第2話 ご都合主義の神様が生み出した存在。
小説、伝記、演劇。
こういった物語というものには、主人公が存在する。
そしてその主人公を盛り立てる存在という者達もたくさん存在する。
主人公を助けてくれる嬉しい存在達もいれば、
それを阻もうとするような嫌な存在達もいる。
ライバル、宿敵、悪の組織、意地悪な継母、
そして、
悪役令嬢。
主人公の愛らしく、優しく、誰もが守ってあげたくなるような女の子が、素敵な彼と恋に落ちると、時折現れる厄介な存在として、その役名は存在する。
主人公が素敵な王子様のような彼と結ばれようと努力すればするほど、悪役令嬢は主人公の麗しい少女をこれでもかと言うほどに虐げる。
悪役令嬢が主人公を虐めに虐め抜くほど、主人公の一途な思いが光り輝き、やがて愛しい彼と結ばれる時、悪役令嬢はその身を滅ぼす運命にある。
悪役令嬢とは、主人公を盛り立てる為の必要悪であり、大概の場合それは物語のご都合主義の神様が生み出し、そしてその神様に良いように操られる存在だ。
ここでとある一人の貴族令嬢の昔話を紹介したい。
彼女は由緒正しき伯爵家の三女として、父親譲りの美しく光る緑の瞳と、母親譲りの燃え盛る炎のような輝く赤毛を持って生まれた。
貴族令嬢として恥ずかしくないように教育され、常に人々の模範となるように姿勢を正し、厳格な表情を崩さない。
年頃になる前にはもう婚約者も決まっていて、親が決めた婚約に不満を唱えられるような環境ではなかったこともあり、彼女は粛々とその婚約を受け入れ、婚約者の事もいずれは自分の夫となる人物である事を意識しながら接していた。
側から見れば、大変順風満帆な婚約関係だった。
だがそこに、イレギュラーとも言える一筋の光が現れてしまう。
朝日を取り込んだ雲のようにふわふわとしたブロンドの髪。底抜けに明るい青空のような瞳。ちょっとしたことで薄紅色に染まる白い頬の少女。
子爵家令嬢として育ちながらも、周囲の貴族令嬢よりも少しばかり抜けているような行動や、くるくると表情を変える少女に心を奪われた男性は多い。
その男性の中に、伯爵令嬢の婚約者はいた。
ただ心を奪われるだけならば良かったのだが、まさかまさかで、伯爵令嬢の婚約者はその子爵令嬢と恋に落ちてしまったのだから、さぁ大変だ。何せ彼には伯爵令嬢との婚約が決まっていたのだから。
彼は婚約者に子爵令嬢との仲を知られないように上手く立ち回ろうとしたが、彼の動きが悪かったのか、それとも婚約者の伯爵令嬢の勘が鋭すぎたのか、程なくして二人の関係は伯爵令嬢の知るところとなったのである。
普通ならば婚約者の居る身で、別の女性との関係を持った彼と子爵令嬢の方に非があるはずだと思うだろう。
当然ながら、彼と身の程知らずとも言える子爵令嬢との恋は、瞬く間に社交界で知らぬものはいない特大のゴシップとなった。
婚約者に蔑ろにされた伯爵令嬢は、その地位と権力を総動員して婚約者を取り戻そうとし、子爵令嬢を社交界内に居られなくなる程の行動を起こしたのだ。
子爵令嬢は伯爵令嬢の行動の一つ、一つに傷つけられ、しまいには心も身体もボロボロになり、病に臥せってしまった。
だが残念ながら、ご都合主義の神様が微笑みを向けたのは、赤毛の伯爵令嬢ではなく、蜂蜜のようなブロンドの子爵令嬢の方だった。
子爵令嬢は熱い恋物語の主人公となり、伯爵令嬢はそれを阻もうとする悪役へと変貌した。
それまで身の程知らずな子爵令嬢の行動に対して意を唱えていた貴族達は、彼女が病に臥せると驚くほどにくるりと手のひらを返して、彼女を病にまで追いやった伯爵令嬢の行動を責め立てた。
やがてそれは貴族社会だけではなく、これから嫁ぐ予定だった伯爵家が治める土地の平民達にまで伝わり、そんな恐ろしい娘が領地にやってくるだなんて、いくらお貴族様達の決める事であっても承知しかねるという波紋が広がった。
