごいな。リシュアは」

「そ、そんな、大げさですわ。……喜んでいただけて光栄です」

「一生、大事にするね」

「???」


 何を、一生大事にするって? え? 髪型を? ん? 文章おかしくない?


 プレゼントをあげた時みたいな反応をされて困惑する。しかし、ランティス様はニコニコとわたくしを見つめるばかりだった。


「あの、……髪は洗ってくださいね……?」

「ん? 洗うよ? でも、リシュアがこんなに気に入ってくれるなら、ヘアケアをもっと意識してみようかな?」


 すると、右横から「ぶふっ!」と吹き出す声が聞こえてきた。ヴィノ様だった。


 ヴィノ様はあきらかに笑っていた。だが、表に出さないように必死に堪えている様子だった。両手で顔全体を覆っているが、身体が小刻みに震えている。なんならもう、崩れ落ちそうである。


「一生大事にって、く、くくっ。あの殿下がヘアケアとかっ。ふふふ。乙女か、ぐふふ!」


 一人でブツブツ言っているが、何がそんなに面白いのだろうか?


「ランティス様。ヴィノ様が」

「彼はほっといていい。スプーンが転がっただけでも笑うんだ」


 スプーンが転がっただけでも笑うの?! 変わった方ね……。


「それよりも、こっちにおいで? リシュア」


 ランティス様に手招きされたわたくしは、先程まで座っていたソファに座り直した。ランティス様は自分の髪に手を添えて、わたくしを見つめる。


「また、こんな風にくくってくれる?」

「もちろんですわ! 次はどんな髪型にしましょうか?」

「お揃いにしようか」

「髪型を合わせるのですか? それは……」

「嫌?」

「嫌ではないですわ! で、でも、……恥ずかしいです」

「僕はしたいな。今度は僕もリシュアの髪に触れていい?」

「ええ。それはかまいませんわ。今触りますか? ほどきますよ」

「今日はやめておくね。せっかく綺麗にくくってあるんだから」


「あ~、甘酸っぺぇ~……」


 ランティス様との会話を楽しんでいたが、ヴィノ様の弱々しい声に、わたくしは背後を振り返った。


 ところが、ソファの側に立っていたはずのヴィノ様は影も形もなくなっていて、弱々しい声だけが室内に響いていた。





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