2

 翌日、航は引越に向けて準備をしていた。初めての引越だ。色々と大変だが、やがて自分も何度か経験する事だ。経験しておかなければ。


 航は荷物を段ボール箱に詰めている。衣類、本など様々だ。その中で、もういらないと思った物は捨てるつもりだ。だが、今の所そんなものはない。


「あの猫、今日もいるのか」


 ふと、航はあの野良猫が気になった。今日もあの野良猫はいるんだろうか? そして、僕を見つめているんだろうか? 沙羅に見つからないように様子を見よう。もし見つけたら、追い出すだろうから。


「本当に何だろう」


 航は不思議に思っていた。どうしてこの家に来て、じろじろ見ているんだろうか?この家に何か思い出でもあるんだろうか?


 と、航は野良猫を見つけた。今は母がいない。野良猫を入れよう。


「おいで」


 航は野良猫を誘った。すると、野良猫は迷いなく入った。野良猫は航の部屋でごろごろしている。初めて入るのに、こんなに気にいるとは。どうしてだろう。


 と、野良猫は机に向かい、マジックペンを口にくわえた。航は驚いた。何をするんだろう。


「ん?」


 そして、野良猫は机に置かれた白い紙に『航』と書いた。どうして僕の名前を知っているんだろう。この野良猫は何だろう。天才だろうか? もしそうなら、テレビ番組に出れるだろう。


「航? どうして僕の名前、知ってるの?」


 航は首をかしげた。もしかして、優の生まれ変わりだろうか? だから、名前を知っているのかな?


「お父さん?」


 すると、野良猫は頭を下に動かした。やはりそのようだ。まさか、こんな時期にこんな出会いが待っているとは。


「そうなんだ」


 と、ドアの奥で物音がした。沙羅がやって来たようだ。それを聞いて、野良猫は外に出て行った。また追い出されるのが嫌なようだ。


 ドアを開けて、沙羅がやって来た。沙羅も引っ越しの準備を進めているようだ。


「あっ、お母さんだ」


 沙羅は外を見た。いつものように美しい海が広がっている。だけど、名古屋に行ったらこんな美しい海は見えない。寂しいけれど、自分と航の幸せのためだ。


「どうしたの、お母さん」

「もうすぐここともお別れだね」


 沙羅は寂しそうだ。優と過ごした愛の巣なのに、こんなにも早く離れてしまうとは。どうしてこんな運命になったんだろう。


「うん。悲しい?」


 航は悲しいと思っているんだろうか? 名古屋に行っても、ここが好きだと言わないんだろうか?


「うん」

「でも、新しい生活にも次第に慣れてくるわ」


 沙羅は横にやって来た航の頭を撫でた。航は嬉しそうだ。


「そうかな?」

「大丈夫。心配しないで」


 航は戸惑っている。僕の父は優だけだ。だけど、知らない人を父と呼ぶのはどうだろう。


「うーん・・・」


 その他にも、航は考えている。あの野良猫の事だ。沙羅は気づいているんだろうか? その野良猫は優の生まれ変わりだという事を。だったら追い出さないはずなのに。


「どうしたの?」

「あの野良猫、お父さんの生まれ変わりだよ」


 沙羅は驚いた。まさか、優の生まれ変わりだなんて。そんなおとぎ話のような事、全く信じられない。


「そんな事ないわよ。もう死んだんだよ。もういないんだよ」

「うーん・・・」


 と、またあの野良猫が見ている。それを見た沙羅は窓から顔を出した。追い出そうとしているようだ。


「また来てる! 出て行け!」


 野良猫は寂しそうに家を離れた。航はかわいそうだと思っている。どうして信じてくれないんだろう。この野良猫は優の生まれ変わりなのに。


 沙羅は部屋を出て行った。それを確認するように、野良猫が再びやって来た。航は迷いなくその野良猫を入れる。


「わかってもらえなくて、ごめんね」


 航は野良猫の頭を撫でた。心地いいのか、野良猫は目を閉じて嬉しそうな表情を見せた。


「悲しいの? 大丈夫?」


 野良猫は小さく鳴き、航に甘えた。引っ越すまでに伝えたいのに。本当に伝わるんだろうか?


 航は仏壇にやって来た。沙羅は父の遺影を見ている。忘れられないんだろうか?


「パパの遺影の前でどうしたの?」

「新しいパパと暮らすって事を知って、どう思っているのかなと思って」


 航は共感した。優は新しい夫の事を知らない。会ったら、どういう反応をするんだろう。そして、どんな言葉をかけるんだろう。


「そうだね。きっと新しい生活を応援していると思うわ」

「そうだといいね」


 航は外を見た。野良猫は新しい生活を応援しているんだろうか? それとも、ここで暮らしてほしいと思っているんだろうか?


「どうしたの?」

「パパの事が忘れられなくてね」


 航は優の事が忘れられない。やっぱり僕のお父さんは世界でたった1人だけ。優だけだ。


「そっか。でも、いつかは忘れて、自立しなければならないのよ」

「そうかな?」


 沙羅は航の肩を叩いた。別れを通じて、人間は強くなっていかなければならない。そして、新しい出会いをして、幸せになる。


「きっとわかるさ。今はそれに気づいていないだけ」

「うーん・・・」


 航にはまだわからないようだ。だが、いつかは気づくだろう。人生において、出会いと別れは大切だと。


「まだわからない事なのかな?」


 沙羅は心配している。まだわかっていないようだ。それも成長するために大切な事なのに。


「そうかもしれない」

「次第にわかるよ」


 沙羅は空を見上げた。天国から優はどんな目で見ているんだろう。新しい生活を応援していてほしいな。

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