あまりの状況になんと国王までもが事の対応に当たるという異例の措置が取られ、伯爵令嬢はその婚約を王命を持ってして解消させられ、彼女は急遽、国の北西端にある辺境伯の第三夫人として嫁がされ、社交界から実質的に追い出されてしまったのだった。
しかし社交界から追い出されても伯爵令嬢の名は消える事はなく、彼女の名はその燃えるような真っ赤な髪と共に、ボレアリス王国で未だに語り継がれている。
嫉妬の炎がその身に現れた赤毛の恐るべき令嬢。
悪女、エスメラルダ・カシオペイア。
ご都合主義の神様によって選ばれてしまったこの悪役令嬢こそが、わたし、リーデロッタ・シリウスの今世での祖母であった。
〇
伯爵令息のトリカブト事件から三日経ったアカデミーでは、何故かわたしの名前が祖母の悪名共々広まっていた。
(解せん。意味がわからんちゃ)
結局あの後、トリカブト男ことハドリウムは別に中毒を起こしているわけでもなく、ちょっと気分を害しただけだった。と、医務室長からも伝えられているはずなのに、何故かわたしが奴に毒草を掴ませて、健康を害したかのようにささやかれている。
悪女エスメラルダ・カシオペイアの孫娘は、やはり危険な貴族令嬢であった。
燃え盛る心を抑え込み、冷笑を湛える恐ろしい令嬢。
深紅のリーデロッタ・シリウス。
今日もいつも通りに図書館の予約をした窓辺のテーブルに腰掛けて、『ミツバチの素晴らしき社会を利用した養蜂論』を読んでいるだけなのに、まるで何か良からぬ事を企んでいるのではないかという勘繰りの視線が向けられる。なんなら、ヒソヒソ声すら届いてくる。
(図書館は私語厳禁やちゃ)
アカデミーに入学する前から、事あるごとに人の噂する声が雑音のように耳に入ってくるので、慣れと言えば慣れてはいるのだが、本来、静寂であるはずの図書館でそれを聴くのは、流石に慣れていても不快でしかなかった。
(司書のデューイ男爵に苦情を入れたとこで、大体の子は彼より立場が上やから、誰も言う事聞かんだろうし)
図書館の静寂を取り戻すためには、何か図書館に寄り付きたくなくなる適当な噂をでっち上げて、自分でそれとなく流した方が早くて有効的に思える。
何せアカデミーにいるのは、噂と陰謀で成り立つような社交界へ出る貴族子女たちだ。
ダンス講師のモノケロース伯爵の息子は実は愛人の子だという噂から、アカデミーの寄宿棟には過去に心中しようとして途中で裏切られた令嬢の幽霊が現れるなどのどうでもいいような噂話を集めては、茶会室やら講堂やら庭園やらで話をして広める。
ある意味、噂話のプロの集まりだ。
何か噂を流せば、尾鰭はひれが付いて大袈裟に広まるだろう。それを利用して図書館の静寂を取り戻すのだ。
問題はどんな噂を流すべきか、だ。
噂のせいで本来勉学や研究に勤しむ生徒を図書館から締め出す事はしたくない。図書館の本来の使い道は知識を求める者にその場を与えることなのだから。
図書館を利用する事は出来ても、図書館で話をしたくなくなるような噂。
「また何か考えているのか? リーデロッタ嬢」
本棚の陰に隠れてコソコソと話すのではなく、こう、直接的にわたしに関わって話しかけてくる物好きは、このアカデミーの中では一人しかいない。
「……何か御用ですか? キャリバン様」
この世界でもありふれたこげ茶色の短髪に、似つかわしくない程美しい、深い藍色の瞳をした青年。
年齢不詳。階級不明。そもそも貴族は星の名を家名に抱くべきこのボレアリス王国において、テンペストなどという、明らかに偽名でしかない家名を名乗ってくる謎の人物。
キャリバン・テンペスト。
彼だけは、わたしへ遠慮もなく話しかけてくる変人である。
「いや何、アカデミーを歩いているとそこかしこから、私にも聞き覚えがある名前に面白い二つ名がくっついて聞こえて来たものでな。たしか、冷笑の令嬢。深紅のリーデロッタ・シリウス」
「……」
「私の知っている限り、リーデロッタという名も、シリウスという家名も、何より冷笑に深紅などという形容詞が似合う令嬢は、貴女以外に存在しないものでな。真偽の程を直接確かめようかと、ね」
