第16話 覚えのある屋敷

 

 野菜スープを作ろうとしたが生まれてこのかた料理をしたことが無かったので、レモン水とタオルを持ってとりあえず伯爵様の寝室へと向かった。

 ヴァイスとリュイもいつもは素直で良い子たちなのに、伯爵様に対して風当たりが強い。因縁でもあるのだろうか。


(んー、でも個人的なことかもしれないし、聞いてもいいのかな?)


 悶々としつつも扉を開けた瞬間、リュイの胴体が伯爵様の首に巻き付いて締め上げる直前だった。

 ヴァイスとリュイはバッチリ私と目が合った直後、サーッと顔を青ざめ姿を消す。本当にちょっとでもヴァイスとリュイを信じるんじゃ無かったと後悔する。


「伯爵様!」

「ん……」


 ベッドに慌てて駆け寄ると、ぐっすりと眠っていた。首に鱗のような痣もない。ホッとしたら力が抜けてしまった。

 伯爵様は精霊に嫌われているのだろうか。

 寝苦しそうだったので、コートを脱がせてシャツの第一ボタンを外して仮面も取った。

 それだけで顔色も少し良くなった――気がする。


「マリー……」

「伯爵様、お目覚めになられましたか?」

「…………」


 顔を覗き込むものの寝言のようで、すやすやと寝息を立てている。執務などで疲労が溜まっていたのか目元には酷いクマがあった。

 領地経営の雑務、あるいは今回の邪気が広がったことで忙しかったのだろう。若いうちから領主としての責務は重圧だったはずだ。


(この若さで領主。しかも領地のことをちゃんと考えている……。伯父夫婦とは大違いだわ)


 重税に、使用人たちですら気に入らないことがあると平気で当たり散らす。領地を豊かにすると言うよりも搾り取るという方が正しいだろう。

 エグマリーヌ国のウェザ領はブドウとワインの名産で、毎年質のいいワインを作り出す。土地も豊かで凶作に陥ることはない。収穫祭などは毎年領民ために豪華にしていたが両親が亡くなって贅沢三昧するせいで財政は圧迫していった。領地経営などで散々苦労させられたのを思い出した。


(そう言えばおじいちゃんに保護されてから、ラヴァル子爵家がどうなったのかとか頭の中からスッポリと抜けていたわ。……《退魔師》になっておじいちゃんの役に立ちたいけれど、お母さんとお父さんが残した子爵家を他人に好き勝手されて荒らされるのは許せない……)


 記憶を失って、おじいちゃんに保護されて何も考えられなかった頃に比べて少しずつ自分がどうしたいのか、何をしたいのかが少しずつ明確になったと思う。

 伯爵様と出会ったおかげだ。

 目を覚ましたらお礼を言わなければ。


 ふと、隣の部屋で物音が聞こえドギマギしつつも執務室に入ると窓が開いていた。

 風で書類が動いたのかもしれない。窓を閉じたところで大きな肖像画が目に入る。


「え」


 それは私そっくりな女性だ。

 金茶色の長い髪に、鮮やかな黄ジョーヌ色の瞳、紺と白のドレスの令嬢。微笑む姿は聖母のように穏やかで――私にはない気品と気高さが感じられた。


(綺麗な方……。ボサボサな髪に、荒れた肌の私とは大違い)


 おじいちゃんに保護されて少しは見られるぐらいには健康体になったけれど、胸は貧相だし、手足も小枝のように細い。体力はまったくないのだ。


(私ももう少し身だしなみや髪や肌の手入れをしっかりした方がいいのかも)


 そんなことを思いつつ、寝室のベッドに戻り伯爵様の様子を見ると顔を歪めてうなされている。何処か痛むのだろうか。

 額から苦悶の汗が流れ落ちるのを見て、タオルでそっと拭った。


「マリー……僕が迎えに行けば、あんなことには……」


 後悔。

 懺悔。

 あるいは絶望と喪失の中、伯爵様は空に向かって手を伸ばす。

 既にこの世に居ない思い人に対しての謝罪。その指先が空を掴む前に私は両手を掴んだ。

 人の温もりに安堵したのか、伯爵様は苦しむ出す表情が和らいだように見えた。


(寝不足の原因は悪夢を見るから?)


 怖い夢を見たとき、不安で眠れなかったとき、おばあちゃんが歌ってくれた唄を思い出した。

 異国の言葉、うろ覚えだったけれど口ずさむ。

 微妙に覚えていない部分はハミングで誤魔化した。いつの間にか私も眠くなって気付いたら重たげな瞼を下げていた。


(なんだろう。……何か、思い出せそうな……気がしたのに……)

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