第10話 誕生日会③

二十時が過ぎた頃、一通り料理は完成し、後は藤沢さんを待つだけとなった。

僕の役目もこれでおしまいだ。

「それじゃあ、もうすぐ時間だから帰るね」

エプロンを脱いでいる水島さんに向かって手を振る。

「えっ」

水島さんがエプロンの紐をほどく手を止め、驚いたような声を上げる。

「か、帰るんですか?」

「え、帰った方がいいんじゃないの?」

水島さんの予想外の反応に動揺して、変な言い方になってしまった。

「私は、三浦君も誕生日会に参加してほしいと思ってたんですけど。三浦君がいることが一つのサプライズでもありますし」

「いいの?せっかくの日に俺なんかがいて」

「もちろんですよ。詩乃ちゃんも人が多いほうが嬉しいはずです」

「うーん...」

水島さんに押されながらも、本当にいいのだろうかという疑問が頭をめぐる。

藤沢さんと水島さんの二人だけの空間に、ずかずかと足を踏み込んでいるような気がしてならない。その資格が僕にあるのだろうか。

僕の右手がやわらかい感触に包まれる。考えがまとまらないまま、水島さんに手を引かれ、テーブルの前に座らされた。

それから数分後、勢いよくドアが開く音とともに、「ハッピーバースデーわたし~!」というセリフが玄関で聞こえた。

「うわっ、すごいご馳走!えっ、三浦君、なんでいるの!?っていうか今の聞かれた!?」

「どうも、おじゃましてます」

僕はぎこちない笑顔を浮かべながら挨拶をする。水島さんが、藤沢さんに腕時計のことはまだ伏せて事情を説明する。

「私のためにこんなに準備してくれたんだ。すごい...なんか感動しちゃう。二人ともありがとう」

藤沢さんは口に手を当て、ご馳走を眺めながら、時折「うわぁ」と、喜びと驚きの声をあげる。その様子を見ると、僕の頬も自然と緩んだ。藤沢さんが買ってきたケーキを冷蔵庫にしまった水島さんが席に着く。

「それじゃあ、改めて。詩乃ちゃん、誕生日おめでとう!」

そうして楽しい誕生会が始まった。


僕は夕食を食べてすぐに帰るつもりだったが、二人に引き止められ続け、結局部屋に帰ったのは日にちが変わってからだった。シャワーを浴びた後、無性に夜風に当たりたくなった僕はベランダに出る。

「楽しかったなぁ」

ぽつりとつぶやき、夜空を見上げる。

雑に塗られた灰色の雲と、その隙間から生き生きと光る星々を何となしに眺めながら、さっきのことを思い返す。

腕時計をプレゼントしたのは、夕食が終わってからだった。きっと、そわそわしていた水島さんに、藤沢さんも何か勘づいていたと思う。でも、腕時計を渡された藤沢さんはとても喜んでくれた。腕にはめてみて、「かわいい」と「ありがとう」を何度も言った。たぶん、藤沢さんは少し泣いていたと思う。

藤沢さんが買ってきた二人分のショートケーキは三等分され、僕の前に出された。

僕は申し訳ないと断ったが、二人は手伝ってくれた分のお返しと言って聞かなかった。

「那澄ちゃん、生クリーム付いてるよ。たぶん、右の頬」

藤沢さんが自分の頬を指で差す。水島さんを見ると、確かに、生クリームが少し宙に浮かんでいる。水島さんは慌てて手でふき取る。僕が思わず、フッと笑い声を漏らすと、つられて二人も笑い出した。


そんな、楽しい誕生会だった。もしかしたら、僕の人生で一番充実した時間だったかもしれない。きっと、今日のことは何年たっても忘れないのだろう。僕はベランダの柵に腕を置き、明かりがほとんど消えた街を見下ろす。

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