キャリバンは何の断りもなくわたしのストレートの赤髪を一房取って、手の中で遊ぼうとしてくる。
わたしは彼の手から自分の髪をひったくるように抜き取ると、からかうように笑っている藍色の目を睨みつけてやった。
「キャリバン様、断りもなく女性の髪に触れることは、失礼だと思いませんか」
「おっと失礼。礼儀を欠いた行動だった。それで、阿呆なハドリウムに毒を食らわせてやったというのは、本当か?」
先程まで家に入って来る隙間風のごとく耳障りだったひそひそ声が、キャリバンの一声で一瞬にして消えてなくなった。
真相を知りたいためか、それともさらにその噂を助長させるための情報収集か。
どちらにせよ、わたしが望んだ静寂ではないのが悔やまれる。
「キャリバン様も噂に惑わされるのですね」
「ふむ。つまり毒は盛っていないと」
「えぇ。そんなことをしたのが事実ならば、わたしは今頃この図書館の座席ではなく、処刑台の上にいることでしょう」
「それもそうだな。例え王族であっても、そんなことをすれば処刑台行きだ」
「えぇ。貴族ならばその程度、わたしの姿をわざわざ図書館へ見に来ずともわかることでしょう」
わたしの皮肉は本棚に隠れている多くの令嬢及び令息の耳に届いたようだ。わざわざ視線を送らずとも、そそくさと彼らが去って行く足音がわたしの耳に響いて来なくなるまでに、数十秒ともかからなかった。
「邪魔者は居なくなったようだな」
「……そうですね」
あと一人、わたしの目の前に邪魔者が残っているのだが、それをわざわざ口に出して言うほど、わたしはバカではない。
わたしはキャリバン以外の邪魔者たちが隠れていた本棚の分類を確認してから、ひとまず今は手元の本を読むことに集中しようとした。
「おい。私を無視しようとするんじゃない」
「……キャリバン様、図書館は私語厳禁ですよ。ご存知ないのですか?」
「いいじゃないか、少しくらい。私が貴女と話をすることができるのは、この図書館くらいなものなのだから」
と、キャリバンは言うが、わたしは別に図書館にいる時しか彼の相手をしないなどと告げているわけでもなく、そのような意思表示だってしたことはない。
ただキャリバンが何故か図書館でしかわたしに話しかけてこないだけだし、何より図書館以外でわたしの前に姿を現そうとしていないだけである。
「それで、ハドリウムはなんだって毒草を手に持って、アカデミーのホールで貴女を非難しようとしたのだ?」
「ヨモギを集めに行ったわたしの姿を見て、何故か毒草を集めに行ったと勘違いされたそうですよ」
「そこは知っている。ハドリウムがホール中に響き渡る声で話していたからな。そうではなく、何故ハドリウムが貴女の行動を見て、非難しようと思ったのか、そちらの理由が知りたい」
「存じません」
「は?」
「ハドリウム様が何故わたしの行動を不審に思われ、それをホールで朗々と語り、非難しようと思ったのか。それはわたしにもわかりません」
「わからない? 本当に? 何か素っ気なくしたとか、冷たくあしらったとか、そういう事もないのか?」
キャリバンは真剣にハドリウムがわたしに対してあの行動に至った理由を聞いてくるが、わたしはハドリウムに素っ気ない態度を取った記憶も、冷たくあしらった記憶もまるでないのだ。
そもそも、わたしは出来る限り目立たない行動を心掛けてアカデミーで生活しているのだ。
よもぎ蒸しパンが食べたくなってヨモギを集める時や、ジャムを作るためにキイチゴを探しに行く時も、他の生徒がまだ目覚めていないであろう早朝に出るようにしているし、授業のない日中は基本的にこの図書館でひたすらに本を読んでいる。夜は蝋燭を消費してしまうのがもったいないから早寝するようにしている。
それに他の生徒たちと違って、わたしは社交の場を求めてアカデミーへ入学しているのではなく、本気で知識を習得するために入学したのだ。
社交に重きを置く他の生徒たちと、図書館へ籠って知識を得ようとするわたしとでは、そもそも行動原理が異なるため、過ごす場所は袖が触れ合う程度にしか重ならない。
