第6話 山田

 東條組の事務所には下っ端の組員の姿しかなかった。僥倖だ。誰も山田自分の顔を知らない。

「瓜生静はどこにいる?」

「若頭? どこの誰か知らんけど、若頭に何の用事……」

「俺が呼び付けたんや、通せ」

 脚の長さが際立つデザインの紺色のスーツに身を包んだ瓜生が、凛とした声を上げる。事務所内の掃除を申し付けられていたらしい若衆たちが、慌てた様子で山田に道を譲った。


 会議室に通される。大きな円卓が鎮座する広い部屋には、黒松の姿があった。

「山田?」

「どうも」

「おまえ、遂にこんなとこまで……」

「瓜生に呼び付けられたんですよ。それでわざわざ新幹線に乗って。俺だって好きで入ってきたわけじゃない」

「無駄口は後にせえ。それより新情報や」

 後ろ手に扉を閉め、鍵を掛けた瓜生が眦を吊り上げて唸る。ずいぶんと殺気立っている。それに鍵を閉められてしまった。瓜生と黒松が共謀して山田を殺そうとしているのだとしたら──


(あの窓、防弾ガラスだろうなぁ)


 それにこの会議室は地上四階にある。飛び降りても死にはしないだろうが、打ちどころが悪ければ骨ぐらいは折るだろう。

 溜息を飲み込んで、近くにあった椅子に腰を下ろした。

「黒松さん」

「あいよ。──見ろ、山田」

 瓜生に名を呼ばれた黒松が、A4サイズの茶封筒を山田の手元に滑らせる。中身は──診断書だ。新地の『しおまねき』で意識を失い、病院に搬送され、その後死亡した鉱山会若衆たちの死亡診断書。予想はしていたが、昨晩黒松本人から聞き出したのとほぼ同じ内容が記されている。若衆たちは何らかの固いもので後頭部を殴打されて意識を失い、病院に搬送されたもののその後意識を取り戻すことなく死んだ。全員がそうだ。いちばん初めに『しおまねき』の美鈴の顔を見たいというすけべ心で店に上がり、昏倒して意識喪失の状態にあったという鉱山会会長・笠原さえも同じ死に方をしていた。

「……どういうことです?」

「俺に訊くな。櫛崎おっちゃんも首傾げとった」

 昵懇の間柄である警察官の名を出す黒松の口調から察するに、大阪府警も動き始めているのだろうと山田は薄っすら察する。わざわざ診断書を瓜生の目がある場所で出すというのは『』と強調するためだろう。

「幽霊はどこにおるんや」

 円卓の端に浅く腰掛けた瓜生が、唸るように呟く。

「殺されたあゆみの幽霊は」

「そもそも──」

 診断書には遺体の写真も添えられている。大サービスだ。後頭部だけの写真は髪の毛に遮られてどうにも判然としないが、うなじや、首の辺りを殴打されたと思しき若衆の写真は実に分かりやすい。変色した巨大な痣。内出血だけでは済まず、皮膚が裂け、出血している箇所もある。明らかに殴られている。

「殴ったのは幽霊じゃなくて人間なんじゃないのか?」

「山田ぁ」

 うんざりとした目付きで瓜生が吐き捨てる。

「改めて言うなや。それぐらい俺らにも分かっとる」

「殴ったのは人間」

「繰り返すな」

「……あの店に常駐してるのは」

「問題はそこや」

 黒松が口を挟む。

「店に常駐しとるんは店頭に座って客引きをする婆──針金みたいな体のばあちゃんや。仮にめちゃくちゃ固い石みたいな凶器が店ん中にあったとして、鉱山の若衆が目の前のねえちゃんに夢中で警戒心がゼロやったとして……ばあちゃんひとりで、殴り倒せると思うか?」

「思いませんなぁ」

 仮定の話だとしてもあまりに馬鹿馬鹿しい。そもそも鉱山会の若衆は、同じく『しおまねき』に上がって意識を失いその後死んだ谷家たにやという名の瓜生の部下の身代わりとして店に送り込まれているのだ。自分も谷家と同じように命を落とす恐れがある、と少しも想像しない者がいただろうか。いたかもしれないが、少数派だろう。大体の人間は警戒して『しおまねき』に上がったはずだ。

「鉱山会の若いのは、全員くたばったのか?」

「そこもなぁ……」

 黒松が眉根に皺を寄せながら応じる。

「死なんかったやつもおる」

「へえ?」

 どういうことだ。話が良く見えない。

「『しおまねき』に上がった鉱山の若衆の中には、殴られんどころか新地の女の体を楽しんで機嫌よう帰宅したやつがおる」

 瓜生が苦々しげな口調で黒松の言葉を引き取る。山田は黙って煙草に火を点ける。

「三つのルートがある」

 と、左手の親指、人差し指、中指を立てて瓜生は言った。

「ひとつ目は昏倒ルート。昏倒して死んで腐るルート」

「この死亡診断書のやつか」

「ふたつ目は昏倒からの。意識喪失は一日、長くても二日ぐらいで、入院して三日目ぐらいには湿布と痛み止めもろて退院しとる」

「なんだそりゃ。初耳ルートだな」

 皮肉っぽく口を挟む山田を一瞥した瓜生は、みっつ目、と平坦な口調で続ける。

「は?」

「そういう反応になるわなぁ」

 困ったように眉を下げるのは黒松だ。

「俺も、それだけは有り得へんとおもとったからな」

「いや……は? 楽しんで帰宅ルート? なんだそれ?」

「俺が聞きたいわ!」

 怒鳴り声を返す瓜生のこめかみには血管が浮いている。ご立腹だ。常人であれば、これ以上何も尋ねない方が良い、と思ってしまう程度には。

 だが、山田は常人ではない。

「ふつうに女抱いてふつうに生きてるやつもいるってこと?」

「……ああ」

「その、美鈴とかいう女と寝たのか? それとも……?」

「美鈴が相方やったってやつもおるし、美鈴以外の女を抱いたってやつもおる」

 訳が分からない。

「秋彦さんは、全員美鈴と部屋に上がったっつってたよな」

 ほんの数日前に雨ヶ埼邸で聞いた話が、まるで何ヶ月、何年も前に耳にした遠い噂話のように蘇ってくる。


 ──『倒れた鉱山会の連中だが。全員、美鈴という女と部屋に上がっている』


「嘘じゃん」

「せやなぁ、嘘や」

「待て待て瓜生、山田も。鬼薊が俺たちに嘘吐いてなんか得するんか? 倒れた連中は全員美鈴と部屋に上がった、それ自体はほんまのことかも……」

 今にも雨ヶ埼邸に殴り込みに行きそうな気配の瓜生の腕を掴んで、黒松が諭すように言葉をかける。

「黒松さん、詭弁は止しましょうや。。おかしいやないですか」

「瓜生おまえ、美鈴に何か問題があると思って……」

「そうおもわな不自然でしょ! それとも黒松さんは何か心当たりが──」

 その瞬間、山田は特に何も考えていなかった。瓜生と黒松が取っ組み合いの喧嘩を始めたらどちらの側に付くべきかと思案していただけだ。それなのに、その響きは唐突に口から飛び出した。

「しのみや、が」

「……は?」

「呪いをかけたんじゃないか?」

「……何言うとるんや、おまえ」


 四宮が呪いをかけた。


 本当に、何を言っているんだろう。

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