第4話 タカマガハラの庭

 この屋敷にいくつもの庭があり、今日は藤の花が見頃らしい。

 手を引いて案内するユウエナリスさんはとても紳士的――というか過保護だ。起き上がるときに節々に痛みが走ったものの、ユウエナリスさんの治癒で歩けるぐらいには回復した。一気に完治させると肉体と魔力そして魂を摩耗させてしまう可能性があるらしい。


「石畳に気をつけるんだよ。何なら抱き上げようか?」

「い、いえ! 自分で歩けますので(初対面(?)の人にお姫様抱っこされるのは流石に恥ずかしいし、怖い……)」

「マリーは良い子でかわいいね~。あ~、うちの孫かわいい世界一かわいい~~!」

(ユウエナリスさんのテンションが高すぎる。そして善意から言ってくれたのに、疑うようで申し訳ない気持ちに……)


 陽射しを浴びた若草色の髪は白銀のように煌めいてとても綺麗だ。この人が本当に祖父なのかまだ実感はない。ただここには私を傷つけるような人はいない。そういう気配がしないだけでも居心地がよく、天国のようだ。


 薄色と竜胆色の美しい藤棚がカーテンのように揺らいでいる。それだけも圧巻なのだが、近くに池があり水面が鈍色の煌めく。

 少し置くに行くと八角形のあずまやガゼボが見えて、丸いテーブルに椅子が用意されていた。白いテーブルクロスの上にはケーキにスコーン、サンドイッチが並べられており、紅茶のティーカップも揃っていた。


「マリーの好物が分からなかったから色々用意させてみたんだけれど、好きなだけ食べてね!」

「ありがとうございます。これだけあれば数日は飢えずに済みます」

「え」

「は」


 私の言葉にユウエナリスさんは固まり、ローランさんは装着していた眼鏡が内側から割れた。


(ショックで眼鏡が割れた!? ……ってあれ? 眼鏡の形が崩れてきえた? 普通の眼鏡じゃないのかも? 不思議眼鏡?)


 不安でローランさんを見ていたら「私と一緒に契約していた精霊も驚いただけなのでお気になさらず」と気になるワードをサラッと告げた。聞き返そうとしたが、先にユウエナリスさんが声をかける。


「……マリー」

「は、はい!」


 ゴゴゴゴゴッ、と背後に効果音が聞こえてきそうなほど迫力のあるユウエナリスさんに身構える。何か失礼なことを言ってしまっただろうか。それとも精霊使い関係は聞いてはいけない禁則事項的な何かだったのだろうか。


(それとも数日分じゃなくて、一週間分の食料だった?)

「ラヴァル子爵邸では毎日三食オヤツ付きの生活を送っていなかったのかい?」


 ゾッとするほど低い声。

 笑顔なのに目が全く笑っていない。


「は、はい……。両親が亡くなってからは……自給自足が殆どでした……」

「そうかぁ~~。うん、うん、うん、教えてくれてありがとう。……じゃあ、ちょっとエグマリーヌ国滅ぼしてくるね☆」

「!?」


 途端に真顔になるユウエナリスさんの情緒!

 最初と最後の言葉の温度差が可笑しいし、ぞぞぞっと背筋が凍った。

 ブンブンとローランさんが物凄い速度で首を横に振っている。しかしユウエナリスさんは席を立って何処かに行きそうなので、思わず脇腹にしがみついた。


「だ、ダメですよ!? 何サラッと恐ろしいことを!」

「だって、孫に酷いことをする国なんて滅んじゃえばいいと思わない~~~?」

「ユウエナリス様、ダメですよ」

(ローランさん、もっと言ってやってください!)

「やるなら計画的にやらないと」

(そっち!? 滅ぼすことには同意なの!?)

