第6話 失踪の真相

 パンッ!


 私の顔に衝撃が走った。


「――なし。……小鳥遊たかなし!」


 気づくと私の頬を五城いつき君の両手が挟んでいた。


「え……」


「しっかりしろ。残りの三つ、すべての不思議をこれから暴く!」


 そうだ。五城君はすでに四つの不思議を暴いてくれている。

 ベートーベンの肖像画、ひとりでに鳴るピアノ、一段多い階段、鏡に映る幽霊。

 これら四つの不思議はすでに五城君が暴いてくれている。


 そう、これはもう七不思議ではないのだ。


「小鳥遊さん、怖い思いをさせてごめん。いまから五分でもいいかい? 残りの三つ、まとめて五分以内に暴いてやる」


 私は思わず五城君の胸に顔をうずめて泣いた。

 元々泣いていたが、涙の種類が真逆のものへと変わっていた。


「ありがとう。お願い……」


 ガラガラガラ、とゆっくり扉の開く音がする。


 五城君が私の両肩を押して私を剥がした。

 教室後方の出入口に目を向けると、そこには長身の黒い影が立っていた。


 五城君が懐中電灯をその影に向ける。

 すると、その影も懐中電灯を点けて私たちに向けてきた。

 影は明らかに黒い服を着た人間だが、逆光で顔が見えない。


「顔を隠しても無駄ですよ、三花みはな先生」


 三花先生といえば、私たちのクラスも担当している理科の先生だ。

 背の高い男性教師。シルエットは目の前の黒い影と一致する。


 一発でズバリ言い当てられて観念したのか、黒い影が横に手を伸ばして教室の電気を点けた。

 全身黒い服に身を包んでいて、黒いフードまで被っているが、フードの下に見えるその顔は間違いなく三花先生だった。


 三花先生は右手に懐中電灯、左手に黒いハンカチを持っていた。


「ほう、なぜ俺だと分かったんだ?」


 三花先生は五城君を睨むでもなく、笑うでもなく、無表情で静かに訊いてきた。

 三花先生が懐中電灯を消すと、五城君も消した。慌てて私も消す。


 五城君がわずかに口角を上げて三花先生の問いに答える。


「それは、あなたが理科室で消えたからですよ。あなたは理科室に入った後、理科準備室の鍵を開けて中に入り、内側から鍵をかけた」


 私は「なるほど!」と思って、五城君の説明の途中で訊いた。


「自分を動く人体模型に見せかけるために、一度理科室に入ってから理科準備室の方に移ったということね?」


「違うよ、小鳥遊さん。先生はあのとき、僕たちに追いかけられていた。ほとんどの教室は鍵が開いているけれど、理科準備室だけは鍵がかかっているから、そこに隠れれば僕たちはもう追跡できない。ただ、少しでも早く姿を隠すために、まずは理科室に入る必要があったんだ」


「あ、そ、そうなのね」


 五城君は苦笑していた。気を取り直したようで、再び三花先生の方を向いて説明を再開した。


「理科準備室の鍵を常備しているのは理科の先生くらいのもの。動機からして男性ということは分かっていたので、理科の先生で唯一の男性である三花先生が黒い人影の正体だと分かりました」


「マスターキーなら誰でも理科準備室の鍵は開けられる。夜に一人残っていたら、施錠のためにマスターキーを持ち歩いていても不思議はないのでは?」


 三花先生は動機の部分については触れなかった。心当たりがあり、五城君に見透かされていることも確信しているのだろう。


「あのとき、懐中電灯を点けていませんでしたよね? あんな暗い状況で理科準備室の鍵を開けられるのは、日常的にそれをやっていて慣れている人だけです」


「なるほど。それは、たしかに」


 三花先生も納得したようだ。女性の理科の先生でも可能だとは言わない。


「ねえ、五城君。さっき言っていた動機って何なの?」


 私が訊くと、五城君は顔をしかめた。

 三花先生は私を睨みつけてきた。


 仕方ないといった様子で、五城君が説明を始めた。


「小鳥遊さんの言うところの動く人体模型の正体は三花先生だったわけだけど、トイレの花子さんの正体も三花先生なんだ。なぜ三花先生が女子トイレにいたのか……」


「え? あ……」


 さすがに私でも分かる。女子の私としては、すごーく嫌な動機だ。


「そう。三花先生は女子トイレに盗撮用のカメラを仕掛けていたんだ。正確に言うと、先週仕掛けたカメラを今週になって回収しに来たんだ」


「でも、なんで土曜日の夜なの?」


「完全に一人になったところで安全にカメラを設置したり外したりするためだよ。平日はかなり遅くまで部活生が部活動をしている。顧問の先生も監督責任があるから生徒より先には帰れない。土曜日と日曜日も部活生はいるが、平日ほど遅くはない。だから土曜日の夜なんだ」


 なるほど、人目を避けるためか。


 販売目的の可能性もあるので、女子トイレの盗撮犯が絶対に男性だとは言い切れない。しかし、女性ならばいつでも好きなときに犯行に及べる。こうして人目を避けて休日に行動しているのだから、犯人は男性に違いないのだ。


