5話

 ──ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。

 揺れる箱に、身動きすら取れません。二、三人挟んだ先に、めるはいます。愛用しているワイヤレスのイヤホンをして、ただひたすらに瞳を閉じていました。寝ているわけではないのでしょう。ただ、暑くて、狭くて、目を瞑りたくなる気持ちもわかります。だけど、目を瞑るのは危ないのでやめて欲しいです。

 電車が一つ目の駅に停まり、私とめるの間にいた人が降りていきました。

 私は慌てて下を向いて、なるべく顔を見られないようにします。

 下を向いて祈っていると、めるのスニーカーが私のローファーの前にやってくるのが見えました。

 バクバクと爆発しそうな心臓の鼓動を手で抑え、恐る恐る顔を上げます。

 めるは先ほどと同じように目を瞑っていました。


「よかった……」


 ホッとした私は、思わず安堵の声が漏れました。

 その声に、めるはゆっくりと瞳を開けます。


「……!?」


 めるの大きくて綺麗な瞳と目が合ってしまいました。

 バレた……!? バレたら嫌われるどころではない。しかし、私は硬直したまま、動けません。

 めるは私を見ると、ゆっくりと視線を下に動かし、小首を捻るとやがて目を瞑りました。

 大嫌いな兄がよくやっている戦争のゲームのようでした。

 …………よかった、変装が役に立った。

 そして、私はあることに気づきました。いま、至近距離で、めるを見ることができる。

 身体は不可抗力で密着し、彼女は無防備にも目を瞑っています。

 まつ毛の一本から、鼻の毛穴、完璧に整った彼女の顔の恥部の全てを見ることができるのです。……ああ、今日はです。

 そうして、私はめるを堪能しながら、電車はめるが降りる駅に到着しました。めるが降りる駅に着く頃には、乗客もかなり減っており、私はやむなく座席に座って、空いてても尚ドアのそばで立ち続けるめるを見ていました。

 めるが電車を降り、私も電車を降ります。

 そこはこじんまりとした古い駅で、降車する人は十数人くらいでした。

 私はこの駅でもコインロッカーに向かい、中から小袋を取り出すと、トイレに向かい、着替えを済ました。

 今度はパーカーにジーパンという普通の格好です。マスクは黒いウレタン製のものに替え、黒いキャップを被ります。これで、変装はばっちりです。

 トイレから出て、再びスマホを取り出して、例のアプリを開きます。

 緑色の点はゆっくりと点滅しながら移動しています。私は小走りでそこへ向かい、めるの後ろ姿を発見します。私はこっそりとバレないように、めるの後をつけました。

 5分ほど歩き、めるは大きなマンションへと入っていきます。

 ここがめるの住む家です。

 私がめるの住む階層を見上げていると、髪のないおじさんがこちらにやってきました。


「へへへ、今日も来てんのかい」


 おじさんは親しげに、下品な笑みを浮かべて話しかけてきます。……く、臭い。


「はい、まあ」


 私はおじさんの息がかからないように、顔を背けながら返事をしました。


「今日もあるよ? 買うかい?」


 言われ、やはり失礼だなと思い直した私はおじさんの顔に向き直し、おじさんの問いにしっかりと頷いて、カバンから財布を取り出しました。


 ──おじさんもまた、闇を抱えています。そして私は、その闇を買のです。


 私は財布から一万円札を出すと、おじさんに手渡しました。画としては普通はこういうのって逆な気もしますけど。

 おじさんはにやっと嫌悪感を抱くような笑みを浮かべ、マンションへと入っていきます。しばらくして出てくると、手に黒いビニール袋を持っていました。


「ほれ。これだよ」

「ありがとうございます」


 大きさの割に意外と軽い袋。

 今日はどんなが入ってるかな。


「それでは」

「またおいで」

「はい」


 私はそう返事をして、来た道を戻るのでした。自分で蒔いた闇の道標を辿るように。



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