3 馬鹿

 三年ぶりの花火大会で、国営公園はたいへんな人波だった。

 広い歩道は満員電車のような混み具合で、ゆるゆるとしか進まず、屋台には長蛇の列ができ、広場には浴衣を着た人々がすき間を見つけて座りこみ、花火が打ち上がるのを待っている。

 その喧噪の片隅に建つ公園の管理事務所。コンクリートでできた建物の中には音が届かず、人々のさざめきが遠のいて、そこにいる人間は夢のような心地になる。ブラインドを下ろした事務所には、困った顔をした警備員と、高校生くらいの少年が、それぞれのパイプ椅子に腰を落ち着けていた。ふたりはどちらも、浮かれた花火大会にはそぐわない格好をしていた。少年は研究所から出てきたばかりですと言わんばかりの真っ白なシャツとズボンで、警備員は支給された制服に身を包んでいる。

 警備員はやれやれと首をふりながら、少年から没収したカッターをちらりと見下ろしてため息をついた。

「警察が来るまで、もう少し待っててね。ったく、なにも、こんな日に面倒を起こさないでほしかったなあ。いま、一年でいちばん忙しい日なんだよ、わかる? ここで君の見張りをしているひまは、本当はないんだから」

 少年はうんともすんともいわない。先ほどからずっとこれだ。

 警備員はため息をついて立ち上がると、冷蔵庫から冷えた麦茶のペットボトルを取り出し、少年の目の前に置いた。

「それにしても、相手が軽傷で良かったよ。君のためにもね。切りつけられた子は、兄弟かなにか?」

「どうしてそう思うんです?」

 はじめて、少年がぶっきらぼうに言葉を発した。

 そりゃあ、と警備員は肩をすくめた。

「似ていたからね。服装も髪型も顔つきもちがったけれど、ありゃ他人のそら似じゃ片付かないよ。いま、医務室で診てもらってる。ぼくが君を見張るのは、彼の安全のためさ」

「兄弟なんかじゃありません」

 警備員は、ぽりぽりと頭をかいた。

 少年の言い方には剣があり、どうやら反抗期のいきおいまかせに「あんなやつは家族じゃない」と突っぱねているようにも見える。

「じゃ、なんで君と彼はあんなに似ているのかな。もしかして、彼は君のドッペルゲンガーかなにかかい?」

 警備員が自分の言葉に笑うと、少年はふっと目を上げ、やはりはじめて、警備員をまともに見つめた。

「ちがいます。彼ではなく、おれが、ドッペルゲンガーなのです」

 警備員は目をぱちくりとさせ、それから内心で「うわあ」と思った。

 そういうこと、言っちゃうんだ。

「君が、ドッペルゲンガー?」

 警備員は半笑いしながら復唱した。

「もうちょっとにやけながら言ってくれよ。でないと、真面目に言ってるのかと勘違いしちゃうじゃないか」

「おれは真面目に言っています」

 少年の顔には、大人をからかってふざけてやろうだとか、煙に巻いてやろうなどという態度がみじんも感じられなかった。警備員はパイプ椅子の背もたれにギシッと寄りかかりながら、相手にはさとられないように舌を巻いた。

 まいったな。厄介な。

 電波さんだ。

 いや、そういう言い方は、最近ではしないんだっけ? ともかく彼には、精神科医か、心療内科医か、ともかくその手の救済措置が必要になりそうだ。

「ドッペルゲンガーね。うん。なるほど。それってあれだよね、オカルトの。自分を見かけてしまったら、数日以内に死んでしまうっていうやつだよね」

「あなたが先にその言葉を使ったんでしょう」

 少年は警備員をにらみつけた。そうだったそうだった、と、警備員はちょっと笑って肩をすくめ、両手を挙げた。

「でも、おかしくないかい? ドッペルゲンガーって、そもそもしゃべれるの? それに、カッターを持って自分自身を殺しに来るなんてうわさもきいたことがない。あれは幽霊みたいなもんで、ミステリアスなものじゃないか。自分から、自分はドッペルゲンガーですだなんて宣言されちゃ、神秘的な雰囲気もぶち壊しだなあ」

「ミステリアスである必要なんかありません。おれたちはそっと本物に近づき、相手を殺して人生を奪う。そうやって少しずつこの世界を浸食してきました。あと数十年もすれば、地上の人間はすっかり我々と入れ替わる。おれはその計画の一端にすぎません」

「……なるほど」

 警備員は腕を組みながら、天井をにらみつけた。

 あ~、こいつはまずい。非常にめんどうくさいタイプだ。

「なるほどね。ドッペルゲンガーってのは、その……宇宙人みたいなものなのかな?」

「どうとらえてもらってもかまいません。人間にとっては異人にちがいない」

「具体的には? だれがはじめて、目的は? 本部はどこなの?」

「詳細は知らずとも、計画には参与できます」

「言えないの?」

「おれは、ドッペルゲンガー計画としかきいていません」

 ひたいをペチンと叩いて、警備員は少年から目をそらした。

 うん、これは、思春期によくあるタイプ。言葉のかっこよさだけで着飾って、具体性がなにもない。典型的な厨二病患者だ。エヴァとか好きそう。

「なるほどね。うん」

「信じてらっしゃらないでしょう」

「そんなことはないよ? 信じる信じる」

 はじめ、この少年がわざとうそをついているのかもしれないとも思った。軽傷だったとはいえ、人を傷つけた以上、彼は警察に厄介になるだろう。心の病気、あるいは精神的な問題を抱えていると判断されれば責任能力がないとなり、前科がつかない可能性もある。高校生くらいならば、それくらいの知恵をつけていてもおかしくない。