「ふっ、そのとおりだよ。先週も今週も、土曜日なのにおき先生がなかなか帰らなくてイライラしたがね」


 沖先生は数学の先生だ。たしか奥さんの立場が強すぎて、あまり家にいたくないと漏らしていた気がする。


 ふと五城君が私の肩を引いて後ろに下がらせた。それから五城君が一歩前に出る。

 そしてまた三花先生との話を再開した。


「三花先生。正直なところ、いま僕の心境に希望の光が差したところなんですよ。僕は小鳥遊さんに泉湖いずこさんを必ず取り返すなんて言ったけれど、本当はもう殺されている可能性のほうが高いと思っていたので、とても心苦しく思っていました。でも先生の上着のポケットに入っているそれを見て、最後の一線だけは超えていないかもしれないと思いました。それ、クロロホルムですか? 先生が上着のポケットに入れている、その瓶です」


「ああ、そうだよ」


「殺すなら殴ったり首を絞めたりするほうが早くて簡単ですからね。わざわざ薬品を使って気絶させたということは、少なくとも先週の時点では殺さなかったはずです。泉湖さんはまだ生きていますか?」


「ああ、まだ生きているよ。ただ、非常に持てあましていてね。もう殺してしまおうかと思っていたところだ」


 五城君と三花先生の間で視線が鋭くぶつかり合う。

 私だけが置いてけぼりになっている。


「ねえ、どういうことなの?」


 三花先生を警戒してか、五城君は視線を逸らさず前に向けたまま私に説明してくれた。


「先週のあの日、小鳥遊さんはトイレの花子さんが扉を叩いたって思って逃げ出したけれど、途中まで一緒に逃げていた泉湖さんは、誰も追いかけてこないから戻ったんだ。彼女は好奇心旺盛だからね。扉を叩いてくるだけなら無害だと思ったんだろう」


 五城君が息継ぎをすると、三花先生が引き継ぐように話しだした。


「そのまま帰ればよかったものを。扉を叩いたのは追い払うためだ。トイレの花子さんを信じているなら、扉を叩いても人がいるとは思わないだろうと思ってね。だが、あの娘は戻ってきた。執拗しつように声をかけてくる。このままでは俺は帰れない。だから、気絶するまでクロロホルムを染み込ませたハンカチで口と鼻を塞いでやった」


「で、泉湖さんに顔を見られたから、家に連れ帰って監禁したんですね?」


「そうだとも」


 三花先生は悪びれる様子もなく答えた。


 私ははやてが私とはぐれた後に動く人体模型を目撃してしまい、六つの不思議との遭遇という条件を満たしてしまったせいで、七つ目の不思議で神隠しに遭ったのだと思っていた。


 しかしなるほど。三花先生が口封じのために颯を連れ去っていたのだ。


 謎の解明に余念がない五城君は、臆することなく三花先生に質問を続ける。


「三花先生。トイレでの作業中、なぜクロロホルムを持っていたんですか?」


 観念しているのか、開き直っているのか、三花先生も勉学の質問に答えるかのような態度で教えてくれる。


「悲鳴が聞こえたからね。見られた場合に備えて、理科準備室から持ち出したのさ」


 私が校舎の外から見た人影は、三花先生が颯を気絶させた後、クロロホルムを理科準備室に戻しにきたのものだったのだろう。


 五城君はなおも質問を続ける。


「人がいると分かったのなら、作業を延期しようとは思わなかったんですか?」


「あのとき、すでに作業を終えていたのだ。しかし、後からカメラの位置が不安になってね。カメラが見つかるリスクは放置できない。なんとしてもその日のうちに直しておく必要があった」


「なるほど」


 五城君の疑問はすべて解消されたようだ。

 しかし、五城君からうかがえる緊張感はまだ緩んでいない。五城君はまだ三花先生を警戒しているようだ。


 すべての謎を暴いても、そこで終わりではないということだ。


「あー、あぁー、困ったなぁ。二人だと一人は逃がしてしまう。どうしようかなぁ」


 呆れたことに、三花先生はまだ自分の犯した罪を隠ぺいするつもりのようだ。「恐ろしいことに」ではなく「呆れたことに」なのは、五城君がいる安心感からくるものだった。


 しかし、よくよく考えてみると相手は大人の男性。さすがの五城君でもピンチなのではないか。


「三花先生、無理ですよ。どうあがいても逃げられません。ほら、耳を澄ましてくださいよ」


 五城君が手を耳の裏に当てる仕草をしてみせる。


 三花先生が怪訝な表情をするが、五城君の言っている意味が分かると顔を青くした。


「おまえ、通報したのか」


 私にも聞こえてきた。パトカーのサイレン音がしだいに近づいてくる。


「男に殺されそうだから急いで来てくれって」


「くそっ!」


 三花先生は黒いハンカチを握りしめ、全速力で逃げていった。

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