目立たぬよう、いらぬ波風を立てぬように。と、過ごしてきたわたしが、何故ハドリウムの関心を惹き、彼にホールで三文芝居を打たせるようになったのか、ほとんど見当が付かない。
「強いて言うならば、ですが。ハドリウム様は祖母の名を口にしておりました」
「それは……」
「祖母が祖母なのだから、孫娘もそうなのであろう。という、お考えがあったのでしょう。そしてその不穏分子を早急に排除すべく、ハドリウム様の考える正義の元、わたしを非難なされようとしたのではないでしょうか」
ハドリウムの取った行動は一見すると罪のないわたしを一方的に非難し、そして自滅したという馬鹿げた行動だが、わたしの祖母が過去に起こした事件を考えると、予防線を張ることで今後起こり得る事件を未然に防いだともいえるのだ。
(まぁ、わたしが何かする気はないがやけど)
「……私は、そのような決めつけは好かない」
意外なことに、キャリバンはわたしの置かれている状況に対して苦い顔をする。
(そういう経験でもあるがやろうか?)
あったところで、別に彼に同情などしない。
人間というものは何かしらのレッテルを他者から貼り付けられているものだ。
そのレッテルを理解して、上手く対応するなり、逃れるなり、何かしらの努力をして、自分は自分であると生きていく強さがなければ、現代日本から転生したという秘密のアドバンテージも上手く利用もできないものだ。とわたしは思っている。
「キャリバン様。そのようなつまらない話をわたしとするよりも、先程のように陰口を図書館内で響かせることができなくなるような恐ろし気な噂でも考えてくださいませ」
「噂? そんなものを作ったらさらに図書館内が噂話で騒がしくなるのではないか?」
「ですから図書館内で噂話をすると、もっと酷い目に遭うと思い込んでしまいそうな噂話を作ってくださいませ。図書館内で口を開くことが出来なくなるようなものを。そうですね。先程、邪魔者が隠れていた本棚の分類は宗教……天文学関連ですから、“星から罰が下る”。みたいなものはどうでしょう?」
「ふむ。なるほど、それは面白い」
キャリバンの藍色の瞳がキラリと輝く。これなら乗ってくれそうだ。
「もっと噂話の設定を詰めるためにも、該当の本棚から何冊か本を選んで読まれるといいと思いますよ。わたしのオススメは『天に輝く星々の言葉』と『古代天文学』ですわ」
「なるほど、ためになる。礼を言おうリーデロッタ嬢。ありがとう」
「いえいえ、お気になさらずに」
(これでやっとこの本の続きが読めっちゃ!)
と、喜んだのも束の間、読書を再開したわたしの元へ静かに、それでも少し急いでやって来たのは、わたしがアカデミーに入学するにあたって、母方の祖父から付けてもらった唯一の側仕え、ジェダだった。
「お嬢様、先程緊急のお手紙が届きました。ドルフィネ辺境伯が倒れられたそうです」
サッと血の気が引く感覚がした。だがここで慌てるわけにはいかない。
ここは図書館。静寂を保つべき場所。それに今世のわたしは子爵家の令嬢。貴族は慌てふためくものではないのだ。
「ジェダは帰宅の準備をしてちょうだい。わたしはここの片付けと、先生方へ欠席の旨を伝えなければ」
「お嬢様の荷物は少ないので、準備にそれほどお時間を頂かなくとも問題ございません。それより先生方への連絡の方に時間が取られるでしょうから、片付けはわたくしにお任せください」
「……わかったわ。お願いね」
ジェダへの指示が上手くなかったことで、わたしが少し慌てていることに気がつく。
(もっとしっかりせんと)
わたしは早足で、それでも優雅に図書館を後にすると、しばらくの欠席を告げるためにアカデミー中を動き回ることになった。
キャリバンに挨拶しなかった事を思い出したのは、自宅へと戻る馬車の中だった。
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