「じゃあ、その辺は緻密に計算を立てないとね~」


 残念ながらローランさんも過激派そっち側でした。止められるのは自分しかいないと奮起して口を出す。


「滅ぼすのはダメです。そんなことをしたらユウエナリスさんとローランさんが捕まってしまうじゃないですか!(何よりこのままでは私が主犯になってしまう!)」

「ああ~~~~~、本当に~~~~。自分よりも他人を思いやれる良い子に育ったね! どこで芽吹いてもやっぱりマリーは真っ直ぐで優しい子だよぉ~~~」

(すみません………全力で自分のためでした)


 不安がる私にユウエナリスさんは母と同じ色ジェードグリーンの瞳で、母と同じように微笑んで私を見つめた。仄暗い後ろめたさに視線を逸らしたい気持ちが渦巻く。

 しかしユウエナリスさんは感動したまま言葉を続ける。


「でもね、これからは飢えることはないから好きな――もちろん好きなものばかりの食事は栄養が偏るけれどお腹いっぱい食べていいんだよ~~! 私がでれでれに甘やかしちゃうからね~~!」

「ユウエナリスさん……」

「ユウエナリスさん……か」


 とりあえずエグマリーヌ国を滅ぼす話が逸れたので、このまま食べ物の話題を続けようと自分の食べたいものを考える。

 今までは「食べられるときに食べなければ」と言う考えで食に関する意識が低かったことを自覚する。もし可能なら、両親と祖母がいた頃の料理、お菓子が頭の中に思い浮かぶ。

 そうだ。私が一番好きだったお菓子は――。


「あの……」

「ん?」

「もし希望を言ってもいいのなら、今度ふわふわのホットケーキクリーム付きを食べてみたいです」


 目を輝かせてユウエナリスさんは微笑んだ。涙ぐみ瞳を揺らしながら何度も頷いた。


「うんうん、ホットケーキを三段重ねで焼いてあげよう~~。トッピングはアイスとフルーツも付けちゃおうね☆」

「はい、約束ですよ!」


 

 胸の奥がざわついた。

 ほんの少しだけ。

 何かが心の奥から浮き上がるような気がしたが――すぐに霧散してしまう。


「大丈夫。私は約束を破ったことがないから~~」

(え?)

「ほら、食事を続けよう、ね~~☆」

「は、はい」


 ユウエナリスさんは私を抱きかけると椅子に座らせてくれた。割れ物を扱うように丁寧で、なんだかくすぐったい。

 テーブルの上にあるスイーツの数々の匂いに、お腹の音が空気も読まずに鳴った。


(は、恥ずかしいいーーーーー!)

「キアラもそうやって美味しいものを見てはお腹を鳴らしていたよ~。その時の照れた顔が本当に可愛くてね~~」

「おばあちゃんも……」

「うんうん、あんまり可愛いくて、好きだって言おうとしたら『キアラを食べたい』って言葉が出ちゃって、数日間避けられたな~~あははっは~」

(ツッコミどころが多すぎる! これはツッコむべきなの!?)


 ユウエナリスさんの話で気まずい雰囲気が払拭された。

 ローランさんが紅茶を淹れてくれて、香りが食欲を刺激する。


「んん~、どれもこれも美味しくて、優しくて甘い!」


 サクッとしたパイ生地、甘さ控えめのクリーム、食べやすいサイズのマフィン、バランスのとれた色とりどりのサンドイッチ。

 幸せな味。

 温かくて、優しい――。


「――……っ」


 気付いたら私は泣いていた。ホッとしたからか、あるいは居場所があったからか。

 もう一緒に食事を囲んでくれる人が現れるとは思わなかった。

 私に微笑みかけて、嬉しそうにしてくれるのが夢みたいだ。

 ローランさんがハンカチを差し出してくれたので、私は涙を拭った。それから差し障りのない会話を交わし、ふと私の中に疑問が生じた。


「ユウエナリス――さんは、その、どんなお仕事をなさっているのですか? 法衣を着ていると言うことは神官様?」

「ユウエナリス……さん、孫にそう呼ばれるのはちょっと……『じーじ』って呼んでほしいのだけれどな~~」

(無理! 難易度が高すぎる!)

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