 だが、警備員の見たところ、少年はわりと本気で、荒唐無稽なドッペルゲンガー計画とやらを語っている。本物の妄想癖には、たしか、否定も肯定もしないほうがいいんだったよな。うん、たしかそうだ。

「君もたいへんだったんだねえ。若いのに、そんな大それた計画を遂行しないといけないなんて……」

「一人ひとりがするべきことはたいしたことはない。自分の相手を死に追いやるだけだ」

「でもさ、だったらなんでこんな目立つところで、みんなの前でやろうとしちゃったの?」

 警備員は頬杖をつき、ちょっと困惑気味に笑って首をかしげた。

「それって極秘の計画なんでしょ? こっそりやらなきゃいけなかったんでしょ? だれにも気づかれないように、水面下で、ごっそり地上の人間をドッペルゲンガーに置きかえるんならさ。なんで君は、花火大会の日に、こんな人目のある公園で、それをやっちゃったのかな?」

 少年はまっすぐ警備員を見つめ、言った。

「木を隠すには……森だと思った」

 あ~。ダメだ、この子。

 バカだ。単なるお馬鹿さん。詰めが甘いどころのさわぎじゃないぞ。

「それに、そんな大事な計画、なんでぼくなんかにぺらぺらしゃべっちゃうのかな? 普通に考えてリスキーすぎるよね? ほかのドッペルゲンガーたちにしたら、計画ばらされて迷惑じゃないの?」

 少年は青ざめ、うなだれてしまった。どうやら自分の失態に気づいたらしい。

 警備員は深いため息をついた。

 まあ、そうですよね。なにも考えてなかったんだよね。バカだから。

「だが、計画は本当だ。いま現在も進行している」

「だからさあ、そういうこと、ぺらぺら言うもんじゃないよ、他人に」

「本当だ! うそじゃない!」

「わかった、わかったって」

 警備員はスマホで時間を確認した。この人だかりで到着が遅れているとはいえ、そろそろ警察も来るだろう。引き渡しがすんだら、すぐに持ち場に戻らなくては。すでに、先ほどからドンドンと、花火が打ち上がる音が響いている。

「じゃあ、ぼくは警察を迎えに行くから」

「本当なんだ。おれは、本当に……」

「ひとつ、きいてもいい? その話、警察にもくり返す気?」

 うなだれたまま、少年はうなずいた。

「おれは、しくじった。だが、計画は遂行せねばならない。ドッペルゲンガー計画は極秘に進んでいる……」

 警備員は深いため息をついた。机の上に置かれたままのカッターをちらりと見て、こんなものでとあきれてしまう。

 まあ、なんにせよ、はじめての仕事ではない。

 ちゃっちゃと終わらせよう。


 管理事務所の正面で待っていると、人混みをかき分けて仲間の警備員が警官二人を連れてきた。

「ああ、どうも。お待ちしてました」

「例の少年はどちらに」

「こちらです。ずいぶん落ち込んでますが、ま、おとなしくしてますよ」

 警備員はドアを開け、警官二人を中に通した。と、怒声が上がる。

「なんだ、これは!」

 警備員はあわてて中を確認して、わっと目をおおった。

 少年が、首にカッターを突き刺して血を流し、パイプ椅子の横にばったり倒れていた。警官たちが即座に止血したが、おそかった。少年の息はなかった。

「なんてことだ。ちょっと目を離したすきに……」

「目を離したのは、どれくらいですか」

「五分もありませんよ。そのあいだ、ドアはちらちらうかがってましたから、だれも入っていってやしません」

「ええ、そうですね。これは明らかに自殺だ」

 警察官はひとつひとつ証拠を挙げながら自殺と判断できる推測を固めていった。相方の警察官も、それにうなずく。警備員は青ざめながらそれを見ていた。

「ああ、なんてこった。たしかに落ち込んではいたが、そこまで追い詰められていたなんて……」

 警備員はぶるぶる震えながらその場にへたり込んでしまった。ついさっきまで会話をしていた人間が血だまりの中で事切れるなど、おそろしい体験だ。精神的負担をかんがみ、警察は警備員への尋問は最小限に、後日聞き取りをするということで話が決まった。花火大会が終わり、人々が帰路につき、警察が粛々と捜査をはじめ、警備員はその日、はやめに上がって自分の家に戻った。

 ため息をつきながら家に帰り着いた警備員は、服を脱ぎ、ベッドに横たわって、しばらくじっとしたあとに、むくりと起き上がった。それから、机の裏に隠していたSIMカードを自分のスマホに差し替えた。

 とてつもなく疲れてはいたが、クレームはつけねばなるまい。

 呼び出し音のあとに、若い女の声が答える。

「はい、こちらドッペルゲンガー計画執行部」

「こんばんは。被検体6892号です」

「ああ、6892号さん。おつかれさまです」

「今日、国営公園で計画に失敗したドッペルゲンガーを処理しました」

 カタカタと、キーボードをたたく音がする。

「確認しました。昨日、現地へ送り出した被検体89384号です。かけつけた警官の14585号と、搬送先の病院に勤務している45298号が隠蔽処理にあたっています」

「そりゃよかった」

 警備員はため息をついた。

「ですが、なんです、あの新人は。目立つところで切りつけるわ、失敗するわ、おまけに赤の他人にべらべらと計画をしゃべるわ。最近の執行部はあんな頭の悪いやつを送り込むんですか。これじゃ浸食計画が破綻しますよ。もっと教育を徹底してください」

「申し訳ありません。すぐに上層部に報告して、徹底します」

「いえいえ。ぼくだって、計画は成功させたいですからね」

「ご協力、感謝します。ドッペルゲンガー計画の成功を」

「ええ。ドッペルゲンガー計画の成功を」

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