【短編】人生代理人

結城 刹那

第1話

 花の入った瓶を机の上へと置いた。ガラスと木材の反発音が閑散とした教室に響く。

 綺麗に咲く花を見て、僕は無意識に笑みを溢すと右側にある窓から外を覗く。

 

 東から昇る太陽が地面を明るく照らしていた。光は僕の前にある花をも照らしてくれている。一週間前までは雨続きでしょんぼりしていた花だが、最近は晴れ間が多いため元気な様子を見せてくれている。


 この花がここに置かれてから、かれこれ1ヶ月の月日が過ぎた。

 彼女が自殺したことを告げられたあの日、雪国に裸で投げられたような感覚に陥っていた。初めて会った時から約4年間、一度も覚めることのなかった心だが、まさか冷めてしまうとは思いもしなかった。


 冷え切った僕の心も1ヶ月の時が過ぎれば、徐々に温まっていく。人間は自然治癒が得意な動物なのだと理解できた。

 時間が経ち、朝のチャイムがなる時間に近づくにつれて、静寂だった教室は賑やかになっていく。


 僕はその間も、彼女のテーブルの前にいた。特に何をするわけではなく、テーブルの表面を眺めながら手でさすっていた。近くにいた生徒からは歪な視線が送られる。1ヶ月経ってもなお、同じ行動を繰り返し続ける僕を心配しているのか、不気味に思っているのか。それは本人にしか分からない。


 さて、僕ももう自分の席に戻ろう。


 そう思い、顔を上げると、教室にいた生徒たちはみんな前の扉に注目していた。

 何事かと思い、僕も扉の方へと注目する。目の前にいた生徒たちをかき分け、奥へと目をやった。


 僕は思わず、目を大きくした。

 心臓の鼓動がどんどん大きくなっていく。脳が今起こっていることを理解しようと処理速度を上げた影響だろうか。


「凛、おはよう。その花瓶はもういらないわ」


 理解が追いつく前に僕の目の前に現れた少女はそんなことを言った。

 ミドルの黒髪に、感情を感じさせない冷たい瞳。前髪についた黄色のヘアピンには懐かしさを感じた。


 1ヶ月前に死んだはずの恋人、依代 沙紀(よりしろ さき)が僕の前に再び姿を現した。


 ****


 人生代理人政策。

 事故死など突然の出来事で死んでしまった人間を対象に、周りの悲しみ緩和を目的として施行されたプログラム。倫理的問題で反発をかっていた政策だったが、実験的施行で反響を呼び、公に施行されることになった。


 最新のバイオテクノロジーとインフォメーションテクノロジーを駆使して、本物さながらの人造人間を作り出す。その人造人間が死人が歩むはずだった人生を代わりに歩んでくれるのだ。


 人の死というのは、当事者よりも周りに及ぼす影響の方が大きいのだ。彼らはまだこの現実世界に取り残されているのだから。

 ただ、一つ問題があるとすれば、人造人間の再現度の高さだろう。本人さながらに模された人造人間は、クオリティの高さから、その人が死んだことを忘れさせてしまう可能性があった。実際に事例もあるみたいだ。


 だから、人造人間は彼らが人造人間であることを示すように右手の甲に『星形のマーク』をつけていた。

 それは、僕の向かいに座って昼食を召し上がっている沙紀も同じだった。


「弁当箱変わったのね」


 沙紀は僕の食べている弁当を見て言った。


「いや、3ヶ月前から変わってないけど」

「あら、そうだったの。ごめんなさい」


 沙紀はバツの悪そうに鶏ささみを口に頬張る。すると、目を大きくして、咳き込む。僕は先の水筒を手に取り、ふたにお茶を注ぐ。それをわたすと、沙紀は勢いよく飲み干した。


「はあ……ありがとう。これ、胡椒が効き過ぎているわね」


 一息つき、落ち着きを取り戻す。平静を装いながらも、内心焦っている様子は1ヶ月前の彼女そっくりだった。戸惑いながらも、僕は彼女に穏やかな笑みを浮かべた。


 沙紀の記憶は3ヶ月半前の身体検査で止まっている。

 身体検査で解析した身体情報をもとに『人生代理人』は作られる。そのため、ここ3ヶ月くらいの出来事は彼女の記憶からは削がれているのだ。


 正直、まだ目の前にいる沙紀を信じることができていない。立ち振る舞いは彼女そのものだ。これから食べるものを小刻みにして、少しずつ食べていくスタイル。食べる際は、必ず箸を持たない手で口を覆う。一挙手一投足、1ヶ月前に見た彼女と変わらない。


 クラスのみんなは僕たちを訝しげな目で見る。彼らも未だに信じられないのだろう。1ヶ月前に死んだ人間が平然とした様子でクラスに馴染んでいるのだから。


「そんなに効いているのか。僕にもちょっと頂戴」

「え、ちょっ!」


 沙紀の了承を得ず、僕は小刻みにきられたササミの一つを箸でとって口に入れた。

 普通に美味しいじゃないか。そう思ったのも束の間、喉のあたりが染み始める。


「コッホ、コッホ」


 沙紀の二の舞にあうかのように、僕もまた咳き込む。想像以上に胡椒は効いていた。おばさんもいきなり作らなければならなった沙紀の弁当に困惑していたのだろう。


「はい、どうぞ」

「あいがとう……」


 立場が逆転するかのように今度は沙紀がお茶の入った水筒の蓋を僕に渡してくれる。僕はそれを手に取ると一気に口に流し込んだ。


「味を共有しようとする癖は変わっていないのね」

「そんなに辛そうにしてたら、興味が出てこないわけないがないよ」

「そう。じゃあ……」


 沙紀は箸先を僕の弁当へと向けると、唐揚げを丸ごと一個とり、自分の弁当へと持っていく。


「お返しね」

「僕は小刻みのやつ一つだけだったんだけど」

「倍返しよ」

「二倍じゃ、済まなさそうな大きさだけどね」

「小さいことは気にしない」


 日常のありふれた短いやりとり。それなのに、なぜここまで心穏やかになるのだろう。

 

「何笑ってるの?」


 沙紀が疑問の表情を僕に向ける。僕の内心に染み渡っていた感情は、どうやら外面にも滲み出てしまっていたみたいだ。

 彼女は僕からもらった唐揚げを小刻みにして、口に加えていた。


「いや、また沙紀と一緒にいられて嬉しいと思ってね」


 そう言うと、彼女の動きが止まる。口を押さえ、唐揚げを中に入れると動きがピタッと止まった。少しすると、我に帰り、口に入れた唐揚げを体内へと取り入れる。


「公の場でいきなりそう言うこと言われると恥ずかしいのだけれど」

「ああ、ごめん。つい本音が」

「だから、そう所が恥ずかしいって」


 沙紀は頬を膨らませる。まだ食べ物は口に含んでいないが、気持ちを口に含んだようだ。

 

 僕の言葉に嘘偽りはない。こうしてまた同じ生活ができるのは本当に嬉しいことだった。

 彼女の仕草、思考全てが前と全く変わらない。だからこそ、僕も自然体で彼女に接することができていた。


 ただ、だからこそ、紗希の右手の甲に見える『星型』を見るたびに現実を突きつけられた。忘れたい記憶なのに、思い出させる。


「それで、唐揚げのお味はどう?」


 気を惑わすように頬張った唐揚げの味を聞いた。


「久しぶりに食べたけれど、やっぱり美味しいわね。凛のお母さんの唐揚げ」


 沙紀は微笑ましく笑って、そう答えた。

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